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26 何度だって、きみのために

「……だれ?」

 ゆっくりと身体を起こした詩音は、蓮を見つめて小さく首をかしげた。ほとんど寝癖のつかないまっすぐな髪が、さらりと揺れる。

 蓮は、詩音の手を握りしめると笑顔を浮かべた。彼女が警戒しないように、優しい表情になっていますようにと願いながら。

「佐倉 蓮、といいます。詩音ちゃんのことが、大好きなんだ」

「蓮くん」

 噛みしめるようにつぶやいた詩音は、戸惑ったように蓮の方に手を伸ばした。

「どうして泣いてるの?」

 少し冷たい、ほっそりとした指先が蓮の頬にそっと触れる。涙を拭ってくれる指の優しさに、新たな涙がこぼれ落ちるのを感じながら、蓮は泣き笑いの表情を浮かべた。

「うん、ごめん。大好きな気持ちがあふれちゃった」

「ふふ、変な人」

 くすりと笑った詩音が、ベッドサイドに置かれたティッシュを差し出してくれる。

 あとからあとから流れてくる涙を拭き取りながら、蓮は必死に笑顔を浮かべた。

「そんなに泣かないで」

 困ったように蓮を見上げた詩音は、まるで小さな子供にするように頭を撫でてくれる。その手の優しさに、また涙が止まらなくなると思っていると、ふとその手が止まった。


「蓮くん……に、手紙。手帳の中」

 戸惑ったような口調でつぶやく詩音を見ると、彼女は自分の左腕を見つめていた。そこにはペンで何やら文字が書かれている。

 白いカーディガンを羽織っていたので気づかなかったけれど、腕を伸ばしたことで袖口が捲れ上がって文字が見えるようになったらしい。

 きっと、記憶が残っているうちに書かれたその文字を、詩音は指先でなぞったあと、そばに置かれた手帳に手を伸ばした。


「手紙って、これかな」

 詩音が取り出したのは、青空模様の封筒。そこには確かに詩音の筆跡で、『蓮くんへ』と書かれている。

 一緒に挟まれていたのは、以前に二人で撮った写真。

 楽しそうに顔を寄せ合って笑う二人の顔に指先で触れて、詩音がため息をつきながら笑った。

「あぁ……そっか。ごめんね、きっと蓮くんは私の大事な人だったんだよね。だけどもう、私……何も覚えていないの」

 うつむいてつぶやいたあと、詩音はゆっくりと封筒を蓮に差し出した。

「多分、覚えてるうちにって何か書いたんじゃないかな。読んでもらえたら、嬉しいな」

「ありがとう」

 少し震えた手が握りしめる手紙を、蓮はそっと受け取った。

 震える指先で、蓮はそっと詩音からの手紙を開く。

 封筒と揃いの、よく晴れた青空の色をした便箋に、詩音の綺麗な字が並んでいる。


◇◆◇


『蓮くんへ


 まだ、蓮くんのことを覚えているうちに書いておくね。

 蓮くん、大好き。蓮くんの優しい笑顔も、大きな手も、きらきらしたピアノの音も、全部大好き。

 私に、愛することの幸せを教えてくれて、ありがとう。

 蓮くんのことは、いつか忘れてしまうかもしれないけど、この幸せな気持ちだけは忘れないでいたいな。

 本当は、蓮くんのことも、忘れたくないけど。

 蓮くんに会ってから、毎日が本当に幸せだったよ。蓮くんが弾くピアノみたいに、きらきらしてた。

 ずっとこのままでいたいなぁって、何度も思ったよ。

 だけど、近いうちに私は蓮くんのことも忘れてしまうと思う。ごめんね。酷いよね。


 私が蓮くんのことを忘れる日が来たら、その時は蓮くんも私のことを忘れてください。

 忙しい練習の合間を縫って会いに来てくれていたこと、本当に嬉しかったけど、これから先は蓮くんの時間は自分のために使ってください。蓮くんのピアノは、きっとこれからもたくさんの人を幸せにするから。

 私は、たくさん蓮くんのピアノを聴かせてもらったから。少しだけ残念だけど、やっぱり蓮くんのピアノはひとりじめしたらだめだと思うの。

 大丈夫、私は忘れちゃうから、蓮くんが来ないことにも気づかないもん。

 だから、気にしないでね。


 ひとつだけ、私の手帳だけは処分してもらえると嬉しいな。手帳を見たら、蓮くんやヒナのことを忘れたことに気づいてしまうかもしれないから。

 いつか私が死んだら、棺桶に一緒に入れてくれたら嬉しいけどね。


 本当に、たくさんの幸せをありがとう。

 いつか、有名になった蓮くんの弾くピアノをどこかで聴けたらいいな。

 私のためじゃなくて、たくさんの人のために、これからもピアノを弾いていてね。

 だから、私のことは忘れてください。

 私からの、最後のお願い。

 蓮くん、大好きでした。

 

 詩音より』 


◇◆◇


 途中から涙で視界が歪んで文字を追えなくなりながら、蓮はゆっくりと噛みしめるように手紙を読んだ。

 震える吐息と共に読み終えた便箋をそっと畳むと、黙って見守っていた詩音が困ったような笑みを浮かべていた。

「また、泣いてる」

「うん、ごめん。今日は泣いてばかりだな、俺」

「悲しいことが、書いてあった?」

 首をかしげる詩音に、蓮はかぶりを振った。

「すごく……、すごく嬉しいことが書いてあったよ」

 目の前の詩音の手を握って、蓮は笑う。

 たとえ彼女が蓮のことを忘れてしまったとしても、詩音のことを忘れるなんて、できるはずがない。今もこんなに好きなのに。


「ごめんね、詩音ちゃん。きみのお願いは、きけないや」

「え?」

 目を瞬かせる詩音の手を引いて、蓮はその華奢な身体をそっと抱きしめた。

「わ、蓮くん?」

 慌てたような声が聞こえるのが楽しくて、くすくすと笑いながらも蓮は詩音を囲う腕を緩めない。

「大好きなんだ。きみのことを忘れるなんて、できるはずない」

「え、何? 蓮くんってば、離して?」

「詩音ちゃんが、大好きだって言ってるんだ。これから、毎日でも何度でも伝えるから」

「え……、あ、え? 何、どういう……」

 真っ赤になって焦る顔が可愛くて、蓮は笑いながら抱きしめた腕に力を込めた。


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