2136年 里香の悩み
※この話はフィクションです。実際の人物や団体などとは一切関係ありません。
宇宙船内の回想回です。
2136年 3月
――5年前
〈トムソン号〉が地球周回軌道上を出発して、1年ほど経った時のこと。
私、どうしちゃったんだろう。立花里香は研究室でそう呟いた。1番大好きな『宇宙空間での藻や草木の生育課程』の研究に集中できていないのを、最近自覚した私は、悩んでいた。
絵を描くことも好きなはずなのに、タブレットで何かを描こうとしても、なぜか手につかない。流線型の、卵より少し細長い、謎の物体ばかり書きながら、今まで藻の研究一筋で生きてきた私が、一体全体どうしたんだろう、と考えていた。
地球に恋人を残してきたとか、そういう訳ではない。
今まで恋愛などには一切興味がなく、植物ばかり観察していた。植物は本当に癒される存在だ。喋らないし、風が吹くとユラユラと揺れて、ご機嫌のように見える。
植物同士って会話してるのかな、とか思いながら、小さい頃からずーっと植物ばかり見ていたら、ついには植物と会話できるようになってしまった。
研究者として、それはマズいのではないかとは、思っている。結局、私が会話していると思い込んでいるだけで、それは偏見を持っているということと同じだろう。研究活動に必要な視点は、事実に基づいた、フラットな視点であるからだ。正直に素直に物事を見る。そうしないと、偏見の裏側にある真実が見えてこない。
頭ではわかっているけど、心が追いついてこないような感覚がする。
運動でもして気を紛らわせようと、私はふわふわとトレーニングルームに足を運んだ。
そこには、医師のアルベルト・ホフマンがいた。
アルベルトを見ると、心臓をギュッと鷲掴みにされたような感覚がする。はっきり言って、今1番会いたくない人物であった。
「ハロー!調子はどう?リカ」
「ハロー。まあまあね。私も運動していいかしら?」
「もちろんさ。隣、空いてるよ。」
トレーニングルームには、無重力空間で筋力を衰えさせないため、ベルトをつけて歩いたり走ったり、負荷をかけて体を動かす設備がある。2人までなら一緒に運動できる広さだ。
「何やら悩み事がありそうという顔だねぇ?」
運動を始めると、そう声をかけられた。アルベルトは医師だからか、時折妙に鋭いことがある。
いつものふざけた感じの方がよかった…
里香は小さくそう呟くと、頭を降った。
「いえ、まぁ、悩み事ぐらい、みんなあるんじゃないかしら。」
「相談できる人に相談するんだよぉ。俺じゃなくてもいいからね。悩み事を抱え続けるのは、精神にも肉体にもよくないよ。」
「わかってるわ。でも……誰に相談すればいいのか……」
ジョージ・エヴァンスとデヴィッド・アンダーソンにこんなこと聞いたら、そんなの医師が見るべきだろ、とか言われて結局アルベルトに話すことになりそう。ルイス・エヴァンスは……言っちゃ悪いが、単純に参考にならなそう。
運動しながら十数分悩んだのち、里香はアルベルトに相談することにした。
「えっと……あなたに言うのが1番言いづらいけど、色々考えた結果、あなたに言うのが1番いいと思ったから言うわね。」
「そうなのかい?無理しない範囲で言ってごらん。」
里香はしばし運動をやめ、心と体を落ち着けるように深呼吸した。
「最近、アルベルトを見たり、声を聞いたりすると、心臓がギュッと鷲掴みにされたように痛むの。それに、研究活動や趣味も手につかなくて、全然頭が回らない。どうすればいいと思う?」
アルベルトも運動をやめ、里香に向き直る。
「心臓が鷲掴みにされたように痛むのは、俺が関わる時以外にはあったかい?」
「うーん……うーーーーん……多分ないと思うわ。」
「そっか……おそらくだけど、病気ではないね。そして、色々とタチが悪いタイプの病気じゃないものだよ。」
「どういうこと?」
「俺がここで答えを言ってしまうわけにはいかなくてね、これは自分で気付くべき感情なんだ。それに、この場合だと特に俺が答えを言うべきではない。」
「よくわからないけれど、私が自分で気付くべき感情があるということはわかったわ。少し悩んでみる。」
「万一というものがあるから、一応病気の検査もしておこうか。運動がおわったら居住区においで。」
その言葉にも、キュッとした痛みを感じた。




