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七日目


【七日目】


 受験生の日曜日は、決して休日ではない。

 朝から母親に睨まれて自室に篭って勉強をしていた咲は、昼食と僅かな休憩を挟んで、夕食を食べ、そわそわと時間を気にしながら、夜の十時半を迎えていた。

 こんな時間に出かけるといえば、親の顰蹙を買うのは当たり前で、だから、咲は自室にこっそりと持ち込んだ予備のスニーカーを手に、そっと窓から外に出た。

 窓の外には大きな木が植えられていて、その木を伝って一階に下りるのは咲の逃走手段の一つだった。

 パーカーを羽織って、スニーカーを履き、するすると猿の様な身軽さで木を伝って降りた地面でぐいっと伸びをする。

 一日勉強付けだったから、体がこわばっていた。

こんな状況が入試まで続くのかと思うとげんなりする。

 咲は塾に通っていない分まだマシなほうだろうが、これが受験戦争最前線だと毎日塾塾塾で勉強付けになる。

 考えると憂鬱になるので一つ頭をふって思考を霧散させ、そっと咲は人の気配に気を払いながら自宅の敷地の外に出た。

 そのままいかにもジョギングをしています、という風を装って念のためパーカーのフードを被って学校に向かう。

 歩いても三十分もかからない高校への道のりは、走れば約半分に短縮された。

 ジーパンのポケットに突っ込んでいたスマホでちらちら時間を確認していたので、暫く春華を待つことになるだろうと咲は思っていたのだが、学校の校門の前に堂々と立つ人影を見て、少し驚いた。


「はやいな」

「貴方がこの時間にくるのはわかっていたから」

「そっか」


 制服姿で微笑む春華にはもう突っ込まない。

 軽く肩を竦めた咲の前で、春華が不審者対策で厳重に閉められているはずの門扉に手をかけた。

 さして力をこめたようには見えないのに、人一人分が通れる程度の隙間が開く。

 これには流石に驚いて目を見開いた咲の前で、春華がするりと隙間を通る。


「こっちよ」

「あ、ああ」


 言われるがままに春華の後ろをついていく。

 咲が通り抜けると、春華は門扉を閉めた。


「屋上に行きましょう」

「でも、鍵がないだろ」

「準備は万端よ?」


 咲の言葉にも、春華は不敵に笑った。

 その手に握られているのは、確かに鍵だ。学校の鍵などどうやって入手したのか。

 考えると頭が痛くなるので、考えたくない事柄だ。

 さくさくと運動場を歩いて横断する春華の後ろをついて歩く。

 問いかけてもいいものか迷っている咲の前で、黒髪を夜風に靡かせて春華は堂々としたものだ。

 一応、これって不法侵入に当たるのでは……? と咲が思い至った頃には、生徒用の玄関に辿り着いていて、春華はこれまた慣れた仕草で、鍵で扉を開けるとするりと中に入り込んだ。


「ちょっとまてって」

「時間がないの。いきましょう」


 さらりと告げられた言葉の意味がわからなくて、固まる咲の手を春華が引っ張る。

 スニーカーから上履きに履き替えたのは無意識だ。

 体に染み付いた動作をおえて、はっと我に返ったときには、春華は咲の手を握ったまま屋上に続く階段に向かっていた。


「なぁ、なにがしたいんだ?」

「すぐにわかるわ。……お別れは、ここに決めているの」


 少し低くなった声音で告げられた言葉に、咲は眉を寄せた。


「別れ……?」


 鸚鵡返しに問い返した咲に、春華が振り返る。

 階段の、一段上で。窓から差し込む月明かりを受けて、春華が笑う。

 月の淡い光に照らされて、いまにも春華は消えてしまいそうだった。


「咲、私は一週間しか生きられないといったのを覚えている?」

「……ああ」


 こくりと頷いた咲に、春華が泣きそうに笑った。


「それが、今日よ。正確には、日付が変わるまで。最後の瞬間くらい、貴方と一緒にいたいの」


 泣き笑いに近い春華の表情に、胃の奥が熱くなる。

 むかむかと、こみ上げてきた激情はなんと表現すればいいのだろう。

 これまでの咲には縁遠かった感情が、心を支配していた。


「なんだよ……それ」


 唸るような声音がもれた。春華は変わらずに笑っている。

 それが、とても腹が立った。


「なんだよ、それ!」

「理由は、ちゃんと説明するから。屋上に行きましょう。あと、四十分しかないわ」


 時計をみることもなく告げられた言葉に、ぎりと奥歯をかみ締める。

 また階段を上りだした春華の後ろ姿を見つめながら、咲は繋いだ手を強く握り返した。

 春華は遠慮がちに握り返してくる。この温かさが、あと四十分で失われるなど、咲には想像ができない。

 屋上はゆるやかな風が吹いていた。春華の結んでいない髪が風に靡くのをぼんやりと眺めていた咲は、春華が迷わずフェンスに近づいていったのに、なぜか焦燥を抱いた。

 フェンスの前でくるりと春華が振り返る。その表情は無だ。なにも感情の浮かばない、人形のような顔つき。

 目を見開く咲の前で、春華が手をすっと差し出した。

 無言で差し出された手に戸惑う咲の前で、春華がやっと表情を崩す。笑みを、浮かべた。


「咲、私に渡したいものがあるのでしょう?」

「え?」

「ネックレス、用意してくれたんでしょう?」


 春華の言葉に目を見開く。

 そして、すぐに敵わないなぁ、と咲は笑った。


「全部お見通し、か」

「ええ、貴方のことなら。貴方のこと以外でも」

「その理由も説明してくれるのか?」

「ええ」


 一歩、一歩。

 踏みしめるようにして春華に近づく。

 ポケットから取り出したネックレスは包装紙が少し歪んでいたけれど、気にする事無く咲は春華に渡した。

 ペアのネックレスの片方は、既に咲の洋服の下に身につけられている。


「咲、私につけてちょうだい」

「はいはい。仰せのままに」


 春華が背を向ける。黒髪を前に流した春華の白い首筋が目に毒だ。

 極力意識しないように気をつけて、咲は春華の首にネックレスをつけた。

 女の子相手にアクセサリーを渡すのもつけてやるのも初めてで、おぼつかない手つきだったけれど、確かにちゃんとつけることが出来た。

 春華が振り返る。そっと、首もとのネックレスに触れて、心底嬉しそうに笑った。


「何度経験しても、これが一番嬉しいわ」

「何度も?」

「ええ。ちゃんと話すわ。咲は、いつだって私のことを笑わないから」


 でも、と春華は月を見上げて、口を開いた。


「あと少しだけ、時間がまだ残ってる。本当に少しだけ。隣にいてくれないかしら」


 そうしてその場に腰を下ろした春華を見て、咲は大人しく春華の隣に腰を下ろした。


「これで時間が昼だったら弁当がでてくるのになぁ」

「あら、お腹がすいているの?」

「晩飯食ってからずっと勉強してたからさ。ちょっとな」


 お腹を押さえて空腹をアピールする咲に春華がくすりと笑う。


「ねぇ、咲」

「うん?」

「私、貴方が好きなの」

「……ああ」


 唐突な愛の言葉には、やはり少し戸惑ってしまう。

 視線を泳がせた咲の肩に重さがかかる。

 見てみれば、春華が咲の肩にもたれかかっていた。


「咲、貴方だけを、愛しているわ」

「……」

「だから、あと少しだけ。一緒にいて。時間がくるまで、こうしていて」


 可愛いお願いだった。

 だから、咲は返事の変わりに春華の手を握った。

 春華が握り返してくれる。白くて小さな手だ。温かくて柔らかい手だ。

 この体温が失われる瞬間が、すぐそこに迫っているなんて、咲には全然想像できないのに。

 そうして、無言の時間を過ごした。

 耳に入るのは風が起こす音だけ。

 月明かりに照らされて、世界に二人きりになったような錯覚を抱いた。

 どれほどの時間そうしていたのか、きっと三十分ほどなのだろうけれど、永遠に感じる時間を過ごしたと咲は思った。

 あまりに春華が静かだから寝ているのかとも思ったが、それならそれでいいと思える。

 お互いの呼吸の音が聞こえる距離で、お互いだけを感じていた。

 永遠の時間に終止符を打ったのは、春華だった。ゆっくりと、春華が立ち上がる。咲もつられるように立ち上がった。

 お互いに向き合って、咲の前で、春華がゆっくりと瞬きをする。

 黒い瞳が瞼の奥に隠れる。次に瞳が開かれたとき、そこには諦めの感情があった。

 咲の心臓が煩くなる。一体、春華はどんな事実を口にするのだろう。


「私はね、神様のおもちゃなの」


 ゆっくりと春華が口にしたのは、到底信じられるような言葉ではなかった。

 それでも否定の言葉を紡ぐ事無く、視線だけで先を促す咲の前で、春華は咲が渡したばかりのネックレスを触りながら、言葉を紡いだ。


「これは、神様と私のゲーム」


 淡々と、極力感情を排した言葉。認めたくない現実を、それでも認めざるを得ないような、そんな、諦念の篭った台詞だった。


「ここは、神様の作ったおもちゃ箱。私ともう一人以外は人にみえるナニカ。ぜーんぶ、神様の作ったお人形」


 春華が手を広げる。世界を包み込むような、そんな仕草だった。


「この世界は、一週間をループしているの。一週間だけを、永遠に繰り返している。ループする一週間から抜け出す方法は一つだけ。『人間』を心から愛すること」


 春華の言葉が上手く頭に入ってこない。

 唖然とする咲の前で、くるりとターンを決めるように春華が背を向けた。体の動きに応じて長い黒髪が揺れる。


「それが、不治の病のを治す奇跡の代償。暇を持て余した神様が気まぐれに私に仕掛けたゲーム。もし、私が神様のゲームをクリアできたら、そうしたら――私は健康な体のまま、ループから抜け出して、現実世界に帰ることが出来る」


 春華の言葉が、何一つ理解できない。

 春華が喋っている言葉の意味が判らない。

 呆然と佇む咲の前で、春華が首だけ振り返る。

 いまにも泣き出しそうな、顔だった。


「本当は、私は人形だらけのおもちゃ箱の中で『人間』をみつけないといけなかった。お人形は一週間常に同じ行動をとるの。例外の人間だけが、ループするごとに少しずつ違う行動をとるはずで、それを見つけるのが私のやるべきことだった」

 それは、それ、は。

 じゃあ――咲は。霧島咲という人間は『ナニ』なのだ。

 ゆるゆると、春華の言葉が脳裏に染み渡るように理解されていく。

 震える指先で春華に手を伸ばそうとして、春華は逃げるようにステップを踏んで、咲から距離をとってしまった。


「本当はね、『人間』に見当はついているの」


 春華が真っ直ぐに咲を見つめる。その眼差しが、悲しみに満ちていたから、直感的に咲はわかってしまった。

 ああ、自分は。


「でも、私は貴方を愛してしまった」


 人間では、ないのだ。


「貴方は『お人形』なのに、私は貴方を愛してしまったのよ」


 咲の思考を裏付けるように、春華が残酷な現実を口にする。

 今まで十五年、生きてきて。一度も自分が人間かどうかなど、疑ったことなどなかったのに。

 ああ、いや、春華の言葉が本当なら、霧島咲という人間の十五年すら――存在してはいないのだ。


「ループする一週間を、永遠に繰り返してもいいと思うほどに、貴方を愛してしまったの」


 なにも言葉が出てこない。自分の感情の整理がつかない。

 目の前に広がっているのが、絶望なのかすら、判断が出来ない。


「滑稽よね、私はずっとこの永遠の地獄から抜け出したかったのに」


 それでも、そんな咲に構う事無く、春華が言葉を紡いでいく。残酷な、言の葉を。


「永遠に続く一週間から抜け出そうと足掻く私を、貴方だけが笑わなかった」


 それは、きっと、春華にとってとても大切なことだったのだろう。

 咲が覚えていない、いつかの、どこかの霧島咲という人間が、とった行動が。

 きっと――永遠の一週間を彷徨う黒峰春華という少女を、救ったのだ。救って、しまったから。


「そんなことで――貴方を、愛してしまった」


 咲は今、どうしようもないほど、残酷な現実に直面することになった。


「ねぇ、私を笑うかしら」


 親も、友達も、クラスメイトも。

 全て、神様が作った人形だと春華は言う。

 その春華の言葉を、嘘だと、咲は思わなかった。思えなかった。

 こんなに、泣きそうな顔で、悲痛な表情で、悲しげな声で、苦悩に満ちた声音で、告げられる言葉を、嘘だと弾劾できるほど、霧島咲という『ナニカ』は強い存在ではなかったのだ。


「本当は、家族に会いたい、友達に会いたい、現実世界に返りたい。――でも、貴方のことを、私は」


 春華が雄弁に語っていた口を閉ざす。

 そうして、自分からとった距離をつめて、咲の腕を掴んで。

 咲の唇に、キスを落した。


「ねぇ、私を笑ってちょうだい」


 一瞬触れただけ。すぐに離れていった体温を追いかける気力は、咲にはなかった。

 なすすべもなく立ち尽くす咲の前で、春華が自嘲を刻む。


「馬鹿な女と私を笑って。そして、私を振って。貴方を忘れない限り、私は現実に戻ることが出来ない」


 そう告げる春華は、けれど――やっぱり、泣きそうな顔をしていた。

 振られたくないと、表情が訴えている。忘れたくないと、顔に書かれている。

 そこに確かに春華の愛情を見出してしまったから。だから、咲は。


「神様って意地悪ね。でも、私も疲れたの。だから、さよならよ。永遠に繰り返す一週間で、私は何度も貴方に愛を伝えるわ。応えてくれたら嬉しいわ。また、恋人になりましょう」


 叫びだしたい衝動を必死に堪える。

 なにを叫びたいのかもわからないまま、ただ熱い感情が体を焦がしていた。


「……本当はね、告白するのも愛を伝えるのも初めてではないのよ」


 言葉通り疲れ切った表情で春華が笑う。

 諦観と諦念と諦めに満ちた、万策尽きて、もうどうしようもないといわんばかりの表情だった。


「私たちは何度も付き合って、私は何度も貴方に忘れられて、私たちは」


 言葉が途切れる。泣きそうな、声音が。震える、声が。揺れている。

 咲をずっと真っ直ぐに見続けていた春華の眼差しが、揺れていた。


「わたし、たち、は」


 泣きそうに、震える声で、揺れる瞳で、春華が、それでも口を開いた。


「何度繰り返しても、きっと本当の意味で結ばれることはないけれど」


 残酷な、言葉を吐き出して。


「ああ、それでも」


 衝動のままに、駆け出した咲の前で、春華がフェンスに体を押しつける。

 頑強なはずのフェンスが、傾いだ。


「私は、貴方を愛してしまったの」


 ああ、俺もだ。俺も、君を愛したよ。 

 黒峰春華という少女を――確かに愛したんだ。


「だから、さようなら」


 いやだ、さよならなんて、いやだ。

 もっと一緒にいたい。ここが神様の作ったおもちゃ箱だというのなら、一緒に抜け出す方法を探そう。

 俺も、一週間を超えて、春華と歩んで行きたい。

 手を伸ばす。手を、伸ばす。


「さよなら、私だけの神様」


 フェンスが悲鳴を上げるように壊れ落ちた。

 屋上から春華が身を投げる。

 咲が精一杯伸ばした手は届かない。




――そして、新たな一週間が始まる




「私は貴方に、何度でも告白して、私たちは何度でも付き合って、私たちは何度でも愛を囁いて」



 ぐしゃり、最後の言葉は地面に飲み込まれて、消えてしまった。



 これは、永遠に一週間を繰り返す、愛に生きる少女と、神様が作った人形の恋のお話。

 少女は人形を諦めない限り現実に戻れない。

 それでも、少女は恋を諦めない。

 見返りを得られない恋を、永遠に続けて、自身を神様の作ったおもちゃ箱に閉じ込める。

 ああ、それでいいのだ、と。少女は笑った。



「だって、ここには――貴方がいるわ」



 愛に生きる少女は、そう告げて、笑ったのだ。


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