六日目
【六日目】
学校も休みの土曜日、昼過ぎに待ち合わせをして咲と春華はデートをすることになった。
春華の服装は、白いブラウスに淡い青色のスカート、黒のカーディガンだった。
正直咲の好みドストライクで、待ち合わせ場所で心臓がひどく煩かったのは秘密だ。
春華が図書館に行きたいといったので、最初に向かったのは図書館だ。
本棚の棚をしげしげと回る春華の後ろをぼんやりとついて歩いていると、春華が唐突に振り向いた。
「ねぇ、咲のお勧めを教えて」
「俺? 俺のお勧め?」
「ええ、そう」
どこか楽しげな春華の言葉に、咲は暫くうーんと考え込んだ。
本を読むのは好きだが、図書館を利用することがまずほとんどない咲としては、自分のお勧めの本が図書館に置いてあるのかを把握していない。
「ここにあるかなぁ」
「咲が好きなのはラノベだったかしら」
「あ、それも知ってるんですね……」
思わず小声になったのは、ライトノベルを好きだと公言するのがちょっと恥ずかしいからだ。
昔に比べて市民権を得ているとはいえ、受験中の高校生が読むものとしてはちょっとずれている自覚があった。
とはいえ、咲としては中高生向けの漫画雑誌を読むのと同じ気軽さでライトノベルを楽しんでいる。
なにも考えずにさくっと読む分には、ライトノベルはいい気晴らしになるのだ。
「ふふ、私は咲のことなら大抵のことは知っているの」
「そっかぁ……」
楽しげに笑う春華に、咲は肩を竦めるにとどめた。
この六日間で春華の不思議な言動にも随分慣れたからだ。
春華の言動は不可思議なところが多いが、春華自身を「そういう人」として受け止めれば、違和感は大分薄くなる。
「咲の好きなシリーズは私も読んだのよ。長くてとても時間がかかったけれど」
「あー、剣と魔法の」
タイトルを口にすれば、にこりと春華が綺麗に笑った。
「とても面白かったわ。私は今までずっと純文学を好んでいたから、新しい世界だった。咲はいつも私に新しいものを教えてくれる」
教えた記憶などどこにもないが、知っているということはそういうことなのだろう。
春華の言動に突っ込むこともなく、咲はなんとなく口にした。
「来週また新刊が出るよ、そのシリーズ」
「……そうね。でもそれは、私には読めないわ」
「あ……」
何気なく口にした言葉だった。悪意などなかった。悪気などなかった。
だけれど、咲の言葉に春華はとても傷付いた顔をして――咲は思い出したのだ。
春華は「一週間しか生きられない」と口にした事実を。
戸惑い視線が泳ぐ。なんと弁明していいのかわからない。
だが、そんな咲を前にして、春華は気にした様子もなく、咲の手をとった。
「だから、次に読む本を決める為に、今日は付き合って?」
「……うん」
一週間しか生きられない、と。告げたのに。
その一週間がいつなのか、咲はいまいち把握しきれていない。
少なくとも、来週までは持たないという事実だけが重く心に圧し掛かる。
春華は出口に向かって歩いていく。
咲は後を追いかけるようについていきながら、脳裏に様々な小説のタイトルを思い浮かべた。
どれなら、春華に残された短い時間でも読めるだろう。
次に春華が向かったのは、ショッピングモールだった。
先日も訪れたショッピングモールの、書店に用事があるのは足取りからして明白だった。
「お、これ新刊でたんだな」
本日付の発売になっているタイトルは、咲も長年ファンとして追いかけている小説のシリーズものだ。
思わず手に取った咲の隣で、春華がつまらなさそうに呟いた。
「それはもう読んだわ」
「え? 今日発売だろこれ? もしかしてどこかでフラゲしてた? ネタバレ禁止で!」
「ちょっと違うのだけれど……まぁ、似たようなものかしら。ネタバレはしないわ。安心して」
慌てて両手でバツの印を作った咲に春華は肩を竦めた。
そうして新刊コーナーをさらりと視線で撫でるように見る。
「ここに並んでいる新刊は、ほとんど読んだのよ」
「え? まじで? すごいな」
言葉通り、すごいとしかいえない。
ショッピングモールの中にある書店ではあるが、そこそこの広さがあり、新刊コーナーにはそれなりの数の新刊が並んでいる。
春華は溜め息混じりに並んでいる新刊のうち一冊を無造作に手に取った。
「何度も何度も読み返したの。内容は空で言えるほどに」
「え、えー……」
やはり本日発売のポップのある新刊を手にそう呟く春華に、咲は言葉が出てこない。
なんと声をかけていいのか迷いあぐねていると、春華は新刊を台の上に戻して、さっと背を向けた。
「だから、用事があるのは新刊じゃないの。古い本がいいわ。まだ、私も読めていないような」
そんな本、この書店にはもうないのだけれど。
小さな声での呟きを、咲は聞かなかったフリをした。
だって、きっと、春華は聞かせたくて口にしたわけではないだろうから。
思わず口から零れた、本音のような気がしたから。
結局散々吟味したけれど、春華のお眼鏡に叶う本は見つからなかった。
逆に咲はいくつかの小説と漫画の新刊を購入した。
大漁だ、とほくほくの咲の隣で春華が「喉が乾いたわ」と告げたので、ショッピング モールの中に入っているコーヒーショップに足を運んだ。
フラペチーノを頼む春華の後ろで、咲は少し迷って、やはり無難にアイスのコーヒーにした。砂糖とミルクは断って、ブラックのまま。
先に注文の品を受け取った春華が二人席に腰を下ろしていたので、そちらに向かう。
「フラペチーノは体が冷えないか?」
「アイスコーヒーの人にいわれたくないわね」
くすりと微笑んでの言葉に、それもそうだな、と返す。
二人静かにストローに口をつけて、ややおいて咲は口を開いた。
「そのカチューシャ、なんだか随分年季が入ってるよな」
「これ? これはね、親友がくれたものなの」
なんとなく目に付いたカチューシャに言及すれば、春華はそっと赤いカチューシャに触れて、笑った。
その笑みが少し寂しそうで、咲は目を見開く。
「子供っぽいのはわかっているのだけど。捨てられなくて。いまでは私とあの子を繋いでくれる、唯一の絆のような気がして」
「そう、か」
「ええ、そうなの。会いたいけれど、会えないから。そういう選択を、私はしてしまったから」
伏せ目がちな視線は過去を思い出しているのだろう。
春華の表情を見下ろして、咲は小さく相槌を打った。
「そっか」
「ええ」
沈黙が降りる。少し居心地が悪かった。
話題を探して視線を泳がせた咲の前で、春華がゆっくりと口を開く。
「明日も、会えるかしら」
「あー……流石に二日連続は……一応受験生だからなぁ」
正直に言うなら、今日の外出だって親はあまりいい顔をしていなかった。
遊びに行く余裕があるなら勉強をしろと母親の顔に書いてあったのを思い出して、がくりと肩を落とす。
春華の希望は出来るだけ叶えてやりたいが、受験生という身分が邪魔をする。
だが、春華は気落ちした様子も見せず「そう」と静かに呟いた。
「じゃあ、お願いがあるわ。夜でいいの。そうね、深夜の十一時くらいでいいわ。学校にこれないかしら」
「夜の学校? そんな時間に? 見つかったら大目玉だぞ」
「大丈夫よ。……見つからないと、私は知っているわ」
眉を顰める咲の前で、春華が笑う。
その、どこか諦観に満ちた表情に、咲は言葉を失って。
渋い表情で一つ頷いた。
正直、深夜十時に学校で待ち合わせなんてリスキーだ。
受験生が補導なんてされたら洒落にならない。
だが、危惧を抱くのと同じくらい。
春華が「知っている」というのなら、そうなのだろうと、咲は無自覚に信頼を寄せていた。
頷いた咲に春華が安堵したように笑う。
その笑みにほっとして、咲はアイスコーヒーを啜った。
深夜十時に学校で、一体春華はなにがしたいのだろう。
疑問は口に出すことなく、内心に留め置く。
春華がなにをするのかは、明日になれば、わかるのだと察していたから。
その後、ショッピングモールの中をウインドウショッピングを楽しんで、二人は分かれた。
咲は春華を家まで送っていくといったけれど、春華には断られてしまった。しょうがないので、ショッピングモールの前で別れて、帰宅する春華の後姿を見送った咲は、ショッピングモールの中に取って返した。
男一人で入るには些かどころかかなり恥ずかしい、女性向けのアクセサリー店。
数日前に春華が見つめていた花のトップがついたネックレスを迷わず二つとってレジに持っていく。
学生の財布にも優しい値段のアクセサリー。恐らく前の彼氏に貰ったのだろう、それを渡すのは結構気まずいものがあるけれど。なんとなく――これじゃないとだめなのだ、とわかっていた。
このネックレスに意味があるのだと、咲は察していたから。だから、迷う事無くレジに持っていって、包装を頼んだ。
春華の名前の一部だと思えば、ラッピングを施されて渡されたネックレスすら愛おしく感じられた。
大事にネックレスを握り締めて、咲は帰宅の途についた。
明日、春華に会うときに。きっとこれを渡そうと決めて。