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四日目


【四日目】


 昼食の時間になって、当たり前のように春華は咲の元にランチボックスを持ってきた。

 ここ数日ですっかり恒例行事となったランチタイムに、二人は揃って屋上に上がって、本日は日差しの強くない給水塔の裏手に陣取った。

 昨日、咲が春華の色とりどりのサンドウィッチがつめられたランチボックスの中身を見て「いいなぁ」と零したのが理由だろうが、本日の咲のランチボックスの中身はサンドウィッチだった。

 とはいえ、食べ盛りの男子高校生の咲は春華と同じ量では到底足りない。

 カツサンドを中心に重めのサンドウィッチメニューだったが、いつものランチボックスではなくタッパーで春華が持ってきたサンドウィッチの山を見て、咲は少し目を見開いた。


「こんなに作ってくれたのか?」

「男子は結構食べるでしょう? 咲も細い外見をしているけれど、結構食べることは知っているの」

「ふーん。いただきまーす」


 春華の不思議な言動にも随分慣れた。

 さらりと流してサンドウィッチに手をつけた咲は、さくさくのカツサンドを味わって、感動した。とても美味しい。


「うわー、すごいなぁ。カツも手作り?」

「もちろんよ」

「すごいなー。家でもいつも家事手伝ってるのか?」

「私、一人暮らしなの」


 なんとなくの疑問を口にすれば、なんでもないように返された返答に咲は思わず咽た。

 ごほっと堰をした咲に、春華がすぐに水筒のお茶を差し出してくれる。

 ありがたく受け取って一気に煽った咲は、突っ込んで聞いていいのか暫く迷った。

 だが、咲が答えを出す前に、変わらぬ表情で春華が話し出してしまった。


「私、元々すごく遠くに住んでいたの」

「あー、引っ越してきた、ってことか?」

「そう。しかも強制的にね。私の意志なんて無視よ。ひどい話よね」


 反応に困る。素直に言うならばその一言だった。

 無言になった咲になにを思ったのか、春華は食べかけのサンドウィッチを膝の上に乗せて、肩を竦めた。


「私、ちょっと前まで、重い病気だったの。完治は絶望的。長い入院生活で病院のベッドがお友達で、毎日、夜が来るのが怖かった。目を瞑ってしまえば、二度と起きられない気がして、眠るのが、怖かった」

「……」


 咲は想像しようとして、すぐに想像力が及ばなくて項垂れた。

 咲は生まれてこの方、重い病気など一度もしたことがない。精々インフルエンザにかかって40℃近い高熱をだしたことがあるくらいだ。

 だが、春華の話はそれとはまるで違うはずだ。

 咲には想像すらできない次元の話。

 サンドウィッチを食べるのをいったん止めて、静かに耳を傾ける体制をとった咲に、春華がかすかに笑う気配が伝わった。


「あの頃の私は、毎日を悲観していた。明日はもう生きていられないかもしれない。でも、今日やりたいこともない。ただ、惰性で生きていた。沢山のチューブに繋がれて、かろうじて延命していた。それでもね……親友はいたし、親も親身になってくれたのよ」


 春華の横顔を伺う。

 何時だって真っ直ぐに咲を見つめてくる春華は、今ばかりは遠い目をしていた。

どこか、遠く。話に出た親友か親に思いを馳せているのだろう。


「奇跡的に病気は完治したのだけれど、完治したら、いきなり知らない場所に放り出されたの。全くひどい話だわ。ここにはあの子も、両親もいない。一人ぼっちで寂しくて、気が狂いそうだった」


 あの子、と呼ぶ声にあまりにも慈愛が満ちていたから。

 春華が親友と呼ぶ誰かをとても大切にしていることが咲にも伝わってくる。


「でも、貴方がいた」


 春華が振り返る。ざぁ、と風が吹いて、黒髪を揺らした。


「貴方が、いたわ」


 かみ締めるように、再び告げられた言葉に、咲はもう戸惑わない。

 真っ直ぐに春華を見返して、咲は――笑った。


「そっか」


 穏やかな気持ちだった。

 春華がなぜ咲を知っていたのか、なぜ咲に告白したのか、なぜ、咲に恋をしたのか。

 咲はまるでなにも知らないけれど、それでも春華から寄せられる信頼は心地よかった。

 春華の信用に、応えたいと思えた。


「じゃあ、春華はもう、寂しくないんだな?」


 穏やかに問いかけた咲に、春華が目を見開いた。

 おや、と咲が首を傾げたのと、春華がぽつりと零したのはほとんど同時だった。


「名前……」

「え?」

「名前を、初めて……呼ばれたわ」


 春華の視線が下を向く。呼んではまずかっただろうか。

 焦ったのは一瞬だった。なぜなら、すぐに顔を上げた春華の頬が上気していたから。

 嬉しいと、満面の笑みで伝えていたから。

 春華が咲の手をとる。

 頬に咲の手を当てて、敬虔な信者が神に祈るように告げた。


「ありがとう、名前を呼んでくれて、ありがとう」

「そんな……名前だけで大げさだよ」

「いいえ、いいえ、そんなことはないの。そんなことは、ないのよ」


 ぽろり、春華が涙を零す。

 慌てたのは咲のほうだ。あわあわと自由な片手を動かす咲の前で、目を閉じたまま、春華が言葉を紡ぐ。


「貴方は本当にすごい人。心がこんなに軽くなるなんて。幸せよ、私」

「名前だけでそんなに幸せになるなら、いくらでも呼ぶよ。だから、泣かないでくれ」

「ふふ、約束よ。破ったら針千本よ?」

「うっわ、こわ」

「ふふふ」


 素直に引いてしまった咲の様子も気に止めず、春華が笑う。

 その笑みがいつもより数段可愛く思えて、咲は赤くなった顔を自由になる片手で覆いながら、空を仰いだ。

 これは、思ったよりも重症らしい。

 咲は、いつの間にか、黒峰春華という少女に、恋をしているらしかった。


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