三日目
【三日目】
一週間しか生きられない、と春華は咲に告げた。
その意味を上手く咲が飲み込めずにいる間に「冗談よ」と春華ははぐらかしてしまったけれど。
咲には到底、春華の口にした言葉が「冗談」には思えなかった。
黒峰春華という少女は、確かに底が知れない少女だ。
全てを見透かしたかのような言動に、意図のわからない発言だってする。
だが、「嘘」はつかないと咲は察していた。
そして、咲は自分のそういった直感と呼べるものを信頼している。
だから、迷った末に咲は親友の樹に相談を持ちかけた。
春華の言葉だということは伏せたまま「一週間しか生きられなかったらどうする?」というかなり唐突な咲の問い掛けにも、長年の友人である樹はけろりと笑って答えてくれた。
『死ぬのは怖いけど、もし一週間後に死ぬことが確定してるなら』
そう前置きをして、樹は彼なりに真剣に考えたのだろう言葉を口にしたのだ。
『俺は、何一つ後悔がないように、生きていきたい』
その言葉は、咲に一つの決意を抱かせるのに十分だった。
もし、春華が本当に一週間しか生きられないなら、春華に残された一週間を悔いのないものにしよう。
もし、一週間を超えて春華が生きているなら、悪い冗談を二度と言わないように釘をさそう。
そう思って、翌日登校した咲は昨日となんら変わりのない様子の春華を前に、なんと告げたものか迷っていた。
春華の席の前にたったのはいいものの、うろうろと視線を彷徨わせる咲に、春華は大きな溜め息を吐き出した。
びくりと肩を竦めた咲に、春華は笑みを零した。
どこか、痛いのか、と聞きたくなるような、痛みを堪える笑みだった。
「ごめんなさい、昨日は口が滑ったわ」
「え……」
「言うつもりは、なかったのよ。でも、知っていてほしかった。私は」
一週間しか、時間がないの。
言葉にすることなく紡がれた台詞に、咲はくらくらする頭を抑えた。
どう反応していいのか、昨日あれだけ考えたのに、何一つ行動に移せない自分が情けなかった。
言葉を探して視線を泳がせる咲に、春華が小さく笑った。
「貴方はいつもそう。私の言葉を疑わない。優しいのね」
いつも? いつもとはどういうことだろう。
これまた不思議な言動をする春華に咲が疑問符を頭に浮かべていると、春華は話題を変えるように口を開いた。
「今日の放課後は空いているわよね? 放課後デートをしましょう。制服で」
「でっ、でーと……」
「あら? 私たちは付き合っているのだから、おかしなことはないでしょう?」
春華の意外な提案に、思わずどもってしまった咲に対して、春華はどこまでも通常運転だ。
そういえば、告白されてはいるものの、ちゃんとした返答をまだ咲はしていない。
そのことにようやく思い至ったのに、いまさらなんといえばいいのかわからなくて。
三度視線を泳がせた咲に、春華がまた笑みを零す。
「私の我侭に付き合ってちょうだい。かわいい我侭でしょう?」
それもそうだ。放課後少し出かけるくらい、なんてことはない。
咲が「わかった」と返事を返したのと、賑やかな声が聞こえてきたのは同時だ。
「はよ~! 朝から熱いねぇ!」
「おい、樹! からかうな!」
「やー、独り身のボクは寂しくてねぇ。からかってないとやっていけないっスわぁ」
にやにやと笑いながらいつものように咲の肩に腕を回して体重をかけてくる樹に咲が顔を顰めると、樹は小さく肩を竦めて離れていった。
そうして、春華のほうに視線を流して「そういえば」と口にする。
「この時期に入ってきて適用されるのか、微妙だけどさ。うち、クラブ活動必須だけど、黒峰さん、どこはいるか決めた?」
「あ、そういえばそうだった」
「咲、お前なぁ」
本当に忘れていたのだ。
樹の言葉で思い出したことに咲がぽんと手を叩けば、樹は呆れたといわんばかりの眼差しで見てくる。
対する春華は顎に指先を当ててなにやら考えている。
「クラブ活動……一通りできるのだけど、どれも飽きてしまったのよね」
「おおー、文武両道の美少女は言うことが違うねぇ」
ひゅう、と口笛を吹いた樹を咲が小突く。
「こら、樹!」
「からかってるわけじゃねーよ。でもまぁ、発言には気をつけないとな?」
肩を竦めた樹の本音は春華を心配してのことだろう。
周囲には他の生徒もいるのだ。
他の生徒の心象が悪くならないように、あえて軽口を叩いてくれているのは咲だってわかっているのだが。
心配気に春華を見つめる咲に、春華は小さく肩を竦めた。
「考えておくわ。そうね、五日後には決めておこうかしら」
その五日後に、春華は生きているのだろうか。
春華の言う、一週間がどこから始まっているのかわからない咲は胸に去来する不安に 心臓が締め付けられる思いだった。
そんな咲をみて、春華が笑う。穏やかに。優しい笑みで。
「大丈夫よ、咲。私は、結構諦めが悪いの」
だけどなぜだろう、言葉に反して、春華の言葉には諦観が滲んでいるように咲には思えたのだ。
授業を終えて放課後になった。
咲は書道部所属だが、今日のクラブ活動はなかった。元々幽霊部員の多いクラブで、活動日は火曜日と木曜日の週に二回だけだ。
放課後になるなり荷物を纏めて準備万端の春華につれられて、学校を出る。
どこに向かうのだろうとぼんやりと春華の後をついていた、咲は、またも春華に手を握られて、どきりと心臓が跳ねた。
「咲は私と手を繋ぐのはいや?」
「い、いやというか……慣れてないから……」
視線を泳がせながら言い訳を口にすれば、春華が笑う。少しだけ、悲しそうな笑みだった。
「そう、いずれなれてくれればいいのだけど……」
奥歯にものが挟まったような、曖昧なニュアンスの言葉だった。いずれ、その日がこないことを、まるでわかっているような。
思わず反射的に春華へ視線を戻した咲に、春華が小さく笑う。
今度の笑みは、完全に内心を隠した笑みだった。
「さ、いきましょう。時間は無限ではないわ。私、パフェが食べたいの」
さくさくと歩き出した春華を慌てて追いかける。繋いだ手がとても温かかった。
パフェが食べたい、と告げた割りに、春華は色々なところで足を止めた。
学校から程近いショッピングモールに向かった春華は、入り口付近のアクセサリー店で最初に足を止めてしげしげとアクセサリーを眺めている。
「ほしいのか?」
「いいえ、こういうのは、もういいのよ」
咲の問い掛けにも春華の答えは淡白だ。
だが、言葉に反して商品を品定めする眼差しは真剣だった。
ぼんやりと春華の横顔を見つめていた咲は、春華の視線が何度も花をモチーフにしたペアネックレスで止まることに気付いた。
「……花、好きなのか?」
「私の名前が、春華でしょう? 昔、もらったことがあるの。このペンダントを」
そういって春華が手を伸ばしたのは、学生の身分でも十分に手が届く値段の手ごろなものだった。
金色と銀色のペアの花のトップがついたペンダント。
トップの花の色とチェーンの太さが男女の違いだろう。
「前の彼氏?」
「そうともいえるし、違うともいえるわね」
「うーん……?」
答える気のない春華の言葉に首を傾げる咲の前で、商品を戻した春華がアクセサリーに興味を失った様子で体を翻した。
「次にいきましょう」
「おう」
また手が伸ばされる。手を繋ぐのは気恥ずかしいけれど、嫌ではなかった。
されるがままに繋いだ手を見つめながら、なんとなく咲はおもしろくないな、と思った。
なにが面白くないのか、よくわからなかったけれど。
次に春華が足を止めたのは、タピオカジュースの店だった。
最近流行のタピオカジュースが女子に人気なのは、男子の咲だってわかっている。
店の前には列が出来ていた。
行列というほどではないが、五人ほどが並んでいる。
看板のメニューを眺める春華を見つめていると、春華は唐突に列に並んだ。
「喉がかわいたわ。飲んでいきましょう」
「クレープはいいのか?」
「クレープとタピオカは別腹よ」
「そういうものかぁ」
女子ばかりが並ぶタピオカ店に並ぶのは咲には些か心理的ハードルが高かったが、ここで拒絶しても春華は折れないだろうと思ったので、大人しく列に加わる。
「咲は飲むの初めてよね?」
「それも『知ってる』のか?」
「そうでもあるし、まぁ、普通男子高校生が飲むものでもないでしょう」
「あー、まぁ、そうだな……」
メニューの看板を指差して、春華が口を開く。
「私はイチゴミルクのタピオカにするわ。甘くないものなら、酢とかあるけれど」
「酢……? え? 酢?」
「飲み物の酢ってあるでしょう。ここのは結構美味しいはずよ」
「……引っ越してきたばっかりでは?」
「このお店、チェーン店よ」
しれっとした顔で答える春華に、直感的に嘘じゃないけれど本当でもないな、と咲は思った。
だが、それは口にしないまま、さすがに酢はいやだなぁと眉を寄せていると、春華がくすりと笑って別のメニューを指差した。
「果肉もはいっている、さっぱり系のフルーツドリンクはどう? こっちもタピオカがはいっているわよ」
「あ、じゃあ、それで」
メニューに載っているのはオレンジ系のドリンクだ。
これならそうそう外れることもないだろう。
「わかったわ。お金は」
「俺が出すから」
「そう? ありがとう」
春華の言葉を食い気味に遮った咲に、春華が笑みを零す。
その笑みがなんともいえず愛らしくて、暫し見とれている間に、店員に呼ばれて咲は慌てて会計をすることになった。
会計を終えて、タピオカドリンクを受け取った二人は、店の近くに置かれているテーブルとイスでドリンクで喉を潤おしていた。
咲としては初のタピオカデビューである。
もちもちとした食感が面白くて、ひたすら噛んでいる咲の様子を楽しげに春華は見ている。
「これ、美味いな。意外だった」
「男子は美味しいものを避けるからもったいないわよね」
「女子の行列が出来てるとハードル高いんだよなぁ」
「そこは私をつかいなさい。私は貴方の彼女よ?」
にこりと笑って告げられた言葉に、ぼりぼりと頭をかく。
少しだけ視線は春華から逸らした。
「そうだなぁ」
「あら、否定しないのね」
「諦めた」
「そう」
何気ない会話を装っているが、心臓はばくばくと煩いし、手は少し震えていた。情けないから見抜かれていないといいのだが。
そっと咲が視線を春華に戻せば、春華は太いストローでタピオカを啜っていた。美味しそうにタピオカを飲む春華の様子に、咲はほっと胸を撫で下ろす。
タピオカを飲み終わって、カップをゴミ箱に捨てた咲と春華は今度こそ当初のお目当てだったクレープ店に向かった。
タピオカ店のすぐ傍にあったクレープ店には咲も何度かお世話になったことがある。
主にクラブ活動後お腹が空いているときに、樹と一緒に甘くない主食系のクレープを食べたことがあった。
「なににするんだ?」
「そうね……王道のイチゴチョコバナナクレープ……いいえ、ここは変化球でブルーベリーチーズケーキクレープも捨てがたいわ……」
クレープ店の前で真剣に考え込む春華の様子は年相応だ。
なんとなくほっとして咲が視線を上げると、クレープ店の店員と視線が合った。
微笑ましい、といわんばかりの視線を向けられていて、思わず視線を逸らす。
確かに手を繋いだ男女の高校生が訪れれば付き合っているのは明白で、いまさらながらに周囲にどう思われているのか認識した咲はどきどきと煩い鼓動と戦うことになった。
「ねぇ、咲。どちらがいいと思う? 私はどちらも選べないわ……」
心底困り果てた様子で見上げられて、さらに咲の心臓が跳ねる。
艶やかな黒髪に視線がいきがちだが、春華はかなり整った造詣をしている。
深遠を覗いている気分になる、黒い瞳は大きくて、目鼻立ちはすっきりとしている。赤い唇は年不相応に蠱惑的だ。
一気に顔を赤くした咲に、春華がことりと首を傾げる。
春華の動きに合わせて揺れる黒髪すら、扇情的で咲はたまらず叫ぶように店員に告げた。
「両方っ! くださいっ!」
なにを両方なのか。口に出してないことに気付いたけれど、ずっと二人を見守っていた店員はすぐに笑顔で「かしこまりました」とクレープを焼いてくれた。
春華がぽかんとした表情で咲をみていたので、少しは意表をつけたようで少しだけ気分がよかった。
出来上がったクレープを渡されて、咲は両方受け取った。自然と握った手を離したけれど、それも仕方ない。クレープ二つを片手ではもてない。
先ほどのイートインスペースに再び戻り、咲はずいっと春華に二つのクレープを差し出した。
「好きなほうを選んでいいぞ」
「ええ……私は選べないといったのに……」
「……なんなら半分ずつ食べてもいい」
咲の提案に、春華はぱちりと瞬きをしておかしそうに笑った。
「それは間接キスの提案かしら? 咲」
「っ」
言われてみればその通りで、再び顔を赤く染めた咲の前で、春華がイチゴチョコバナナクレープに手を伸ばす。
「意地悪を言ってごめんなさい。ありがとう、嬉しいわ。私はこっちにするわね」
そっと受け取られたクレープ。
手持ち無沙汰になった手を膝の上において、残されたブルーベリーチーズケーキクレープを前に、咲は途方にくれた。
「……」
「食べれないのでしょう? 時間はかかるけど、私がちゃんと食べるから安心して」
「……悪い……」
「ふふ、いいのよ。さっきの、嬉しかったから」
完全にノリと勢いだけの注文だった。
自分が甘いものが苦手なことを完全に失念した注文の結果を目の前にして項垂れる咲に、春華が楽しげに笑う。
その笑みは裏のない純粋な笑みだった。いつも、どこか春華に付きまとっていた諦観の色もない。
そんなにクレープを二つ食べるのが嬉しいのだろうか。女の子はよくわからない。
そんなことを思っている咲の前で、春華が楽しげに口を開いた。
「咲はすごいわ」
「……なにが?」
「内緒。でも、貴方本当にすごいのよ」
楽しげに笑って、春華の小さな口がクレープにかぶりつく。
美味しそうに咀嚼する春華を眺めている咲の前で、春華が上機嫌に笑う。
「貴方といると、退屈しない。天才よ、咲は」
「褒め言葉……?」
「褒め言葉以外のなにに聞こえるのかしら?」
「うーーーん??」
いまいち春華の言葉は要領を得ない。
首を傾げる咲の前で、春華はそれ以上言葉を紡がず、上機嫌なままクレープの攻略に専念しだした。
可愛い女の子が美味しそうにクレープを食べる姿は、普通に眼福だ。
いつの間にか疑問も忘れて、小動物のようにもくもくとクレープを食べる春華を咲は眺めていた。
きっと、それが世界で一番幸せな時間だと気付かないまま。