第71話 しょうもない台詞
「ギャハッ?!」
赤い巻き毛を揺らす深紅のドレスを着た女。怪訝そうに仔ジカを睨む。
仔ジカは丸いつぶらな黒い瞳で反応する。
自分の身体を外敵から隠してくれていた樹が斬り落とされたのだ。仔ジカは怯えて逃げようとしたのだが、一瞬で女に捕まっていた。
ピィー ピィ ピピィーッ
仔ジカが鳴き声を立て暴れるが女は離さない。仔ジカと言えども、女の細腕で抱きかかえるには大きい。大型犬くらいのサイズはあるのだが、女は仔猫でも摘まみ上げるように抱きかかえる。
「何だ、オマエ。
もしやさっきの鹿の子供か」
先ほどまでの狂った喋り方とは違う、落ち着いたトーン。女は抱き上げた仔ジカの頭を撫でている。危険な凶器である爪を向けぬように指の腹で仔ジカのオデコをアゴをくすぐっている。
俺は胸を撫で下ろす。仔ジカを赤い女が掴まえた時は、どうなる事か、と思ったがさすがに狂った女でも子供には何もしないみたい。
そりゃそうだよね。仔ジカ可愛いもん。
「そうか、そうか。
ギャハァ。
殊勝なヤツめ。
親と一緒にわらわに殺されに出てくるとは……
グッグググギャハァギャハハハハハ。
褒めて遣わすぞ」
慈しむ様に仔ジカを撫でていた女。その顔が狂気に歪む。目が危険な光を放ち、高らかな哄笑を響かせる。
ピピピピィ、と仔ジカは暴れるが女は意にも介さない。
「ギャハァ、キサマは小さすぎるな。
首を切り取っても血を浴びて楽しむには足りぬわ。
その全身を切り裂いてクレヨウ。
身体中の臓物を全て吐きだし、わらわを楽しませるが良い」
その言葉が言い終わるか、言い終わらないうちに仔ジカは宙へと投げられていた。
深紅のドレスを纏う、狂った女の上空に仔ジカはいた。
「グックククククギャ」
と下品な笑い声を立てながら、まだ血の滴る赤い髪を揺らして女は仔ジカに狙いを定める。
その指から伸びる凶器。
鋭く長い爪が獲物を襲う。
数瞬後には仔ジカは八つ裂きにされる。
空中で身体中の血と内臓をまき散らして。
その全てがあの女の元へ降り注ぐだろう。
そんな光景が俺の頭の中では駆け巡ってしまった。
「ギャハァ、ギャハハハハハハハ」
周囲には下品な笑い声が響いて……
やらせるもんかよー---!
速度上昇!
サーベルが女の爪を弾き、俺の身体が舞い上がり、仔ジカを受け止める。
俺は妖精の帽子を外して、速度上昇の二回がけを行った状態で、狂った女から仔ジカを助けていた。
ハァハァ。
俺は粗い息を吐く。
やっちまった。
でも間に合った。
俺の腕の中には、温かい生き物。仔ジカが抱かれている。
だけど。
問題はこれから。
深紅のドレスを着た女、『赤きたてがみのマッハ』が俺の方を見ている。
「……今わらわの楽しみのジャマをしたのは其方か?」
怪訝そうな表情。
夜の湖の畔。
暗がりに燃えるような赤い巻き毛が揺れる。彫りの深い顔立ち、美女と言って差し支えない。
しかし魅力的な女性と呼ぶ男はいないだろう。
目は吊り上がり、口元からは牙が見える。あまりにも迫力があり過ぎる。
それ以上に…………
赤い巻き毛からはポタリと雫が垂れる。
赤い液体。
髪を染めていた赤い染料が溶けた訳では無い。
獣の血液。
この女はシカの首を切り飛ばし、そこから流れ出る血液を頭から浴びて喜んでいたのだ。
そのシーンを見ていて魅力的な女性と評する事が出来たなら、よほどの豪傑である。
もちろん俺は豪傑なんかじゃ無かった。吊り上がった目で見られるだけで、震え上がっている。
「あのっ、あの。
アナタのジャマする気は無くて…………
ただ子供を殺すのは良くない。
可哀そうだ。
…………ですよね?」
少し前に頭の中で、生物が殺し合うのは仕方ない事、などと思考を巡らせていたと言うのに。
俺の口から出たのはありきたりで、しょうもない台詞だった。
「ギャハァ!
弱きモノの哀れか。
ギャハハハァ。
気にするでない。
その子供も親もわらわの楽しみとなって死ねるのだ。
無為に生きているよりよほど価値が在る死だ」
やっぱりー。
この女の人には通じませんよね。こんなフツーのセリフ、絶対通じないのは分かってました。分かってましたとも。
「そのシカの子供も其方も。
無駄にはせぬ。
わらわの爪で引き裂いて、新鮮な血潮を飲み干してクレヨウ!
ギャハッ、ギャハハハハハァ」
女が爪をカチカチと鳴らす。
その親指から、人差し指から、中指から、薬指から、小指から、鋭い爪が生えていて。
金属の刃物の様に鋭利な凶器同士がぶつかって、硬質な音を立てている。
女の顔が声が、知性と落ち着きが多少なりとも感じさせていた物が、変質する。
吊り上がった目の中の瞳は光彩が狭められ、闇夜に輝く猫科の獣を思わせる。口は笑みの形に吊り上がり、中からは乱喰歯が見える。赤いモノが口元に垂れていたシカの血をもぞりと舐めとる。女の舌であった。
俺はその長くて赤い舌の動きに魅入られた様に身体が動かせない。
狂気の神々。
「ばかー!
バカばかバカばかバカばかバカばかバカばかバカばか!
イズモのあほーーーっ!!!!」
俺の金縛りを解いたのは妖精少女だった。
いつの間にか俺の耳元にちみっちゃい少女が現れて、バリゾーゴンを叩きこんで来る。
「なんで、上手く隠れてたのになのよ!
出てっちゃうんだわさ!!
どーすんのよなのよーー?!?!」
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