月夜の兎-9
「ミコちゃん。」
「は、はい。」
美琴に問いかけながらも、鋼一の視線は『やまむら』に注がれたままだ。
いつになく険しい表情の鋼一の言葉に、美琴は緊張を隠せない。
「きみ…ココに来てから何年になるんだっけ?」
「えっ?…え~と…短大を出てから2年後からだから…2年と3ヶ月くらいです。」
意表を突く質問に戸惑いながらも、美琴はなんとか状況を把握しようと頭に血を巡らせる。
(一体何が起きているの?)
「そうか…こういう珍しいお客様には、まだお会いしたことが無かったかな?」
「えっ?どういう意味ですか?…山村さんが珍しいって…」
まるで話の先が見えない。答えを問うように、美琴は鋼一の顔を伺うが、会話を続けながらも、鋼一の視線は相変わらず『やまむら』の目を見据えたまま微動だにしない。
「この人の名前は“やまむら”なんかじゃあないよ。」
「ねえ?…山童さん!!」
最後の方は言い含めるように、突き刺すように言い放つ。これが効力をもつ。
強力な術者の言霊だ。
「クックックック…」
込み上げる笑いと共に、突然『やまむら』の身体が膨れ上がる。
瞬く間に七尺を軽く越えると思われる程の体躯に変貌すると共に、その様相も一変してゆく。
全身はヒグマのような茶褐色の体毛に覆われ、分厚い胸板はゴリラを連想させる。
鋭い爪の生えた3本の指が顔を覆い“やまむらの顔”を“べろり”と剥がし取ると、そこには大きな一つ目が現れた。
美琴は戦慄に震え、息を呑む。
トレイの上で、コーヒーカップが“ガチャガチャ”と音を立てる。
声を出そうにも、まるで身体中が凍り付いた様に動かない。
(何が起きているの?)
目の前のあまりにも現実離れした出来事に、思考が追いつかないでいる。
「下がってろ!!」
「ハッ、ハイ!」
鋼一の怒号に近い指示によって、ようやく呪縛を解き放たれた美琴は、トレイを躊躇無く放り投げると、近くにあったパイプ椅子を持ち上げ身構えた。
鋼一は瞬時に間合いを取ると、両掌を組み、右足を大きく引いた。
太極拳の型のように隙の無い流れるような仕草だ。
組んだ両の拳を体の前に突き出すと、そこから一気に弓を引く様に右腕を引き離す。
閃光と共に現れたのは、一言で表現すれば“光の剣”だ。
眩い光を帯びた、一振りの太刀が突如として現れ、鋼一はそれを八双に構える。
(あれ?なんだろ?)
美琴はその光景に驚くよりも先ず、フラッシュバックに近い既視感を覚え戸惑った。
(これって…どこかで見たことがある?)