月夜の兎-5
華奢な外見も手伝って、一見どこか貧弱で頼りなさそうな鋼一であったが、こと仕事に臨む姿勢は、まるで別人である。
切れ長のやや鋭い目には情熱的な光が灯り、毅然とした態度には、プロの職人達が纏うのと同様の気が満ち溢れている。
特に第二診療ともなれば顕著に現れる鋼一のそういった頼もしさや逞しさを、美琴は、とても素敵だと思う。
「先生。準備完了です!」
さて、美琴が手にしている奇妙な鳥籠のような物は、ここでは《妖籠》と、呼ばれている。
材料は桃の木の枝と、それを縛る為の荒縄、そして梵字の描かれた御札が一枚側面に貼り付けてあるだけの、至って簡単な造りの物である。
見ようによっては素人が趣味で作った出来損ないの藤細工の籠に見えないこともないのだが、この《妖籠》が第二診療に於いては、無くてはならない重要アイテムなのである。
「OK。じゃあこちら側から撃ち出すから、左手の指先にセットして。」
「了解。」
目の前でテキパキと治療の準備を進める二人を、男は不安そうに見守っている。
「え~と…横田さん…でしたっけ?」
「横山さんです。」
「あ、すいません。では…横山さん。今からあなたの左手に棲んでいるモノを追い出しますから、ちょっと痺れるかも知れませんが、少しの間我慢してくださいね。」
白衣の袖を捲り上げながら、鋼一はそう男に告げると、鍼灸治療用の鍼を男の二の腕と肘の周りに打ち込み始めた。
その素早さたるや、まさに日々の研鑽の賜物であろう。
痛みなど与えることもなく、瞬く間に十数本余りの鍼が男の左腕に打ち込まれてゆく。
「よし。こちらも準備完了だ。行くよ。ミコちゃん。」
「はい。どうぞ。」
少々演技掛かった笑顔で小首を傾げると、美琴は慣れた手つきで《妖籠》の蓋を開け、男の左手指先にあてがった。
前口上も無ければ唱える呪文すらない。
鋼一は“フッ”と短く息を吐くと同時に右手の平で短く空を扇いだだけだった。
次の瞬間。美琴の構える《妖籠》の中に閃光と共に白い霞の様な物が飛び込んで来た。
「は~い。一丁上がり~。」
《妖籠》の蓋を閉め、御札で封印しながら美琴が笑顔で締めくくった。
男はキョトンとしたまま、身じろぎもしないで《妖籠》の中を凝視している。
「終わりましたよ横田さん。」
「よ、こ、や、ま、さん。」
美琴が訂正する。
「あ、すいません。横山さん……一応左手の方の処置はこれで問題ありませんが、身体の傷の方は、改めてまた、別の病院で治療してもらってください。」
男の左腕の鍼を抜きながら鋼一は、にこやかにそう語りかけるのだが、男は未だ覚めやらぬ様子で《妖籠》の中で奇妙に蠢くモノを見つめている。
「横山さん?大丈夫ですか?」
鋼一の問いかけに男は“ハッ”と我に返ると、
「せっ、先生!ありゃあなんなんですか?」
と、慌てて鋼一の顔を伺った。
「ああ…そうか。説明がまだでしたね。あれは蛟と言って歳を取った蛇の変化の一種です。」
「一説では竜の幼生とするところもありますが、それには厳しい条件が必要になってくるので…まあ…蛇の幽霊とでも考えて頂ければ問題ありません。」
「へっ…蛇の幽霊ですか…どうしてそんなモノがワシの手に…」
「蛇に限らず、狐狸、狗神、飯綱などの自然霊や変化と、いった類いの妖は、大抵静かな田舎の神社の祠や大木の洞、池や田畑の周りの草むらなどを棲み家にしています。」
「おそらく横山さんが農作業中に、あの蛟の棲み家をそうとは知らずに壊してしまったんじゃないでしょうか?」
「言われてみれば…確かにあん時、畑を拡げようと思って…昔から土手にあった古い切り株を漕いで放ってしまいましたが…もしかしたらあれが?」
「コイツの家だったんでしょうね。」
蛟の入った《妖籠》の蓋をポンポンとたたきながら、鋼一はそう答えた。