月夜の兎-4
美琴に促され、男は覚悟を決めたように大きく溜め息を一つ吐くと、上着を脱ぎ始めた。
先ず右手の袖をを抜き、左腕を抜こうとしたその時…突然男の左手が美琴の白衣の襟元に掴みかかってきた。
反射的に慌てて身を引いた美琴だったが“アッ”と言う間も無く、白衣は無残に引き千切られてしまった。
ズレたタンクトップとブラジャーから右側の乳房と桃色の乳首が覗いた。
「す、すいません!」
男は“これ以上は無理であろう”という位に目玉を大きくひん剥くと顔を真っ赤に紅潮させ、慌てて自分の左手首を右手で鷲掴みにして、深々と頭を下げた。
右手に捕らえられた左手は尚も白衣の切れ端を握り締めたまま踠いている。
その様子は、まるで一個の生物で在るかの様にも見える。
耳を澄ませば獰猛な唸り声さえ聞こえて来そうだ。
「いえ。大丈夫ですよ。私の方こそ注意がたりませんでした。」
「申し訳ありません。」
白衣を千切られた拍子にズレてしまったタンクトップを急いで整えながらも、美琴はさして驚いた様子もなく、狼狽した気の毒な男を気遣うかのように渾身の笑顔を見せた。
(逞しくなったものだ…)
少し離れたところでそのやり取りの一部始終を見ていた鋼一は、美琴の驚くべき適応力に舌を巻いていた。
(やはり、血筋なんだろうな…)
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ベッドに横たわる男の左腕をベルトで固定しながら、鋼一は男の身体中に付けられた引っ掻き傷をじっくりと観察していた。
傷は男の上半身、胸部右側を中心に、首や右腕などが縦横無尽に掻き毟られており、酷く化膿した患部もあちこちに見受けられる。
腐った肉が“ツン”と酢えた匂いを放ち、痛々しさを更に助長していた。
「これは酷いな…辛かったでしょう…」
鋼一の言葉に男は涙ぐみ何度も頷くと、
「先生。これは治る病気なんでしょうか?」
声を詰まらせながら、そう問いかけた。
まるで捨てられた哀れな仔犬が、段ボールの箱の中から哀願するような目だ…
鋼一は、男の目を真っ直ぐに見つめると、“フッ”と、目を細め、
「大丈夫。すぐに楽になりますよ。」
そう答え、ゆっくりと立ち上がった。
「ミコちゃん。【撃ち出し】をやる。小型の蛟だ。準備して。」
凛とした声が、狭い診察室に響き渡った。