関ヶ原の記憶-2
その家は村の入り口に横たわる様に流れる川の手前にひっそりと建っていた。
川の幅は四間程で、村の中へ向かうための唯一の交通手段である小さな橋がそこに一脚かけてあった。
川の向こう岸には竹藪が繁り、外側からも村の方からも死角になっていた。
何故こんな造りにしてあるのかと云うと、村ではこの家の役割を二年に一度持ち回りにしているからだ。
つまり簡単に云えば、この家は防人の役割を担う家族が住むことになっており、野党や山賊といった、村の脅威があれば先んじて村を守らねばならない。
そういう家だった。
そういう役割を承る代わりに、食い物や生活必需品などは、他の村人達が担ってくれることになっていた。
しかし村を護って戦え、という訳ではなく、“見張り”が主な仕事である。
いざ、敵が攻めてきたならば、“向こう岸へ渡り、橋を落とし、村に知らせに行く”と、いう役割だ。
この年、二年目になる筈だったこの家族は、あと数ヶ月でお役御免のところで、運悪く、毛利輝元、石田三成らが挙兵し、大黒柱を戦に駆り出される事となり、山童は大谷吉継の雑兵として、美濃国不破郡関ヶ原に向かうこととなった。
父と妻子を残し。
関ヶ原では小早川秀秋の裏切りにより、背後を突かれた大谷吉継の隊はほぼ全滅し、大谷吉継自身も腹を切り、果てた。
山童は満身創痍とはいえ、数少ない生き残りの一人だった。
我が家へ辿り着きさえすれば、父と愛する妻子達が出迎えてくれる…筈だった…
『己は、(これから左手だけで過ごさにゃいけんなぁ)とか、(こんなかたわになっちまって、畑を耕せるんかなぁ?)とか…そんな自分の事ばかり考えて走り続けた。』
『家に、着くとすぐに異変に気が付いた。』
『橋が落ちてる?』
『しかも、川の手前側?』
『そっと足音を忍ばせて家の中に入ると、正面の板間の囲炉裏にぶら下げてある鉄瓶の向こうに何か動くものが見えた。』
山童は直ぐに、それが人の後ろ姿だと気付いた。
全裸の男の背中が、上下に小刻みに揺れていた。
『最初は余りにも不快な、吐き気がする程不快な現実に、我が目を疑った。』
しかし、男のぶっといイチモツが出入りしているのは、紛れもなく、愛する女房の身体だった。




