そうです親友です
♢
華園高校は勉強だけでなく部活動にも力を入れていて、高総体の時は、文化部は皆どこかの運動部の大会を観に行かなければならない、という面倒なルールがある。
叶織と観上と眞緒は、陸上部の応援をしにスタジアムに来た。
「はおりんりん!」
選手として出場しないため指定ジャージ姿の麻依が叶織に突撃してきた。彼女はそれを受け止めて、「先生は?」と尋ねる。
「あ、名簿にチェックだね。じゃーん! あたしが持ってます!」
麻依は肩掛けバッグからバインダーを取り出し、「えーと、はおりんりんと、観上ちゃんね」
「笛崎、俺も俺も」
「筒井の名前はさっき消しといたよ」
「なんでだよ」
そんな言い合いを前置いてから、麻依は三人を先導し観客席に連れていく。
「あ、遥樹だ」
「あ、本当だ」
眞緒の言葉に、叶織が反応する。視線の先には、華園の陸上部の出場メンバーがいる。開会式が始まるからグラウンドに並んでいるのである。目立つのはいちばん背の高い遥樹だ。一年生は他に、千紘や理知佳がいる。叶織は聡から聞いた話を思い出した。『陸上部は部長の啓次郎は性格に難ありだけど三年・二年副部長の笠永姉妹が天使だからオススメ』。そして千紘が言っていた、『上の姉貴は見た目が天使。下の姉貴は跳ぶ姿が天使』。会えるなら会ってみたいとは思うが、どうだろう。
さて開会式が終わり、競技が始まる。麻依は記録をつけにいくと言ってグラウンドに下りていったので、三人だけ観覧席に残った。陸上部の観戦に来ている華園の生徒は多いが、応援団以外はそれぞれバラバラに座っている。
「観下ちゃんはどこ見にいってるの?」
叶織は観上に尋ねた。
「女子テニスって言ってたぜ、たぶん」
それに眞緒が答える。
「……私への、質問だと思うのですが」
観上が眞緒に言った。
「ん? まあ答えは同じだし」「…………」観上は立ち上がり、叶織の右隣に回った。元々は眞緒の右に叶織、左に観上という順で座っていたのだが、それを問題だと考えたのだろう。「観下は、女子テニス部の応援に行くと言っていました」観上は改めて自分でそう言った。
「そうなんだ」
叶織は返し、「始まるみたいだね」とトラックを見遣る。
最初の競技は男子100m走である。遥樹の姿が見えたので眞緒は前に向き直った。「がんばれー」届く訳もないがそう声を出す。
遥樹の番になった。八人の選手が横一列に並ぶ。いちばん背が高いのが遥樹で、その姿は三人の位置からでも十分見えた。
合図があり、八人が飛び出す。遥樹は最初は低姿勢の低速だったがみるみるその速度を上げていき、一人、二人と追い抜いていく。半分を過ぎた辺りでは二位につけていた。現一位は速度を落とすことなく走る――遥樹も、それについていき――徐々にその差を縮める。ゴール目前、遥樹は一位と横に並んだ。そのまま走り、いやまだ遥樹は速い。速いままに――ゴールに辿り着く。一着だ。歓声が沸く。
「お? 一位だ! 優勝?」
眞緒が立ち上がって言う。
「そんな訳ないでしょう。まだ予選です」観上が二つ右隣から言い、「あと準決勝・決勝と二回走るはずだよ」叶織が一つ右隣から言う。
「ふーん……そうだ、飲み物会場で買おうと思ってたんだ。買ってくるー」
眞緒はよく分からないながら立った身体を階下へ向かわせる。
「スポーツドリンク売り切れてるじゃん」
自動販売機の前で眞緒は小銭を入れてからその事実に気づき、独り言ちた。
「じゃあ麦茶かな」言いながら、120円のボタンを押す。ペットボトルが取り口に落ちた音と、抽選が始まる音。スロットがついているようである。同じ数字が四つ揃うともう一本、と書いてあったが、出た数字は7、7、7、8。眞緒はお釣りを取りながらこれは本当に当たるのかと考える。
自販機の中から出てきた麦茶は外気に触れすぐ結露した。麦茶をタオルで拭きながら眞緒は叶織の元に戻る――と、観覧席の入口のところで、丁度出てきた人とぶつかった。
「きゃ」
「おっと」
チリンという音。避けようとした拍子に眞緒は麦茶を地面に落とした。そちらはまず諦めて尻餅をついている相手のほうに手を伸ばす。見れば同じ華園の制服を着ていて、首からはカメラを下げている。小柄な女子だった。「すんません」眞緒は手を掴んで彼女を立たせた。彼女は突然のことに頭をくらくらさせていたが、ハッと我に返って現状を把握する。そして転がっていって土のついたペットボトルに気がついた。
「あの、すみません、不注意でした」
「や、こっちこそ。怪我してないすか」
彼女は制服のあちこちを視認する。そして下げているカメラを持ち上げて電源をつけて、壊れていないかどうかを確かめた。カメラを持ち上げる時、ストラップの鈴がチリンと音を立てた。「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあその、これから気をつけて」眞緒は落としたペットボトルを拾って去っていった。
後に残った女子は、しばらくそこに立ち尽くしていたが――カメラを構え、今し方ぶつかった男子の後ろ姿を写真に収める。
「ただいま」
「おかえり」叶織は飲み物を買ってきた眞緒に返す。「ズボンに砂ついてるよ」
「ん? ああ、さっき転んだ」
払いながら眞緒は答えた。
「何もないところで転んだのですか?」
観上はスポーツドリンクを飲みながら尋ねた。
「何もあったよ。これって帰るのはいつでもいいんだっけ?」眞緒は返して、叶織にそう訊く。
「いいけど、私は最後まで残るよ」
「そうなの? じゃあオレも残る」
「麻依と一緒に帰る約束したから」
「そゆことか」
♢
男子100m準決勝も、遥樹は一位で終えた。決勝は明日らしい。文化部は一日応援に来ればいいため、三人は明日は来る予定はない。選手との距離が遠いため、応援に行く行かないが結果に響くとも思えない。
閉会式を終え、選手たちが戻ってきた。
「はおりんりん、見てた?」麻依が早速、叶織に突撃する。
「何を?」
「あたしの勇姿」
「バインダー持って走り回ってるのなら見てたよ」麻依の頭を撫でながら、叶織は言った。
「いえーい」「うえーい」遥樹と眞緒はそんな感じ。
「お、よっすー」
ひょっこりと麻依の後ろから姿を現したのは千紘であった。
「千紘くん、はおりんりんと知り合いなの?」麻依が首を傾げた。
「顔見知りかな」叶織は答え。「笠永くん、お姉さんたちは?」と尋ねた。
「ん? 姉貴たちに会うために来たの? それなら――」
そこへ。
「おい、ちひ、遥樹。とっとと集まれよ」
華園のジャージ姿の、背がすらっと高い(とはいえ叶織よりは低い)女子がやって来た。
「丁度いいところに。はい、こちらが下の姉貴、笠永千幸」
千紘がそうその女子を紹介した。下の姉貴ということは、跳ぶ姿が天使と言われるほうである。千幸はああん? と短い髪をかき上げながら威圧的に首を傾げる。その顔つきは、言われてみればどことなく千紘に似ていた。
「あ、千幸先輩おつかれさまです」ぺこりと麻依は頭を下げた。その身体をぐいと引き寄せ、「この子友達か?」と叶織を指差す千幸。
「そうです親友です」麻依はすぐに首肯した。
「ほう」彼女は叶織と向かい合う。しばらくそうしていたが突然彼女の肩をぽんと叩き、
「決定。陸上部入れ」
と言った。
「いや、えっと」叶織は困惑する。
「先輩、いきなり言ってもびっくりしちゃいますよー。それではおりんりん、入る気ある??」麻依がキラキラした瞳で追撃した。
「わ、私たちは化学部に所属しているので、陸上部には――」
観上が叶織の腕を掴んで話に入った。千幸は観上も同じように眺めていたが、
「君はなんかひょろいから駄目」と言い放つ。「でも化学部か。あの先輩と取り合うのは面倒臭そうだから――仕方ない、やめとこう」
「え?」
「戻るぞちひ。遥樹、麻依、来い」
彼女は言って三人を連れて、内一人は引きずって、去っていった。
「何だったんだろうね」
叶織は観上と顔を見合わせる。観上はずっと腕を掴んでいたことに気がついてすぐに離れると、
「さあ……」と応じた。
「笛崎行っちゃったけど、もう少し待つ感じ?」眞緒が尋ねるのに、
「そうだね」と言って叶織は腰を下ろした。
今出会った天使の笠永姉妹、笠永千幸について考えながら。