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夕日  作者: 永島大二朗
1/16

写真

 遠くでカラスが鳴くのを聞いて我に返った。急いで引出しからデジカメを取り、合わないサンダルを引っ掛けて河原へ向かう。かかとがアスファルトに触れると熱い。

 遺品の中に見つけたデジカメは、この街で気持ちを紛らわす何かとしては最適だった。夕日の定点撮影というテーマを設定して実行していた。今日で三回目だ。細い路地を小走りで抜け、橙色に染まり行く空を見つめながら定点撮影場所へ向かった。

 横断歩道まで来ると、珍しいトラックが来た。デジカメのスイッチ入れてファインダーを覗くと、もう目の前に来ていた。そして横断歩道に後ろ半分を引っ掛けて止まった。すかさず後姿を撮影すると、ピピッと聞き慣れない音がしてデジカメに収まった。

 小さな満足感に浸りながら横断歩道を渡っていると、突如トラックの後部窓に、目を吊り上げ、鼻をひくひくさせた顔が現れた。そして加速する勢いで、再びダンボールの下に埋もれて見えなくなった。シャッターを切る程のことではなかった。

 一ヶ月もすると流石に涼しくなって、日陰ならサンダルのかかとがアスファルトに触っても熱くない。もうちょっと大きいのを買うか、それとも運動靴にするか迷っている間に秋も深まるだろう。

 この前うっかり蹴り倒してしまった盆栽は無事の様だ。枝は折れなかったし、こぼれた土もそっと元に戻しておいた。きっと高価な盆栽ではない。かと言って枯らしてしまったらまずい。時々植木鉢が濡れているので、一応管理はされている様だ。しかし、乱雑に置かれた植木蜂を見ると、何が楽しいのだろうとは思う。

 路地を抜けると緑の斜面が見えてくる。下から見ると昼寝でも出来そうだが、斜め途中には道路があって昼寝どころではない。やはり昼寝をするなら、適度に温度管理された部屋が良い。録画したニュースを見ながらいつの間にか寝ている。それが昼寝。それが休日というものだ。

 川沿いの道路を横断して土手に登る。設置されたばかりの真新しい押しボタンは、使われた形跡がない。半ば崩れた階段を一段飛びで登っていくと、まず聞こえてくるのはグラウンドで野球を楽しむ人の声。そして徐々に視界が開ける。

 夏は遠ざかったとは言え、まだ南の空は青い。よく練習なんて出来るなと思う。野球は帽子を着用することが義務付けられた珍しいスポーツである。体に優しいルールだ。

 土手の頂上はサイクリングロードになっていて散歩がしやすい。反面照り返しが暑い。うっかりサンダルが脱げようものなら足を火傷するのではないかと思う。横目に野球をする人達を見ながら歩く。海までの距離が書かれた看板の前が定点撮影の場所である。そこに着くと大きく伸びをして看板に寄りかかる。

 デジカメの電源を入れて撮影。まだ夕日には遠い薄い赤色であったが良しとする。遠くに見えるビル群と、もっと遠くにある山が同じ高さに見える。

 このデジカメは既に往年の名機と化していたが、夕日の定点撮影をするには十分だった。最近ズームの使い方が判ったのだが、ストロボを光らせないようにすることが出来ない。何やらスイッチを押すと、色々なロゴが記された画面になる。その中には風景撮影に適した設定というのもあった。しかし、その設定にしておいても、翌日には元に戻っているので意味がなかった。

 それよりも、カレンダーが表示され、そこに似た様な画像が並んで行くのを見るのが楽しい。小さなことだが、継続は力なり。いつかこの夕日の写真が役に立つかもしれないと思うと、もっと楽しくなった。

 それから忙しくなり、日が短くなったのと相まって、一日が二十時間くらいしかないような感じになっていた。納期が一ヵ月延びたのは、ゴールが蜃気楼のごとく遠ざかるだけで、決して楽になった訳ではないのだ。

 休みの日はカラスの声が目覚まし代わりになっていた。季節を問わずよく聞こえるが、この時期この時間が一番相応しい。目を擦りながら砂嵐になっているビデオを消し、デジカメを持って河原へ出掛けた。

 路地の盆栽に落ち葉が幾つも乗っかっていた。以前蹴っ飛ばした盆栽もどれがどれだか判らなくなって都合が良い。それに枯れている物がなかったので安堵した。

 路地を抜けると、夏の頃より高くなった空が出迎えてくれた。既に土手の上の方は赤くなっている。最初だけ一段飛びで土手を登ると、グラウンドを整地する人達が見え、息を整えて見上げると真っ赤に染まった夕焼け空が現れた。

 いつもの定点へ行こうとすると、そこには先客がいた。と言っても、別に撮影をしている訳でもなく、夕焼けを眺めている訳でもなかった。

 こちらが近づくと年配の男が写真を取り出した。カラーのサービスプリントサイズ。今時フチ有りとは珍しい。どこの写真屋で焼いたのだろう。

「この男に見覚えはありませんか?」

「私達、こういう者です」

 若い方の男が、胸のポケットから警察手帳をチラッと見せて自己紹介した。二人は刑事だった。つまりこの写真は警察でプリントされた物だった。若い方の刑事が、一ヵ月も前の日付と時間を言っていたのだが、そんな写真の人間に見覚えがある筈がなかったし、どうでも良かった。

「さぁ」

「そうですか」

 早くその定点を明渡して欲しかったので、ポケットのデジカメをいじりながら首を右に傾けると、そっけなく答えた。若い方の男も会釈をして立ち去った。

 しめしめ。看板の前が空いた。ポケットからデジカメを取り出すと夕日を撮影した。遠くのビルはシルエットになり、さらに遠くの山は真っ赤に染まっていた。ちょっと良い画像を納めることが出来た気がして上機嫌になった。

「近所の方ですか?」

 さっきの刑事二人が戻って来て声を掛けて来た。突然だったのでびっくりし、デジカメを落としそうになった。

「そうですよ」

「写真好きなんですか?」

「まぁまぁですかね。デジカメで遊んでいるだけです」

「今日は夕焼けが綺麗ですね」

「そうですね。休みの日はここで定点撮影しているんですよ」

 デジカメを操作しながら答えた。河原にサンダルで来る人はだいたい近所だろう。すると年配の男は一枚の写真を取り出した。それはさっき見ただろうと思ったが、今度は車の写真だった。

「これに見覚えはありませんか? ワーゲンです」

「ワーゲンなんですか?」

「そうですよ」

 若い刑事の方が、車の車種とナンバーを言ったが、車種しか聞き取れなかった。それにその車種と思い浮かべた形は全然違った。聞き間違えかと思って、手振りで車の形を示した。

「ワーゲンと言えばこういう形のですよね」

「それはビートルですね」

 通じた様だが思いも寄らない返事が返って来た。ビートルと聞いて思い浮かべた単語については口にしなかった。

 その様子を見て、年配の刑事は口をへの字に曲げ、薄笑いを浮かべると写真をしまった。

「丸いライトが今時珍しいですね」

「年代物なんですよ」

 納得した。刑事二人が再び立ち去ろうとした。

「色が違うけど撮ったかもしれない」

 写真の車は夕日に照らされて赤っぽく見えたので、そう言いながらデジカメを操作すると、地面を撮影する格好になった。どうもデジカメの操作は難しい。

「貸して下さい」

 もたもたしていると、若い方の刑事が手を差し出した。

 手馴れた手つきで画像を探し出していた。年配の刑事も覗き込んでいたので、こちらが覗き込むスペースがない。鼻毛を抜くシーンとか、ほっぺたにひとさし指が食い込んでいるシーンとか、あまり見られたくない画像も入っていたのだが。

 やがて一枚の画像を見て手が止まった。

「あった!」

「よく写ってる!」

 二人が顔を合わせて喜んだ。

「良いのがありましたか」

 と言いながら覗き込むと、それは夕日の画像ではなかった。がっかりした。

 翌日は、買い物のついでに夕日を撮ることにした。しかしデジカメは昨日の刑事達に持っていかれてしまっていた。あの二人、住所・氏名の他に、電話番号や運転手のこと、はたまた車の左側の傷について聞いて来たが、こちらは口をへの字に曲げて、判らないとしか答え様がなかった。特に電話番号は、090としか言えず、苦笑いをするしかなかった。

 それでも車のナンバーが写っていたので、二人は嬉々として立ち去って行った。一応深々と頭を下げてはくれたが、本日のベストショットごと持っていかれてしまったのは辛かった。

 デジカメがあるから定点撮影を思いついたのだが、このままでは中止も止むなしと考えた。しかし継続は力なりとも言うので、仕方なくライカにプロビアを突っ込んで出かけた。通り道に色々な風情がころがってはいたが、フィルムカメラでは撮影する気にならなかった。定点で一枚だけ写真を撮ると、今夜のおかずを買いに行くのも面倒になり、味噌ラーメンを食べ、夜食に肉まんを買って帰った。

 雨の休日はテレビを見ながら昼寝。呼び鈴の音で目が覚めると、ビデオは木曜日の天気予報を映していた。

「今日は暑くなるでしょう」

 と、嫌そうに伝えていた。確かにこの日は暑かったね、と思いながら玄関の扉を開けると、そこには屈強な男が二人。先日の刑事二人だった。

 こういう時に玄関扉の覗き窓を使えば良かったのだが、もう遅かった。ファインダーの様に四角いデザインにはならない物だろうか。そうしたら癖で覗くだろう。

 二人の来訪に、よく住所が判ったなとびっくりしたが、すぐに河原で住所を答えたのを思い出した。

「今日は調書を作りに来ました」

 そう説明された。気の利いた言葉が出てこなかった。

「ご苦労様です」

 何とか答えて、とりあえず上がってもらう。ずずいと奥へ案内したが、四畳半の部屋に座布団は二枚しかなかった。

「意外と殺風景ですね」

 そのような評価を頂いた。それは褒められているのか、感心されているのかは寝起きの頭では判断不能。ただ隣りの部屋は見せられなかった。三人でスイッチの入っていないこたつに入り、調書とやらを作成しに掛かった。

 住所・氏名・電話番号。今度は直ぐに判明した。日付と時刻。場所、そこに行った目的。好きな車の種類を調書に書き込んだ。やはり車のライトは丸くないと可愛くない、という意見は調書には記載されなかった。

 例の画像を大きく引き伸ばした物を持参していて、そこに写っているナンバーも調書に書き写した。一時間程で調書を作り終えた。

「運転手の顔を見ていませんか?」

「見ていませんね。写真に人物を入れるときは、顔が写らないようにします」

「そうなんですか」

「肖像権ありますからね」

「裁判所で証言して頂きたいのですが、どうでしょう?」

 少し考えて答えた。

「夕日の撮影があるので、雨なら行っても良いですよ」

 若い刑事の方は怖い顔になり、年配の刑事の方は笑い顔になった。しかし目は笑っていなかった。

「冗談ですよ。行きますよ」

 元々この質問に選択肢なんてなかったのだ。

 玄関まで見送った後、自分で呼び鈴を押してみた。二度三度と押した。ダッシュをする必要がないので、こんな音なんだとゆっくり聞くことが出来た。こんなことでドキドキするはずはないのだが、心臓の鼓動が聞こえる程であった。

 それから暫くして、会議中に鳴った知らない番号からの電話は、年配の刑事からだった。今大丈夫かと聞かれて駄目と言えないのが電話の辛い所である。

 電話の内容は裁判へのお誘い。金曜日と聞いてその日は雨だから大丈夫と思ったが、それは一昨日録画しておいた天気予報だったと気が付いた。断れない雰囲気を感じ取って了承し、会議室に戻った。

「すいません。次の金曜日年休を下さい」

「急に、何で?」

「警察に頼まれまして、裁判所で証言することになってしまいました」

「そう。それじゃしょうがないね」

 夕方会議室を出ると、金曜日にも長い会議が予定されていた。年休申請書を書いて上司に申請した。よくよく見ると、今年度初の年休申請であったことに驚いた。しかしそれよりも、上司がちらっと予定表を見て、会議の予定を変更しようともしなかったことに、もっと驚いた。

 裁判所に行く日は幸運にも雨。定期券を途中まで使い、指定された時間よりだいぶ前に到着した。二人の刑事の方がもっと前に到着していた様で、直ぐに呼び止められた。雨は小降りになっていた。

「では、こちらでお待ち下さい」

「判りました。出番は直ぐですか?」

「あーっと、四人証人を呼んでいますので、いつになるかは判りません」

「そうですか」

 言うこと言って直ぐに帰りたかった。しかし、そうはいかない様だ。傍聴席に座り、自分の出番が来るのを待った。他の人が証言台に座り、検察と弁護士から代わる代わる質問を受けていた。最初の一人はテレビドラマと同じだと思いながら見ていた。しかしこれが例え誘拐殺人事件であったとしても、二人目からは飽きてうつらうつらとしていた。

 話の内容には興味がなかったし、要約すると弁護士の質問は、「本当に見たのか」の繰り返しだった。こんなことをしに会議を休んで来たのではない。しかし、これが一市民としての義務なのだ、と思い直した。

 長々と待たされてやっと出番が来た。

 前の人と同じ様に宣誓をして名前を言い、まずは検察側からの質問を受けた。

「証拠物件十七号として、こちらの写真を提出します」

 なつかしのデジカメが登場したが、ビニール袋に入れられて遠くから見るしかなかった。検察はそこから例の写真を取り出した。

「この写真が示す通り、容疑者がこちらの逃走ルートを使ったことは明白です」

 手であくびを隠しながら検察のトークを聞いていた。調書に書いた通り回答し、つつがなく証人としての役目を果たした。

 今度は弁護士が質問に立った。前の証人と同じ様に聞いて来た。

「この車を運転していたのは、本当にここにいる被告ですか?」

 その質問は聞き飽きた。

「いいえ」

「本当ですか? え、見ていないんですか」

「私は見ていません」

 弁護士はちょっと調子が狂った様だ。

「見ていないんですか?」

「見ていません。写真を撮っただけです」

 なんだこの弁護士は。「はい」でも「いいえ」でも再確認するのか。

「では、この写真は本当にこの日時に撮影したものですか?」

「そうです」

「本当ですか? カメラの時計を操作することが出来ますよね」

「出来ません」

「そうであるならば、また元の時刻に戻す事も可能ですよね。え? 出来ないの?」

 弁護士はまた聞き間違えた様だ。弁護士は検察にデジカメの機能を確認する様に言った。検察はデジカメを操作して、デジカメに時計を変更する機能が付いている事を確認した。

「時計を変更する機能がありますよね」

「知りません。使いませんから」

「警察に提出するまでに変更していませんか?」

「刑事の人がその写真を見つけた後、私はそのデジカメに触れてさえいません。今そのデジカメの時計が正しいのでしたら正しいですし、狂っていたら元に戻して下さい」

 弁護士は検察にデジカメの日時が正しいか確認したが、正確だった。

「デジカメの画像を改竄していませんか?」

「どうやってですか?」

「パソコンに取り込んで加工出来ますよね」

「パソコン持っていません」

「自宅になくても出来ますよね」

「そうなんですか」

「人に加工を頼むとか」

「お店に出すとかですか?」

「そう。そうです」

 弁護士は証言台に顔を近づけて来た。

「私は現像していません」

 そう言うと傍聴席から笑いが起きた。証言台で見つめ合う二人だけが笑っていなかった。

 被告がこの日時にここを通過したのを弁護士はどうしても認めたくないのであろう。しかし、それはそちらの都合であって、こちらとしてはどうでも良い。車を運転していたのが誰かもどうでも良い。ただ一市民の義務として質問に正確に答えるのみである。

 しつこく、今度は運転席に乗っていた人について尋ねる弁護士。

「もう一度確認します。運転していたのは被告でしたか?」

「判りません」

「助手席には人が乗っていましたか?」

「判りません」

「何も判らないのですね。車には何人乗っていましたか?」

 弁護士は証言台にくるりと背を向け、被告と傍聴席の方を見ながら質問した。ちょっとむっとした。この弁護士は、人が如何に無能かアピールすることにした様だ。

「二人ですね」

 一人と答えようとしたが、ちょっと考えて二人と答えた。弁護士はいきなり顔を近づけてきて、意地悪く笑顔を見せた。検察の顔はちょっと曇った様に見えた。傍聴席にいた年配の刑事だけが立ち上がって叫び声を上げた。

「助手席に人がいたのですか? 運転席も良く見ていないのに、何故二人なのですか?」

 弁護士が本当に二人だったのか再度聞いて来た。こいつは言い間違いをしている。信用に値しない奴ですと言いたげである。何をおっしゃるウサギさん。

「後ろの窓から口にビニール紐をくわえた人が一瞬見えました。ですから、運転手と合わせて二人は乗っていたはずです」

 その瞬間、弁護士の顔は曇り、検察は休廷を申請し、ざわめく傍聴席で、刑事が小さくガッツポーズをするのが見えた。

 窓の外には綺麗な夕日が見えていたが、今日は撮影出来そうになかった。

 別の小部屋に案内されると、刑事二人らに取り囲まれた。まず見せられたのは笑顔の写真だった。

「見たのはこの人ですか?」

「そうですね」

 とは言ったものの、記憶にあるのは少なくとも笑顔ではなかった。

「間違いない? 本当にこの人だった?」

 若い方の刑事がもう一度聞いた。

「はい。間違いありません。この人です。ここにあるホクロを覚えています」

「落ち着いて思い出してください。これ凄く重要なことなんです」

 今度は年配の刑事が聞いて来た。仕方ない。言うしかないか。

「モデル撮影する時に鼻の角度は重要ですからね。一瞬でも見逃しませんよ」

「そうですか。他に覚えていることはありませんか?」

「えーっと、口にくわえていたのは黄色いビニール紐です」

 そう言うと若い方の刑事が「おおっ」と言った。

「それと、急発進した時、キャベツのダンボールに埋まりました」

 今度は年配の刑事が「おおっ」と言った。

「何で覚えているんですか?」

 不思議そうに若い方の刑事が聞いて来た。

「実家が八百屋をやっていまして、とんかつ屋さんに毎日納品していましたから」

「なるほど。なるほど」

「嬬恋村の秀品でしたよ。今の時期は高いですね」

 その発言に刑事二人は大層驚いた。嬬恋村のキャベツがそんなに珍しいのか。そこまで驚く程のことではないだろう。

 一応赤信号を無視して横断歩道を渡ったことを謝罪したが、そのことについておとがめはなかった。それに渋滞の原因を作った駐車違反車の車種・ナンバー・運転者の特徴も聞かれなかった。

 他に何か覚えているかと聞かれたので、肉まんを買いに行く途中で交番を覗いたが、誰もいなくて報告出来なかったことを伝えた。しかしそれは調書に書き込まれなかった。

 一時間程して再び証言台に戻り、さっき小部屋で聞かれたことを再び聞かれた。

「見たのはこの人ですか?」

「そうです」

「本当にこの人ですか?」

「はい。間違いありません。この人です。ここにあるホクロを覚えています」

「落ち着いて思い出してください。これ凄く重要なことなんです」

「モデル撮影する時に鼻の角度は重要ですから。一瞬でも見逃しません」

 まるで茶番だと思ったが、これが正規の手続きであるならば従うしかあるまい。

 テレビのリポーターが、農家のお爺さんに名前を聞いて、「さっき教えたでしょう」と答えたシーンを思い出した。薄ら笑いを堪えるのに苦労した。

 続いて弁護人が質問をして来た。

「そんな一瞬で人の顔が覚えられるのですか?」

「はい」

「私の顔も覚えられますか?」

「それはどうでしょう」

「ダメじゃないですか」

「カメラ持っていませんから」

「カメラを持っていれば覚えるのですか? そんなことがあるのですか?」

 しつこく聞いて来る。カチンと来た。言わせたいのか? 言ってしまうぞ?。

「見ました。間違いありません。横断歩道を歩いている時に見ました。下からニュッと現れて、目とホクロは良いかなと思ったのですが、鼻の角度が悪かったので撮影を止めたんです。鼻の穴が見えた状態でシャッターは切りません。ボツになるだけですから。これは見たというより、評価したんです。NGであると。そういうことです」

 弁護士は黙ってしまった。書記のお姉さんが「最低」と言わんばかりにこちらに目を向けた。知らん振りをした。あまり人の顔についてとやかく言うつもりはないが、ねちねちとしつこく聞かれれば、はっきりと言わねばならなかった。

 やっぱり、本人の耳に入ると申し訳ないので、書記のお姉さんに削除を申し入れようとしたが、そう都合よく証言を翻すことは無理であると悟った。

 幸いだったのは、写真の人物がこの法廷にはいなかったことだ。

 裁判が終わって帰ろうとしたら、刑事二人に呼び止められた。

「今日は証言ありがとうございました」

「いえ、一市民としての義務を果たしたに過ぎません」

 ちょっと自分でもかっこいいセリフだとは思った。呼び止められて聞かされたのは、今後の事務手続きについてだった。一番ショックだったのは、デジカメは結審まで証拠品として保管されると説明を受けたことだった。それはまぁ仕方ないだろう。そんな雰囲気を察してか、年配の刑事が言った。

「すみませんね。夕焼けの写真、まだしばらく撮れませんね」

「しょうがないですよ。お役に立てれば幸いです」

「ご協力感謝します。それにしても、今日の夕焼けはとても綺麗でしたが、撮影出来なくて残念でしたね」

 年配の刑事はそう言って笑った。本心を突かれて一瞬顔が強張ったが、誤魔化すように意地悪く言い返した。

「本当ですよ」

 こちらも笑った。二人の乾いた笑いを、若い方の刑事が怪訝な表情で見ていた。

 裁判所を出ると星が出ていた。街の明かりに霞んでしまうだろうが、星の撮影も良いかなと思った。

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