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【物書きのひとりごと】一人称

作者: あじろ けい

ブログで公開していた記事です。

一人称の小説を書いたことがない。


ふと気づいてしまった。


何故だろうと考えてみた。


一人称だと、より深く登場人物の感情に踏み込んでいけるのだが、そうした作業で自我が出てしまうのを恐れているのかもしれない。


登場人物の感情としているが、呼称に「私」を用いるため、作者としての考えを述べていると思われてしまいはしないか。


私は己の考えを述べたり、自分をさらけ出すことをあまりしない。小さい頃はそうでもなかったのだけれど、周りから変わっているねと言われ続けたので、大人になるにつれ、周りに合わせるようになった。


周りに合わせているといろんなことが楽だった。第一、何も言われない。ひとりにならないですむ。ひとりになるのがどれだけ恐ろしいことか、一度でも周りから浮いたことのある経験のある人ならわかるはず。


どうやら私は、一人称の小説によってさらけ出される己が非難されるのを恐れているらしい。


小説とは、共感するエンターテインメントだと私は考えている。登場人物の感情の動きに自分の感情を沿わせ、彼らが体験していることをあたかも自分も体験しているかのように感じる。これが小説を読む面白さだろう。


その登場人物の感情の動きがもっともつかみやすいのが、一人称の小説だ。作中、「私は」「僕は」という字面を追うだけで、自分が同じ感情を抱いているかのような錯覚に陥る。


これが、太郎や花子だと、そう簡単にはいかない。そこで小説家はあの手この手で、読者の花子さんに、登場人物、太郎の気持ちになってもらう。これがうまいのがプロの小説家。


私を含めた素人物書きはよく語彙の少なさを嘆くが、実は豊かな感情表現が出来ていないだけの話である。語彙の問題ではなく、表現力の問題。語彙の問題だとおもって感情に関わる語彙を増やしても、無駄である。喜怒哀楽は、感情を表す動作の語彙を用いなくてもできるし、むしろあえて用いないのがプロの技ではないだろうか。


わが身を振り返ってみる。


私は、自分自身を出したり、感情を表現するのが下手だ。自分を抑えるようにしてきたから、今さら出せと言われても難しい。


自分の思うところや感情がないわけではない。表現の仕方がわからないというだけ。


この人間としての欠点が、共感するエンターテインメント、小説を書く上で決定的な欠陥となる。


登場人物に感情を表現させてあげられないのだ。


最悪だ。


だから私の書く小説は面白味がないんだ。


私は自分自身の感情表現ですら苦手だ。現実では、抑えるだけ抑えていて、こらえきれないと爆発してしまう。


それは個人の問題として。


物書きとしては、面白い筋立ての小説うんぬんの前に、ありきたりの話の、それでも登場人物に心のある小説を書く修行をしたほうがいいのかもしれない。

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