ターゲット2
ラッキースケベの概念を考える今日この頃
今日は苦手な魔法学の座学があった。居眠りしそうになったら、「チュン」と鋭い音がして、高密度の火魔法の弾丸が頬を掠めて行った。一番後ろの席なので、教室の壁に黒い焦げ跡を目にして、殺意というものを初めて知った。前を向くと、教師の血の凍るような微笑みが。
そんな命のやり取りをした午前の授業も終わり、ランチの時間になったので、クラスの女子が誘ってくれたのだが、わたしは重大な用事を思い出した。
「そう言えば、今日はお昼休みに池に行かないとならないんだった」
ごめんと友達に謝り、急いで東の池に向かった。
到着すると、睡蓮の浮かぶ池を望む小高い場所に、一本の大きな木があった。おそらく待ち合わせ場所はここなのだろうと思うが、まだローズ様は来ていないようだった。
仕方なく、わたしは木陰になる場所に座って待つことにした。
もうすぐ盛夏の季節だ。青い空には入道雲があって、どことなく日本の夏空にも見えるが、ここは空気が乾いているから少し赴きが違って見えた。わたしの日本の記憶は、ほとんどクーラーの効いた病室から見る入道雲だったんだけど。
待つ間に食べられるように、サンドイッチでも持って来れば良かったなぁ、などと考えていると、どこからともなく小さな声が聞こえてきた。
それは仔猫の鳴き声に聞こえる。
わたしは、この世界初のモフれる生き物の存在に、テンションがMAXになった。この学園はペット厳禁なので、動物といったら馬術の授業の馬くらいしかいない。いや、馬も可愛くて癒されるし大好きだけど、猫は別格なんだ。身近なモフ系動物の代表と言っても過言ではないと思っている。
それが、にーにーと鳴いてわたしを呼んでいるのだ!
「仔猫はいねがー。モフモフはどこだー」
興奮のあまり、なまはげのような声が出てしまった。いけない、いけない。昨日ローズ様にヒロインの自覚を説かれたばかりなのに。なまはげ系ヒロインなんて怒られてしまう。
気を取り直して辺りを見回すが、声はすれども姿は見えず状態だ。もう一度わたしは耳を澄ますと、ふと上を見上げた。
「いた!」
なんと仔猫は、今まで寄りかかっていた木の枝にいたのだ。それも遥か頭上、おそらく2,5メートルくらいはあるだろうか。ジャンプしても絶対届かない。
「よし、登ってみよう」
「……おい、お前。まさか、その格好で木に登る気じゃあるまいな」
「うわぁ、びっくりした!」
突然背後から低い声が聞こえた。文字通り飛び上がりそうになるが、それを抑えて後ろを振り返ると、そこには不機嫌MAXなオーランド様がいた。
これほどナイスタイミングで現れるということは、ローズ様にはこの時間にオーランド様がここに来ることが分かったのか。凄いな。
とローズ様に感心しつつ、オーランド様を観察する。初めて近くでまじまじと見たが、王太子殿下と違って、こちらは「漢」的なイケメンだった。まさに「ザ・騎士」って感じだ。灰に近い黒髪と髪よりも色素の薄い灰色の瞳をしていて、オーランド様自身が抜き身の剣みたいな方だった。しかもデカい。多分、190センチくらいある。
「えっと、昨日はご無礼をいたしました。それで、この上に猫がいるみたいで、降りられないようです。それで、登ればいけるかなぁ、と」
「……昨日のことといい、お前には恥じらいというものがないのか」
どうやらオーランド様は、わたしが短いスカートで木登りするのがお気に召さないらしい。ついでにパンチラも。
「でも早くしないと、あの子落っこちちゃうかもしれないので」
半分マジ怒の様子のオーランド様を見ていて、ふと思い付く。
「あの、不躾なお願いで申し訳ないのですが」
「何だ?」
「肩車なら届きそうなので、お願い出来ないでしょうか?」
「なっ!お前!お前の頭には、恥じらいとか慎みとかはないのか⁉」
「でも、緊急事態なので」
「クソッ!誰かに見られる前に片付けるぞ!」
高位貴族にあるまじき悪態を突いて、顔を真っ赤にしながらもどうやら協力してくれるようだった。チラッとわたしの脚を見た後、すぐ目を逸らされたが。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「……おい、何をしている……」
しゃがんで、オーランド様の足を掴んだわたしに、オーランド様の冷たい声が降って来る。
「え?オーランド様を肩車するんですが?」
「逆だろう、普通!」
「高位貴族の方の肩に乗るなんて畏れ多くて。それに筋力には自信があります」
「バカか!」
オーランド様からも「バカ」をいただきました。なんか、ローズ様と似てるかも。
でも、猫ちゃんのいる木の高さまでの計算はちゃんと合ってる。わたしの肩までの高さが約135センチ、オーランド様の座高は見たところ約1メートルちょいで肩までは80センチといったところ(顔小さくて足長いな!)。オーランド様の腕は長いので、残り35センチは余裕で届くはずだ。それを伝えた。
「お前は、真正のバカだな!肩車は却下だ!」
そうプリプリと怒って、おもむろにわたしの腰に両手を添えた。何⁉このままわたしを持ち上げる気か⁉さすが騎士だ、腕力にものを言わせる気だ!
わたしがちょっとワクワクしていると、オーランド様は顔を真っ赤にしたまま、躊躇いがちにわたしの腰に添えた手に力を入れた。
「オーランドか?……っと、すまない。取り込み中だったか?」
「違う‼」
誰かの声が聞こえた途端、シュンと音がしそうな速さでわたしから手を離し、凄い反射速度で第三者の声を否定した。
わたしはオーランド様の陰から顔を出すと、そこには見覚えのあるお顔があった。
確か、そうだ。生徒会長のリード様だ。この銀髪には覚えがある。あれだ。「氷の貴公子」とか何とか二つ名の人だ。
思わぬ人物の登場だったが、この人とも面識を得たとなれば、ローズ様もきっと喜んでくれるだろう。これが、ヒロイン補正というやつか。
「ん?……君は」
「あ、一年のアイリスと申します。生徒会長のリード様ですね」
「そうだ」
わたしは丁寧に挨拶した。リード様は、こちらが一方的に知っていても不審に思わないようだった。そりゃあ、これだけの美形だし、生徒会長だからね。みんな知ってて当たり前って感じなんだな。
「それで、君たちはここで一体何をしていたんだ?」
「はい。木の上に仔猫が登って降りられなくなってしまって、オーランド様と協力して助けるところだったんですが、わたしがオーランド様を肩車しようとしたら拒否られました」
「……ん?」
「リード、この女の言うことをまともに取るな。こちらの良識が死ぬ」
地を這うような低い声で、わたしを罵った後、わたしを持ち上げて猫を救出するつもりだったことを説明してくれた。しかし失敬だな、オーランド様。
「まあ、とりあえず、私とオーランドで猫を助けるか。私を肩車するならいいだろう」
リード様が建設的な意見をおっしゃった。氷の貴公子とか呼ばれているが、なかなか心の温かい御仁のようだ。
オーランド様もリード様の言葉には反論も出来ず、むっつりと頷いた。
こうして、オーランド様の肩にリード様が乗って、余裕で猫は救出された。
リード様は細身だけれど長身なので、オーランド様の肩に乗ったリード様は、頭が木の枝の上に出ていた。その前のわたしの緻密な計算を嘲笑うようだった。
リード様の手から仔猫を受け取ると、ギラギラとする目とハァハァする息を止めることが出来なかった。幸いにして、涎は阻止した。
「おい、君。まさかその猫を食べる気じゃあるまいな」
「失礼しました。念願の初モフモフに、つい理性が……」
自分の心を落ち着けつつ、両の掌に乗るくらいの白い仔猫がにーにー鳴いているのを見て、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。指で耳や喉を掻いてあげると、気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らす様があまりに可愛かった。
「こんなに小さいのに、生きてる。可愛い」
思わず、ピンク色の仔猫の鼻先に自分の鼻をタッチさせると、仔猫が頭でわたしの頬にグリグリとしてくれた。温かくて柔らかくて、それだけでとても愛おしいと思った。
そんな猫の感触にメロメロになっていたが、ふと気付くと、オーランド様とリード様がこちらを苦笑しながら見ていた。
いや、猫に夢中になっていて、お二人がいるのを忘れてた。ホントすいません。
わたしが謝罪でぺこりと頭を下げると、リード様がその頭をポンポンと叩いた。いいよ、と許してくれるようだ。
「ところで、その猫、この後どうするつもりだ?」
オーランド様が現実的なことを尋ねてくる。助けたはいいが、このまま放置では助けた意味が無い。お二人を見るけど、どちらも引き取り先など心当たりが無いらしい。
うーん、と三人で首を捻っていると、どこからともなく「おほほほほほ」という高笑いが聞こえた。
「皆さん、ごきげんよう」
気付けば、すぐ目の前にローズ様がいた。いつの間に⁉
「ほほほ。アイリス、これはどういう状況かしら?」
「……ええと」
ローズ様からの圧力が半端ない。ローズ様が遅れてきたんだと思うんだけど、そこは言葉を濁しておく。
「ああ、いたいた。アイリス、探したよ」
その後からはグレンが走って追いついてきた。
「どうしたの?」
「サラが、これ持っていけって。用事があったみたいだから、昼まだだろうって」
差し出されたものは、学園内のカフェの人気サンドイッチだった。サラが神だったのか。
お礼を地面に頭を擦らんばかりに言うと、苦笑して「じゃあね」と言うその姿を見て、わたしは咄嗟にシャツを引っ張ってグレンを引き留めた。
「グレン、ちょっとお願いが。この仔猫なんだけど、誰か欲しいと言ってくれる人いないかな?グレンなら顔も広いし」
「へえ、可愛いね」
仔猫に向けた言葉なのに、わたしは自分が褒められたように思えて、図々しくもちょっと照れた。
「分かった。飼い主を探してみるよ」
優しいグレンの声に、これまでにない安堵が胸いっぱいに広がった。
なんでかなぁ。グレンに任せておけば、全部大丈夫って気がして、とても安心する。
「ありがとう、グレン」
目が合って笑いあって、ほのぼのとした雰囲気だ。
「うん。じゃあ、心当たりあるから、先にこの子連れて戻ってる」
早速心当たりがあるようだ。やっぱりグレンに頼んで良かったと思い、仔猫をそっとグレンに渡した。その後すぐにグレンはこの場を後にする。
残されたわたしたちも、昼休みが残り少なくなったので、戻ることにした。
わたしは連れ立って帰るオーランド様とリード様を、お礼を言って頭を下げて見送る。それにお二人が手を振ってくれた。ローズ様とわたしは、その場でさっそく会議を始める。
「ちょっとわたくしがいない隙に、何だかいい雰囲気だったじゃない。おまけにリード様まで一緒にいたから驚いたわ。なかなかやるわね」
「まあ、おかげさまで」
リード様はただの偶然だったので褒められるのは心苦しいが、ローズ様の思い描くノルマは達成できたようで一安心だ。
「この調子で、他の人たちとも好感度を上げるのよ」
「はーい」
軽いわたしの返事に、ローズ様は眉を顰めるが、ふと小さい声音で尋ねてきた。
「そういえば、あのグレンって子はなんなの?」
「ああ、わたしのサポート役です」
「ふうん。ずいぶん親密なようだけど」
「はい。サラとグレンはわたしの最初の友達です。どんな時もわたしの力になってくれて、とっても大切な仲間です」
「……そう」
何故かローズ様は深く考える素振りを見せる。
「まあいいわ。とにかく次の攻略ね。わたしたちに休んでいる暇はないわよ!」
「ええ、休む時はちゃんと休みましょうよ」
元気に宣言するローズ様に、とりあえず、率直な意見を伝えておく。
だが、ローズ様のバイタリティはそんなことでは鳴りを潜めなかった。
「さあ、次のイベントは……!」
生き生きと策を練るローズ様は、とても楽しそうだ。
わたしはなんだかんだで、そんなローズ様に振り回されるのは嫌いじゃなかった。
何故、生まれたばかりの仔猫が木の上にいるのか。
それは、乙女ゲームだから。
全ての常識は、この言葉で説明がつくのです。
また明日投稿します。