43 黒の世界樹 真の世界樹
天を摩する漆黒の巨木に、ただ一人で立ち向かうロット。
地上の魔物は身動きが取れないが、新たな魔物は次々と湧き出している。依然として窮地にあることには変わりない。
しかし、大賢者は気負った様子もなく、むしろ穏やかな表情を浮かべている。
「【接続】【承認】【権限取得】」
ひとり言のようにつぶやくロット。雲霞の如く湧き出る魔物の群れを前に、青年はまるで目の前の脅威など存在しないかのように、超然とした姿である。
「【座標指定】【停止】」
ロットがぽつりと言葉にするや、世界に驚くべき変化があらわれた。
天空も、地上も、そして「黒の世界樹」すら、すべての物が動きを止めたのだ。
荒れ狂っていた魔力の風もやんだ。地上でうごめく魔物の声も聞こえない。
それどころか、激闘で舞い散った土くれが、空中で静止しているではないか。
大賢者の魔法により、「黒の世界樹」周辺一帯の時空間が停止したのだ。
「先生。お力をお貸しください」
その時、初めてロットが呪文以外の言葉を口にする。
誰ともなしにつぶやくのは、敬愛する師への言葉である。
途端に、青年の体から途轍もない魔力が沸き起こる。その総量は、眼前にそびえる「黒の世界樹」すら軽く上回るほどだ。
どこをどう考えても、ひとつの生命体が発していい力ではない。
「あなたの世界に、触れることをお許しください」
眠るような面差しで、そうつぶやくロット。
全身からまばゆい光を放つ青年は、もはやこの世の者とは思えない威風をまとっている。
それも当然だろう。今の彼は、肉体を持つ生物ではなく、その内側に秘められた精神体が顕現しているのだから。
「これで、終わりだ」
刮目した青年が、「黒の世界樹」に凛然と言い放つ。
ロットはこの地上を汚すすべての魔物を、それを呼び寄せる漆黒の巨木を決して許さない。
己の家族を奪ったこと、世界中の人々を苦しめることだけではない。魔物を退治することは、彼が師匠と交わした神聖な約束であるからだ。
この世に破壊をもたらす「黒の世界樹」が生まれるならば、反対に、世界を創造する何者かがいるのは当然ではないか。
生物には感知できず、それでいて世界すべてに祝福をもたらすそれは、無色透明な魔力でできた、木のような形をしている。
それが「真の世界樹」。
ロットが師と仰ぎ、惜しみない愛情と世界の理を授けてくれた世界の創造主は、愛弟子に一つの力を与えてくれた。
本来であれば創造主しか行使することのできない、神にも等しき力。
――世界の改変能力である。
得意とする空間制御も、そのほかありとあらゆる魔法も、すべてはその力の派生に過ぎない。
「真の世界樹」に接続したロットは、この世界の事象を自在に操ることができる。
もちろん、世界に入ったひび割れを消すことなど、造作でもない。
「【行使 消去】」
最後の工程を宣言するロット。
途端に、空間をまばゆい光が染め上げる。
まるで光の塗料に塗りつぶされるかのように「黒の世界樹」がその威容を失っていく。
地上を埋め尽くしていた怪物たちも、光とともに輪郭が溶けていく。
「世界樹の賢者」ロットは、地上に迷い出た異界からの侵略者たちを跡形もなく消し去っていく。
「この世界は「真の世界樹」が愛し子たちにくれたもの。
――お前たちが、土足で踏み入っていい場所じゃない」
凛然たる気迫とともに、ロットが宣言する。
そしてまばゆい光はさらに強さを増し、世界すべてを真っ白に染め上げた。
× × ×
陽だまりに包まれるような温かさの中、ロットは静かに目を覚ました。
「お目覚めになられましたか?」
耳に触れる優しい声。視線の先には、慈母のような微笑むプリシラがいる。
後頭部には柔らかな感触。いつの間にか、ロットは膝枕で寝かされていたのだ。
「――っ! す、すまん……」
「あ、無理をなさらないでくださいまし。それに、謝罪など無用ですよ」
青年は慌てて起き上がろうとするも、全身が鉛に変わってしまったように重たく、まともに動くことができない。
魔力切れの典型症状だ。「真の世界樹」への接続は、さしもの大賢者にとっても精魂を使い果たすほどの大魔法である。
「……ええと、そうだ。状況はどうなっている?」
「はい。ご説明いたしますわ」
自分がどれほど眠っていたかもわからないロットは、とにかくプリシラに説明を求める。今、二人がいる木陰は、どうやら「黒の世界樹」の跡地からそう離れてはいないらしい。
「ロット様が「黒の世界樹」を消し去ってから、丸一日が経過しています」
プリシラが語るところでは、事態は無事に推移しているらしい。
「黒の世界樹」が極光とともに消え去ったのは昨日の昼だが、夜になっても戻らないロットを案じて、ウルザブルンの面々が捜索隊を出した。
そして今朝、崩落した地面で倒れている青年を見つけ、介抱していたというのだ。
「そうか。みんなは無事なんだな?」
「はい。社員一同、意気軒高です」
部下たちの身を案ずるロットに、プリシラがさも誇らしげに答える。
多少のけが人は出たが、ウルザブルンの社員たちに目立った損害はない。あの地獄のような激戦を思えば、奇跡のような勝利だろう。
ただ、残念ながら冒険者たちにはそれなりの被害が出たらしい。
「よかった。……で、ほかの魔物は?」
「デリック様が一時的に冒険者の方々の指揮を執り、残敵を駆逐しています」
対策本部が壊滅し、ギルド長マイルズの行方も分からなくなってしまったため、冒険者たちはひどく混乱している。
「黒の世界樹」が消え去っても、まだ相当数の魔物が森に潜んでいる。それらの駆除に加えて、負傷者の捜索も同時に行わねばならない。組織だって動かねばならないときに、指揮系統が崩壊してしまったのだ。
これを収めたのがデリックである。魔神を倒すほどの技量を持ち、経験豊富で人徳も兼ね備えた彼は、半壊した冒険者たちをすぐさままとめ上げた。
ギルド長と同じS級パーティーに所属していたこともあり、冒険者たちが自然に指示を求めてきたのである。
越権は承知だが、今は非常時である。デリックは冒険者たちを取りまとめ、残敵の駆除に取り掛かった。
「そうか。すまない。すぐに俺も……」
「もう。働きすぎは体に毒ですわ。今はお休みになられてくださいまし」
弱々しく起き上がろうとするロットを、プリシラが制止する。
誰にも不可能な偉業を成し遂げた青年である。今ひと時の休養をとることを、いったい誰が謗るだろうか。
プリシラの説得に、大賢者は素直に体を横たえる。
が、顔が少し赤い。美少女の膝に頭を預けているという事実に、いまさらながら羞恥がこみ上げてきたらしい。とその時、
「わ、ロットさん目を覚ましたんですかっ!?」
「おー、社長、おはよう」
にぎやかな少女たちの声が聞こえる。
周囲に魔物がいないか警戒に当たっていたキヨとサティアが戻ってきたのだ。
「よかった、よかったですっ……」
白髪の犬耳少女は、安どのあまり涙を浮かべながらロットに縋りつく。
と、青年はキヨの魔力がけた外れに強くなっていることに気付いた。少女が潜り抜けた激闘をそれだけで察した彼は、優しく頭をなでて褒めてやる。
「頑張ったんだな」
「あう……はい。頑張りました」
顔を赤らめ、それでも喜びに尻尾を振るキヨ。すると、黒髪のサティアが無表情のままロットの腹の上に乗っかってくる。こちらはまるで猫のようだ。
「む、私も」
「ああ、本当にありがとう。二人とも」
自らの無事を喜んでくれる部下たちに、ロットは心からの感謝を述べる。
前回「黒の世界樹」を倒したとき、青年はひとりぼっちだった。
志を同じくしてくれる仲間がいる喜びを、彼は静かに噛みしめる。と、
「「黒の世界樹」討伐を確認しました。お疲れ様です、社長」
プリシラがどこまでも優しい声音で、仕事の達成を告げた。




