42 黒の世界樹 死闘
漆黒の亀裂から、怪物が群れを成して現れる。
異界から無尽蔵に魔物を呼び寄せる「黒の世界樹」の周辺には、竜巻のような魔力流が発生していた。
烈風にあおられ、小型の魔物が風に散らされる木の葉のように吹き飛んでいく。生物ならば足を踏み入れただけで命を失いかねない極限の環境。だが、そのただ中で戦い続ける者がいる。
「【空間操作 切断】」
漆黒の巨木の周囲を、嵐のような風をものともせずに小さな人影が飛翔する。そして、それに襲い掛かる異形の大群。
と、怪物の一体、緋色の鱗をまとったドラゴンの首がポトリと落ち、次いでその巨体が重力に従って落下し始める。
「黒の世界樹」から噴き出す魔力は、呼び出された魔物たちにとってこの上ない栄養である。暴風を意に介さぬほどの格の魔物は、樹の付近にとどまり続けるのだ。
そんな怪物たちの楽園で、ひとり壮絶な戦いを繰り広げているのは、ウルザブルンの誇る大賢者、ロット・ヘイワードだ。
魔物たちはこの男の危険性を本能で感じ取り、執拗な攻撃を加えていた。
「ヒドラか――【空間操作 圧縮】」
吸い込むだけで肺が爛れる毒霧を吐き散らす多頭竜に、ロットが杖を向ける。
斬撃では致命傷とならない邪竜を、周囲の空間ごと圧縮。キューブ状にされたヒドラの骨肉は余すところなく砕け、圧縮熱で再生能力も無効化される。
国家を揺るがすほどの難敵を苦も無く撃破した青年だが、その顔貌にははっきりと焦燥が浮かんでいる。
――魔物の召喚速度が速い。
駆け出しでも始末できるような低位の魔物はともかく、「黒の世界樹」はとうとうSS級の魔物までをも呼び寄せるようになった。
これらは冒険者を全滅させかねない怪物である。そのため、ロットは隠密状態で世界樹に近づくという当初のプランを捨てて、敵勢の弱体化を図った。
ロットは最上位の魔物にのみ的を絞り、次々に撃破していく。一体だけ魔神を取り逃してしまったが、それでも超人的な戦果といっていいだろう。
だが、敵陣の奥深くで暴れれば、とうぜんただでは済まない。
青年の脅威を本能で感じ取ったのか、怪物たちが絶え間なく襲い掛かってくる。
大賢者は目標を前にして、終わりのない戦いを強いられていた。
「フレースヴェルグっ!」
空を飛ぶロットの頭上に、濃い影が落ちる。
陽光を遮ったのは、鷲の姿をした巨大な魔物である。死体を飲み込む者フレースヴェルグ。羽ばたき一つが嵐を引き起こすとされる怪物である。
「ぐっ――」
凶鳥が巻き起こす暴風。大気の壁を直接ぶつけられたかのような衝撃に、さしものロットも大地へと叩きつけられる。
間髪を入れず、フレースヴェルグが急降下して襲い掛かろうとする。
が、大きく羽ばたいた瞬間、右の翼が付け根からちぎれ飛び、見当違いの場所に墜落する。
交錯の瞬間、ロットが魔法で凶鳥の翼を切断したのだ。
「――次から次へと!」
体制を立て直そうとする間にも、ロットの周囲には凶悪な魔物が群がる。
邪竜、魔神、巨人。いかに大賢者といえども、すべてを同時に相手取ることはできない。
怪物の群れに、それでも果敢に立ち向かうロット。その時、大地を震え上がらせるような地響き起こる。「黒の世界樹」から新たに現れたのは、分厚い外皮をまとったけた外れの巨獣だ。
一見すると、ゾウやカバを思わせるフォルムに、ありとあらゆる獣の要素を兼ね備えたかのようなソレは、大怪獣ベヒモスだ。
明らかに幼体だが、それでも全長は二百メートルを優に超える。
ベヒモスは山肌を削り、小型の魔物をひき潰しながらロットへと迫る。
大賢者はとっさに杖を向けるも、瞬時ためらいを見せた。
空間断裂が利く相手だが、山のような巨体の中からピンポイントで急所を攻撃するのは難しい。そのうえ、周囲の魔物たちの苛烈な攻撃はやむことがない。
ベヒモスに意識を割けば、ほかの攻撃を食らう。しかし、このまま手を打たねば巨獣に踏みつぶされてしまうだろう。
「【重力操作】」
しかし、大賢者は一手ですべてを覆す手段を見出した。
迫りくるベヒモスに杖を向け、局地的な重力場を形成する。
と、大怪獣の足が地面に沈む――のみならず、大地に深い亀裂が走る。
「はっ!」
さらに魔力を込め、重力場を強めるロット。
亀裂はベヒモスを起点に放射状に広がり、そしてとうとう大地が轟音を立てて裂けた。
「【飛翔】」
大怪獣から半径数百メートルほどの地面が、まるで落とし穴のように陥没する。
ロットはすぐさま上空に飛び上がり難を逃れたが、地上の魔物はそのほとんどが巨大な穴へと飲み込まれてしまう。大量の土砂と木々に覆いかぶされては、さすがの怪物たちも身動きがとれないだろう。
「よしっ!」
ロットの策略は成功した。
このニビア山脈はグレオン王国最大の銅鉱山であり、数百年も前から採掘が行われている。事前に地図で確認したところ、「黒の世界樹」の直下には放棄された坑道が縦横無尽に通っていた。
そこへ、けた外れの質量を有するベヒモスが落下したのだ。山肌の一画は完全に陥没し、地上のことごとくを飲み込んでしまった。
「今こそ――」
魔物による妨害が一時的に途絶えた。「黒の世界樹」を消し去るにはこの時を逃してはならない。
ロットは放たれた矢のように飛翔し、漆黒の巨木と正対する。
そして総身の魔力を解き放ち、最後の魔法を唱え始めた。




