41 黒の世界樹 戦い抜く人々
神威を帯びた雄叫びが、火炎地獄にとどろく。
音だけではない。清浄で力強い魔力は、烈風となって邪悪な火炎を吹き散らしていく。そして、
「お父さんから離れろっ!!」
白髪の犬耳少女が、砲弾のごとき勢いで炎の魔神へと飛び掛かった。
「キヨっ!?」
突如として魔神に挑みかかった愛娘に、傷の痛みも忘れてデリックが叫ぶ。
トバイアスを退けたキヨは、敵勢の強さとサティアの負傷もあり、転移魔法で対策本部へと戻ってきたのだ。
だが、着いてみればあたりは一面火の海で、しかも父はけた外れの怪物と死闘を繰り広げているではないか。
一目で状況を把握したキヨは、感情の赴くままに飛び出した。
家族の危機を目の前にして、じっとしていられる少女ではない。が、
「ガアァァァァッ!」
巨狼の前肢が、灼熱の魔神の顔面を殴り飛ばす。
死の淵から蘇り、己の内に秘められた力に目覚めたキヨは、昔日の少女からは考えられない力を宿していた。
魔神であろうがドラゴンであろうが、彼女の純粋無垢な思いを阻むことなどできはしない。
「やああぁぁぁっ!!」
雄叫びとともに、キヨがベリアルへと挑みかかる。
業火のガードを突き破り、少女の拳が魔神を打ち据える。同時に、少女の背後で半実体化した巨狼が、鋭い牙をベリアルの肩口へと突き立てる。魔力によって形作られたこのオオカミは、キヨの意思に応じて動く最高の武器なのだ。
「くっ――」
だが、それでもベリアルは死と破壊の権化たる魔神である。
巨狼の顎に肩をかみ砕かれながらも、体からはさらに炎を立ち上らせる。そのすさまじい熱気には、覚醒したキヨとて耐えられるものではない。
少女が怯むと、彼女の半身たる巨狼の拘束も緩む。
ベリアルはここぞとばかりに魔力を解き放ち、再度爆発。すさまじい熱波には少女も防御に徹するほかなく、仕切り直しとなった。――その時、
「キヨ! 何とか隙を作れるか?」
「大丈夫なのお父さん!?」
犬耳少女に並ぶように、銀腕の巨漢が再度立ち上がる。
見れば、その隣には黒髪の少女サティアが寄り添っている。キヨが魔神と格闘している間に、ロット謹製のポーションでデリックの傷を回復していたのだ。
「お前が戦っているのにへばっていられるか! ――あの化け物を倒すぞっ!」
「――うんっ!!」
愛娘の姿に驚かなかったといえば嘘になるが、それでもデリックに不安はなかった。ロットから娘に起こるかもしれない変化を、あらかじめ耳にしていたからだ。
「頑張って、二人とも」
「ありがとうサティアちゃん!」
「おうとも。これは絶対に負けられんな」
自らの回復薬をデリックに使ったサティアは、足手まといになると察知してすぐさま後方へと下がった。新米の駆除人たちが冒険者を救出している。戦えずとも、出来ることはまだある。そして、
「はああぁぁぁっ!」
乾坤一擲の雄叫びとともに、キヨが突進を仕掛ける。
魔力の巨狼はさらに大きさと力強さを増し、ベリアルが放つ火炎弾をことごとくはじき返す。そして、キヨはとうとう灼熱の魔神との格闘戦を制し、その体を大地にねじ伏せた。そこへ、
「――――」
剣を大上段に構えたデリックの姿が。
だが、銀腕の巨漢は激闘の只中にいることが信じられないほど、あまりに静かに立ち尽くしている。
全身から満ち溢れていた闘志と魔力が、跡形もなく消えているのだ。
まるで一本の枯れ木にでもなったかのようなデリックの変容。
しかし、彼から剣を教わったキヨは、ただ事ならぬ気配に気づいた。
少女の荒々しい獣の力とは違う。理合によって磨き抜かれた、人の技。
父が振るうザイデン流剣術の奥義は、剣士が培ってきたすべての能力を、わずか一太刀に込める超絶の技。――その名も、
「【清浄の剣】」
キヨが秘剣の名を呟いた瞬間、デリックの姿が朧のように掻き消えた。
そして、目で見ることも、耳で聞くこともできぬ間に、銀腕の巨漢は残心をとっている。
覚醒した少女の五感ですらとらえることのできない、まさに神速の剣。そしてその威力たるや――
「おお、やった」
平坦な口調でサティアが呟く。
灼熱の魔神の顔面が、真っ二つに切り割れたのは、すぐ後のことだった。
「……この子たちまで、呉れてやるつもりはない」
物言わぬ亡骸に変じたベリアルを前に、万感の思いを込めて呟くデリック。
「やった! 凄いよお父さんっ!!」
そんな父に、満面の笑顔を浮かべて抱き着くキヨ。
親子二人で、否、ウルザブルンが成し遂げた魔神退治の偉業。まだ「黒の世界樹」は健在だが、少女はひとまずの勝利に快哉を叫ぶ。が、
「って、あれ、あれれ……」
「む、キヨ! どうしたっ」
犬耳少女はふらふらとその場に座り込んでしまう。
見れば、彼女の背後の巨狼は消え、手足も人間のそれへと戻っている。
「あれほどの力を使えば無理もない。……気分は悪くないか?」
「あ、うん。……で、でも、全然力が入らないよ」
覚醒の反動が出たのだろう。キヨは立ち上がることさえままならない様子である。
デリックはすぐさま愛娘を抱き上げると、部下たちのもとへ下がった。
魔神が死したことで、その魔力によって発生した炎は跡形もなく消えたが、類焼した火はその限りではない。付近からは離れたほうがいいだろう。
「二人とも、凄かった。でも、次どうする?」
と、いつの間にか人員を取りまとめていたサティアが尋ねてくる。
部下の駆除人たちには目立った損耗はなく、冒険者たちにも無事な者は多い。
対策本部が壊滅し、ギルド長の行方が知れぬ今となっては、彼らが頼れるのは魔神を討ち果たしたデリックだけなのだ。
「戦力を集結させねば、魔物の猛攻は防げまい。……魔導士諸君。各所の冒険者に伝令を頼みたい」
己に寄せられる期待を悟ったデリックは、厳かな口調で生き残りの冒険者たちへと語りかける。
事ここに至っては、もはやギルド、ウルザブルンとで相争っている状況ではないのだ。彼は全責任を負う覚悟で、冒険者たちに指示を下す。
「あの、お父さん……」
その時、デリックに抱きかかえられていたキヨが、疲労をにじませた声で話しかける。
「しゃべってはいかん。ゆっくり休みなさい」
「「黒の世界樹」は、まだ倒れてませんか?」
気遣う父に、真剣なまなざしでキヨが尋ねる。
「……ああ。「黒の世界樹」は健在だ」
山脈の彼方には、もはや天にも届こうかという大きさに成長した巨木が、依然として魔物を吐き出し続けている。
このままでは、ベリアルのような怪物がまた現れるのも時間の問題だ。だが、
「案ずるな。ロット殿は必ず成し遂げてくださる」
穏やかに愛娘へと告げるデリック。
励ましのための嘘ではない。彼は自らが見込んだ男を心から信じている。そして、
「はい。きっと、です」
「ん。でも社長。ちょっと手間取ってる?」
キヨとサティアも、揺るぎない信頼をロットに寄せる。
彼女たちを導き、育て上げてくれた大賢者が、敗れるはずがない。
「ええ。ですから、私たちも、できることをしましょう」
――そこへ、玲瓏たる女性の声が響く。
熱波の吹きすさぶ灼熱地獄に、凛然たる立ち姿のまま現れたのは、金髪碧眼の美少女プリシラ・ダンストンだ。
非戦闘員として現場に居合わせた彼女は、しかしベリアルの襲撃に際して、逃げ出さずに冒険者たちの治療にあたっていたのだ。
「我らウルザブルンは魔物から人々を守ることが務めです。――社長にだけ、残業はさせられませんわ」
嫣然と微笑むプリシラ。
彼女は愛する男の勝利を微塵も疑わない。
ロットの掲げた理念と、彼とともに作り上げた会社は、いかなる敵にも負けないのだ。
遥か彼方で激闘に身を投じる青年の姿を、誰もが心に思い描く。
そして彼に胸を張って報告できるよう、皆は再び仕事を始めた。




