40 黒の世界樹 宿敵
ニビア山脈の麓の採掘場。冒険者ギルドの対策本部が置かれたその場所には、地獄が顕現していた。
紅蓮の炎が建物を焼き尽くし、周囲の木々にも燃え移る。
天まで焦がさんとばかりに燃え盛る業火の中心には、異形の人型が立っている。
翼と尾を生やした身の丈十メートル余りの巨人は、黒曜石を思わせる体表から膨大な魔力を放出している。その魔力が炎となって、巨人の全身を覆っているのだ。
怪物の名はベリアル。魔物の中でも竜種と並んで最高位に位置する魔神である。
ギルドではSS級に指定される、国家を滅ぼしうる大災厄だ。
「黒の世界樹」によって地上に招き寄せられた怪物は、本能に従い人間を抹殺せんと動きだす。
だが、その天変地異にも等しい巨人に、ひとり敢然と立ち向かう男が。
「むん!」
銀の腕を生やした壮年の巨漢が、目にもとまらぬ速さで長剣を振るう。
閃く剣光は魔神の業火をも切り裂き、岩のような肌に浅い傷をつける。
灼熱地獄で怪物と戦っているのは、ウルザブルンの駆除人デリック・ローナンだ。
飛来した怪物が魔神ベリアルであると推測した彼は、部下を引き連れてギルドの救援へと赴いた。
だが、対策本部の近くに現れた魔神は、すでに付近一帯を火の海に変え、冒険者たちは半壊に追い込まれていた。
ギルド長のアンドリュー・マイルズまでもが行方不明である。生き残った冒険者はそれなりにいたが、炎にまかれて右往左往していた。
そこへ駆けつけたデリックは、ともかく態勢の立て直しを図った。部下に冒険者たちを救助するよう指示する。
その間、魔神を抑えるのは彼だ。
部下たちの技量で魔神と相対するのはあまりに無謀。この場でまともに戦えるのは、達人たるデリックしかいない。
「っ、ロット殿に感謝せねばな……」
それでも魔神は人間が単独で戦える相手ではない。
十余年前にベリアルと戦った時は、デリックは右腕を失う重傷を負い、二人の仲間が死亡した。
彼が魔神を抑えることができているのは、新たに覚えた魔法のおかげだ。
常人ならば近づいただけで大火傷を負う熱波を、ロット直伝の防護魔法は完全に防いでいる。
また、ウルザブルンでの一年余りの日々で、デリックはさらに剣の蘊奥を極めた。彼は今こそが最盛期なのだ。
「はっ!」
逆巻く炎を切り抜けて、デリックが剣を振るう。魔力を伝播させた【拡張斬撃】で、狙うのは首筋だ。
が、剣は魔神の薄皮一枚を裂くにとどまった。
怪物の全身から放たれる魔力の炎が障壁となり、刃を阻んだのだ。
「むぅ……」
ワーム程度ならたやすく両断する一撃が、なんの成果もあげられない。全身全霊の一撃でなければ、この魔神にダメージを与えることは不可能だろう。加えて、
「っ――」
ベリアルの苛烈な攻撃を、いつまでも凌げるものではない。
魔神の翼からは数十発もの火炎弾が放たれ、丸太のような尻尾は鞭のように周囲を薙ぎ払う。のみならず、ベリアルは己の手に灼熱の槍を作り出し、それを縦横無尽に振り回す。
たとえ防護魔法をかけていても、直撃すれば致命傷となるだろう。
「これしきで、俺を殺れると思うなっ!」
怒号一喝、デリックは神速の剣技を振るう。
いくら勝ち目が薄くとも、ここで引くわけにはいかない。
周囲には彼の教え子たちが、懸命に救助活動に励んでいるのだ。そしてこの山脈の奥地では、彼の愛娘とその友人、そして敬仰する友が戦っている。
たとえこの身が消し炭になろうとも、戦い続ける覚悟である。だが、
「な――ぐぅっ!」
魔神の猛攻はとどまるところを知らない。
攻撃を避け続けるデリックを難敵と見たのだろう。ベリアルは魔力を高めると、熱波へと変じて全方位へとまき散らした。
まるで地上に太陽の欠片が現れたかのような、すさまじい爆発。
デリックはとっさに呼吸を止め、目鼻を腕で覆って防御するが、熱波は防護魔法を貫いて彼の全身を焼き焦がす。
「ぬうぅ……」
衝撃波に吹き飛ばされながらも、すぐさま態勢を立て直すデリック。
だが、身を包む防具は所々が炭化し、その下の肉体も無残に焼けただれている。
剣を支えに立ち上がろうとするが、もはや感覚すら曖昧なほどの怪我では、それも難しい。
「っ……」
瀕死のデリックを眺め見て、ベリアルは再度魔力で炎の槍を生成する。
そしてとどめを刺すべく、灼熱の槍を大上段に構えた。
もはや絶体絶命。――その時、天地を震わす神狼の遠吠えが響いた。




