36 黒の世界樹 攻撃班
尾根から見下ろす景色には、明らかな異物があった。
彼方の山の頂から、黒い亀裂が天へと伸びている。まるで風景画に黒いインクで描かれたようなその物体こそ、無尽蔵に魔物を召喚する破滅の門「黒の世界樹」である。
「今ならまだ、比較的楽に消せるか」
目視で標的を確認し、そう呟いたのは大賢者のロットだ。
彼は部下のキヨ、サティアを連れて、ニビア山脈を覆う森を慎重に進んでいた。
「ほ、本当ですか? アレ、とっても大きいですけど……」
「そもそも、どうやって消す?」
犬耳少女と黒髪少女の疑問はもっともだ。
まだ距離があるため小さく見えるが、「黒の世界樹」は百メートルを優に超えているだろう。
その上、只でさえ巨大な世界樹は、実体のない魔力の塊だというのだ。そんな代物を個人でどうこうできるのだろうか。
「それはまあ……俺にも秘策があるんだ」
青年は一旦説明しようするが、長くなると判断したのか適当に言葉を濁した。
ともあれ、彼の発言に嘘は無い。一年と少し前に討伐した「黒の世界樹」は、全長は千メートルを超えていた。誤魔化しやはったりではなく、現段階なら近付くことが出来ればすぐに消し去ることができるだろう。
「ただ、かなり魔物が出て来てるな。……急がないと」
漆黒の亀裂の周りを行き来する点々は、飛翔するドラゴンだ。
地上は木々に覆われて見えないが、竜種が出現しているなら、魔神や大魔獣クラスの魔物が召喚されていてもおかしくは無い。
今は「黒の世界樹」が発する魔力を好んでたむろしているが、時間が経てば餌を探して移動を始めるだろう。
「転移魔法って使えないんですよね」
「ああ。「黒の世界樹」の周囲は凄まじい魔力の渦が発生していて、何処に飛ばされるかわからないからな」
ロットは世界樹から視線をそらさず、キヨの質問に答える。
飛翔魔法も魔物の目を引くため、移動は徒歩だ。それも隠密行動を強いられているため、効率的には進めない。
方角を確認すると、一同は再び森林を移動し始める。
「ん、止まってください。風上から魔物の匂い――たぶん屍鬼です」
「迂回しよう」
気配探知の特異なキヨに従い、森をうろつく魔物を避けて進む。
ロットも探知魔法は使えるが、魔力に敏感な魔物なら、逆に居場所を悟られかねない。
息の詰まるような行進が続く。
空は晴れ渡り、清らかな陽光が降り注ぐと言うのに、森を覆う空気はどんよりと重たい。「黒の世界樹」が垂れ流される魔力が濃くなっているのだ。
「っ、不味いです。前からこっちに向かってきてます! しまった。風向きが変わって……」
キヨが言うが早いか、大地を蹴立てる蹄の音。そして木々をなぎ倒す凄まじい破壊音と共に、牛頭の怪物が現れた。
「ミノタウロスっ!」
キヨが叫ぶ。三メートルを超す筋骨隆々たる怪物は、その頭部にそぐわず人肉を好んで食す。好物の匂いを嗅ぎつけて一目散にやってきたのだ。が、
「遅い」
微かな風切り音と、サティアの呟き。
目にも留まらぬスピードで跳躍した少女が、手にした短剣で牛頭の怪物の首を深々と切り裂いたのだ。
なんの抵抗もできず、鮮血を撒き散らして倒れ伏すミノタウロス。
サティア、そしてキヨの腕前は本物だ。規格外の魔物とでも鉢合わせしない限りは、十分に戦えるだろう。だが、
「っ! かなりの数の魔物がこっちに来てますッ!」
「しまった。血の匂い」
派手にミノタウロスを斬り殺してしまったため、周囲の魔物が異変を察知したようだ。森のそこかしこから、地鳴りのような足音が聞こえる。そして、
「な、何っ!?」
突如として沸き起こった魔力の奔流に、キヨが警戒心を最大限に引き上げる。
まるで大気の壁が押し寄せるように森林を吹き抜ける濃密で不快な魔力。
その発生源は、探さずとも見つけることができた。
「まずい! 成長が始まったか!」
いかなる時も冷静なロットが焦燥を浮かべる。
視線の先、山の頂に聳える「黒の世界樹」が、凄まじい勢いで巨大化を始めたのだ。
見る間に数倍の高さへと伸び、幹の部分は太く育ち、遮るものなどないとばかりに枝を伸ばす「黒の世界樹」。
そして木々から枯葉のように舞い落ちる黒点は、そのすべてが魔物である。
「行ってくださいロットさんッ!」
とうとう訪れた危機的状況に、キヨが鋭く叫ぶ。
彼女たちの役割は、ロットを消耗させずに「黒の世界樹」まで送り届けることである。
不測の事態が起きた時の対処も決めてある。
すなわち、キヨとサティアが囮となって魔物を引き付け、青年を進ませるのだ。
「っ、わかった! 二人とも、いいか、必ず――」
「ん。危なくなったら、逃げる」
みなまで言わせず応じるサティア。
もちろん限界まで戦い続ける覚悟だが、こうでも答えなければ心優しい青年は前へと進めまい。
「――気を付けて」
「はい。ロットさんもっ!」
森の中へと姿を消す青年を見送り、キヨは剣を抜き放つ。
木々の奥からは、禍々しい気配が殺到しつつあった。
× × ×
そうしてどれ程時間が経ったか。
キヨとサティアは、森の中を縦横無尽に駆け廻り、追い縋る魔物たちをことごとく討ち果たしていく。
絶妙のコンビネーションを見せる少女たちには、上級の魔物であっても形無しだ。
ロットの進行を助ける。「黒の世界樹」から人々を守る。
決意と気迫に満ちた少女たちの刃を阻むものはない。だが、
「……サティアちゃん、大丈夫?」
「ん、ちょっと、キツイ」
切れ目なく襲い掛かる魔物たちを相手取り、流石の少女たちも疲弊の色が濃い。
「黒の世界樹」が成長を始めたことで、流れてくる魔物の量は増え続ける一方だ。このままでは遠からず限界が訪れるだろう。
「やっぱり、味方のところまで下がりましょう。このままじゃ持たないよ」
「賛成」
二人だけで魔物を相手にし続けるのは無茶だ。山脈を包囲する冒険者たちに合流しようと、少女たちは頷き交わす。その時、
「危ないッ!」
強烈な殺気に反応して、キヨが咄嗟に剣を構える。
森に響き渡る甲高い金属音。少女たちを襲ったのは、怪物の攻撃ではない。空を切り裂き飛翔する斬撃だ。
「ま、まさか――なんであなたがッ!?」
混乱と共にキヨが叫ぶ。
彼女の鋭敏な嗅覚は、姿を見ずとも襲撃者の正体を探り当てた。
もう二度と嗅ぐことはないと思っていた、幾重にも重ねられた血の匂い。
立木の合間から現れたのは、金髪を撫でつけにした凶相の男だ。
冷たく輝く刃を握るのは、ミスリルで作られた義手。
完治不可能なまでに破壊された右腕を、みずから切り落とすほどの執念。
「あの野郎は何処に行ったァっ!? 切り殺す前に答えろ牝ガキどもッ!」
ロットに敗れたS級冒険者トバイアス・ヘイルが、狂気を宿した顔貌で吼えた。




