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30 軋轢 大賢者の怒り



 遡ること少し前。

 その時ロットは、王都の南西に位置する湿地帯で、牛に似た姿の魔物カトブレパスの駆除を行っていた。

 カトブレパスは動きこそ鈍重だが、見た人間を即死させる邪眼を持つ非常に危険な魔物である。

 近隣住民が三人も犠牲になっており、ウルザブルンは早速駆除に取り掛かった。

 邪眼は一種の呪殺魔法であるため、あらゆる魔法に精通したロットがこの案件を担当することになったのだ。

 彼は沼に潜む怪物を駆り立て、空間操作魔法で首を切り落とし、眼球に残る呪毒を丁寧に解呪した。

 そして死体を引き上げ、村人に報告しようとした時、異変が起きた。


 ――彼の首に下げた認識票が、淡い光を放ちだしたのだ。

 その魔力の波長は、味方の危機を示すもの。誰かの認識票から発せられた救難信号を受信したのだ。

 送信者はサティア。ロットは知らせを受け取った瞬間、その場から霞のように消え去った。

 空間転移魔法で少女たちが向かった現場付近に移動する。

 そして飛行魔法で高空に飛びあがり、探知魔法で付近を調査。

 岩山の上から救難信号が発せられていると知ると、彼はまさに弾丸の如き速度で飛翔し、社員たちのもとへと駆けつけたのだ。



   ×   ×   ×


「ロット、さん……」


 絶体絶命の窮地に現れた青年に、キヨが安堵と歓喜を滲ませてそう呟く。

 青年は目配せだけで応じ、まよいなく彼女たちが相対する男、トバイアスへと歩み寄る。


「あーそうか。君が社長さんだったのか。とすると困ったな。そこまで突っ込むつもりはなかったんだけど……」


 剣を手にした凶漢は、興を削がれたように息をつき、何やらぶつくさと独り言を漏らしていたが、


「まあいいや。ギルド長が上手く隠蔽してくれるでしょ」


 言うが早いか【拡張斬撃】をロットの首筋目がけて振るう。問答無用の不意打ちである。


「――っ!? へえ、なかなか動けるね」


 ――が、その一撃は大賢者の杖によって容易く阻まれる。

 感嘆するトバイアスに、ロットはなおも無言のままだ。ただ微かにうっとおしげな視線を向けると、踵を返して少女たちの元へと近づいた。


「なるほど、その子たちに仕込んだのは君か。なら使えるのも当然だね。――魔導士と侮って悪かった。こいつは楽しめそうだ――っておいおい、どうした?」


 機嫌よく舌を回すトバイアスは、突如として背を向けたロットに虚を突かれる。

 ロットは殺し合いを求める凶漢にはまったく取り合う様子もなく、満身創痍の少女たちに歩み寄ると、


「よく頑張った。もう大丈夫だよ」


 どこまでも優しく、穏やかに語りかける。

 そしてすぐさま治癒魔法を唱える。二人は共に重傷を負っていたが、わずか数秒で痕も分からないほど綺麗に傷は癒えてしまった。

 ただ、失った血液、消耗した体力まではすぐには戻らないので、彼女たちが依然として動けないことには変わりない。


「あの、私、わたし……」

「あいつ、要救助者殺してた。で、私たちも襲われた」

「分かった。安心してくれ。もう絶対に安全だから」


 感激に言葉も出ないキヨに、座ったまま端的に事情を説明するサティア。

 ロットはそんな二人をそっと撫で、激闘をねぎらってやる。と、


「あのさ。社長さんだか何か知らないけど、あんまり余裕ぶるのはかえってダサいよ。そういう台詞はさ、実力を示したあとに吐かないと」


 完全に無視される形となったトバイアスが、苛立ちも露わに吐き捨てる。

 しかし、ロットは依然として何の反応も寄越さない。慈愛に満ちた面差しで、部下から話を聞き続けている。


「もういいや。勝手に始めさせて――あぁッ!?」


 ロットの態度を露骨な挑発と受け取ったトバイアスは、青年の背中に斬撃を送り込もうとして――驚愕に目を見開いた。


「な――なん、お前ッ! 何をしたッ!?」


 トバイアスの右腕が、剣を振りかざした状態で固まってしまったのだ。

 肩から指先にいたるまでが透明な石膏に覆われてしまったかのように、ぴくりとも動かない。

 この異常事態に、然しものS級冒険者もパニックに陥る。


「く、魔法か!? 何時の間に……【解呪】! くそ、なんだこれ、呪いじゃないのかッ!?」


 魔法の心得もあるトバイアスは、すぐさま我が身の異変を解消しようとするが、彼の知るどんな呪文を唱えても、右腕は一向に動かない。

 当然だろう。この現象を引き起こしたのは、ロットの【空間制御】魔法だ。

 大賢者が編み出した超絶の魔法は、空間そのものを自在に操ることができる。魔法を齧った程度のトバイアスでは、術を解くどころか解析すらできまい。そして、


「ぐっ、ぎゃぁああああぁぁああっ!!」


 ごきゃり、と異様な音が響き、トバイアスの喉から絶叫が(ほとばし)る。

 固定された彼の右腕が、肩、肘、手首の三か所で、三百六十度ずつ回転したのだ。


「があぁぁぁぁああっぁあっ!!」


 異常な捻じ曲がり方をした腕が、早くもどす黒くうっ血している。

 トバイアスは顔面から脂汗を流しながら、途轍もない苦痛に狂乱している。


「なんだ。遊び半分で人を斬る割に、自分の痛みには敏感なんだな」


 空間に腕を固定され、膝を付くことすらできずに悶絶するトバイアスに、ようやっとロットが話しかける。

 だが、その声音、面差しは氷のように冷たい。普段の彼を知る者からすれば、想像もできない冷酷さだ。


「くそ、殺すっ! 殺してやるぞ糞野郎! 手前の腹掻っ捌いて内臓をガキどもに喰わせてやるっ!!」


 激痛に正体を失ったトバイアスが、口の端から泡を吹きながら呪詛を撒き散らす。

 ロットは吠えかかる犬でも見るかのように眉を顰めると、


「流石はS級冒険者、随分と余裕じゃないか。――鶏みたいに首を捻られても、まだ口が利けるか試してみようか」


 およそこの青年には珍しいほど、悪意に満ちた言葉を吐く。

 そしてのた打ち回る男へと手をかざし、


「ろ、ロットさん――」


 次の瞬間、背中に暖かく柔らかな衝撃が走る。

 疲弊しきった身体を懸命に動かして、キヨが青年へと抱きついたのだ。


「こ、殺しちゃ駄目です! そんな人に、ロットさんが手を下しちゃ……」


 そして、犬耳少女は震える瞳で訴える。

 快楽殺人鬼に襲われ、死の淵にまで追い込まれたキヨは、それでもトバイアスの助命を求める。

 心根が優しいからだけではない。彼女は真剣に、ロットに殺しをしてほしくないのだ。なぜなら、


「私たちは魔物から人を守るのが仕事で、だから、だから……」


 正当防衛ならいざ知らず、自由を奪った人間を処刑するのは、彼らが掲げた誇りを穢す行いだ。

 ロットはギルドへの対抗意識から会社を興した訳ではない。

 ただ、魔物から人々を護る盾となる。

 誇りあるウルザブルンの社長として、少女たちを導く大賢者として、外道の流儀に付き合う意義など一欠けらとてありはしないのだ。


「……ああ。キヨの言う通りだ。どんなに下劣な輩でも、一応は人間だ。むざむざ、コイツと同じ場所まで降りてやることはないな」

「ロット、さん――」


 慈愛に満ちた表情で礼を述べるロットに、キヨは感極まってさらに力を込めてしがみ付く。


「まあ、実際のところ、今コイツに死なれると不味いことになる。――少し、思案が必要だな」

「がっ! ぐぅ――」


 そう言いつつ、ロットは魔法で喚き散らすトバイアスを失神させた。

 以前からくすぶっていたギルドとの火種が、もっとも悪い形で爆発してしまったのだ。かじ取りを間違えれば、会社の存続に関わる問題になるだろう。トバイアスの首をねじり折るのは得策ではない。

 先々起こるだろう問題を予想し、どう収拾を付けるかを模索し始めるロット。だが、


「っとと、分かった、分かったから。落ち着いて、キヨ」

「ううぅ~!!」


 早急に解決しなければならないのは、感極まって泣きじゃくる犬耳少女をどう慰めるかだ。

 ロットは何とかキヨを落ち着かせようとするが、少女は子供のように縋り付いて離れない。そして、


「社長、疲れた。だっこして」

「ああこら、サティアまで……」


 黒髪の少女まで、便乗するように駄々をこね始めた。

 ロットは少女たちの我儘に苦笑を浮かべるも、


「――とにかく、二人が無事でよかったよ」


 心からの安堵と共に、そう呟いた。




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