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小説を途中で書くのをやめるとどうなるか  作者: アン・マルベルージュ
9/13

不穏な夜

 良太は自分の目を疑いたくなった。出版社から電話がかかってきたということは、つまり受賞はならずとも出版にこぎつけるチャンスを手に入れたということだ。

 今良太は面接の時以上に緊張していた。二次審査を通過した時は感動もほとんど無かった。以前の良太ならばもう少し喜んだかもしれない。しかし沙希という自分を満たしてくれる存在がいるおかげで二次審査を通過した程度では大して嬉しくもなかった。

 だが今回は訳が違った。心臓がうるさいくらい激しく鼓動を刻み、めまい、そして胃が何者かに握られているかのように痛む。自然と呼吸が早くなる。

 すぐに折返しの電話をするべきだ。そう思っているのに指が固定されてしまっているかのように動かない。

 良太はディスプレイを見つめたまま動きが取れなくなっていた。周りから聞こえる音、体を通り過ぎていく風、感覚がシャットアウトされてしまったかのように何も感じられなくなっていく。

 十中八九良い報せだ。電話をかけてきてまで落選させる理由がそもそも良太には思いつかなかった。それでも良太はなかなか踏ん切りがつかなかった。

 良太は一度大きく深呼吸をした。そして音が鳴るほど強くディスプレイをタップして武田文学社へ折返しの電話をかけた。

 呼び出し音が2回鳴ったところで電話がつながった。

「はい、武田文学社文庫編集部です」

 初老くらいの男性と思われる声だった。

「あ、あの……私、佐藤良太と、申します。少し前に、そちらから電話がありまして、あの、折返しさせていただきました」

 緊張のあまり、良太は亀が甲羅から少しだけ頭を出したような縮こまった姿勢になってしまっていた。

「ああ、折返しありがとうございます。私、先程ご連絡させていただいた編集の水野と申します。今回は『武田文庫ハードボイルド小説新人賞』にご応募頂きありがとうございます。これから三次審査が始まるのですが、それとは別に佐藤さんの応募作品を読ませていただいて、是非弊社から出版させていただければと思い連絡させていただきました」

 水野と名乗った男の口調は丁寧だったが、どこかきっぷの良さを感じる声をしていた。

「はい、それは、ありがとうございます」

 良太は意識して冷静な口調で答えた。

「つきましては、一度弊社にお越しいただけないでしょうか? 今後の詳しい話についてもそこでさせていただこうと思っています」

「あ、あの、すみません、今のこの場で決めないといけないでしょうか?」

 すでに良太の今月のバイトのシフトは決まっているため、この場で「この日ならば大丈夫です」と言う事はできた。だが良太は一度頭を落ち着けたい気分だった。

「もちろんです。応募フォームに入力してあったメールアドレスに私からメールを送っておきますので、そちらにご連絡をお願いします」

「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」

 良太は電話を切ると大きなため息を吐いた。

「まさか通っちゃうなんてな」

 良太は頬を引きつらせながら笑った。

 自分の小説が認められたという事実は嬉しかった。しかし、なぜよりによって違う道を歩もうとした矢先でなのだろう。確かに小説家の道を諦めてサラリーマンとして生きていこうと決めたのは自分だ。それでも、間が悪すぎる。どうしたらいいか考えるのが面倒だ。良太はそう思わずにはいられなかった。

 帰り道良太は家につくまで自分はどうするべきなのか考え続けた。そして一つの答えを出した。


 良太が帰宅すると、沙希は何かの本を読んでいた。

 沙希は立ち上がると良太に近づきながら「おかえり」と微笑みを浮かべ、良太を出迎えた。

 良太も笑顔で「ただいま」と返す。

 良太が上着をハンガーにかけていると、沙希が後ろから「ねえ、面接どうだった?」と気がかりな様子で問いかけた。

「うーん、どうだろうね。上手くやれたとは思うけど、そういう時に限って落とされるってこともあるだろうし」

 良太は遠くを見つめているような表情で答えた。

「ところでさ、沙希」

 良太は沙希を真剣な表情で見つめた。

「ん? 何?」

 沙希も良太を見つめ返す。

「沙希が俺の前に現れる前に、沙希と同じように俺の小説から現れた倉田さんという人がいたって話をしたと思うんだけど、覚えてる?」

「倉田さんって名前は初めて聞いた気がするけど、私が良太の前に現れる前にいた人の話は覚えてる」

「その倉田さんの小説を完成させて新人賞に応募してたんだけど、出版社から是非出版したいって連絡があった」

 それを聞いた沙希の表情はまるで花が開くように満開の笑顔に変わった。

「えっ、本当!? おめでとう良太!」

 沙希は反射的に良太に飛びつき、抱きついた。

「うん、ありがとう」

 良太は沙希との温度差を感じながら、沙希を抱き返した。

「せっかく面接に行ったのにムダになっちゃったね。でも仕方ないよね」

 沙希が良太の耳元でささやく。

「ん? どういう事?」

 言葉の意味が理解できず、良太は聞き返す。

「え、小説家になるんだから社員になるのはやめるんじゃないの?」

 沙希の口調は「何でそんなことを聞くの?」と言わんばかりのものだった。

 良太は黙って沙希との抱擁を解いた。そして若干困惑している表情の沙希に、

「もし受賞できなかったら、辞退しようと思ってる」と淡々とした口調で言った。

 新人賞は受賞すれば賞金が出る。しかし、受賞ならずともそれとは別に編集者の目に止まった作品が出版されることもある。良太の場合は受賞作が決まる前に編集者から声がかかったというだけで、まだ受賞できるかどうかは分からない。

「……どうして?」

 沙希は悲しそうな表情で良太を見た。

「安定しないからだよ。確かに当たればサラリーマンをやるよりは高収入を得ることができるかもしれない。だけど、新人の俺がいきなりそんな風になることなんてまずありえない」

「確かに最初はそうかもしれないけど、いつかはそれなりに売れるようになれるかもしれないでしょ」

 沙希はすがるような目つきで訴えかけた。

「まあ絶対に無いとは言い切れないけど、だけどそれはいつになるか分からないよね。そして俺はその『いつ』が来るまで待っていられる余裕がない。貯金にそこまで余裕があるわけじゃないって前に言ったよね?」

「じゃあ、切り詰めよう? 私本当は何かを食べたり、お風呂に入ったりしなくても大丈夫だって良太も知ってるよね?」

 沙希は無理に作ったような笑顔と身振りをしながら言った。

「あのさ、俺だけ飯を食べろって言いたいの? いくら沙希が大丈夫だって言ってもそんなこと出来るわけ無いだろ?」

 良太は冷静に、諭すような口調で言う。

「大丈夫! 私は本当に大丈夫だから!」

 実際、沙希は普通の人間の体とは違うのだから本当に大丈夫なのだろう。しかし良太は大丈夫ではない。確かに自分だけ食事をし、自分だけ風呂に入るようにすれば沙希と一緒に住む前とさほど出費が変わらないようにはできるだろう。だが、そのような生活を送るようになれば良太は間違いなく罪悪感に苛まれることは想像に難くない。

「沙希がいくら大丈夫だって言っても、俺が大丈夫じゃないんだよ。沙希がいくらおいしいご飯を作ってくれたって食べるのは俺だけなんて、とてもじゃないけど無理だよ」

 良太は苛つきを抑えながら冷静な口調で答える。

「私が大丈夫だって言ってるんだからいいでしょ!」

 沙希が声を荒げる。

 良太は思わずため息をついた。

「あのさ、もうちょっと俺のことも考えてよ」

「考えてるでしょ」

 沙希がすかさず言い返す。

「考えてないよ。そんな生活のどこがいいんだよ」

 ここまで感情を抑えていた良太も、口調に不機嫌さが滲み出していた。

「私は、良太と一緒にいられればそれだけで幸せだから」

 沙希は拳を握りしめ、強い意志の籠もった目で良太を見つめる。

「……やっぱり、普通の人間じゃないから分かり合えないのかな」

 良太は沙希から視線を逸し、自虐的な口調で小さく呟いた。

「そういう言い方ないでしょ!」

 沙希は声を張り上げた。その表情はどこか悲しそうで、顔は紅潮していた。

「実際そうじゃないか。……ねえ沙希。分かってよ。これはニ人で生きていくために必要なことなんだよ」

 良太はなだめるような口調で話しかけながら沙希の肩を掴んだ。 

「私は、良太に我慢してもらってまでそんな生活したくない!!」

 沙希は良太を振り払い突き飛ばした。そして怒りと悲しみの混じった表情で目から大粒の涙を流しながら部屋を飛び出していった。

 突き飛ばされ尻餅をついた良太はしばし呆然としていたが、沙希に酷いことを言ってしまった事に対しての後悔の念が遅れてやってきた。

「俺、なんであんなこと言っちゃったんだろう」

 良太は床を呆然とした表情で見ながらため息をついた。

 沙希は自分と一緒にいられればそれで幸せと言ってくれた。そんなことを言ってくれる女の子なんてこの世に沙希以外存在しないだろう。あそこまで意固地にならなくても、お互いの妥協点を見つけられたはずだ。それなのに沙希にひもじい思いをさせたくないという男としてのプライドを優先して、彼女を傷つけてしまった。

「探しに行かなきゃ……」

 良太は立ち上がり、部屋を飛び出した。

 

 良太は家の周りを走り回って沙希を探し続けた。家の周りを一通り探したあと、駅の方角へ向かう。しかし、沙希は見つからなかった。

「沙希、どこへ行ったんだ……?」

 沙希の身体能力ならば遠くまで行くことが出来てしまう。もし遠くまで沙希が行ってしまっていた場合、見つけ出すことは絶望的だった。

 駅周辺を探したあと、家に戻ってきている可能性に賭け、一旦帰宅することにした。

 帰宅途中、沙希と以前デートした公園が視界に入る。

「まさかな……」

 良太は公園に足を踏み入れ、以前ニ人で身を寄せ合ったベンチがある場所へ向かった。

 沙希はベンチに一人寂しそうな表情で座っていた。街灯で薄暗く照らされ、良太には沙希の表情が一際悲しそうに感じられた。

「沙希!」

 声に気づいた沙希が視線を上げる。

 良太は沙希の元へ駆け寄ると、「沙希、ごめん。俺が悪かった」と言いながら頭を下げた。

「うん」

 沙希は曖昧な笑顔を浮かべながら短く答える。

「帰ろう」

 良太は沙希に手を差し出す。沙希は良太の手を取り、立ち上がった。

「良太、ごめんなさい」

 沙希が良太から視線を逸しながら小さい声で言う。

「いや、俺の方こそごめん」

 良太は努めて優しい口調で言いながら沙希を見る。

「ねえ、良太」

 相変わらず沙希は良太の方を見ようとしない。

「なに?」

「ここからどうやって家に帰るの?」

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