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小説を途中で書くのをやめるとどうなるか  作者: アン・マルベルージュ
8/13

疑問から生じる疑問

 その日のバイトを終え帰宅した良太は、沙希に店長から社員にならないかと言われたことを話した。

 沙希の反応は良太が思った以上に薄かった。

「そうなんだ、おめでとう」

「うん、ありがとう」

 良太は沙希の反応が薄いことが少し引っかかったが、深くは追求しないことにした。


 その日の夕食を終えた良太は、履歴書を作成するためにノートパソコンを立ち上げた。沙希と恋人になってから小説を書くことがなくなってしまったため、ノートパソコンを立ち上げるのは久しぶりだった。

 久しぶりにノートパソコンを立ち上げたためか、立ち上げてしばらく経つと更新プログラムが次々に走り、動作が一気に遅くなった。

 良太のノートパソコンは購入してからかなり経っている。良太がそろそろ買い替えかなと思いつつエクスプローラーを開くと、ハードディスク容量が残り僅かになっていた。容量を空ければ多少はマシになるだろうと、良太は履歴書を作る前にハードディスクの整理をすることにした。

 フォルダを行ったり来たりしながら不要なファイルを消していると、ふと今までに書いた小説が保存してあるフォルダが目に止まった。フォルダを開くと、フォルダ内は更新日時降順でソートされているため、沙希が主人公の『キッチンナイフ・ガール』が一番上に来ていた。他にやることがあると、つい他のことをしたくなってしまうものだ。カーソルを合わせ、ファイルを開く。画面上には良太が長年使っているテキストエディタが表示される。走り気味に書きかけの『キッチンナイフ・ガール』を読み進めていく。

 書きかけの『キッチンナイフ・ガール』を最後まで読み終えたことで、以前から良太の頭の中にあった疑問がさらに大きくなった。

 小説の中の沙希は、怪物として描かれている。人間離れをした怪力を持ち、自分の欲望を叶えるため他人を包丁で脅すくらいは平気でやる。それでも相手が首を縦に振らない場合は大事にならない程度に包丁で相手の体を傷つけ、自分の欲望を叶えていた。しかし、序盤であまりにも好き勝手に暴れ回らせてしまったせいで続きが思いつかず、放置されてしまっていた

 最初に良太の前に現れた沙希は確かに小説の中の沙希そのものだった。しかし今の沙希はどうだろうか。作中では料理上手な描写など全く無いし、乙女な一面があるという描写も当然ない。今の沙希は『キッチンナイフ・ガール』の辻桐沙希とは明らかに別物になってしまっている。

 だが、倉田も沙希も汗をかかない、寝る必要がない、着ている服がシワにならない等と言った『常に作品の登場人物としての姿を維持する力』を持っていた。それなのに沙希は変化している。そしてその変化は何によって起こされたのか。そしてなぜその変化が選ばれたのか。

 いつの間にか良太は履歴書を作るという本来の目的を忘れ、沙希がなぜこうなってしまったかについて考えていた。しかし、いくら考えても納得の行く答えは思いつかなかった。

 良太がノートパソコンの前で腕を組んで物思いにふけっていると、沙希が後ろから良太の頭に抱きついてきた。ふわりと沙希の甘く柔らかい香りが良太の鼻孔を刺激する。

「何してるの? ……あれ、これ私の小説だよね?」

「う、うん、そうだよ」

 何か悪いことをしていたわけではないが、良太はどことなく後ろめたさを感じた。そしてその後ろめたさが沙希にはばれないように意識しつつ答えた。

「続き書いてたの?」

 沙希は無表情でじっとディスプレイを見つめながら言った。

「いや、ただ見返してただけだよ」

 沙希は「そう」と短く答えると、

「ねえ、私の前に現れた人は、小説を完成させたあと消えちゃったんだよね?」と良太に問いかけた。

「そうだね。目の前で前触れもなく消えたよ」

「じゃあ、私の小説はもうこれ以上書かないでね」

 沙希はマウスを操作してエディタを閉じた。

「あ、うん、そうだね。そうするよ……あ、履歴書書くのを忘れてた!」

 良太は苦い表情をしながら頭をかいた。


 3日後。

 その日出勤した良太は店長に履歴書を手渡した。

 店長はクリアファイルに入った履歴書を確認すると、「オッケー。面接が決まったらまた連絡するわ」と答え、良太の履歴書を本社に提出する書類を纏めた引き出しに入れた。

「そういえば、本社の場所知ってるだろ? ここからちょっと遠いところにあるんだが、本社までの交通費は支給されるらしい」

「あ、そうなんですね。それはよかった……」

 良太と店長が本社までの交通費の話をしていると、事務所に清水が入ってきた。

「おはようございます。……あれ、店長と佐藤さんが話ししてるの珍しいですね?」

「ああ、こいつ社員登用試験受けるんだよ」

「へえ、そうなんですね」

 清水はあまり興味なさそうに笑った。

 思った以上に清水の反応が薄く、良太は違和感を覚えた。しかしそれはわざとだったようだ。店長が事務所から出ていくと、

「佐藤さん、どうしたんですか? 小説はもういいんですか?」と心配するような口調で清水が言った。

「うん、そうだね。なんていうか、もう小説はいいかなって思ってさ」

「もしかして、沙希ちゃんが理由ですか?」

 清水の読みは鋭かった。

「そうだね。やっぱり恋人いるとお金かかるしね」

「それはそうかもしれませんけど、沙希ちゃんってお金かかりそうな女の子には見えなかったんですけどね」

「まあ、色々あってさ。それにいつまでもフラフラしてるのもどうかなって思って」

 まさか一緒に住んでいるなんて言えないなと思いながら良太は曖昧に笑った。

「そういえば前に書いた小説、一次は通ったって言ってましたけど、二次はどうなったんですか?」

「あ、すっかり忘れてた!」

 完全に二次選考の事を忘れてしまっていた良太は、思わず大きな声を出した。

「もう結果って出てるんですか?」

「たしか、もう出てるはず」

「じゃあ、今見ませんか?」

 良太はうなずくとポケットからスマートフォンを取り出し、結果を確認した。少しだけ緊張はしたが、一次審査を確認したときのように怖くて見られないということはなかった。

「あ、通ってますよ!」

 横からディスプレイを見ていた清水が、良太より先にニ次通過作品のリストから『俺は夕焼けの港に静かに佇む』を見つけた。

「マジかよ……」

 良太が昔必死で小説を書いていた頃でも二次を通過することはまれだった。それが久しぶりに突貫工事のように書いた小説が二次を通過してしまったことに困惑を隠せなかった。

「佐藤さん、すごいじゃないですか! 二次も通っちゃいましたよ!」

 清水がテンション高く良太の肩を掴み、良太の体を揺らす。

「ああ、ありがとうございます。まさか二次も通っちゃうなんて思ってなかったです」

 困惑のあまり、清水への話し方が以前に戻ってしまった。

「佐藤さん、二次通ったんですよ? なんでそんなにテンション低いんですか?」

 良太のテンションがあまりにも低いためか、清水は少し不満げな表情を見せた。

「ああ、なんていうか、信じられなくて」

 良太のテンションが低いのは、沙希という恋人の存在が理由だった。もちろん二次通過をしたことが全く嬉しくないわけではない。だが沙希という自分を愛し、認めてくれている存在ができてしまっているため、良太はある程度は満たされてしまっていた。そのため新人賞で結果を残そうが残すまいが、割とどうでもよくなってしまっていた。

 しかしそのような事を清水に言うわけにも行かず、良太は嘘をついてごまかした。

「まあ、そうですよね。あ、佐藤さん一次の結果のときもガチガチでしたもんね」

 清水は白い歯を見せて笑った。

「う、うん、そうそうそう! 今回もドキドキしててさ」

 良太は自分の本当の感情を隠すように少し大げさに身振り手振りをしながら答えた。

「そういえば、その後ってどうなってるんですか?」

「確かに。調べてみよう」

 話題が変わったことに内心安心しつつ、良太は募集要項のぺージを開いた。

「えーと、三次通過者には担当編集が付き、最終選考で受賞できなくともデビューに向けてバックアップします。だって」

「ってことは次通れば佐藤さん作家デビューじゃないですか!」

 一際テンション高く、清水が目を輝かせた。

「まあ、通ればね」

 妙にテンションの高い清水に若干困惑しながら良太は苦笑した。

「社員になるかどうか、三次通ってから決めても遅くないんじゃないですかね?」

「いやいや」

 作家デビューしたからと言って食って行ける保証はどこにもない。確かに当たればサラリーマンをやるより遥かに大きな収入を得ることができるが、そうなる可能性は遥かに低い。何と答えたものかと良太が考えていると、店長が再び事務所に入ってきた。

「おーい、何やってんだ? もう出勤時間とっくに過ぎてるぞ」

 店長が不機嫌そうな表情で二人を見る。

「あ、すみません! すぐ行きます!」

 良太はタイムカードを切ると、駆け足で事務所を後にした。


 沙希が良太の前に現れてから一ヶ月が経とうとしていた。その日良太は、バイト先の本社ビルの前にいた。

 良太のバイト先の本社ビルは、都心から電車で40分程のところにある。駅から少し離れたところには住宅が密集している典型的なベッドタウンだ。

 良太が「なんでこんなところに本社があるんだろう?」と疑問に思いながら本社ビルがある方角へ向かって歩いていくと、住宅街の中に突如巨大なビルが現れた。良太が面食らいながらビル名を確認すると、メールに書かれていたビル名と一致していていた。ここのようだ。

 ビルに入り受付で面接に来たことを伝えると、近くにある椅子に座って待つよう案内された。

 良太は座らずに立っていたほうがいいのではないかと迷ったが、結局定規を背中に入れているかのように背筋を正した状態で椅子に座って待つことにした。

 受付のあるフロアには大きな窓があり、そこから日差しが入り込み、開放感を与える作りになっている。インテリアのデザインも最近の流行を感じさせる新しいもので、良太は居心地の悪さを感じた。

 良太が居心地の悪さを誤魔化すためにあちこちをキョロキョロと見渡していると、受付の横にあるゲートから30代前半くらいの男が現れた。良太の姿を認めると良太の近くに歩み寄り、「すみません、佐藤さんですか?」と笑顔で話しかけてきた。

「あ、はい、そうです!」

 良太は素早く立ち上がると、「本日は貴重なお時間、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」と言いながら頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ、待たせちゃってすみません。あ、今回面接担当させていただく、青山です」

「あ、青山さんですね。あの、佐藤です。よろしくお願いします」

 良太はすかさず再び頭を下げた。

「よろしくお願いします。まあ、とりあえずご案内しますね」

 青山がゲートの方を指し示し、ゲートに向かって歩いていく。良太も後に続いた。

 ゲートを通り、エレベーターに乗り、良太は同じ様なドアが続くフロアに案内された。そしてその中の一つのドアを青山が開け、中で待つよう指示された。

 良太は立ったまま椅子に鞄を置き、胸に手を当てた。心臓は普段より激しく動いている。息苦しさを感じる。良太は胸に手を当てたまま目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をし始めた。少しだけではあるが、息苦しさがマシになったように感じられた。

 良太がしばらくそうしていると、ドアが開き青山と青山より一回り程年上に見える女性が入ってきた。

 良太は心の中で「しまった!」と叫びながら素早く居住まいを正したが、胸に手を当てて深呼吸をしていたところは青山たちに見られてしまっていた。

 良太がこの場をどう切り抜けるべきか必死で頭を働かせていると、青山と一緒に入ってきた女性は「緊張しますよね。分かりますよ。全く気にしてないですから安心してください」と穏やかな表情で笑った。

 青山も、「緊張してるところすみませんが、面接始めましょうか。お座りください」と、よそ行きではなく、自然な笑顔で言った。


「……それでは、選考の結果につきましてはまた後日連絡します。本日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください」

 青山にエレベーターまで見送られ、来たときと同じようにゲートを通り抜け、良太は本社ビルを後にした。

 ビルから出て少し歩いたところでやっと緊張が解けてきた。緊張によっておかしくなっていた感覚が正常に戻っていくのを感じる。首元に手を伸ばし、ネクタイを緩める。締まっていたのは首元だけだが、全身のあちこちが緩められたような錯覚がした。ため息を吐きながら沙希に連絡をしようとスマートフォンを取り出すと、見覚えのない電話番号から着信が入っていた。

 良太は折り返す前に着信の入っていた電話番号をネットで検索することにした。

 その電話番号は武田文学社――良太が以前応募した『武田文庫ハードボイルド小説新人賞』の主催元だった。

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