捨てる、そして拾われる
良太と沙希が恋人になってから一週間が経過していた。
「そういえば佐藤さん、最近なんか変わりましたよね」
バイトの休憩時間中、良太と清水が雑談をしていたときに清水が不意に言った。
沙希が誤解を解いたことにより、清水は以前と同じように良太と接してくれるようになった。
「うーん、そうかな? 自分では全然そう思わないんだけど」
良太は笑いながらわざとらしく首を傾げた。
「そうですよ。なんていうか、以前より自信に溢れているように見えるというか」
清水は良太を観察するような目で見つめる。
「もしかして、彼女でもできました?」
清水はニヤリと笑った。
「いやー、どうだろうね?」
良太はまたもわざとらしく大げさなリアクションをする。その動きは、誰がどう見ても遠回しに「はい、彼女出来ました!」と言ってるようにしか見えなかった。
「あーやっぱり! もしかして、沙希ちゃんですか?」
「まあ、うん、そうだよ」
「やっぱり! 私の誤解を解くために話した時に、『この子絶対佐藤さんのこと好きだな!』って思ったんですよね。佐藤さん、泣かしちゃダメですよ?」
清水は良太を軽く小突いた。
「大丈夫。沙希の事を泣かせるなんて絶対にありえないね」
そう言った良太の態度からは自信が溢れていた。
次の日。良太は沙希と二人で出かけることにした。ゆっくりと朝食をとり、お昼前に外へ出る。天気は快晴で程よく暖かい。良太の家は閑静な住宅地にあり、かつ平日のため人通りは殆どない。
二人肩を並べて取り留めのない雑談をしながら人通りのない道を歩く。気がつけばどちらからともなく手を繋いでいた。
しばらくそうして歩き続けて二人は公園に入った。公園に入ってすぐのところにある遊具で親子が楽しそうに遊んでいる。それ以外に人影はなかった。良太と沙希は親子の前を通り過ぎ、遊具とは反対側の位置にあるベンチに並んで腰を下ろす。
この公園は駅に向かう道の途中にある。そしてこの公園のベンチは駅近くにあるためか、夜になると大体カップルがイチャついている。そのため良太は夜にバイトを終え家に向かう時はいつもここを早歩きで通り過ぎていた。
そんなことをしていた自分が今女の子と並んでベンチに座っている。早歩きで公園を通り抜ける時はいつも「いつか俺も……」と思っていたが、まさか本当に実現出来る日が来るとは良太は夢にも思っていなかった。
二人がベンチに座ると、沙希は良太に体を預けてきた。良太はまだ慣れていないためしばらく手を宙に浮かせていたが、沙希の肩に手を乗せた。肩に乗せている手、そして沙希と接しているところから沙希の体温を感じる。
二人とも特に口を交わすこと無く、ぼんやりとただ風景を眺める。何の変哲もない風景、吹き抜ける風、どこからか聞こえる車の音。沙希とこうしていると、良太には全てが特別なものに感じられた。
良太は自分の心が今までにないほど暖かく、穏やかになっていることに気づいた。
(これが、幸せってことなんだろうな)
沙希に迫られた最初の頃は『娘にしか思えない』と戯言を抜かして拒否してしまっていたことが馬鹿馬鹿しく感じられてくる。
いつまでもこの時が続いてほしい。良太はそう思わずにはいられなかった。
しかし、その幸せなひとときは急に終わりが訪れた。
良太の腹が大きく鳴った。良太の腹が鳴った瞬間沙希は一瞬目を丸くしたが、
「ちょっと、良太。雰囲気がぶち壊し」
幸せを噛み締めているように笑った。
「ごめんごめん。家帰って何か食べようか?」
「うん、そうだね」
二人は立ち上がり手を繋ぐと、公園を後にした。
数日後。
その日のバイトを終え良太が帰宅すると、沙希がいつものように嬉しそうに出迎える。
「おかえり良太」
「ただいま。……あれ、なんかいい匂いするね?」
良太の家の中はカレーの匂いで充満していた。
「じゃーん!」
沙希は自慢気にコンロに置いてある鍋の蓋を開けた。
「この前良太カレー食べたいって言ってたでしょ? 早く食べよ?」
「そうだね、匂いのおかげで腹減ってきたよ」
「今から準備するね」
沙希は二人分のカレーをテーブルの上に手際よく用意していく。
「いただきます」
二人揃って手を合わせ、カレーに手を付ける。
「……うまい」
ひとくち食べた良太が思わずつぶやく。少し辛めのさらりとしたルーに、大きめにカットされた具。それを少し固めに炊かれたご飯と一緒に口に運ぶ。咀嚼する。全身が多幸感で包まれていく。
「ホントに? よかった。嬉しいな」
沙希が太陽のような笑顔で笑う。相変わらず沙希は家にいる時は良太の部屋着だ。外出用に何着か新しく服を購入したものの、部屋着は良太のものを着続けている。
「毎回ご飯用意してもらってごめんね。別に毎回作ってくれなくてもいいんだよ?」
「平気だよ? ご飯作るの結構好きだし」
沙希が全く気にしてなさそうな口調で言う。
「うん、それはありがたいんだけどさ」
良太は何か言いたそうな様子でカレーを口に運ぶ。
「ねえ、何か言いたいことがあるなら遠慮しないで言って」
沙希は食べる手を止めると真剣な表情で良太の目を見る。良太も食べる手を止めて少し逡巡するような様子を見せたが、決心したかのように話し始めた。
「あのさ、今すぐ何とかしなきゃならないって訳じゃないんだけどさ、俺の今の収入だけだと、今の生活を続けていくの、ちょっときついんだよね。こうやってご飯を作ってくれるのも嬉しいんだけど、やっぱりお金がかかるし。まあ、俺が沙希にそういうところ気にして欲しくなかったから、今までは沙希が必要っていうだけお金渡してた俺も悪いんだけど」
「あ、そうだったんだ。確かに、良太……フリーターだもんね。なんていうか、ごめんね」
沙希は少し寂しそうな表情で笑った。
それを見た良太は自分の不甲斐なさを恥じた。自分の彼女が好意でやってくれている事を自分の経済的理由で我慢してもらうことになるのが、良太には耐えられなかった。
「うん。俺、決めたよ。フリーター卒業できるように、仕事探すよ」
「良太、本気で言ってるの?
沙希は驚いた表情で良太を見つめる。
「本気だよ。今までは一人だったし、正直気楽だったからダラダラとフリーターを続けてた。だけど、やっぱりこのままじゃダメだよね。まあ、ずっとフリーターだった俺が二人で生活していけるほど稼げる仕事に就けるかは分からないけど、でもちゃんとした仕事に就けば少なくとも今よりは間違いなく収入は上がるしね」
「だけど、良太はそれでいいの?」
「うん、大丈夫」
良太は即答した。
「小説はもういいの? って言いたいんでしょ。正直、もういいかなって感じ。俺がずっとフリーター続けてたの何でだと思う?」
「……どうして?」
「なんていうか、自分に可能性を残しておきたかったんだよね。今までもフリーターを卒業して普通に働こうって思ったことが何度もあった。だけど、そうしてしまったら最後、自分の中に最後に残った可能性も消えちゃうような気がしたんだよ。まあ、何もしてない癖に可能性もなにもないんだけどね」
良太は自虐的に笑った。
「それにやっぱり、楽だよね。フリーターって。全く責任がないわけじゃないけど、そんなに大したことない。今までの俺は責任から逃げつつ、俺にはまだ可能性があるって現実から逃げてたんだよ。だけど、そんな毎日は楽だけど全く満たされなかった」
そう言った後良太は「だけど」と言いながら沙希を見つめ、続きを話し始めた。
「沙希とこうやって一緒にいるようになって、毎日が凄く満たされてるんだ。だから、この毎日を守りたい」
「うん、そっか。ありがとう」
沙希はそれ以上何も言わず、少し気まずそうな表情で笑った。
翌日。
良太はバイト中に店長に呼び出された。
バックヤードにある事務室に入ると店長に座るように指示され、店長と向かい合う形で事務所に置かれた椅子に座る。
良太は内心怯えていた。以前は当たりが強かった店長が最近はマシになっていたのを良太は不思議に思っていた。だがクビにするから最後くらい優しくしてやろう。と考えると合点が行く。
良太が「まだ仕事決まってないのに……」と意気消沈していると、店長は真剣な表情で話し始めた。
「なあ、佐藤。お前バイトから社員になる気ないか?」
「はい。分かりました。今までお世話になりま……え!?」
てっきり「お前クビ」と言われると思い込んでいた良太は驚きながら店長に聞き返す。
「最近人手不足が深刻らしくてな。上から社員になってくれそうな奴には積極的に声をかけろって言われてるんだよ。どうだ?」
「ええ、まあ。そうですね」
「? どうした?」
様子のおかしい良太に店長は怪訝な表情をする。
「いや、てっきりクビにされると思ってたので」
「はあ? なんでだよ」
店長は鼻で笑った。
「いや、最近店長が妙に優しいので、てっきりクビになるのかなと」
「あー、なんかお前最近変わっただろ。以前はウジウジしてたのに、最近は人が変わったみたいに明るくなったから自然と接する態度が変わっちまったのかもな」
さらっと酷いことを言う店長に良太は思わず苦笑いをした。
「まあ、だけど仕事ぶりはマジメだし、人に仕事を教えるのも上手い。以前は正直ウジウジしててダメだったけど、今のお前ならアリかなと思ってる。どうだ?」
性格は悪いが、自分の仕事ぶりを評価してくれていた店長に驚きつつ良太は「お願いします」と答えた。
「オッケー分かった。じゃあなるべく早めに採用担当に送る用の履歴書を俺に提出してくれ。フォーマットは特に決まってないから。それじゃ、仕事に戻るぞ」
「あ、はい」
店長が立ち上がるのに続き良太も立ち上がり、店長に続いて事務室を後にした。