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小説を途中で書くのをやめるとどうなるか  作者: アン・マルベルージュ
6/13

彼女の二面性

 猫を被った沙希が清水の誤解を解いている頃、良太は一人家にいた。沙希が無事清水の誤解を解けるか不安ではあったが、一人でいられることに安心してもいた。沙希が良太の家に住むようになったことで事件が起きていたからだ。


 まず沙希が風呂に入った後のことだった。風呂から上がった沙希は当たり前のようにタオル一枚で良太の前に現れた。

 それを見て良太は絶句した。

「ちょっと! なんて格好してるんですか! ふ、服を着てください!」

 思わず大声になってしまう。

 しかし沙希は、

「嫌。風呂上がりに制服なんて着たくない」と、服を着ることを拒否した。

 良太は沙希が包丁と身につけている服以外、殆ど何も持たずにこの世界にやってきたことを思い出した。

 仕方がないので良太は自分の部屋着を沙希に貸すことにした。しかしTシャツの上からでも分かる沙希の大きな胸を本能に負けて一瞬見てしまったときに良太は違和感を覚えた。沙希は下着をつけていなかった。

「いやいやいやいや! し……下着もちゃんと付けてくださいよ」

 良太は顔を赤めながら言った。

「え? 脱いだ下着もう一度着ろっていうの?」

 沙希は露骨に不満そうな表情をした。

「ああもう面倒くさいな……あれ?」

 ここで良太の頭の中に疑問が浮かんだ。そういえば倉田が風呂に入っているのはおろか、着替えているところを一度も見たことがなかった。しかし倉田を臭いと思ったこともなかった上に、倉田の服はいつもクリーニング直後のようだった。

「沙希さん、実は風呂に入らなくても大丈夫なんじゃないですか?」

「あれ、なんで分かったの?」

 沙希の声には少し驚きが混じっていた。

「いや、沙希さんの前に俺の前に現れた人、一度も風呂入ってるところ見たことなかったので」

「うわ、きたな……」

 沙希は顔をしかめた。

「いや、でも風呂に入らなくても大丈夫なんですよね?」

「まあ、確かにそうなんだけどね」

 そう言いながら沙希は風呂上がりでしっとりとした髪の毛の表面をさすった。すると沙希の髪の毛は一瞬で乾き、良太の前に現れたときのと同じ、セットされた髪型に戻った。

「えっ、すごい」

 目の前で信じられないことが起こると「すごい」という言葉しか出てこなくなると良太は学んだ。

「すごいでしょ。汗をかいても臭わないし、着てる服は雑に扱っててもアイロンをかけた直後みたいだし」

「ええ……なんて都合のいい能力なんだ」

 良太は倉田が風呂に入っているところを一度も見なかった理由が分かったのは良いが、あまりにも都合が良すぎる能力に呆れるしかなかった。

「そんなことより」

 沙希は良太に体が当たるほどの至近距離まで近寄ると、

「可愛い女の子がこんな格好してるんだよ? 押し倒さないの?」

 挑発的な表情を良太に向けた。沙希の柔らかい体が良太に当たる。おそらくわざと当てたのだろう。

「いや、押し倒しませんから! 次俺風呂入りますね」


 良太は沙希から視線を逸らし、沙希から距離を取ろうとする。しかし、沙希は良太の腕をつかみ、良太の真正面から抱きついた。

「そんなこと言って、本当は押し倒したいんでしょ? 私の体、現実の女の子の体とどう違うか確かめられるよ? あ、でも良太じゃ分からないか」

 沙希は良太をイジるのが楽しいのか、楽しそうに笑った。

「お、押し倒しません! 風呂入りますね!」

 良太は沙希を振りほどくと、早足で浴室へ向かっていった。


 そしてその後も抱き枕代わりにされ一晩中巨乳を押し付けられていたため一睡もできなかったり、次の日も全裸で浴室から出てきたりと、自分の家だというのに沙希がいることでまるで気が休まらなかった。

 だが今は沙希が家にいないため、久しぶりの平穏を良太は手にしていた。良太がベッドの上で横になり心ゆくまでだらけていると、充電していたスマートフォンが鳴った。

 良太はスマートフォンを手に取り画面を確認すると、清水からメッセージが届いていた。

 それを見た良太の心臓は一瞬止まりそうになった。

 だが沙希は自信満々に「清水の誤解を解く」と言っていた。つまりこのメッセージの内容は誤解していたことに対しての謝罪のはずだ。加えてそれ以外で清水が良太にメッセージを送る理由が良太には思い当たらなかった。

 しかし十中八九謝罪のメッセージだと分かっていても良太はなかなかメッセージを開く決心がつかなかった。どうしても物事を悪い方向に考えてしまうのだ。

 そうして良太が決心がつかずにまごついているうちに沙希が帰ってきた。良太は反射的にベッドから起き上がった。

「ただいま~上手く行ったよ」

 沙希は良太の顔を見るなり、一切勿体ぶったりすることなく、事もなげな様子で言った。

 良太は沙希の顔を見た瞬間心拍数が一瞬高くなったが、成功報告を聞いたことですぐに心拍数は平常値に戻り、良太は安堵のため息をつきながら清水からのメッセージを開く。

 メッセージには、『沙希さんから聞きました。佐藤さんの事誤解しちゃってました。本当にごめんなさい。今度シフトが一緒になったときに直接謝らせてください』と書かれていた。

「ね、すごいでしょ?」

「……まさか清水さんも包丁で脅してないですよね?」

 良太は嫌な予感がした。

「そんなことしてないよ。説明しただけだよ」

 包丁で脅していないにしても、予感は正しかったようだ。良太は増していく嫌な予感をなるべく意識しないようにしながら沙希に訪ねた。

「せ、説明とは……?」

「大したことは言ってないよ。単に私と良太がいとこで、昔は良く遊んでもらってたって話をしただけ」

 良太には絶対「だけ」ではない確信があった。そもそも沙希はいとこではない。やはり沙希一人に任せたのは間違いだった。良太は後悔した。

「だけ、じゃないでしょ。もしウソがバレたらどうするんですか!」

「大丈夫大丈夫。適当に話合わせといて話題逸らせばバレないよ。それに他人のいとこの事で突っ込んだ話なんてする?」

「まあ、たしかにそうですが」

 確かに親戚同士でもなければお互いのいとこの話をすることは殆どないが、なにか引っかかるものがあった。

「そんなことより、これで私と付き合ってくれるんだよね?」

 沙希は良太の隣に座ると良太に体重を預けてきた。沙希の体から漂う甘い香りが良太の鼻孔をくすぐり、沙希の柔らかい体が良太の体に当たる。

 これでよかったのだろうか。何かがおかしい気がする。良太は何かがひっかかるのを感じていた。しかしこの関係はずっと続くわけではない。沙希は小説を書き終えれば消えてしまうのだ。良太は深く考えないことにした。


 次の日の朝。良太は規則正しいリズムで何かを叩く音で目を覚ました。音の鳴る方に視線を向けると、そこには沙希がいた。良太は布団を抜け出し、沙希の元へ歩いていく。沙希は台所で、いつも持ち歩いている包丁でネギを切っていた。

「あ、おはよう。もうすぐできるからね?」

 良太が起きたのに気づいた沙希がネギを切る手を止め、良太の方を振り向きながら言った。

「え、何が?」

 誰がどう見ても朝食を作っているようにしか見えないのだが、目の前の光景で起きていることが理解出来ず、良太は思わず沙希に訪ねてしまう。

 沙希は「何分かりきった事を聞いているの?」と笑った。

「朝ごはんに決まってるでしょ」

「あ、はい。ですよね……」

 良太が沙希の姿を手持ち無沙汰な様子でぼんやりと眺めている間にも、沙希は手際よく朝食の準備をしていく。気がつけば普段はコンビニ弁当のようなものしか置かれていないテーブルの上に、二人分の朝食が置かれていた。白味噌の味噌汁にごはん、そして切り身魚一切れというシンプルなものだ。

「準備できたよ」

 沙希がテーブルの前に座るのを見て、良太も合わせてテーブルの前に座る。

「どうぞ。召し上がれ」

「い、いただきます」

 良太は、「あんなに手際がいいのだから不味いことはないだろう」と思いながらも、不安を感じつつ味噌汁を軽くすすった。

「どう? おいしいでしょ?」

 すでに自分も箸を付けていた沙希の表情は、自信ありげだ。

「おいしいというか……」

 おいしいか、と聞かれると確かにおいしい。しかし特別おいしいわけではない。だが、味噌汁は特別美味しくある必要はない。ただ味噌汁は味噌汁という役割を果たすべきであって、それ以上であってはいけないし、それ以下でもあってはいけない。という事をよく理解している、安心感のする味だった。

「なんというか、すすったあとに『はあ~』っていう感じになりますね」

「うんうん。よろしい。さあ、食べて食べて」

 沙希は満足そうに笑った。

「は、はい」

 次に良太はご飯に手を付け、次に切り身魚、そして味噌汁……とローテーションさせながら朝食を食べ進めていく。途中で何度か沙希に視線が行ったが、なんとも言えない気恥ずかしさを感じ、すぐに目を逸らした。

「ごちそうさまでした」

 完食した良太は沙希に向かって軽く会釈をした。沙希は良太の食器に視線を向けると、きょとんとした表情で「皮食べないの?」と言った。

「え? はい」

「皮は栄養たっぷりだよ、食べよ?」

 良太は幼い頃に食べた切り身魚の食感がイマイチで、それ以来食べずにいた。しかし、作ってもらった相手から「食べて」と言われたのならば食べないわけにもいかない。箸で皮をつまみ、口に運ぶ。思ったほど悪くなかった。

「よろしい。偉い偉い」

 沙希は子供に向かって言うような口調で笑った。


 良太と沙希が片付けを済ませ一段落着くと、良太は沙希に疑問を投げかけた。

「そういえば、なんで朝食作ってくれたんですか?」

「え、私と良太恋人なんだからそれくらいやってもおかしくないでしょ?」

 沙希は「こいつ何を言っているんだ」と言わんばかりの表情で良太の顔を見つめた。

「あ、はい、ありがとうございま」

 良太が全てを言い切る前に沙希がその言葉を遮った。

「ねえ、分かってる? 私と良太は、『恋人』なんだよ? 何でそんな口調なの?」

 沙希が良太と触れるか触れないかくらいの距離に詰め寄りながら言った。沙希は良太より身長が低いため良太を見上げる形になってしまう、しかし沙希が以前包丁を突き立てられたときと同じ底知れない恐怖感を与えてくるため、見上げられているのに恐ろしい何かに見下されているように感じた。

「は、はい、すみま……ごめん」

 良太は反射的に丁寧語で話しそうになり、焦りながら訂正した。

「よろしい。じゃあ、証拠を見せて」

 沙希は良太に向かって恐怖感を与えるのを解くと、一歩後ろに下がった。そして良太を試すような表情で良太を見た。

「証拠って、何を?」

 良太は大体答えが分かっていたが、自分からそれを言うのは憚られた。

「良太から私を抱きしめて」

「そ、それは」

「できないの? 私、約束守ったよね? どうして良太は約束一つ守れないの? ねえ、おかしいよね?」

 沙希の顔は笑っていた。しかし良太がその表情から感じたものは背筋が凍るほどの『恐怖』だった。今までなんとかのらりくらりとかわしていたが、今回は冗談抜きで殺されるかも知れない。

 良太はすっかり忘れてしまっていた。辻桐沙希は良太が身動き取れないほどの怪力を発揮したり、背筋が凍るほどの恐怖を体から放ったり、平気で他人を包丁で脅したりする、人間の姿をした化け物なのだ。

 その化け物が自分を抱きしめれば命を助けてやると言っているも同然なのだ。良太は一歩前に進むと沙希の体を抱きしめ、自分の体に引き寄せた。

 良太が一番最初に感じたのは、沙希の体の柔らかさだった。何度も沙希から抱きつかれたりすることはあったが、自分から抱きしめるのはまるで違った感覚だった。おそらく自分と同じように骨があるはずなのに、こんなに柔らかいのだろう。そう思わずにはいられなかった。

 そして、小さい。確かに沙希は良太に比べて身長が小さいが、そういう意味の小さいではない。体の華奢さ、抱きしめると普段より小さく感じてしまう感覚、そういうものを合わせて良太は『小さい』と感じたのだ。

 そして沙希から漂う得も言えぬ香り。体の奥が熱くなってくるような気がするような、どことなく安心感が湧いてくるような、本当に不思議な香りだ。

 良太がふと視線を下に落とすと、沙希は良太の胸に頭を押し付けていが良太の視線に視線に気づくと、穏やかな表情で良太を見つめた。いつの間にか放たれていた恐怖感は消えていた、そして気がつけば良太は沙希のことを愛おしく感じ始めていた。自分の小説の登場人物だから娘のように感じてしまっていたのはなんだったのか。本当はもっと他の理由だったのかもしれない。単にある意味人間ではないから。怖かったから。自分に自信がなかったから。

 良太はもう一度沙希を抱きしめた。

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