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小説を途中で書くのをやめるとどうなるか  作者: アン・マルベルージュ
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沙希VS清水

「それは、できない」

 良太は沙希を見つめながら冷静な口調で答えた。たちまち沙希の表情は不機嫌そうなものに変わる。

「どうして? こんな可愛い女の子に言い寄られてるんだよ? こんなチャンス、もう二度とないんだよ?」

 沙希の言うことはもっともだ。良太は今まで女性と付き合ったことは一度もない。そしてこれからも誰かと付き合える可能性は相当低いだろう。しかし、そんな良太に今チャンスが巡ってきているのだ。加えて沙希の設定には良太の願望が多く含まれている。当然良太も沙希を魅力的に感じている。だが、どうしても良太は沙希と恋人関係になろうとは思えない理由があった。

「もちろん沙希……さんのことは可愛いとは思うんですが、なんというか、俺は父親になったことはないけど、今の俺、娘から言い寄られてる父親の様な気分なんです」

「それじゃあ良太。これでいい?」

 呼び方がまずいと思ったのか、ここに来て良太の呼び方を変えた。

「そういうことじゃないんです。呼び方じゃないんですよ。つまり……」

 良太が二の句を継ぐ前に、良太の顔のすぐ横に沙希の包丁が突き立てられた。

「ねえ、そういうのはいいから。そもそも、良太には拒否権なんてないんだよ?」

 人を包丁で脅しているという行動とは裏腹に、沙希の声色にはどことなく無邪気さが感じられた。

「包丁で脅したってダメです。それに言いましたよね。力づくで相手をものにしたって意味がないって。確かに沙希さんはそうやって小説の世界では包丁で人を脅して無理やり要求を通していたかもしれませんが、ここは現実です。俺はどんなに脅されたって、屈しません」

 良太は内心「なぜ俺はここまで意地になってるんだ」と思いつつも今更引くこともできないため、毅然とした態度で沙希を見つめながら言った。

「ふ~ん、じゃあ、力づくじゃなきゃいいんだね?」

「え、はい?」

 沙希の雰囲気が急に変わり、良太は違和感を覚えつつも反射的に返事をする。

「今日一緒にいた女の人の誤解解いてあげよっか?」

「あっ……」

 良太は清水が良太の事を誤解してしまっていることを忘れてしまっていた。

「私なら、あの女の人の誤解、解けるよ? それとも、良太にできる?」

「……」

 良太には誤解を解く自信が全く無かった。

「私と付き合ってくれれば代わりにあの女の人の誤解を私が解いてあげる。悪い取引じゃないと思うんだけど」

「え、いや、でも……」

 歯切れの悪い良太に、

「まあいっか。しばらく考えさせてあげる。お風呂借りるね」

 沙希は良太をあっさり解放すると、浴室に向かっていった。


 次の日、良太がバイト先に出勤すると、事務所にはすでに清水がいた。

「おはようござ……います」

 良太は気まずさを感じながら清水と他に何人かいるスタッフに向かって挨拶をする。清水は当然のように良太の挨拶を無視した。

 良太は心の中で「仕方ないよな……」と呟きながら更衣室へ向かっていった。

 その日のバイトは良太にとって今までで一番精神的に辛い一日だった。何度か清水に話しかけるチャンスはあったがことごとく無視され、業務上どうしても話しかけなければならないときは清水も仕方なく話を聞いてくれたが、清水の態度は刺々しかった。そしてその様な態度を取るのは良太が相手のときのみで、それ以外のスタッフとは今まで通りの態度で接していたのがさらに良太に精神的ダメージを与えた。

 その日の夜、良太が精神的にヘトヘトになって帰宅すると、沙希はベッドの上でくつろいだ格好で良太のノートPCで何かを見ていた。服装は着ていた制服ではなく、良太の部屋着を着ている。当然サイズは全くあっていない。そして長い髪の毛はヘアゴムで後ろに纏められている。

 それを見て良太は「これはこれでありだな……」と思ってしまい自己嫌悪に陥った。

「あ、おかえり~」

 良太に気づいた沙希が良太の方を向き、笑顔で出迎える。

 沙希の姿を見て変なことを考えてしまった事を悟られていないかと若干狼狽えつつ良太も「ただいま」と返す。

「そういえば、どうだった?」

 沙希が意地悪気な表情と、期待に満ちた表情が混ざったような顔つきで良太を見る。沙希が何について聞いてきているのか、良太はすぐに分かった。清水の事だ。

「……お願いします」

 一瞬考え、良太は沙希に頼むことにした。流石にこのような状況がずっと続くのは耐えられなかった。


 良太が沙希に清水の誤解を解いてくれと頼んだ次の日の夜。清水はその日もバイトを入れていた。

 清水がその日のバイトを終え店の外に出ると、見覚えのある女の子が店の前にいた。確か良太をパパ呼ばわりしていた女の子だ。その女の子は清水の方へ向かって歩いてきた。

「あの、こんばんは、清水さん……ですよね?」

「はい、そうですけど……確かこの前の」

 清水は少し警戒しつつ答える。女の子の服装は以前見かけたときと同じだったが、雰囲気はどこか違っているような気がした。

「はい。私、辻桐沙希って言います」

「はい。それで、辻桐さんが私に何か用ですか?」

 清水が内心何の用だろう? と思っていると、沙希は清水に向かって頭を下げた。

「あの、本当にすみませんでした!」

「え、ちょっと!」

 沙希の声が大きかったため、近くを歩いていた通行人が何事かと一瞬清水たちの方を向いた。

「何のことか分からないけど、とりあえず頭を上げてください」

「は、はい……」

 沙希は何かに怯えているかのようにゆっくりと頭を上げた。頭を上げきった瞬間沙希と清水の目が合ったが、沙希は怯えたような表情を見せるとすぐに目をそらした。その後も清水と視線を合わせようとはしなかった。清水にはこの女の子が以前良太と一緒にいたときに現れた女の子と同一人物とは思えなかった。

「あ、あの……」

 沙希は何かを言いたそうに一瞬清水を見ては視線を逸らすのを繰り返しているが、一向に話し出す気配がない。

「ねえ、私に何か用があるんだよね?」

 清水は出来る限りの優しい口調で沙希に問いかける。

 沙希はしばらく俯いたままだったが、意を決したのか、絞り出すように話し始めた。

「あ、あの、良太さんは、悪くないんです……」

 清水はうなずくと、表情で続きを話すように促した。

「あの、実は私良太さんの従妹で、昔は家も近所でした……。あの、あと、私の両親はいつも忙しくて、特にお父さんは忙しくて殆ど家にいることがありませんでした。そんな私を可哀想にと思ったのか『俺がパパだよ!』って昔はよく遊んでくれたんです。それで気がついたら、良太さんの事を『パパ』って呼ぶようになって、大きくなった今でもついパパって呼んじゃうんです」

 清水が意外と面倒見のいいところがあるんだなと思っていると、沙希は続きを話し始めた。

「しばらくして両親の都合で引っ越しすることになったんですが、私、良太さんのことがずっと好きで、また会いたいと思ってたんです。だけど、引っ越しして距離が遠くなったおかげで親戚づきあいも殆どなくなってしまって。だけど、最近両親が良太さんが近くに引っ越してきてる事を教えてくれたんです。だから何とか会いたいと思っていたんですが、私こんな内気な性格なので両親づてに良太さんの連絡先を聞くことなんてできませんでした。そう思っていたときに二人をたまたま見つけたんです。でも、話しかけに行くのが怖くて……。だけど、このチャンスを逃したらって思って勇気を振り絞って二人のところに向かったらいつの間にかなんだかテンションがおかしくなっちゃってああなっちゃったんです。見た目も昔と全然違いますし、キャラも良太さんの知ってる私じゃないから気づかないのも当然だったと思います」

「なるほどね……」

 テンションがおかしくなったからといってあそこまでキャラが変わってしまうのは清水には正直信じられなかったが、目の前でたどたどしいながらも一生懸命話している沙希の言うことが嘘だとは思えなかった。

「それで、私がここで働いてるのは佐藤さんに聞いたんだよね?」

 おそらく良太から聞いたのは間違いないが、念の為清水は聞いてみることにした。

「はい。清水さんが立ち去った後に良太さんに謝ったら『大丈夫、同じ職場の人だから今度会ったときに何とかするよ』って言ってたので」

 そこで一つ疑問が生じた。どうやって沙希は自分のシフトを調べたのだろうか。

 しかしそれを清水が聞く前に、

「でも、シフトまでは流石に聞けなかったので、お昼くらいからお店の前でずっとウロウロしてました」と沙希が自分から答えを言った。

 それを聞いて清水は少し呆れた。なんて不器用な子なんだろう。もし自分が今日はお休みだったら閉店までずっと店の前にいたのだろうか。沙希の第一印象は『いけ好かない女』だったが、今は『色々と不器用な残念な子』に変わってしまっていた。そして良太にも悪いことをした。女の子にパパ呼ばわりなんてさせているから、てっきりいかがわしい事をしていると思いこんでしまっていたが、まさかこんな事情だったとは。それによく考えてみたら今のバイト先の給料ではいかがわしい事をする余裕もないだろう。

「うーん、まさかこんな事だったなんて。佐藤さんに謝っとかないと……」

 清水は困った顔をしながらため息をついた。

「あの、本当にすみません……私のせいで誤解させてしまって」

 沙希は再び清水に向かって頭を下げた。

「いやいや、私こそごめんね。佐藤さんには私から謝っておくね」

「あ、はい、ありがとうございます」

 頭を上げた沙希は少し控えめに微笑んだ。

「うん、それじゃあ、私帰るね」

「あ、はい。ありがとうございました」

 清水は沙希に軽く手を降ると店の前から去っていった。残された沙希は清水が遠くに行ったのを確認すると、人格が入れ替わったかのように邪悪な笑みを浮かべた。

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