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小説を途中で書くのをやめるとどうなるか  作者: アン・マルベルージュ
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もう一度やってみよう

「おはようございまーす」

 バイト先に着いた良太は、更衣室に通じる事務室に入るとはっきりしない声で挨拶をした。

「おお、佐藤おはよう。丁度いいところに来たな。今日から新人が入ったから紹介するよ」

 いつもは挨拶をしても機嫌の悪そうな顔で無視をする店長が、珍しく上機嫌だ。

 数秒後、良太は店長が妙に上機嫌な理由を理解した。

「今日からお世話になります、清水菜々子です。よろしくお願いします」

 新人はとてつもない美人だった。肌は人形のようにシミひとつなく、形の良い目は意思の強さと愛嬌をバランスよく感じさせる。髪型はバイト中に邪魔になるため後ろでまとめているが、そしてこれまた人形のように理想的な顔の形と相まって独特の色気を放っていた。

「よ、よろしくお願いします……」

 良太は完全に萎縮してしまっていた。

「菜々子ちゃんみたいな子が入ってくれると職場の雰囲気が変わるな~。佐藤、お前が仕事教えてやってくれ。なんだかんだでお前が一番仕事のこと詳しいし」

 店長にそう言われた良太は「お前が何でもかんでも仕事を押し付けるからだろ」と内心思ったが、そんなことは口に出せるわけがない。「わかりました」と短く答え、更衣室に入っていった。


 その日の夜。良太は遅番のスタッフに「佐藤上がりまーす」と声をかけ、事務所に下がるとタイムカードを切った。ずっと立ちっぱなしで疲れたため、事務所の椅子に腰を下ろし、背中を預けて思いっきり体をのけぞらせる。思わず「あぁ~」とため息が出る。しばらくそうしていると、事務所に清水が入ってきた。

「佐藤さん、お疲れさまです」

 良太は慌てて居住まいを正して「お疲れ様です」と返す。

「初日だっていうのにいきなり残業させちゃってすみませんね。今日は何故か分からないけどお客さんが多くて」

 清水は「いえ」と言いながらタイムカードを切ると良太の方を振り向いた。

「でも、その分仕事を覚えられた気がします。店長も言ってましたけど、佐藤さんって教え方本当に上手なんですね。明日から私一人でも大丈夫な気がします」

 そう言って清水は微笑んだ。

「まあ、これくらい大したことないですよ」

 良太は照れ隠しに視線を逸した。

「そんなことないですよ。なんていうか、上手くいえないんですけど、言ってることがすんなり理解できるというか」

「それは……ありがとうございます」

 人に褒められ慣れていない良太は居心地が悪くなってきた。

「といってもどうせ俺、フリーターなので」

「でも、何か事情があってフリーターなんですよね?」

 優しく丁寧な口調で清水が言った。

「まあ、そうです……けど」

 専門学校をやめてやりたいことも無いからとりあえずバイトをしてるとはとても言えず、良太はとりあえず話を合わせることにした。

「私そういう人、ちょっと羨ましいなって思います。世間じゃ夢を追ってフリーター生活してる人ってダメな人扱いされますけど、でも人生って一度キリじゃないですか。確かにみんなに倣って進学して就職するってルートが一番確実で安定してるのかもしれないですけど、それってやっぱりつまらないよなって思います。だけど私は退屈だろうと分かっていても、やっぱり不安なので普通に就職すると思いますけど」

 清水は少し寂しそうに笑った。

 良太はどう答えるべきか返答に困った。何か気の利いたことを答えるべきなのだろうかと思ったが、何も思いつかない。その間にも沈黙が続いていく。

「……そういえば、清水さんは本当はやりたいことがあるんですか?」

 良太は昔読んだ会話術の本で『相手に質問をし続ければ会話は無限に続く』というのを思い出した。

「私、昔から絵を描くのが好きで、本当はイラストレーターになりたかったんです。だけど、食べてくことを考えると潰しの効くWEBデザイナーかなって思ってそっちの勉強をしています」

 清水はバイト中に自分は20歳だと言っていた。そして良太は今年で24歳だ。清水が自分より年下だと言うのに何倍も立派な考え方をしていることに劣等感を抱いた。小説が書けなくなって専門学校をやめた。人生がどうでもよくなってきて何年もダラダラと適当に日々を過ごしてきた。だが、今頃になって貴重な時間をムダにしてしまったという事実が意識に一気に押し寄せてきて、苦しくてたまらなくなってきた。

「そ、そうなんですね。だけど、俺はそれでいいと思いますよ。やっぱり世の中一度社会のレールから外れてしまうと戻るのって難しいですから。それにもしダメだった時に絶対『普通に進学すればよかった、普通に就職すれば良かった』って後悔するハメになる気がします」

 良太が言ったことは実際現在進行系で思っていることだが、あくまで想像で『そうなるんじゃないか』という体で返す。

「確かにそうですよね。私もそんな気がします。あ、そういえば、佐藤さんが何をやってるかって聞いてなかったですね。よかったら教えてもらえませんか?」

「えっ」

 良太は言葉を詰まらせた。適当に答えたらどこかでボロが出てしまう可能性は高い。かといって今特になにかやっているものはない。悩んだ末結局でっち上げるよりは、過去の話をすれば上手くごまかせると考え、小説家を目指していると答えることにした。

「えっと……俺小説家になりたくて、ずっと前から新人賞に応募し続けてるんです」

 清水の目の色が変わった。

「え、すごい。でも教えるのが上手い理由、納得しました。小説家って言葉のプロですからね」

 そう言って清水から向けられる尊敬の眼差しが、良太には辛かった。

「まあでも、ずっと最終選考にも残れないでいるんですけどね」

「大丈夫ですよ。佐藤さんならきっとできますよ! あ、今のうちにサインもらっといたほうがいいかな?」

「うーん、もしデビューできたら、サインくらい書きますよ」

「本当ですか? 約束ですよ! あ、でももし佐藤さんがデビューしたときにここやめちゃってたらどうしよう……そうだ、佐藤さん、LINE交換しましょ!」

 清水は自分のスマホを取り出すと、QRコードを表示させた画面を良太に見せた。

「はい」

「あ、えっと……はい」

 良太は言われるがままにポケットからスマホを取り出すと、QRコードを読み取った。画面には『ななこ』というプロフィール名と共に、笑顔で友達と写る清水の写真が表示されていた。

「これであってますよね?」

 写真を見る限りどう見ても清水なのだが、念の為清水に画面を見せる。

「大丈夫です。ありがとうございます。あ、もうこんな時間。私帰りますね。お疲れ様です!」

 部屋に残された良太はもう一度LINEを開くと、友だち一覧を表示させた。新しい友だちの項目に『ななこ』と表示されているのを見ると無性にテンションが上がってくるのが分かった。


 良太がバイトを終え帰宅すると、倉田が良太のノートパソコンで何かをやっていた。例に漏れず、良太のノートパソコンにも他人には見られたくないものが大量に入っている。

「ちょっと、何してるんですか!」

 良太は倉田の元に駆け寄り、ノートパソコンを奪い取ろうとした。しかし気がつくと良太は天井を見上げていた。そしてその直後、背中に衝撃が走った。良太は何が起きたのか理解できなかった。良太が床に寝転がったまま頭を動かすと、倉田の足が見えた。そのまま視線を上に向けると、倉田は何事もなかったかのように同じ姿勢で席に着き、ノートパソコンで何かをやっていた。

「倉田さん、俺に何をしたんですか?」

 良太が起き上がりながら倉田に問いかける。

「俺にもよく分からん。おそらく何かの護身術か何かだろう。体が勝手に動いていた。これもお前がそういう設定にしたんじゃないのか?」

「あー、そうだった……」

 良太は背中をさすりながら倉田の横に立つ。ノートパソコンのディスプレイを覗き込むと、倉田は良太が過去に書いた小説を読んでいた。

 良太は気恥ずかしさから再び倉田からノートパソコンを奪い取りたくなったが、数秒前に起こったことを思い出して踏みとどまった。気恥ずかしさを誤魔化すために「どうしたんですか? 俺の小説なんか見て?」と意識して明るい口調で倉田に話しかけたが、倉田は小説に集中しているのか、まるで反応がなかった。

 良太が諦めて床に腰を下ろし、帰宅途中にコンビニで買った弁当を食べていると、いつの間にか良太の前に倉田が立っていた。

「お前、結構小説書くの上手いんだな」

「え?」

 良太が上を見上げる。相変わらず何を考えているのか分からない倉田の顔があった。

「お前がノートパソコンに溜め込んでいた小説はだいたい読んだ。正直、結構面白かった」

「え? それは……ありがとうございます」

 思いがけず倉田に褒められ良太は戸惑った。

「話もまとまっているし、読者を飽きさせない工夫も感じる。俺は創作の事はよく分からないが、一作品作るだけでも相当な努力が必要なはずだ。だがお前は何作も書き続けた。それでも今は書くのをやめてしまったということは芽が出なかったんだろう?」

「……そうですね」

「なるほどな」

 倉田は腕を組んで頷いた。

「まあ、それだけやっても芽が出なかったんだ。ある日心がポッキリ折れてしまうのも無理もないな」

 倉田は良太をじっと見つめた。

「だがな、ここまで出来るのに諦めてしまうのはもったいなくないか?」

「それは……」

 良太も倉田に言われなくとも分かっている。貴重な時間、金をつぎ込んで一生懸命努力してきた。そして心が折れて諦めた後は、その努力がまるで存在しなかったかのように記憶に蓋をして生きてきた。数年間努力し続けてきたのに、何もしていなかったかのような。そうしないと、敗北感や時間をムダにしてしまったという事実に押しつぶされてしまう。

「あなたみたいに生まれたときから完璧な人間に、俺の気持ちなんて分かりませんよ……ん?」

 バイブ音が鳴り、良太がポケットからスマートフォンを取り出すと、LINEの通知が表示されていた。送り主は清水だった。

『佐藤さん、今日はありがとうございました! 小説、書けたら見せてくださいね!』というメッセージとともに可愛らしスタンプが添えられている。

「おい、これは何だ?」

 良太がどうしたものかと画面を見つめながら考えていると、いつの間にか横から倉田が覗き込んでいた。

「えっと、これはLINEというメッセージアプリで……」

「メッセージアプリということくらいは分かる。俺は聞きたいのは内容だ」

「あ」

 その場の勢いで小説を今も書いていると言ってしまったとは言えなかった。

「どうせ女にカッコつけて小説書いていると言ってしまったんだろ」

 すぐに倉田に見抜かれてしまった。

「カッコつけてませんよ! ただ何もせずダラダラフリーターやってますなんてカッコ悪くてとてもじゃないですけど、言えないじゃないですか!」

「それをカッコつけてると言うんだ」

 良太は何も言い返せなかった。自分の部屋にいるというのに居心地が悪そうに身じろぎをする。

「どうするんだお前。女はウソを見抜くのが上手いぞ。もしウソがバレたら、その女のお前に対する評価がどうなるか、言うまでもないな」倉田は意地悪そうに笑った。「だが、逆にこれはチャンスだ。もしお前がここから復活を果たしてまた小説を書けるようになって賞を取ることができれば」

「できればなんですか?」

 すでに半分答えがわかっているような、何かに期待しているかのような表情で良太が倉田の顔を見る。

「なんだその顔は。すでに答えが分かっているようだな。ならばもう一度小説を書け。パソコンに昔書いた小説が残っているんだ。まだ未練がある証拠だろう? どうせお前のようにまともな職歴も無く、ダラダラとフリーターをやっているような男の将来なんて今より悪くなることはあっても、良くなることはない。逆転できるチャンスがあるとしたら、小説を書くことだけだ」

 将来を引き合いに出され、良太の心は揺らいだ。確かにこのままではろくな将来にはならない。だったら、自分が少しでも得意だと思えることで勝負をするしかない。良太は拳を強く握りしめ、倉田を見つめた。

「わかりました。俺、もう一度書いてみます」

 それを聞いた倉田は一瞬「してやったり」という表情を見せたが、すぐにまた無表情に戻った。

「よし、その言葉を待っていた。だが、言葉だけならどうとでも言える」

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

 倉田は良太のノートパソコンでWebページを開くと、良太にそれを見せた。

「武田文庫ハードボイルド小説新人賞?」

「これに応募しろ」

「え、もう締め切りまで2週間しかないじゃないですか?」

 良太はディスプレイを見ながら困ったような表情で言った。

「だけど、2週間じゃ無理ですよ。ただでさえブランクだってあるっていうのに!」

「大丈夫だ。お前にはアドバンテージがある。まず、主人公の本物ががすぐ近くにいるから主人公のキャラがブレても本人からすぐツッコミが入る。そして……」

「そして?」

 良太は嫌な予感しかしなかった。

「これから二週間、俺が良いと言うまで寝かせないようにしてやるから、進捗管理については安心しろ」

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