伝説の天空都市スカイア
大都市ティオオの郊外の森の中で少年リュウとイッチは水浴びをしていた。
グオオオオオオ。
空から大竜グランドライドの雄叫びが聞こえて、イッチは思わず上空を見上げる。
木々の隙間からチラリと見えたその姿は明るい空に黒点のように浮かんでいた。
「なあなあ。いつか空の上にある天空都市スカイアに行ってみたいよなあ」
イッチが上を見上げたまま言った。
「ただのお伽噺だ」
リュウが素っ気なく答える。
「そんなことないー!スカイアはあるー!」
天空都市スカイア。
金銀財宝が眠り、黄金に輝く甘くて美味しい不朽の果実がなる幻の都市。
ティオオに古くから伝わる伝承だ。
「三千年前から上を飛んでるあの竜のグランがスカイアに連れてってくれるんだって」
イッチの言葉をリュウは鼻で笑う。
「竜の背にでも乗る気か?どうやって?」
「あの山から......とか?」
イッチは自分で言っておきながら、遠くに見えるあの連峰の頂きでさえ到底竜には届かない事が分かっていた。
二人は浅い池に足をつけ、避暑兼風呂を楽しんでいた。
突然、静閑な森の中に高い声が響いた。
「イッチー、ご飯よー!」
暫くしてイッチの母親が姿を現した。
イッチは慌ててリュウを押し倒す。
リュウは大きく飛沫をあげて水の中に沈んだ。
「母ちゃん!水浴び中に入ってくんなよ!エッチ!」
「前も隠さないで何言ってんのよ。ほら早く服着て来なさいよ」
胸のネックレスがキラリと翻ってイッチの母親は茂みの中に消えた。
リュウが水の中から出てきた。
「ゴホッゲホッ」
リュウはイッチの頭を小突くと、
「いきなりすぎんだろ」
と怒った。
「ごめん。慌てた」
「お前に気を遣われなくても自分で隠せる」
「そっか。飯リュウも食う?」
「いい。それより早く行けよ。また母ちゃん来るぞ」
リュウに促されてイッチは池からあがる。
岸に置いておいたタオルで体を拭く。
続いて池からあがったリュウの脚は、足首から下が無かった。
木の棒をつるで脚にくくりつけ、両足の長さを揃えていた。
その痛々しい姿に、イッチは何度見ても慣れなかった。
見る度に息が詰まった。
「オレ感謝も詫びも言わないからな」
イッチと並んで体を拭き始めたリュウが言った。
「感謝?詫び?何のこと?」
「水浴びならティオオの西公園でも出来る。お前の家もそこら辺にあるんだろ。オレを憐れんで郊外の森まで来てるんだろうが、オレは頼んでないからな」
「いらないいらない。こっちの池の方が広いし貸しきりだし、葉っぱの屋根あって涼しいから来てるだけだって」
リュウはイッチの笑顔から顔を背ける。
「お前友達いないだろ」
「いるよ。いっぱい!」
リュウは照れ隠しがうまくいかなくて顔を歪めた。
ガササ。
茂みから物音がした。
イッチは持っていたタオルでさっとリュウの背中を覆った。
木の影からチロチロとリスが走り去っていった。
「なあ~んだリスか」
「いいっつってんのに」
そうは言いながらも緊張で強張っていた背中から、イッチはタオルを剥がす。
現れたのは美しい羽だった。
イッチはリュウの背中に生える小さな羽を暫く見つめた。
「急げよ」
リュウの一言で我に返ると、イッチは服を着た。
リュウも服を着る。
服を着ると羽が生えているところは少し盛り上がるがほとんど普通の人間と変わらない。
「あの日、俺本気でリュウのこと天使だと思ったんだ~。あれからもう一年か」
イッチは初めてこの森で眠っていたリュウを発見したときのことを思い出していた。
そのときから既に足は無く、羽は麗しく背中に有った。
イッチは、いつもなら「速くしろ」と喝を入れてくるリュウが何も言わないので見てみると、リュウは静かに空を見上げていた。
「もうすぐ一年......また、来るのか......」
イッチには何が来るのか分からなかった。
「暑いわね~。イッチ、水汲んできてちょうだい」
イッチはティオオの西街に住んでいる。
木造の家が立ち並ぶ街は端から端までモーター車で二日かかるほど大きい。
常に大竜が上空を旋回していることから竜の街とも呼ばれている。
イッチは木桶を台車に十個ほど乗せると勢いよく家を飛び出した。
郊外に向かって走っていく途中いくつもの井戸を通りすぎた。
イッチの水汲みは一年前から半日かかる大仕事になっていた。
「リュウー!!!」
池のほとりで一通り水汲みを終えると、イッチは周りの森に向かって大声で叫んだ。
「うるさい」
リュウは背の高い木のてっぺんにいた。
木から飛び降りると、ふわりと羽を使って地面に着地した。
「いいなあー羽。それがあったらスカイアに行けるのになあー」
「お前本当そればっかだな」
「だって天使がいたんだぜ!?天空都市スカイアだって絶対あるじゃん!」
「......天使って俺のことか」
「なあもしかしてリュウってスカイアの住人なんじゃないの!?スカイアからその羽で降りてきたんじゃないの!?」
「知らない。分からない。覚えてないんだ」
リュウは困った顔をして笑って見せた。
「早く思い出すといいな。いろいろ」
「......ああ」
ギュルルルルルルルルルル。
いつもと違うグランの鳴き声に、二人は思わず顔を上げる。
「なんだ今の。聞いたことない鳴き声」
イッチの十五年の人生で初めて聞く音だった。
地の底から響く、痰の絡んだような空虚な音が空気を割る。
耳を塞ぎたくなる声量に気がつくとグランがいつもより大きく見える。
「なんか近くない?」
イッチの声には喜びが混じっている。
ギュルルルルルルルルルルルルルルル。
また響くその音を、リュウはイッチと正反対の態度で受け止めていた。
「これは......鳴き声じゃない......」
「え?じゃあ何?」
「......腹の音だ」
「腹の音?お腹空かしてるってこと?」
リュウはゆっくりと頷いた。
その顔は青ざめ、手足がガクガクと震えていた。
「リュウ?大丈夫?」
足が痛むのか、リュウは地に膝をついた。
グオオオオオオオオオオオオオオ。
グランの唸り声が更に近づく。
地震のように地が揺れ、イッチも立っていられなかった。
「来る!!」
リュウの叫び声に合わせたかのようにグランが急降下した。
いつも遠くに見ていた腹が大きくなって、そして一瞬で視界から消えた。
と、思ったら、横から轟音がした。
ティオオの街の方だった。
「母ちゃん!!!」
今までずっと遠くから眺めていただけで気付かなかったが、大竜グランドライドはティオオの街の四分の一ほどの大きさだった。
「逃げるぞ!!!」
リュウが放心しているイッチの手を取る。
「何これ......何が起きてるんだよ......」
「補食だ。足りなかったんだ。生贄が」
街の上で大きな影が蠢いている。
リュウの言った通りグランは街を、人を、文明を喰らっていた。
「母ちゃん!母ちゃん!!」
イッチはリュウの手をほどくと街の方、竜に向かった。
「イッチ!!!どこ行くんだ!」
「母ちゃんはあいつの中にいるんだ。俺も行く!!」
「そんなことしたら死ぬ!」
「知らない!今ならまだ間に合うかもしれない!!」
「バカな事はやめろ!」
そのとき、地を貪っていたグランが首をもたげた。
背の翼が上下を始め、腹が浮く。
「あっ!待って、まって!まって!!!」
グランの翼から起こる風に二人は巻き上げられる。
グランの背を下に見るほど上空に飛ぶ。
「イッチ!!!」
リュウは宙でイッチを掴むと羽を目一杯動かし、風に抵抗した。
「嫌だ!俺は行く!」
リュウは泣きそうな顔で首を一生懸命左右に振った。
グランが空に向かって飛び立つ。
大きな口が二人の足元に迫る。
「離せ!!!」
本格的に引き剥がしにかかったイッチを見て、リュウは諦めたように片手を離した。
「ちょっと待て」
リュウは離した片手を背に持っていく。
バキッと音がしてリュウの顔が苦痛に歪んだ。
リュウは自分の背から羽をもぐと、イッチの手に握らせた。
「え......」
「これをもってけ。せめてお前だけは助かる」
「リュウ?」
「一緒に行けなくてごめん」
リュウはぱっと手を離した。
イッチは真っ直ぐに下に落ちていった。
イッチが最後に見たリュウの顔は酷く辛そうで、悲しそうだった。
リュウは片翼でフラフラと降下していった。
イッチは暗闇に覆われた。
ここはグランの喉だろうか。暫くして意識が無くなった。
目を開けると、そこは知らない家のベッドの上だった。
「あら、起きた?大丈夫?」
「あの、ここは......」
「スカイアのA区よ」
「スカイアの......A区......?スカイアの......?スカイア!!??」
近くにいたおばさんの言葉に俺は飛び起きた。
「ちょっとダメよ!まだ寝てなきゃあ」
「それどころじゃないよ!ここがスカイアだなんて、まさか、本当に......!!」
起き出そうとする俺をおばさんはベッドに押し付けた。
「まだ混乱してるのかしら。あなた、水際で倒れてたのよ。きっとさっきの大洪水に巻き込まれたのね。覚えてる?自分の家は分かる?」
「大洪水?」
「やっぱり覚えてないのね。大丈夫。落ち着くまでここにいていいわよ。ほら、だって背中も痛むでしょう?」
「背中?」
おばさんに言われて背中に意識を向けるが特に痛みは無かった。
他も、頭が少しズキズキするくらいで別段体に変わりはなかった。
「大丈夫です」
おばさんはけろっとした俺に向かって驚いた顔で「無理しなくていいのよ」と言った後、俺の寝ているベッドを指差した。
「だってあなた、翼が折れてるじゃない」
視線を下げると、布団の上に美しい羽が置いてあった。
これ、リュウの。
「もう片翼はどこかにいってしまったのね。後でお医者さんのところに行かないとね」
おばさんがお茶の入ったコップを渡してくれた。
「ありがとうございます」
口をつけると、ビリリッ!!!と舌に衝撃が走った。
「いっ!」
思わず口を離す。
「あら熱かったかしら。ごめんなさいね」
「いえ......」
よく見るとコップから湯気のようなものが少し立っていた。
だが今のは熱さではない。明らかな痛みだった。
舌には火傷が残った。
「あの俺イッチって言います。いろいろありがとうございました。でも、あの、探さなくちゃいけない人がいるので失礼します!」
俺は翼を持ってベッドから出ると、一番近いドアを開けた。
「そこはトイレよ」
もう一つのドアを開けるとそれは外につながっていた。
振り替えると、おばさんにもリュウと同じ羽が生えていた。
やっぱりリュウはスカイアの住人だったんだ。
「ありがとうございました!!!」
俺は元気よく挨拶して家を出た。
スカイアはティオオと違い、ほとんどの物が石で出来ていた。地面も石も、視界に入る全てが白い石だった。
本当にグランはスカイアへ俺たちを連れていってくれる存在だったんだ。
だとしたら母ちゃんもどこかにいるはずだ!
俺は手当たり次第に歩いた。
「母ちゃーん。母ちゃーん」
大声で叫びながら母ちゃんを探した。
どれほど歩いただろう。
太陽はどこにあるのだろうか。
見上げると曇っているのか暗くて上空が見えない。
そういえば金銀財宝なども見当たらない。
あの話は嘘だったのか。
俺は何日も歩き続けた。
途中、黄色の実がなる木を見つけ一つ拝借したが、酸っぱくてあまり美味しくなかった。
言い伝えられている黄金の甘い果実とはこのことじゃないだろうな。
そうでないことを願った。
遠くに壁のようなものを見た。
黒い大きなそれは近づくにつれて空と地面つながっていった。
完全に空とつながる頃にはここがドームのように上も横も囲まれていることに気づいた。
「あああああああああ」
「うわあああああああ」
「ごめんね、ごめんね」
視界の端に人だかりが映った。
そこから鳴き声やら叫び声やらが聞こえてくる。
沢山の人を割って入ると、中心に大勢の子供たちがいた。
皆一様に泣きはらしたような顔をしていた。
今も泣いている子もいる。
そして片足に鉄で作った重り玉をくくりつけられていた。
固定具が食い込んだ足首を見たとき、俺はリュウの片方が無い足を思い出した。
「113、114、115」
なんだか黒い服を着た男が子供たちを数えていく。
総数120だった。
子供たちの群れの先は床がなく、水が見えていた。
ということはここは水上都市なのか。
「只今より、大竜への生け贄の儀を始める」
黒ずくめの男が放った言葉に俺は聞き覚えがあった。
生け贄。
すると黒男は子供を一人引っ張った。
列になって子供たちは後をついていく。
その足取りは重い。
子供たちが向かう先は水だった。
まさかあの大量の子供を沈める気か!?
俺の思った通り、最初の子供が男に押され、水の中に消えていった。
それから一人、また一人と子供が水に吸い込まれていった。
足についた重りのせいで急降下していく子供たちの叫び声を俺は聞いていられなかった。
「やめろー!!!」
大声をあげて飛び出していくが、誰もこちらを見ない。
ここでは珍しいことでは無いということか。
俺は子供の背を押す男の腕にしがみついた。
「はなせ!」
男が俺を振りほどこうと体を振る。
俺はそれでもしぶとく掴みかかる。
が、暴れる男の体が子供に当たって、子供が水の中に落ちた。
「あっ」
咄嗟に子供の腕を掴んだ俺も水の中に落ちてしまった。
「ぐあっ!!いだいいだいいだいいいいいいいいい」
だがそれは水ではなかった。
体が焼けるように痛い。
皮膚がビリビリと刺激を受け、溶け、剥がれていく。
なんだこれ。
皮膚の一層目は既に無くなっていた。
俺はどんどん沈んでいく。
後から子供が追い抜いていく。
不思議なことに子供たちは皮膚がしっかりついている。
俺の皮膚が二層目まで無くなった頃底についた。
底には木片やお皿、溶けかけた家の残骸などが積まれていた。
既に剥き出しになった目玉キラキラとそこここに金が光っているのを見た。
これは......ティオオの街......。
まさか、これは......。
底に背骨がつく。
隣には人間の骨がいくつも散らばっていた。
近くに塗装が剥げたモーター車があった。
中に人間の骨が入っている。
首には綺麗なネックレスがかかっていた。
俺にはそれが、母ちゃんが常に身に付けていた物に見えた。
ところどころ骨が出た体でリュウの羽を見た。
羽はこの不思議な水の中でも美しくその姿を保っていた。
「みんなー!!!」
曇った声が液体の中に響く。
「ここにー穴がーあるー!!」
声の方を見ると、一筋の小さな光が射していた。
子供たちが重い鉄球を引きずり、そこに集まって、そして消えていく。
俺も、俺も行かなきゃ。
もう感覚が無い。
進んでいるのか戻っているのかもよく分からない意識の中で、光は着実に近づいている。
もう少し、もう少し。
急に水の流れに乗ってぐんぐんと光が迫ってきた。
強い光に包まれて、俺は空中に投げ出された。