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その14


 その頃、風馬の監視下から脱出した紗由たちは、うれしそうに公園を闊歩していた。

「ぼうけんは、やっぱりいいねえ」

「そうだねえ、さゆちゃん。やっぱり、こうでないとねえ」

「いっぱい、かけっこできて、かなこ、たのしいなあ」

「にんじゃのトレーニングにはぴったりのばしょでござる」

「ぼくも、あし、まめできないし」威張ったように奏子を見る恭介。

「もうすぐできますから」

 きっぱりと言い放つ奏子に、恭介はべそをかいた。


「恭介くん。すぐなかないの。ほら、かべのなかにはいるよ」紗由は防災壁の前で恭介の背中を押した。

「うん…」涙をぬぐって壁を見上げる恭介。

「うわあ。ながいかべだねえ。ずーっとずーっと、あっちのほうまであるよ」

「あ。なんか、においがするよ。このかべのなか、スタンプのにおいがする!」

「よしっ。じゃあ、行くよ!」

「おーっ!」

 5人は勢いよく壁の中に飛び込んでいった。


  *  *  *


 紗由たちが、壁の入り口から10分ほど歩いて遊具のある広場にたどり着いた頃、壁の入り口周辺では何やら騒ぎになっていた。

「ねえ、何? あの煙」

「変なにおいがしない?」

「け、煙があそこに…!」

「火事?」

「誰か通報して!」


 壁際では炎が燃え上がり、通行人たちが上着を脱いで叩き消そうとしていたりしていたが、火の勢いは強まるばかりだった。

「危険です! 皆さん、オリエンテーリング会場の外に非難してください! 危険です!」

 男の声に、近くに居た人々は、一斉に入り口方面に向かって走り出した。


  *  *  *


 上から見ていた龍たちも、公園内の異変に気づいた。

「火事かな。煙が見える」

「防災壁があるんだよね、あの辺」翼が覗き込む。

「えーと、防災壁ってことは、火事んとき、閉じたりするん?」

「…するだろうね」

「それ、まずくない? 彼ら、あの中だよね」

「へたすると、皆あそこに閉じ込められるちゅうことか?」

「かもね…」龍は腕を組み、静かに眼を閉じた。


  *  *  *


「大変です! あそこの壁の傍で…遊具の傍で火が燃えています」

 公園内の指導員に扮した躍太郎に男が駆け寄り、大声で叫んだ。ショウに“火”を点けられそうになった男だ。

「どちらですか?」

「あのウンテイの向こうです……あ…」

「どうしましたか?」

「い、いえ。何でもありません。とにかく、あっちです」

“こいつ、私を知ってるな…”


「わかりました」躍太郎はスマホを取り出した。「ポイントD近辺で火が上がっています。至急、消化活動をお願いします」

「じゃ、じゃあ、僕、皆に知らせてきます!」男はそう言って走り出した。

「君、ちょっと待って! 危ないですから非難してください!」

「大丈夫です!」

 そう叫んで走りながら、男は心の中で考えていた。

“畜生、何でだ? 何で“火”が使えなかった…?”

 男は、しばし立ち止まり、悔しそうに手の中のライターを握り締めた。


  *  *  *


 躍太郎も管理事務所に向かって走り出し、防災壁が閉まらぬようにシャッターを操作しようと試みた。

「停止ボタンが効かない…」

 躍太郎は周囲を注意深く見回すと、軽く目を閉じ進を呼んだ。

“聞こえるか。シャッターが閉まり始めた。公園内からは操作ができない。私は中に残る”

“承知しました。5人も今その中です。市役所側でロック解除できない場合は、私も中へ”


 進は市役所の中にいる渉に電話した。

「防災壁が閉まり始めた。止められるか?」

「それが通報はあったんですけど、システムダウンで、園内の管理事務所からでないと…」

「園内からも操作がきかないようだ。俺たちは中に入る。…村上先生は?」

「屋上のヘリで待機しています」

「わかった。行くぞ、未那」


 二人は人混みに逆流しながら、閉まりかけたシャッター目指して走った。

 外に出ようとする人々がたくさん内側から走ってくる。

「かなり出てくるわね」

「壁の近くにいた人たちは、ほぼ出たかな」

「気づかない一般人も、まだいるかもしれないけど…」

「そういう人を見つけたら、特定の場所に留まってもらうしかないな。龍さまに上から様子を確認してもらおう」

 進はスマホを取り出した。


  *  *  *


 目の前に小屋が現れ、ここには何かあると思った5人は、少し足早になった。だが、小屋に入ろうとした直前、風が吹き、真里菜が不審そうに周囲を見回した。

「ねえ、さゆちゃん。なーんか、へんなにおいがするよ。ママのこげちゃったたまごやきみたいなの」

「さゆちゃんたち、ここにいて。かなこ、ちょっとみてくるから」

「あ。かなこちゃん!」

 真里菜が叫ぶが、時はもうすでに遅しで、奏子の姿は彼方に行ってしまっていた。

「あいかわらずでござるな、マドモアゼル」

「じゃあ、こやのまえで、ちょっと、おやつでもたべて、まってましょう」

「そうだね。かなこちゃん、あしはやいから、すぐもどってくるよ」

「しょうがないなあ」

 文句を言いながらも、恭介は一番に座り込み、リュックからクッキーを出すと、そそくさと食べ始めた。


  *  *  *


 紗由たちとはぐれた風馬たちは、時折、龍と連絡を取りながら、その後を追っていたが、紗由たちがバラバラの方向に歩いてはまた集合するという不規則な動きをしていたので、上にいた龍たちも目視では時々位置を見失っていた。

 しかも、ボヤ騒ぎでオリエンテーリング公園から出ようとする人々が大勢歩いてくる。

 それでなくても遊具や樹木が死角となる場所も少なくなくはなく、子どもたちの姿を見失うのも無理も無いといった状況だった。


「今、上から見えているのは走ってる奏子ちゃんだけだ。人がごちゃごちゃしてて、上からも判別しづらい。時折消えるんだけど…GPSだと、シャッターが閉まったエリアの奥のほうに向かってると思う。小屋があるから」龍が言う。「ただ…翔太がさっきから紗由に呼びかけてるんだけど、答えないらしい」

「…冒険を邪魔されたくないってことだろうな。わかった。また後で」


 風馬は電話を切ると、続いて華織に連絡した。

「母さんのいる部屋から何か見える? 龍たち、今、奏子ちゃんしか見えてないみたいだ」

「あなたたちより、だいぶ先に進んでいるようよ。壁の中…奥の小屋の近くあたり。目で確認したわけじゃないけど…」

「母さん。昼までは物理的な確認だけにしておいてよ。禁忌日にそれをやったら負担がかかりすぎる」心配そうにいう風馬。

「そんなこと言ってられないわ。紗由たちが今いるエリア、防災壁のシャッターが閉まっちゃったみたいなんですもの。…あ、進ちゃんからだわ」

「僕が進兄さんに連絡するよ」

「ダメよ、風馬。焦っているのはわかるけど、電話での連絡先をむやみに増やさないで。様子を知りたいなら、午前中は龍と私だけにして」

「わかったよ…」


 華織は風馬との電話を切ると、進からの電話に出た。

「今どこなの?」

「壁の中です。紗由さまたちもこの中に。おそらく奴らも。先ほど龍さまに園内の様子を確認しました。これ以降、昼までは“直接”話せる相手とだけ連絡を取ります」

「わかりました。気をつけて」


 華織が電話を切ってすぐに、今度は躍太郎から連絡があった。

「もう、大忙しだわ」

「進から連絡があったか?」

「ええ、たった今。みんなその中のようね」

「ああ。それとさっき、私の顔を知っている人間がいたよ。私からいったん逃げるふりをしたが、気配からすると、まだ少し離れたところにいるようだ」

「あなたもお気をつけて」


「ああ。でも、今から人を動かしても、入り口から10分ぐらいはかかりそうだな…」

「だったら、上から行かせますわ。それに、あと15分で通常運行に戻りますから」

「そうだな。ただ、子どもたちの足が速い。ボヤ騒ぎで行ったりきたりしてたら、かなり離されてしまったようだ」

「念のためこの後、正午までは、進ちゃんと翔太くんの3人で連絡しあってください。紗由がどうも応じないようなので」

「わかった」

 躍太郎は下見の時点で目星をつけていた小屋のほうへと足早に向かった。


  *  *  *


「あの…何かあったんですか?」

 参加者の30代ぐらいの男性が、進に近づいてきて尋ねた。

「ええ。どうやらボヤ騒ぎだか、異臭騒ぎだかがあったようなんです。今、防災壁は封鎖のようです。あの百葉箱の傍の小屋で待機するように係の人に言われました」

「じゃあ、しばらく出られないのかなあ…」

「あら、大丈夫よ、あなた」傍らの女性は、充のお目当てのきれいなお姉さんだ。「小屋の裏側の壁に階段があったじゃない」

「ああ、そうか」


「階段ですか?」進が聞く。

「ええ。足場みたいな感じで。壁の外に何か作ろうとしてるのかしら。ねえ、あなた」

「うん。あそこからなら外に出られるな」

「そうなんですか。教えていただいて、ありがとうございました。急いでいたんで、待機するように言われて困ってたんです。助かりました」

「いえ、こちらこそ。じゃあ、お先に」

「ええ。お気をつけて」

 夫婦は進に会釈するとその場を立ち去った。


「面倒なことになったわね…」

「未那」

「連れて逃げられる可能性、大」

「今の女性、階段の件を伝えた後、口元に微表情が見られた。何かあるな」

「ウソだってこと?」

「ウソか、安心感から来る表情か…行ってみないとわからん。だが彼女の話が本当なら、こちらが逃がしたい人間を、そこから先に逃がすこともできる。とりあえず確認だ」

 二人は先ほどの男女の後ろをすり抜けるようにして、遊歩道になっていない樹木の隙間をぬって小屋へと向かった。


  *  *  *


 紗由たちは、恭介の持参したクッキーを食べ終えると、今度は紗由が持参していた大福を食べることにした。

「おねーさん、どこへ行ったのでござろう?」

 ちょっと先にいたはずの、お気に入りのお姉さんを見失った充が、未練一杯につぶやく。

「ちょっと! いまは、それより、かなこちゃんでしょ!」

「はあぁい」

 充がいやいや返事をすると、すかさず真里菜がキックを入れる。

「ああぁん」


「まったくもう!」

「でも、おねえさんたち、こやにはいったよね。また、でてこない。むこうにでぐちがあるのかなあ?」紗由が首をかしげる。

「せっしゃ、ちょっとようすを見てくるでござる!」充は一目散に駆け出した。

「ちょ、ちょっと、充くん! かってに行ったらダメだよ!」

 真里菜が叫んだが、あっという間に充の姿は小屋の中に消えた。

「にげられた…」


 その時、小屋の横の茂みから奏子が姿を現した。

「ただいまあ」

「かなこちゃん!」

「なんかね、みんな、かべのむこうにもどっていってたよ」

「なんで?」真里菜が尋ねる。

「かじなんだって。かべがね、シャッターみたいなのがでてきて、しまっていったの」

「かじ? でも、さっきみたいに、こげたたまごやきのにおいしないよ」

「火はきえたって、いってたひとがいた。でも、かじがおおきくならないように、かべがしまるって」

「じゃあ、じゃあ、とじこめられたんだ、ぼくたち…」恭介が泣きそうな顔になった。


「こんなにひろいのに、とじこめるって、どーゆーこと?」

 真里菜の言葉に、3人も辺りをぐるりと見回した。壁の存在はもう目で確認することはできないくらい遠くだ。

「みんな、にげたのかな。だーれもいないし…」真里菜も辺りを見回す。

「じゃあ、スタンプもらったら、さゆたちもにげようか」紗由が言う。

「そうだね。じゃあ、こやにはいろう」

「充くんは?」奏子が聞く。

「さきに、こやに、はいっちゃったの」


「はやく、はやく充くんのところにいこうよ!」走り出そうとする恭介。

「あ。かってにはしっちゃ、だめだよ。ほら、手つないで」

 紗由は恭介の左手をつかむと、真里菜を見て目で合図した。

「じゃあ、こっちはまりりんね。はなしたら、キック3かいだからね」

「わ、わかった…」

「いくよ!」

 紗由と真里菜は小走りに走り出し、恭介は囚われた宇宙人のようになりながら、引きづられていった。


  *  *  *


 小屋の中では、充があちこちを叩いたり押したりしていた。

「なにしてるの?」

「かくにんでござる。おねーさんのすがたがないということは、どこかにかくしとびらが」

「おねえさん、いないんだ」

 紗由は小屋の中をぐるりと見回すと、隅のカーテンの前に行き、それを横に開いた。そこにはドアが着いている。

「これ」

「うわあ。ドアがかくれてる。…うん、おそとのにおいがするね」

「スタンプおしたら、でよう」

 紗由はいったんカーテンを閉めると、反対の隅にあった大きなテーブルの上のスタンプを取ろうと、テーブルによじ登った。


  *  *  *


「…そう。わかったわ、ありがとう」電話を切る未那。

「どうした」

「麻那ちゃんから。ショウは無事ですって。弾くんと一緒にこっち側に来るわ。あと、消防車が出動して消火に当たってる。壁の操作ロックも、もう少しで解除されそう」

「早くしないと、我々が“救出”されてしまうな」苦笑する進。

「そうね…あ、ここね。さっきの彼女が言っていたのは」

「確かに階段といえば階段だな。子どもでも上れそうだ」進は近くの樹の枝を折り、“階段”に触れる。

「反対側にもあるし…困った時はここから出てくださいと言わんばかりよね」階段を上って外側を確認する未那。

「問題は、誰が困ることになるか…だな」

「ねえ、今…子どもの声、しなかった?」

「小屋の中か。確認だ」

 二人は小屋の入り口側へと静かに回り込んだ。


  *  *  *


「さあ、はやくでて」

 紗由は皆を促して、先ほどのドアから出ると、ドアを閉める前にカーテンを引いて元どおりにしておいた。

 いったん小屋の外に出ると、ドアのすぐ右側には普通の遊歩道が、そして左側には低い藤棚のようなアーチがあり、子供たちは一様に左側のほうに興味を持った。

「こっち、いってみよう」

 少し薄暗い小路のようなたたずまいに、5人はぎゅっと拳を握ると、足早に歩いて行った。


  *  *  *


「いないな…」

 進は小屋の中を素早く見渡したが、そこに5人の姿はなかった。

「進、これ」

 未那はカーテンの裏のドアを開け、そっと辺りをうかがった。

「ゴールは右側を行った先のはず。もう着いちゃったのかしら」

「いや、きっとこっちを行ったはずだ」

 進は紗由たちが進んだアーチを見ながら、草むらに落ちていた木の案内札を指差した。

「立ち入り禁止の札? 奴らの仕業なら急がないと危ないわ!」

「このアーチじゃ、上からも見えないな…」

 進はそう言いながら傍らの高木に登り、アーチの終わる場所を確認した。

「ざっと200メートルだな。アーチの外側を行こう」

 二人は注意深く、その横を歩き始めた。


  *  *  *


「ねえ、あれでよかったのかしら?」

 さっき進に小屋の後ろの階段のことを教えた女性は、連れの男性につぶやいた。二人は小屋を出た後、紗由たちが行かなかった右側の道を抜け、ゴールの手前まで来ていた。

「うーん。とりあえずセリフは全部言ったし…」

「違うわよ。何であんなこと頼むのかしら。ちょっと子どもたちと話をして、ちょっと通りがかりの人と話をする。それで5万くれるって、やっぱり変よね」

「…まあ、いいじゃん。気にするのやめようよ。別に悪いことしたわけじゃない」

「そうだけど…」


 その時、彼女の横を通った男が、背中からピストルのような形にした指を女性に向けた。日下部がショウに渡した写真の、もう一人のほうの男だ。

「ううっ」女性がその場に崩れ落ちる。

「だ、大丈夫か! おい、おい!」

「あ、熱い…」胸を押さえる女性。

「だ、誰か、誰か来てください! 救急車!」


「どうかしましたか?」

 声をかけてきたのは、進や未那と合流しようとして、防災壁内に侵入した麻那と弾だった。シャッターがまだ閉まった壁の近辺は人が多いとのことだったので、いったん外に出てバイクで周り、オリエンテーリングのゴール側から壁内に入ったところだった。

 女性の傍に行った麻那は、首の脈を取ると、スマホを取り出した。

「渉さん? 村上先生のヘリをよこしてくれます?…急患なの。さっきみたく地面沿いに出られないから。ええ。お願いします」

 麻那は腕時計を見ると小さくため息をついた。


  *  *  *


 200メートルほど続いた曲がりくねったアーチは終わり、紗由たちが出たのは大きな木が生い茂った細い道だった。広いほうの道もあったが、タイヤが積まれていて進めないようになっていた。

「こっちだとおもうんだけどなあ…」

 真里菜がタイヤの山を指差すと、恭介は泣きそうな顔になった。

「こんなの、のぼれないよ」

「うーん。じゃあ、こっちにしましょう」

 細い道を進みだす紗由について、一同は10分ほど歩いたが、次第に真里菜が不安そうな表情になる。

「ねえ、さゆちゃん、へんじゃなあい。なんか、ぐるぐるまわってる。おなじにおいのとこに、もどってるもん」

「うーん。てきにはめられたかなあ」


「ど、どうするの、さゆちゃん」不安そうな恭介。

「むかえにきてもらおうかなあ…」

 上空でヘリが飛ぶ音がしたので、紗由は空を見上げて腕を組んだ。

「おじいちゃんとまちあわせしようって、いったのに…」

「わかった。じゃあ、ありかわせんせいに、むかえにきてもらいましょう。恭介くん、ここにいるよって、つたえて」

「えーと…」スマホを取り出す恭介。「でんわはダメだ。つながらないよ、ここ」

「あたまのなかで、よぶの」

「そんなのできないよ…」

「できるの!」

「は、はい」

「さゆもやるから」

「う、うん…」

 やはりよくわからないものの、恭介は心の中で一生懸命に有川を呼んだ。


  *  *  *


“恭介?”

 仕事を終え、オリエンテーリングに向かおうと、部屋に戻る途中だった有川は、恭介の声が聞こえたような気がして、辺りを見回した。

「どうかなさいましたか?」秘書が尋ねる。

「いや…孫の声が聞こえたような気がして」難しい顔になる有川。

“まさか恭介に何かが…?”

「それより、さっき言ってた公園内の防災壁が封鎖中というのは本当なのか?」

「はい。ちょっとしたボヤ騒ぎだそうで、もう消防も引き上げているようなのですが、どうやら防災シャッターの操作が故障しているようで、今はそっちの点検待ちです」

「そうか…」


 有川は、その時鳴った電話に慌てて出ると、ドアを開けて部屋に入った。

「驚かせてごめんなさいね、建造さん」

「華織さん!」

「ちょっと手をお借りしたいの」

「何でしょう」

「自衛隊のヘリを公園内に回していただきたいの」

「ヘリ…ですか?」

「恭介ちゃんたち、今、GPSで追えない場所にいるようなの。お供の風馬たちを巻いて、5人で逃げちゃったみたい」

「え…?」


「しかも、今、そのエリアに入れないのよ」

「防災壁の中ということですか?」

「話が早いわ。それに…どうも、あまりよろしくない人が何人かそのエリア内にいるみたいで、恭介くんたちを早めに回収したほうがいいと思って」

「ですが、私の一存では…。管轄外なので」

「大丈夫。自衛隊の最高責任者には知らせてあるわ。そちらへも連絡が行くはず」

 自衛隊の最高責任者というのは、総理大臣である保のことだ。

「…わかりました」


「でも、小さいのでよくてのよ。CH-47みたいに大げさなのだと目立ちすぎるから、もっと可愛いタイプでね」

「…お詳しいですね」

「うふふ。家のヘリを買うとき、いろいろ研究したのよ」

「さすがです」

「本当なら、家のヘリを使いたいところなんですけど…」

「沖縄までは時間が掛かりすぎますね」笑う有川。


「うちのヘリも来てるのよ。保ちゃんが乗ってきたから」

「なぜそれをお使いにならないのですか?」

「今、病人の搬送に使ってるの。戻るまで、もう少し時間がかかりそうだし…」

「恭介たち、そんなに急を要する事態になってるんですか?」

「ごめんなさい。今、お伝えできるのはこれぐらいなの。建造さんもヘリで行っていただけるかしら。

 現地には私の配下の者たちもうかがわせます。一人はガタイのいい強面の男性。賢ちゃんより、ちょっと大きいかしら。

 もう一人は艶やかな美人。では、よろしくお願いしますね」

 電話が切れた後、有川はしばし考え込んだが、結局、華織に言われた通り指示をした。


  *  *  *


 アーチを抜けた進と未那は、再び道が誘導されているのを見て眉間にしわを寄せた。

「向こうも懲りないわねえ。やっぱりこっちかしら」

「紗由さまに“直接”連絡しよう。急患でヘリを取られているし、今何かあったらまずい」古株に腰を下ろす進。だが表情は次第に険しくなる。

「通じないな…。思念にも妨害が入る」

「この分だと、GPS電波も拾えなさそうね」

 だが、未那がため息をついたとき、市役所のほうから正午を知らす鐘の音が流れ、進の頭の中には華織の声が流れてきた。


  *  *  *


「どうした。遅いじゃないか」

「すまない。体調があまり良くなくて…」

「そんなのは俺も同じだ」

 小屋の裏から少し離れた場所で話しているのは、日下部がショウに渡した写真の男たちだった。

「だが、そんなことは言ってられない。四辻の子どもに“火”を使って反応を見る。力がかなりありそうなら、その場で眠らせて拉致だ。その子はこちら側の子にする」

 言われた男は、さっきボヤ騒ぎを起こすときに、その肝心の“火”が使えなくなっていたため、少し顔を曇らせた。

「ところで、ガキ共はどこなんだ」声が震えないように注意しながら尋ねる男。

「バイトを頼んだ奴らが、この地点まで見える範囲にいたのを確認している。その後も誘導どおり道を進んだようだ。…今はこの辺りだろう」


「わかった。で、そのバイトたちは大丈夫なのか」

「女の喉の辺りに“火”を入れておいた。火事のときに喉に火傷を負うのと同じような感じにな」

「病院に運ばれたら、まずいんじゃないか。男のほうが何かしゃべるかもしれないし」

「こっちに注意が向かないよう、怪我に気を逸らすってことだ。それに彼らが他人に何を話そうが、その意味がわかるはずもないし、怪我の原因もわかりようがないだろ」

「まあ…そうだな」

「よし、じゃあお前はそっちから回れ。この辺りで挟み込もう」

 男たちは二手に分かれた。


  *  *  *


「…重爺がこっちに来てるらしいわ。龍さまの指示ですって」

 妹からの電話を切ると難しい顔になる未那。

「重治先生が?」進も表情を変える。

 重治というのは未那の祖父の神命医だ。その中でもトップの存在に当たる。

「やはり華織さまは午前中も、かなり力を使っていたんだな…」進は上空を見上げ、遠くにヘリの姿を確認した。「まあ、済んだことは仕方がない。重治先生の調整と、風馬さまの“癒”の力で何とかしていただこう」

「村上先生にも、そちらに回っていただいたほうがいいかしら?」

「いや。必要なら、麻那ちゃんに行ってもらおう」

「わかったわ」

 未那も近づいてくるヘリを見上げながら、ホバリングの風から目をかばうように、腕を掲げた。


「君は…華織さんの?」

 降りてきた有川が、進を一瞥すると尋ねた。

「はい」

「ああ…昔、華織さんの家で、会ったことがあったね」

「はい…」有川に頭を下げる進。「高橋進です。こちらは妻の未那。医者をしております」

「高橋未那です」

「ああ、なるほど。そういうことか」二人を交互に見ながら悠斗の顔を思い浮かべる有川。

“四辻の弟子になるのを断ったのは、華織さんの弟子だったからというオチか”

「ご一緒させていただきますので、よろしくお願いいたします」

「では、具体的な手順を聞こうか」

「しばらく、そちらの方々にはずしていただきたいのですが」

 進の言葉にSPは威嚇するかのように前に出るが、有川はそれを制止し、「3分だけ、ここで待って」と言うと、進と一緒にヘリから離れた。


  *  *  *


「なんだか、さっきより、みちがくらくなってきたね」

 真里菜が辺りを見回した時、5人の後ろから男が現れた。日下部がショウに渡した写真の2人の片割れだ。

「やあ、皆でオリエンテーリングかい? おじさんも一緒に行っていいかなあ」

 人の良さそうな顔で声をかける男だが、真里菜が紗由にささやく。

「このひと、へんなにおいがするよ」

「おじさん、だれですか?」

 紗由は皆をかばうようにしながら、彼を睨みつけ、後ずさりした。

「だれって…名乗るほどの者でもないけどね。あ、おじさんのお友達も来たよ」

 男は仲間を手招きする。


「大人の言うことは聞かないとダメだよ。ほら、おいで」

 男の一人が奏子の腕をつかもうとしたが、奏子は男の手を引っかき、その足を思いっきり踏みつけた。

「いてっ!」

「みんな、にげて!」

 紗由の声で5人は一目散に走り出した。


「くそっ!」

 もう一人の男が奏子の背中に向かって人差し指を振り下ろしたが、奏子の様子に変化は無い。

「ちっ!」


「マドモアゼル! こっち!」

 充は奏子の手を引き、紗由たちから引き離し、植え込みの影に隠れた。

「マドモアゼルはむこうへ。せっしゃはこっちに、やつらをおびきよせるでござる」

 充はそう言うと、子どもたちを捜している男の一人の前に回って駆け出し、奏子に合図し、奏子は一目散に男たちの後ろをすり抜けた。


  *  *  *


「つまり、君が子どもたちを狙っている奴らの“気”の流れを探査するから、私はそいつらを“封じる”ということなんだね」有川が言う。

「さようです」頭を下げる進。

「華織さんの出番じゃないのかい、それこそ」

「華織さまは、本来、力を使うべきではない時間に力を使いすぎました。現在、かなりダメージがあると思われます。ご無理はさせられません」

「君は2番手ということか」

「というより、腕力行使が必要な場面になったら、かなりお役に立てるかと思います」

「なるほどね」進の身体を見つめながら微笑む有川。「それに、いざという時には、手当てをしてくれる美人女医もいるというわけか」


「私より力のある方々も、各ポジションで、それぞれに適した任に当たっておられます。ご不満かもしれませんが、その点はぬかりはございませんので、ご安心を」

「わかった。私はとにかく、恭介たちを無事に保護したい。気になっていた四辻の件も…何らかの形で関わっているんだろし、明らかにはしたいが、優先順位は子どもたちだ」

「華織さまも、そのようにご判断しておいでです」

「じゃあ、この件の采配は君に任せよう。行こうか」

 有川は進の背中をポンと叩くと足早にヘリへと向かった。


  *  *  *


“紗由、聞こえる? おばあさまよ”

“ごめん、いま、いそがしいの! にげてるとこだから!”

 植え込みの横に座り込み、周囲をそっとうかがう紗由。

“場所を教えて。靴から場所がわかるように、あまり樹のないところまで走って!”

“むり。木ばっかりだもん”

“わかりました。私が“入り”ます。あなたたちだけでは、もう無理。そこを動かないで”

“…おばあさま。それはダメ。さゆたちがなんとかしないと、おわらないんだから。さゆたち、みんなでがんばるから! だいじょうぶだから!”

“紗由、待って、紗由!”

 紗由は一方的に思念会話を切断し、その後、華織の呼びかけに答えようとはしなかった。


 華織はため息をつきながら目を閉じ、数秒で目を開けると携帯で村上に連絡をして、戻ってきたヘリの待機場所を変えるように指示した。

 そして引き続き、躍太郎、風馬、澪、誠の4人に連絡をした。躍太郎はまだ管理事務所の近くにいたが、風馬たちは紗由たちが立ち寄った小屋の傍まで来ていた。

“上からの追跡は建造さんにお願いしました。風馬と澪ちゃんは引き上げて”

“何考えてるんだよ、母さん。そんなことできるわけないだろ! 今、紗由たちの行方、わからないんだろ?”

“だから建造さんにお任せしたと言ったでしょう。可愛いヘリを出していただいたの”


“華織さん、風馬さんと澪を引き戻す理由は?”

 誠が尋ねると華織は淡々と答えた。

“ちょっと疲労が溜まってるから、風馬に肩を揉んでもらおうかと思って”

“あのね、母さん…”

“お前が来なくても澪ちゃんだけはこちらに戻して。先生に診ていただくわ”

“華織…それはもしかして…”躍太郎が反応する。

「澪…」風馬が澪の身体に触れる。「まさか、出来たのか?」

「もしかしたらと思ったりはしたんだけど、バタバタしてたし…」うつむく澪。

「そんなの、風馬さんや僕に任せればいいだろ」誠が険しい顔になる。「風馬さん、二人でここを切り上げてください」


「誠さんは?」

「僕は残ります。どうやら、このエリア、結界が張られているようだ。四辻先生の弟子たちでしょう」

「雅さんたち…森本と、その妹さんと、瑞樹さんの従姉妹だと思います」

「敵も四辻の気を何らかの形で習得しているはずです。敵が張った結界、崩していい結界を判別するには僕が適任です。長年、四辻先生と一緒に“仕事”していたわけですから」

「確かに、それはそうですが…」

 自分のせいで紗由たちとはぐれてしまったと思っている風馬は、その負い目があるのか、自分がこの場を離れるのは躊躇している。


「風馬さん。ここは兄さんに任せましょう。早くお義母さまの肩を揉んでさしあげないと」

 澪の言葉に風馬は若干の戸惑いを見せたが、誠に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「お任せください」

「大丈夫よ、風馬さん。結界の4人はそれ以上のことはできないかもしれないけど、兄さん以外にもこの公園内には四辻の気を学んだ者がいるわ」

「未那さんか…。そうだな。それに進兄さんもいる」

「さあ、早く。また何らかのはずみで封鎖されたら困ります」


 誠が促すと、4人の頭の中にまた華織の声が聞こえた。

“小屋の裏の階段を使えば、ホテルの入り口まですぐよ”

“わかった。ありがとう。…父さんはどうするの?”躍太郎に尋ねる風馬。

“私は残るよ。封鎖が解かれたから、また一般人が入ってくる。奥に行かないように誘導しなければならない。あ…”

“どうしたの、父さん”

“いや。弾くんと麻那ちゃんが来た。応援に入ってもらうよ”

“それなら安心だ。じゃあ、僕たちは行くね”

「あ、そうだ」誠が澪の腕をつかむ。

「なあに、兄さん」

「おめでとう、澪、風馬さん。澪、身体を大事にね」

「ありがとう」

 澪はやさしく微笑むと、風馬と共にその場を去った。


“躍太郎さん、今の位置を教えてください。そちらへ向かいます”誠が言う。

“いや、こちらが向かうよ。翔太くんが感知した“ぴかぴか”の線はそっち方面に向いているようだ。この近辺にも、紗由たちが通った気の跡がある。先へ進んでいるはずだ”

“わかりました。お待ちしています”

 誠は、頭の中で答えながら、遠くで聞こえるヘリの音に耳を傾けた。


  *  *  *


 やっとの思いで逃げ延びた紗由、真里菜、恭介の3人は、バオバブが群生している木陰で、辺りの様子をうかがっていた。

「どうしよう、さゆちゃん。かなこちゃんも充くんも、べつべつになっちゃった」

「せっしゃは、ここでござる」

「充くん!」

「しっ!」

「あ…」慌てて自分の口を押さえる真里菜。

「ただいま、もどったでござる」

「おつかれさま」

「充くん、よかった。よかった」


 手で涙をぬぐう恭介に、にっこり笑いかける充。

「マドモアゼルがいないでござるな」

「どうしよう…」今度は真里菜が泣きそうになる。

「せっしゃがさがすでござる。みなは、ここにいてくだされ」

「それはだめ」

 紗由はそう言うと、少し離れたところにある木陰へと一人で走り出した。なだらかな丘になっている場所で、一方が開けているので、さっきより全体を見渡せる場所だ。


 その時、強い風がびゅーっと吹き抜けた。

「かなこちゃんのにおいが、あっちからきたよ!」

 真里菜が振り返った方向を一斉に見つめる一同。

「あ! きた!」紗由が丘を駆け下り、元の薄暗い木陰へと戻る。

「さゆちゃん!」奏子が懸命に走ってきた。

「よかった。げんきでよかった」紗由が奏子をぎゅっと抱きしめる。

「あのね…あのね…。さっき、はしって、あそこ、あのとうだいにのぼったの」

 奏子が丘の向こうから、ちょこんと頭を出して見える長細い建物を指差した。

「かなこちゃん、そんなことしたら、あぶないよ!」真里菜が奏子の腕をつかむ。

「うん。でも、でもね、あそこなら、いっぱいみえるでしょう?」


「なにかみえたでござるか?」

「さゆちゃんちの、ヘリコプターがいたの。あそこの…かべのむこうがわ。でも、ヘリコプターがとんでるおとも、してて…あれ?」

 奏子が指差す方向の壁が少し小高い位置にあるので、ヘリの姿までは見えない。

「うちのヘリコプターがとまってたの?」

「うん。ほら、まえに、さゆちゃんちのべっそうで、みずうみのうえを、パタパタってとんだでしょう? きいろいおはなのえがあったもん。おんなじだったもん」

「さゆのだね、それ」腕組みする紗由。

 ヘリコプターの所有者は華織なのだが、紗由が黄色いお花がないと嫌だと駄々をこねたので、華織が仕方なく一面に黄色い花をペイントさせたものだった。


「それとね、そのかべのしたのほうから、おおきいわんこが、むこうにぬけてったの」

「かべ…というか、うえきのところでござるな。すきまがあいているところなら、子どもならとおれるでござるよ」

「じゃあ、そこから、かべのむこうへいって、ヘリコプターにのろう!」

「あ。おそらにも、ヘリコプターきたね」真里菜が空を指差した。

「あれにのせてもらえば?」恭介が自信満々に提案する。

「じゃあ、よんでください」奏子が言う。

「そんなこといわれても…」

「まあまあ。とにかく、ひめのヘリコプターにのろうでござる。で、えーと、ばらばらにはしるでござるか?」

「充くんと、いっしょがいい…」か細い声で囁く恭介。

「うーん」紗由は少し考えたが、思い切ったように言った。「じゃあ、いっしょにいこう!」

「はい!」

 5人は一斉に走り出した。


  *  *  *


「あの辺り。白い花が群生している辺りです」

 進が有川に耳打ちしながら指差した場所は、中央に白い花の繁み、その周囲はバオバブの木が群生していて、薄暗く、子どもたちがいたとしても、葉陰に座っていたなら、上から認知するのは難しそうだった。

「もうちょっと高度を下げて。…どうだい」

「…風に流れて消えました。ちょっと前までいたようですが」悔しそうな進。

「目で確認できる限り、怪しい大人というのも見当たらないな…」

 進は、パイロットとSPの目を気にしながらも、紗由との直接会話を試みようとしていた。

「すみません。もうちょっと考えさせてください」


“紗由さま。聞こえますか? 紗由さま。進…子です”

“あ。しんこおねえさんだ!”

“紗由さま、今どこですか”

“いま、はしってまーす!”

“え?”

“みんなで、さゆのヘリコプターでにげようとおもいます”

“ヘリに向かっているんですね”

 紗由のヘリコプターという言葉で、黄色い花模様のヘリに思い至った進は、自分が乗っているヘリの中から、村上医師が乗っているヘリの位置を確認する。

“かべのそとに、だっしゅつします!”

“どうやって? かべなんですよね”

“くぐりまーす! じゃあ!”

“紗由さま!”


 通信はそこで切れたが、進は有川に告げた。

「あのヘリを目指して、あそこの手前の壁に向かっています。5人一緒のはずです」

「壁に向かって…彼らはどうするんだい」

「くぐれる場所があるようです。管理事務所に詳細地図があるはずですので確認を」

「わかった」

 有川たちのヘリは、再び高度を上げた。


  *  *  *


「ガキ…どこ行った!」

 写真の男たちが苛立たしげに辺りを見回す。

「だいたい、お前な、腕つかんだら、その場で“火”を使えば良かったじゃないか」

 言われた男は、自分が“火”を使えなくなったかもしれないという事実を隠すために、わざと静かな口調で言った。

「じゃあ、今度俺が彼女を抑えたら、お前がやってくれ」

「そんなもの、その時々のタイミングだ!…ううっ」

「どうした?」

「さっきから頭痛が治まらない。走ると激痛がするんだ。…ヘリの音も、さっきからうるさかったし」頭を押さえる男。

「仕方ないだろ。総理と外務大臣が来てるんだぞ。テレビ局のヘリだって飛ぶさ。そんなのは織り込み済みじゃないか」

「それはそうだが、頭に響いて…よけいにひどくなったんだよ…」

「そんなに辛いなら、しばらく休め。ここで待ってろ。とにかく様子を見てくる」

「…頼む」


「いやいや。それはちょっと困りますね」

「え?」

 子どもたちを捜していた男が、驚いて振り向くと、そこには有川たちが立っていた。

「私も、大事な孫を狙っている人間を野放しにはできませんから」

「外務大臣…」

 後ずさりする男の影で、頭痛でしゃがんでいた男が立ち上がり、素早く両手を組み、印を結んだ。どうやら、それがこの男の“火”を発動させる時のやり方のようだった。


「あー、ムリムリ。生憎と私には効きません」

 有川は頭の中で強く念じた。“封印!”

「わあっ!」男が身体を硬直させた。

「お上手ですね、先生」有川の耳元で囁く進。

「昨日、プールサイドで実験済みだからね。でも、すごいなあ。身体が炎に包まれるような感覚だ。うん、練習にもうちょっとやってみようかな」

「や、やめろ…」

 男が頭を抱えながら後ずさると、もう一人の男が囲まれていない方向に走り出した。


「あ、そっちは…!」

 紗由たちが非難しようとしている方角だと気づいた進が後を追う。

「そいつはその辺に転がしておいて下さい。後で引き取りますから。先生は上からお願いします!」未那が走りながら言う。

「わかった!」

 有川がSPに合図すると、頭痛の男はさるぐつわと手錠をはめられ、植え込みの陰へと放り込まれる。

 そして有川は、ヘリへ戻ると華織に連絡をした。


  *  *  *


 紗由たちは、壁沿いに走り抜け、コンクリートが終わり、続いて高めの垣根になっている場所までたどりついた。充はその隙間を確認しながら、4人の前を走っている。

「ひめ! ここ! ここなら、ぬけられそうでござる!」

「おっけー! 行くよ!」

 大きさ的にはぎりぎりかと思われるその隙間を、器用にくぐり抜ける。

「あ…ハンカチ、ひっかかっちゃった…」

「いそいでるから、はやく!」紗由が叫ぶ。

 恭介は一瞬、名残惜しそうにしながらも、紗由たちの後を必死について行った。


  *  *  *


 有川たちの手を逃れようと必死に逃げた男は、壁沿いに抜けられる場所を探していた。今の時間は壁の向こう側は影になっていて、ヘリの上から見つかりにくいと思ったからだ。

“ん? これは…”

 コンクリ壁から垣根に変わり、少し行った地点で、男は子供用のキャラクターハンカチが落ちているのを見つけた。

“そうか…ここから逃げたか”

 男はニヤリと笑うと、垣根によじ登り始めた。


  *  *  *


「未那…」

 進が何か言おうとすると、未那が遮るように答えた。

「壁の向こうなら、ヘリの中で調べたわ。明日のイベントの会場よ。まだ会場設営中」

「イベントの内容は?」

「エコだった大昔代を体験するとかで、地下穴倉体験、昔のゴミ処理体験…そんな感じ」

「穴倉とか、勘弁してほしいな」猛スピードで走りながら、顔をしかめる進。「この時間、設営スタッフも昼休みでいなさそうだ。様子を詳しく教えてもらえそうにない」

「隠れる場所が一杯ありそうよね」

「ああ、急ごう」

 進は、より厳しい表情になり、二人のスピードはさらに上がった。


  *  *  *


「みえてきたよ、がんばって!」

 前方の丘の上のほうに、ヘリコプターのプロペラを確認した紗由は、後ろを振り向きながら皆に叫んだ。

「おーっ!」

 最後のダッシュと思ったのか、スピードを上げる子どもたち。

 だが、丘の手前の柵まで、あと50メートル位になった時、先頭を走っていた真里菜と充が、うわあと声をあげ、地面の穴倉に落ちて行った。

 そこは明日のイベント「地下穴倉体験」のためのもので、上には菰が掛けられていたのだが、ヘリだけを見ていて地面に注意を払っていなかった真里菜たちは、その穴に気づかなかったのだ。

 そして、後に続いていた恭介と奏子、一番後ろに回っていた紗由も、前の二人の異変には気づいたが、猛スピードで走っていたために止まれず、同じようにその穴に落ちた。


「いったぁい」紗由が膝を撫でながら、周囲を見回す。「…みんな、だいじょうぶ?」

 返事をする真里菜、充、恭介。それぞれに、手や足に擦り傷ができているようだ。だが、奏子の声はない。

「かなこちゃん…?」

 見ると奏子は、落ちた時に打ち付けたらしく、左腕のひじ下辺りを右手で押さえながら、苦しそうにうずくまっている。

「かなこちゃん、ケガした?」

 紗由の問いにも、苦痛でうまく声が出ない奏子。他の3人も心配そうに覗き込む。


「そこの岩で打ったんだ。ほねが折れてるかもしれない」恭介が奏子の傍にある大き目の岩を触る。

「どうしよう、さゆちゃん…」涙目になる真里菜。

「おこしてあげよう」

 紗由が、座り込んで前しゃがみになっている奏子の体を、そーっと起こして穴倉の地肌によりかからせた。

 傍らでは恭介が充のカバンに手を掛ける。

「みつるくん、おりたたみのかさ、もってたよね。それかして」

 いつもののんびりした様子とは違い、恭介の口調が幾分早い。

「どうするでござる?」素早くカバンを下ろして開ける充。


「そえ木っていうのにするんだ。ママがかんごふさんだから、おばあちゃまがピクニックの山でおっこちたときに、やってた。いたいところを、うごかないようにするんだよ」

 恭介は、充が差し出す折りたたみ傘を、そーっと奏子の腕に副えた。

「うぅ…」奏子が苦しそうに声を出す。

「誰かハンカチでしばって」

 恭介が指示すると、真里菜はおにぎりの入っている弁当箱を取り出し、その弁当箱ベルトをはずして奏子の腕につけた。充も真似をして、自分の弁当箱ベルトを渡す。


「かなこちゃん、たすけがくるまで、もうすこし、がまんしてね」

 励ます恭介だが、血の気の引いた奏子の顔色に、声が少し震える。

 その横で真里菜は自分のカバンから、紗由から預かっていた魔法のシートを出し、奏子の体にまきつける。奏子が震えていたからだ。その上から充がパーカーをふわりとかけた。

「あったかくしようね、かなこちゃん。…でも、でも、どうしよう…さゆちゃん…でられないよ。みんなの背より、たかいし」

 真里菜が見上げた穴の入り口までは、地面から2メートル近くある。


「まずは恭介くん、わるものがここに来ないように、ふうじて」

「え?」

「ふうじて」

「で、できないよ、そんなこと」

「できるから。だって、ようちえんで、わるものが“火”をつけたとき、けしたでしょ?」

「え?」

「あれは恭介くんがやったんだよ。ちゃんとできるから、やって」

「は、はい」

 返事をしたものの、どうやればいいのかわからず戸惑う恭介。

「“わるものは、くるな!”って、おもえばいいんだよ」

 恭介はまだ戸惑ってはいたものの、とりあえず紗由の言うとおりにした。


「まりりんと、みつるくんも、おんなじようにやってね。さゆは、にいさまに“でんわ”するから」

 そう言うと、紗由は静かに目を閉じた。


  *  *  *


“この辺にいるはずだが…”

 明日のイベントコーナーまでたどりついた男は、辺りをキョロキョロと見回した。

 だが、一気に走りすぎたせいなのか、少しめまいもするし、何か耳鳴りがして、辺りの音をうまく拾えない。

“畜生、どこ行きやがった”

 男はふらつき気味に歩き回っていると、突風が吹き、紗由たちが落ちた穴の傍に積んであった藁の束が、男に向かうように吹き付けてきた。

「うわあ!」

 男は必死に手で藁の束を振り払い、紗由たちが落ちた穴の横を駆け抜けて行った。


  *  *  *


“にいさま、たすけて!”

“どうした、紗由”

“あなにおちて、でられなくなっちゃったの。かなこちゃん、けがしてるし”

“怪我?”龍が険しい表情になる。

“恭介くんが、うでがおれてるかもって言ってた”

“わかった。すぐに手配するから頑張って”

“うん”


 龍は急いで進に呼びかけた。

“進子おにいさん、聞こえる?”

“はい、龍さま”

“紗由たちは穴に落ちて、奏子ちゃんが腕を骨折したかもしれない”

“わかりました。おそらく、すぐ傍まで来ていますので、救助に向かいます。村上先生に連絡して下さい。ヘリコプターまで奏子ちゃんを運びます”

“大丈夫だよね?”声が不安そうな龍。

“応急処置は未那が行います。ヘリには装備が積んでありますから、ご安心ください”

“わかりました。よろしくお願いします”

“紗由さまたちのこともご安心を。仲間もこちらに向かっていますから、必ず無事にお届けします”

“うん”


 進は意識を集中させ、紗由たちの気配を探ると、一点を見つめ、再度龍に呼びかけた。

“龍さま。大地くんにお願いしてください”

“大地に?”

“あなたを通じて奏子ちゃんに遠隔ヒーリングをしてもらうんです”

“…そうか。位置が特定できなくても、遠隔なら相手の存在を思えばできるよね。僕を通じてやれば、紗由に僕の頭をのぞかせて、力をコピーさせればいい”

“はい。後で風馬さまにもフォローしていただきましょう”


 進に言われた龍は、すぐさま大地に事情を説明すると、紗由にも思念会話を試み、やるべきことを説明した。

“わかった。やってみるね”

 紗由は意を決したように、奏子の腕にそーっと触れ、再び目を閉じた。

 真里菜たちは、その様子をただ静かに見守るだけで、誰も声を発さない。

“紗由、奏子ちゃんから手を離して。みんなと手をつないで、奏子ちゃんを囲むんだ”

 紗由は龍の指示通りに、3人に伝え、陣形を作った。


「あったかくなってきたね」真里菜が紗由を見て頷く。

「ふわふわするよ。なあに、これ…」経験のない感覚に驚く恭介。

「大地どのの、とくいわざでござるよ。びょうきやケガがなおるのでござる」

「かなこちゃんも、なおるかな」

 恭介が覗き込むと、奏子の頬には、うっすらと血の気が戻ってきていた。

「あ。さっきより、おかおがピンクになった」

「もうすこしだからね、かなこちゃん」紗由が言う。


 その時、上から声がした。

「紗由さま!」

「あ。きた」

 進は急いで穴の中へ降りると、奏子の様子をチェックした。

「その岩にぶつけたの」真里菜が言う。

「そうですか。すぐに運びましょう」

 進は静かに奏子を抱き上げ、頭上に両腕を掲げるようにして、奏子を穴の外にそーっと置き、自分も穴のふちに手を掛けると、ジャンプし、外に出た。

「紗由さま。もう少し、ここで待っていてください。すぐに参ります」

「わかりました。かなこちゃんをおねがいします!」

 はっきりした声で言う紗由に、進は頷くと、穴の上にムシロを掛け、その場を離れた。


「かなこちゃん、はやくなおるといいね。いたくなくなるといいね。たすけが、はやくくるといいね」真里菜がか細い声で言う。

「だいじょうぶでござる。すぐにくるでござるよ」

「ねえ、さっきの人、おかまじゃないの?」

 緊張がほぐれ、少し落ち着いたのか、いつもの速度に戻った恭介が尋ねた。

「大ししょうは、にんじゃのボスでござる。おとこでも、おんなでも、おかまでも、そんなことには、おかまいなく」気難しい顔で答える充。

「あはは! おもしろいね! おもしろいね、みつるくん!」


「シッ!」充が唇に指を当て、笑う恭介を制止する。「まだ、わるいやつが、いるでござる。しずかにせねば」

「ご、ごめんなさい」自分の口を両手でふさぐ恭介。

「わかった。こんど、わらったら、キックしてだまらせるから」

「もうちょっとだから、みんなでがんばろうね」

 そう言うと、紗由は再び目を閉じ、以前、翼からコピーしたものを開いた。


  *  *  *


 進が無事にヘリへ奏子を運び、未那が村上医師に状態を説明する。

「副え木ができるなんて、すごいねえ。まだ5歳でしょう」村上が驚く。

「ええ。しかも、傘に弁当箱バンドですからね」

「顔色が、またちょっと戻っちゃったわね…ショック状態で、血圧が落ちてる」

「先生、未那。彼女のことはお願いします」

「進は?」

「弾たちと合流して、紗由さまのところに戻る」

「わかったわ。こっちは任せて」

 未那は奏子に毛布をかけながら、頷いた。


  *  *  *


「ガキども、どこ行きやがった…」

 男が、紗由たちのいる穴の近くまで戻ってうろついていた。外の変化に気づいた紗由たちは、穴の中で息を殺すようにして、地上の様子をうかがっている。


“おにいさん…きこえますか?”

 紗由は、泣きそうな真里菜と恭介の手を握りながら、頭の中で進に呼びかけた。その瞬間、紗由たちの救出に向かおうと、ヘリから降りかけていた進が、ふと天井を仰ぎ見た。

“はい。紗由さま”

“おねがいがあります。にいさまが、わるいやつにおそわれて、たいへんだって、かなこちゃんに言ってください”

“え?”

“かなこちゃん、げんきがでます。あなのちかくにいる、わるいやつも、たいじできます。つばさくんが、まえにやったことがあります。だいじょうぶです”

“わかりました”


「どうしたの?」未那がいぶかしげに聞く。

「紗由さまからのご指示だ。…奏子ちゃん、聞こえるかな?」

 奏子は小さく息をするだけで答えない。進は奏子のポケットを探り、水晶を見つけると、それを奏子の手に握らせた。

「大変だ。龍くんが、悪いやつらに襲われてる。このままだと、死んじゃうかもしれない」

「ちょ、ちょっと、進。何、言って…」

「だ…め…」奏子が絞るような声で囁いた。

「紗由ちゃんたちも襲われてる。皆とも、もう、会えないかもしれない」再び言う進。

「だめ……」

「興奮させないで。相手は子どもの病人よ」

 未那を制するように、進がもう一度言う。

「龍くんとは、もう会えない」


「だめーーっ!!」奏子が大きく目を開いて叫んだ。

「おおっ!」

「わっ!」

「きゃっ!」

 3人が一瞬頭を抑える。

「すごいな…相変わらず…」進が頭を軽く叩きながら左右に振る。

「前より強くなってるわ……あ」

 ぐったりする奏子に、未那が慌てて瞳孔と呼吸を確認する。


「眠っちゃったみたいだわ…」手首の脈を診る未那。

「安定してるから大丈夫だ」村上が言う。

「じゃあ、俺は戻るから」

「わかったわ。気をつけて」

「ああ。行って来る」

 進は軽く手を上げ、ヘリから降りた。


  *  *  *


「さゆちゃん…いまの、なあに? あたまのなかが、ぴかーって、したよ」

「マドモアゼルでござるな」

「かなこちゃん、ぷんすかしちゃったの?」目をぱちくりさせる真里菜。

「…わるものを、やっつけたでござるよ」

「かなこちゃん、そんなこと、できるんだ…」恭介が驚く。

「まあ、ばんごはんまでには、いきかえるでござろうが」

「うん。だから、それまでににげれば、いいよ」紗由が言う。

「でも、いつ、くるのかなあ。たすけの人…」

「あ。きた」

 紗由が上を見上げると、そこには進の姿があった。横には弾と麻那もいる。

「お待たせいたしました。紗由さま」


  *  *  *


「それでは、よろしくお願いいたします」

 紗由たちがヘリに乗り込んだのを確認すると、進と未那は有川に深々と頭を下げた。

「君たちもお疲れだったね。本当にありがとう」

「私たちは、彼らを回収して華織さまの元へ戻ります」

「彼らは逃げおおせたことにしていいのかな?」

「はい。そのように。犯人の物と思われる遺留品に相当する品はお渡しします」


「まあ、誘拐未遂があったこと自体は隠せないだろう。こうやって国のヘリを出動させているわけだし」

「紗由さまが狙われたことにしていただければ。保さまに後で会見していただきますので。先生はその情報を極秘につかみ、救出に向かったというシナリオで」

「いいのかい? 私ばかりいいとこ取りで」笑う有川。

「もちろんです。今回、先生のご尽力がなければ大変なことになっていたわけですから」

「じゃあ、その設定、使わせてもらうことにするよ。華織さんによろしく」

「承知いたしました」


「君とも、今度ゆっくり会いたいなあ。…どこに行けばいい?」

「サイオン・イマジカまでご足労いただければ、いつでも」

「賢児くんの会社の人間なのか」

「ですが、賢児さまご兄弟は、私のこうした仕事については御存知ありません。どうかご内密に」

「OK。じゃあ、再会を楽しみにしているよ」

「恐れ入ります。お気をつけて」

 進が頭を下げると、有川は笑顔で手を振り、ヘリコプターへと乗り込んだ。


  *  *  *


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