その13
有川は、昨日行うはずだったエコ実験イベントに五車堂大臣や県知事たちと参加するため、アナウンサーの袴田と打ち合わせをしていた。その様子はテレビで中継される予定で、カメラが何台も彼らを待ち構えている。
「やあ、こっちは順調かい?」
「総理!」驚く袴田。
「シンポジウムに行く前に、ちょっと寄らせてもらったよ」
「ああ、総理はご子息のシンポジウムのほうにご出席でしたね」袴田が微笑む。
「ええ。お一方、体調不良とのことで、急遽私がそちらに参加することになったんですよ」
「そのほうが良かったんじゃないか」有川が微笑む。「実験じゃなくて総理しか見ないマダムが続出だと困る」
「おだてても、何も出ないぞ」
「そうそう、子どもたち、オリエンテーリングするらしいな。聞いてるか?」
「ああ。姉さんから聞いた」
「こっちは30分ぐらいで終わるはずだから、私も参加してみようかと思ってるんだ」
「明日、筋肉痛で倒れるなよ」
「西園寺も来いよ。…ああ、でもシンポは昼前までかかるか。そうそう、袴田さん。総理はね、まず危ない方向に行ってみるのを楽しむようなタイプなんですよ」保の言葉を無視して話す有川。「慎重なのは政治的判断ぐらいかな」
「おまえに言われたくないな。まあ、彼らをよろしくお願いしますよ、袴田さん」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
袴田が頭を下げた向こうに見えた影を、保は一瞬見つめた。
“やけに強い“気”だな…”
だが保が袴田たちに挨拶をし、手元の書類を持って席を立ち上がった時には、もうその気配は消えていた。歩きながら四方の気配を探るが、さっきの人間の気配は見当たらない。
“気配を自由に消せる人間…。“命”や“命宮”レベルの技を使える人間が敵方にはいるということなのか…?”
いぶかしがる保に、華織から電話が入った。
「ああ、姉さん」
「何か感じたの、保ちゃん?」
「今…そういうのが、わかるのかい?」横のSPを気にしながら、少し言葉を選ぶ保。
「あなた、緊張すると少し顎をあげ気味になるわ。気をつけて。
…ああ、きょろきょろしちゃダメよ。上から見てたの。さっきの質問、イエスかノーで答えて」
「イエスだ。すぐ終わったが」
「そう…。昨日渡した兄弟石は翔太くんにも渡したわ。紗由は冒険に夢中になりそうだから、何か気がついたら翔太くんに連絡してね。彼、龍たちと一緒に私の部屋から会場をチェックするから」
「わかった」
保は無表情に答えると、足早にその場を立ち去った。
* * *
公園入り口では、紗由たちが柔軟体操をして冒険に備えていた。一般人たちも時折中へ入っていく。
「ぎゃーっ! やめて、やめてー!」
恭介の叫び声に通りかかる人たちが一斉に注目する。
「ちょっと、恭介くん! くっしんぐらいで、さけばないでよ」
背中をぎゅうぎゅうと押していた真里菜が言うと、涙目になる恭介。
「だって、だって…」
「あーら、どうしたの、皆さん」
「あ! 進子おねえさんだ!」
真里菜の声に反応して、見上げる奏子。
「おねえさんも、ぼうけんですか?」
大人なら、まず沖縄に来ていたのかと聞くところだろうが、子どもたちの興味は目の前の冒険だけだ。
「ええ、そうなの。どっちが早くゴールできるか、競争しましょうか」
「いいですよ!」元気に答える紗由。
「ライバルでござる…」
充が険しい顔でつぶやくが、その言葉の真意を、すもも組の面々は知らない。
「おたがい、おやつをたべて、がんばりましょう!」紗由が進と握手をする。
「そうね。頑張りましょう。でも、食べすぎには気をつけてね」
「はい。はしったときに、きもちわるくならないくらいに、たべますから」
普段どれだけお腹一杯食べて走り回っているのかと思った進だったが、とりあえずは胃腸が丈夫な“姫”の健闘を祈ることにした。
「紗由ちゃんたちは、もうスタートなのかしら?」
「えーと、さゆは、すぐ行きたいんですけどぉ…おうまさんが来るまで、まってなさいって、おばあさまに言われてるから…」
不満そうな紗由に、思わず微笑む進。
「紗由ちゃんは大人ですもの、おばあさまの顔を立てないといけないわよねえ」
「…はい」
「じゃあ、まだすぐには出発できないのね」
「うーん…」
「紗由ちゃん!」
「あ、誠おにいさん!」
現れた誠に紗由が走りよる。
「ごめんね、お待たせしちゃって。風馬さんたち、まだちょと時間がかかりそうなんだよ。だから、あと30分くらい、一緒に遊んでようね」
「えー。そんなにですかあ…」不満げな紗由。
「でも、ほら。あそこに屋台がいくつもあるだろう? あそこでおやつを買ってあげるから、それを食べながら待ってたらどうかなあ」
「それはいいですね!」途端に目を輝かせる紗由。
「まあ、よかったわねえ、紗由ちゃん」
紗由たちに近づいてきた進が、そう言いながら誠に会釈をする。
「どうも。私、高橋と申します。紗由ちゃんの叔父様の会社に勤めております」
「ああ…サイオン・イマジカの。一条です。西園寺さん御一家にはお世話になってます」
「元気なお子さんたちとご一緒だと、お忙しそうですね」
「ええ、まあ…。高橋さんもオリエンテーリングをなさりに?」
「ええ。私も友人が来たら、出発します。紗由ちゃんたちには負けられません」
「そうですか。お互い、目標物をゲットできるといいですね」意味深な笑みを浮かべる誠。
「無事そうなることを願ってます。…紗由ちゃんたち、じゃあ、またね」
進は誠に丁寧に会釈をし、紗由たちに手を振ると、いったん公園の入り口から離れた。
* * *
華織は、保の部屋にある複数のモニタで、公園内の様子をぼんやりと眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。
頭の中には競艇の複数の船の航跡のように泡立つ思念があった。中でも、3本の気の筋が気に掛かる。中でも1本がとりわけ強い。
“一つだけ紗由たちから離れている。建造さんの近くにもいない…。でもあの“気”は…”
彼女の場合、“命”の任を再開してからというもの、禁忌日であっても、実はすべての力が完全に遮断されるわけではなくなっていた。
日頃、一般人なら眠っている脳をかなり稼動させている“命”にとって、禁忌日は一種の休日であり、逆にそれが稼働日になってしまっては身体に負担が多くなる。
華織は自分でもその危険性は自覚していたが、今回は多少の危険はやむを得ないと思っていた。
ただ、力が思うような場所で思うように稼動できるとは限らない。そこが悩ましいところなのだ。
「かおりちゃま…」ソファーで寝ていた悠斗が目を覚まし、華織のひざにちょこんと座る。
「悠ちゃん、おめめが覚めたのね。ぐっすり眠れたかしら?」
「うん。いっぱい、ゆめみた」
「どんな夢?」
「わるものがふたりいるの」
「2人? 3人じゃなくて?」
「ふたり」
「…そう。2人はどんな人だった?」
「おとこのひと。かみをもって、はしってたよ」
「やっぱりオリエンテーリングをしているということね」
「いいおじさんは、まどもあぜるをまもりにくるよ」
「マドモアゼル…奏子ちゃんのことね? いい小父さんは、今どこにいるのかしら」
「こうえんの、おそと」
「会場内にはまだいないのね」
華織はさっき自分が感じた強い気の筋の一本を思い浮かべた。
「マドモアゼルはどうしてたの?」
「おててに、かさ」
「傘? 雨が降ったときに使う傘のこと?」
「うん。おててについてた」
「傘ねえ…」いぶかしがる華織。
「あとね、ゆうとはトラさんになるの」
「トラさん?」
「うん。トラさんなの」
「そう。よかったわね」
嬉しそうに笑う悠斗を見つめながら、華織は静かにゆっくりと頷いた。
* * *
龍、翔太、翼、大地の4人は、オリエンテーリング公園の外側のビルの上層階から、公園全体の様子をチェックしていた。
「なんや、えらいことになっとるわ。ぴかぴかがレーザー光線みたいで、見きれへんわ。けっこう動きも早いし」
「そうだろうね。一般人も普通に入っているわけだし、天気がいいから人も多そうだ」
「まあ、オリエンテーリングに集中していないぴかぴかが来たら、逆にわかりやすかもしれん。頑張って探すわ」
「うん、お願い。スタート地点近くだと人もたくさんいるし、紗由たちに近づく動きがあるとしたら、もっと奥に入ってからだろうね。
今はとりあえず、途中で抜けられそうな出入り口、垣根の薄い地点とか、その辺を注意しよう。連れ去るとしたら、外に車なんかを置いてあるかも」
「そうだね。外側にも協力者がいるかもしれない」翼が頷く。
「それから、もし何かあった時だけど、グランパと進子おねえさんは、この時間も頭の中で会話できるから、連絡が来るとしたら翔太に来る。もちろん紗由から来る可能性もある」
「進子ちゃんかあ…。練習なしで行けるかなあ」
「今のうちに練習しておけば?」
「…せやなあ」
翔太は軽く目をつぶると、頭の中で進に呼びかけた。
“進子ちゃん、聞こえるかあ?”
紗由たちに挨拶をして、未那たちとの集合地点の喫茶店まで戻ってきた進の頭の中に、覚えのある声が聞こえてきた。足を止め、屈んで靴ヒモを結びなおす進。
“その声…翔ちゃん?”
“あはは。男の声や”
“あ…”
“かまへん。その声、覚えとくさかい”
“…ありがとう。連絡して来たってことは、龍さまから指示があったのかい?”
“そや。練習しとかんと、うまくつながらへん思うて。でも…紗由ちゃんとでさえ、時々うまく行かへんのに、一発OKや。すごいわ”
“そりゃあ、師匠と弟子だからね”
進のうれしそうな気持ちが伝わってきた翔太は、思わず、にーっと笑った。
「ねえ。翔太くん、笑ってるよ」
「話がはずんでるんじゃない?」龍がクスリと笑う。
“ああ、翔ちゃん、ダメだよ。会話の途中、思ったことを顔に出すのはNG”
「そないなことまで、わかるん!?」
叫ぶ翔太を龍たちが見つめる。
「ご、ごめん…何でもないから」龍たちに謝ると、慌てて進との会話に戻る翔太。
“ごめんなさい。びっくりして戻ってしもた”
“いや。こちらこそ驚かせてごめんね。でもまあ、こんな感じで連絡は取れるから、何かあったらいつでもどうぞ”
“うん”
“そろそろ紗由さまたちがゲートに入る。私たちも後を追うから、とりあえずこの辺で”
“わかった。行ってらっしゃい。気いつけてな”
“ありがとう。じゃあ”
進はゆっくり立ち上がり、店内で紅茶をすすっている未那に向かって軽く右手を上げた。
* * *
「お待たせしてごめんなさいね、紗由ちゃん」
澪が息を切らせながら紗由たちの元へやってくると、紗由はうれしそうに笑った。
「みおちゃん、はやく行こう!」
「その前に皆にお話があります」後から来た風馬が言う。
「ちゃんとさゆたちについてきてね、おうまさん」紗由は話を聞く様子がない。「みんなも、まいごにならないようにね。だれかと手をつないでないと、だめだよ」
「はーい!」
「でも、これがないと、おやつもらうためのスタンプが押せないんだけどなあ…」
風馬が少し不機嫌そうに、スタンプラリーの用紙をひらひらさせた。
「そうです! ありがとう!」背伸びをして紗由が風馬の手から用紙を奪い取る。「これはとってもだいじなかみですからね。リュックにちゃんとしまいましょう」
「はーい!」
「おうまさんに、ありがとうもわすれないでね」
「はーい。どうもありがとう!」声をそろえる子どもたち。
「おうまさん。さゆのおくつは?」
「あ、ああ、これ。はい」デイバッグに入っていた紗由の靴を取り出す風馬。
「うふふ。ありがとう」
「わあ。おしゃれなスニーカーだねえ」真里菜が覗き込む。
「あっちこっち行くときはね、これなんだよ」
靴にはGPS機能が着いている。紗由が“あっちこっち”行くときには、この靴を履くようにと周子からきつく言われているのだ。
「ぼくだって、あたらしいスニーカーだよ。きのう、おじいちゃんがくれたんだ」
恭介が言うと、奏子が淡々と言った。
「あたらしいおくつで、いっぱいあるくと、あしにまめができますよ」
「え…」
不安げになる恭介に、充がぽんぽんと肩を叩く。
「恭介どの、これをポケットに」
「あ、ありがとう…」恭介は充から渡された絆創膏を握り締めた。
「皆、用意がいいのねえ…」澪が傍らで感心する。
「リュックには、タオルときがえも、はいってます」真里菜が自慢げに言う。
「ハンカチとティッシュは、こっちです」奏子が自分のウエストポーチを指差す。
「ばんそうこうと、おなかがいたいときのくすりと、げきマヨもござる」
「おなかがすくとこまるから、おにぎりもあります」リュックの底をなでる真里菜。
「あめがふったら、かさもあるし」充が言う。
「おじいちゃんが、あとで来るから、でんわももってる」
「何だか合宿にでも行くみたいだね…」
「なにがあるか、わからないでしょう? にいさまが、ちゃんとよういをしなさいって、いってたの」
「りゅうくんの言うことは、だいじです!」奏子がきっぱりと言う。
「そうだね」くすりと笑う風馬。「龍の言うとおり、何かあるといけないから、僕か、澪か、誠さんの傍を離れないようにね。それから、他の人の邪魔になったりしないように、他の人にはあまり近づかないでおきましょう」
「でも…」紗由が難しい顔になる。
「何?」
「進子おねえさんとあうかもしれないから…」
「進子おねえさんは、一緒にいても大丈夫だよ」誠が話に入る。「さっき挨拶して…賢児さんの会社の人」
「じゃあ、その人はいいよ」
「賢ちゃんどののかいしゃの人は、いいでござりますか?」未那を思い浮かべた充がにっこりする。
「うーん…」風馬は、進だけでなく、未那や弾の顔を思い浮かべた。
「まりりんちゃんが匂いをかいで、いい人そうだったら、いいわよ」澪が答える。「奏子ちゃんの石が怒る人はダメ。充くんが激マヨを塗りたくなる人もね。…それから、恭介くんが危ないと思った人は絶対にダメ。おじいちゃんを守れなくなるわ」
澪が恭介を見つめると、恭介はきっぱりと頷いた。
「だいじょうぶです。ぼくは、ぼくは…ぜったいに、おじいちゃんをまもりますから」
「そうね。頑張ってね、恭介くん」澪は恭介の頬を撫でた。
「じゃあ、がんばりましょう! みんな、行くよー!」
「おおー!」
すもも組の面々は、こぶしをあわせると、ゲートに向かって歩き始めた。
* * *
紗由たちが出発してまもなく、進、未那、弾、麻那の4人もスタートゲートに立った。進は“いつもの”様子だが、未那と弾はウイッグやメガネなどで様子を変えている。
「子どもって、こういうとき、ほんと前しか見ないのよねえ」
20メートルほど先を歩いている紗由たちを眺めながら、未那が言う。
「そのほうが助かりますけどね」笑う弾。
一行は、両側を樹木に囲まれた遊歩道を5分ほどで抜け、しばらく歩くと、タイヤの跳び箱、ジャングルジムなどがある広場にたどり着いた。
広場の一角にある木の元には数人の人間が集まっているが、紗由たちはジャングルジムに夢中で、そちらには注意が向いていない。
「あー、ここ、第一ポイントですね?」弾が木の傍にいる男性に話しかけた。
「ええ。そうみたいですね。でも、木の台があるのに、スタンプは木の穴の中にあるって、何なんでしょうね」
男性は笑いながらスタンプを弾に差し出した。
「そうですねえ。そんなことされたら、気づかずにここで時間を取ってしまいますよねえ」
「タイムラリーの賞品もあるようですから、ライバルを蹴落とそうとした人間がいたんでしょうねえ」
「せこいなあ」
「あなた、そろそろ行きましょう。…先もあるし」連れの女性が言う。
「ああ、すみません、奥さん。お引止めしてしまって。それじゃあ」
弾は二人に一礼すると、横道を歩いていた進たちのほうに戻った。
「この辺で足止めの人たちがいそうですね」
「じゃあ、その作戦に便乗だ。一般人がこの後、あまり入って来ないに越したことは無い。子どもたちの誰かが気づくように、大げさに隠しておいて」
「わかりました」
弾はうなづくと、木の傍に放置されていたビニールのゴミ袋の中にスタンプを入れた。それを目ざとく見ていた充は、紗由たちに声をかけるとスタンプを押しに行き、皆が押し終えると、しばし考えた後、弾同様、ビニールのゴミ袋の中にスタンプを入れた。
* * *
2つ目のスタンプポイントでは、さっき弾が話しかけていたカップルが、紗由たちに追いつかれた形になっていた。進、未那、弾、麻那の4人は、四方に広がって、少し離れたところから、子どもたちを見ている。
風馬たちも、子どもたちのすぐ傍にいるわけではなく、子どもたちがスタンプを押す間、軽く身体を動かすふりをして、周囲の様子をうかがっている。
「ああん。スタンプがうまくおせない~」充が甘えるような口調でカップルの女性を見上げる。
「あら。押せないの?…ほら、こうやって、上から真っ直ぐ押せば大丈夫よ」微笑みながら、手を取り手伝う女性。
「ありがとうございますぅ。おれいにこれをどうぞ!」
充は鼻の下を伸ばし、ポケットからキャンディを差し出す。
「まあ、こちらこそ、ありがとう」
しばらく話をしている充の姿に、真里菜は苦々しげに言う。
「まーた、ナンパしてるよ。もう」
「充くんは、おはなしがじょうずで、いいなあ。かなこ、あんなふうに、はじめてのひとと、おはなしできないもの」
「うん。もう、すんでるところとか、しごととか、きいてるね。すごいや」
充を話題にしている3人をよそに、紗由はその女性の様子をじっとうかがっている。
「おい。そろそろ行くぞ」男性が女性に声をかけた。
「…そうね。まだ先があるし。…じゃあ、キャンディありがとう。バイバイ」
「では、またあ」大きく手を振る充。
「ほどほどにしろよ。まだ探さなくちゃいけないんだから」男性が女性に言う。
「わかってるわ。でも、次は簡単に見つかるわよ」
「まあ、目立つみたいだからな」
男は手元の地図を見て頷くと、辺りをゆっくり眺め回した。
* * *
最初は少し離れて紗由たちを見守っていた風馬たちだったが、紗由たちが寄り道はするし、5人でバラバラな方向に歩いていったりするので、それをいちいち追いかけては並べさせなければならず、さすがに疲れてきたらしい。
「ほら、紗由、ダメだよ! そんなに走らないで。僕たちから離れないで。そっちじゃなくて、右の道を行って」
後ろから声をかける風馬を振り返り、睨む紗由。
「風馬さん、ダメよ。そんな言い方。紗由ちゃん、ご機嫌斜めよ…」澪がつぶやく。
「しょうがないだろ。正午になるまでは、やたらなことをされたら困る」
「彼女たち、一筋縄では行きませんよ。経験者として言わせてもらえると」誠が眉間にしわを寄せる。「押さえつけるのは逆効果です」
「紗由たちの思うとおりに動かせていたら、3人では足りないですよ」
「まあ…そうなんですけど」
「ん、もう。二人とも、そんなにキリキリしないで。ちゃんと見張ってればいいだけでしょう?」澪が低い声で二人を睨む。「風馬さんは、そんなに指示しないで。紗由ちゃんたち、楽しめないじゃない。それと兄さんも、逆効果だと思うなら、おねえさんになって皆のご機嫌でも取ってちょうだい」
「ええ…」
風馬と誠は、納得がいかないといった風情で、澪の険しい表情を見つめた。
* * *
「ねえ、さゆちゃん。なーんか、ふじゆうだね。おうまさんが、行くばしょ、きめるのって、ぜんぜん、ぼうけんじゃないよ」
10メートルほど後ろにいる風馬たちを振り向きながら言う真里菜。
「ぼくもそうおもう。ママがいるのとおなじだよ」珍しく恭介が真里菜に賛成する。
「かなこも…ちょっと、つまんない。ひろいのに、かけっこするのダメなんだもん…」
「そうだねえ…」ため息をつく紗由。
「うーん。なかなか、でてこないでござるな…」
「なんのはなし?」真里菜が充を怪訝そうに見る。
「さっきのプリティなおねーさんが、トイレからでてこないでござる」
「そのおねえさんなら、あそこにいるよ。ほら、ずーっと、さきのほう」
奏子が指差した先には、充の目当ての女性が歩いていた。
「むこうがわにも、いりぐちがあるんだね」恭介が言う。
「ああん。こっちからでてくるとおもったのに…」
「しょうがないよ。こっちからだと、むこうにでぐちあるの、わからないもん」真里菜が充を慰める。
「よしっ!」
「どうしたの、さゆちゃん?」
紗由は4人を手招きすると、こっそり囁いた。
「トイレに行くふりして、にげだそう!」
* * *
後方にいた風馬に近づくと、紗由はニコニコ顔で言った。
「おうまさん、さゆたち、トイレにいきますね」
「あ、そうだね。行っておいたほうがいいな」
「じゃあ、私が付いて行くわね」
澪が言うと、紗由がきっぱりと断る。
「らいねんは1ねんせいですから、ひとりでだいじょうぶです」
「あ…そうね」
「じゃあ、そこのきいろいおはなのところで、まっててください」紗由が言う。
「うん。わかったよ」
紗由が合図をすると、5人は手をつなぎ、トイレの建物に向かって一目散に駆け出した。
* * *
「遅いね」
「誰も出てこないというのは妙だな…」
「見てくるわね、女子トイレ」
澪は急ぎ走り出し、風馬と誠も後を追う。
「紗由ちゃん! 奏子ちゃん! 真里菜ちゃん!」
澪の声に誰も答えず、澪が個室をひとつずつ覗き込むが、誰もいない。
「あ…こっちからも出られるんだわ…」
紗由たちが反対側から出たことに気づいた澪は、急いで男子トイレの二人に叫んだ。
「風馬さん、兄さん、反対側の出口よ!」
言われた二人は慌ててその反対側の出口から外に出た。
「巻かれたか…」
「連れ去られたりしてないわよね。どうしよう、風馬さん」
「別れて探そう」
誠が提案したとき、風馬のスマホに連絡が入った。
「龍、ちょうどよかった。紗由を見失った」
「うん。だいぶ先を歩いてるね」
「…とりあえず、紗由の位置は把握できてるんだな?」
「うん。人が集まってる場所がスタンプ台だとしたら、ちょっとルートをはずれてるけど、物陰とかじゃない。他の人たちもいる明るい場所だから今のところ大丈夫だよ」
「よかった…」
「でも、しばらくはあまり近づかないほうがいい。5人中4人が小学生並みに足が速いし、今度バラバラに逃げられたら、上から把握しきれないよ。
それと渡した地図、もう一度ちゃんとチェックしておいてね。トイレの出口も描いてあるから」
「あ…すまない」胸ポケットから取り出した地図を見つめる風馬。「ところで、5人のGPS情報は全部集まったのか?」
「うん。さっきおばあさまが、響子おばさまと夕紀菜おばさまと崇子おばさまから、情報を集めてこっちに渡してくれた」
「そうか。充くんの分は、夕べ雅さんが持ってきてくれてるんだったよな」
「うん。でも、どうやらこの先、電波の届かない場所がいくつかありそうだよ。地図には描ききれてない。細かすぎるから」
「そうか…」表情が曇る風馬。
「すもも組の面倒を見るのは大変だと思うけど、気をつけてね。叔父さんも正午までは“一般人”なんだから」
「ああ、わかった」
風馬は電話を切ると、ぽりぽりと頭をかき、ため息をついた。
* * *
ショウは、日下部に指示された通り、公園の外側から、中の様子をうかがっていた。外側と言っても、その境目は少し背の高い木による垣根なので、隙間から中をうかがうこともできたし、細身ならば大人でも何とか通れそうな場所もあった。
このままでいいのかどうか、ショウが迷っていたとき、日下部から園内に入るようにと指示の電話が来た。
“この辺から入るか…”
少し先にあった垣根の隙間から公園の敷地内に入ると、いきなり5、6人の人間が集まってワイワイと話をしていて、ショウは一瞬ギョッとなった。
「はい、次の方、どうぞ」
目の前の男性からスタンプを渡され、困惑するショウ。
「あ、ありがとうございます…」
ショウが帽子や手袋をしていたので、オリエンテーリング参加者と思われたのだろう。
とはいえ、スタンプを受け取っても、ショウにはラリー用の用紙も無く、後ろを向いて適当にごまかすしかなかった。
そして、他の人間たちが次のポイントに向かって歩き出したのを気配で確認し、スタンプを台の上に置くと、ショウは辺りを注意深くうかがった。
“写真の男だ…”
目の前を通り過ぎたその男は、確かに日下部からもらった写真の男だった。横顔の写真ももらっておいてよかったと、ショウは思った。
“ とにかく、“火”を使って合図をしなければ…だが、あいつらが傍にいる時でないと、あいつらへのアピールにはならない…”
ショウは注意深くその男の後を追いながら、昨日の大柄な男とミーナの姿を探した。
* * *
その頃、ショウがいた地点のすぐ傍には、防災壁の周囲を警戒している雄飛の姿があった。他の3人も少し離れた場所で、それぞれに周辺の様子をうかがっている。最初は4人一緒に行動していたものの、壁の一辺が思ったよりも大きかったため、効率が悪いということで、いったん別れて様子を見ることにしたのだ。
“さっきから眉間がジンジンするな…”雄飛は軽く頭を振った。“敵か? それとも能力を持った人間の近くだと、こういうふうに反応するんだろうか…”
「ショウ!」
「ナユ?」
「何してるんだ、こんなところで」
突如目の前に現れたショウにそう尋ねながら、雄飛は自分が何をわかりきったことを質問しているのかと冷静になり、急におかしくなって笑い出した。
「な、何がおかしい」
「何がって…」
雄飛が答えようとしたその時、同時に異様な気配を周囲から感じた。
「これは…“火”の気配?」周囲を見渡す雄飛。「キックか?」
「…あいつは今いない」
「お前たち以外にも“火”を使う人間がいるのか?」
「知らん」
「ちょっと来てもらおうか、ショウ。君たちにはいろいろと確認したいことがある」雄飛はショウの腕をつかんだ。
「そんな暇はない! 急いでるんだ!」
“火”を使う邪魔が入ったと思ったショウは、咄嗟に雄飛のみぞおちにパンチを入れ、雄飛がうずくまると、防災壁の中のエリアに駆けていった。
* * *
「ねえ、そういえばショウは私たちを探しているんじゃない? 姿が見えないわねえ」辺りを眺める未那。
「…仕方ない。こっちから探しに行くか」
「じゃあ、紗由さまたちは、それまで僕と麻那さんで」
「ああ、頼んだ」
「お気をつけて」
麻那が言うと進は笑顔で応え、未那と一緒にリバーシブルのブルゾンを裏返して着用し、未那は帽子を、進はサングラスを掛けて歩き出した。
* * *
「いたわよ。あそこ」
未那の視線の先には、落ち着かなさげに周囲を見回すショウの姿があった。
「敵に襲われたら一発だな」
「…って、敵の私たちに同情されるのも、ちょっとどうかって感じね」
「まあ、わかりやすくて助かったさ。…それに彼の前方、例の気配がする。…後ろもか?かなり強いな」
「…ええ」
「じゃあ、行くぞ。気をつけろ」
「昨日はどうも!」明るい声でショウの肩をポンと叩く未那。
「あ…」
「どうなったかしら、その後」
微笑む未那を、ショウは悔しそうに見つめる。
「話はつけた」声を潜めるショウ。「が…一部まだ従わない人間がいる。そいつらを俺が阻止するから、それでキックを返してくれ」
「阻止って、何をするつもりなのかな?」
進の声にビクッとするショウ。
「俺の力を使って相手の行動を封じる」
「ほお。お手並み拝見と行こうか。…くれぐれも妙な気は起こすなよ」
「わかってる。…ちょうど相手を追っていたところだ。そこで見ていてくれ」
ショウはそう言うと、足早に前を歩く男に追いつき、横顔を再度確認してから、男を追い越した。何歩かそのまま歩いていたが、おもむろに男を振り返ると、彼に向かって右手の人差し指を振り下ろした。
「うわあ!」
“火”が男のポーチに点いたが、男は慌ててそれを叩き消した。
「貴様、何をする!」
男がショウの胸倉をつかんだとき、後ろから声がした。
「どうしました。警察を呼びましょうか?」
男の肩に手をかけて、その顔を覗き込んだ声の主は日下部だった。
「いや、それは…」
男は何故か、少しふらつきながら、その場を立ち去り、しばらく行くと頭を何度か振りながら、徐々にスピードを上げて走っていった。
「日下部さん…。あの、あいつに話ついてるんですよね?」声を潜めながら、日下部の腕をつかむショウ。
「さっきの警察という単語が、事は済んだという合図だ」日下部も小声で答える。
「そうですか…後ろで、あいつらが見てますから、俺はこれで」
だが、足早に立ち去ろうとするショウに、日下部は言った。
「いや。ここで終わりだ」
日下部がショウの首の後ろに触れ、ぎゅっと押すと、ショウは声も無く足から崩れ落ちていった。
「すみません! どなたか、お願いします。急病人なんです!」
叫ぶ日下部と倒れているショウの元に未那が走り出した。
「どうかなさいましたか?」
「急にこの人が倒れてしまって…私は管理事務所に知らせてきますので、すみませんが、しばらく見ていてもらえませんか?」
「…ええ」うなづきながら、手際よくショウの脈を取る未那。
「もしかして医療関係者ですか?」
「まあ…そんなところです」
「じゃあ、よろしくお願いします。すぐに戻りますので」
日下部は未那に会釈すると、小走りに管理事務所のある方向へと走り去った。
「やっぱり日下部は関係者ね。追ったほうがいいんじゃ…」傍らに来た進に未那が言う。
「いや、しばらく泳がせよう。こいつの容態は?」
「気を失っているだけのようね」
「日下部に薬でも打たれたか?」
「わからない。でも念のため、ここは普通に救急車を呼んだほうがいいわ。彼が管理事務所に行くかどうかわからないし、麻那ちゃんにお願いする。私たちは先に行きましょう」
未那は妹に電話をして、事の次第を告げた。
「日下部は何がしたいんだろうな」
「四辻家の子を狙ってるんじゃないの?」
「だが、狙う側の人間は多いほうがいいはずだ。特にこんな広い場所ではな。なぜショウを眠らせる必要がある」
「うーん、使えないから?」
「旧友にずいぶんな言い方だな」くすりと笑う進。「まあいい。今は早く紗由さまたちに追いついてマークしないと」
「そうね。急ぎましょう」
未那は大またに走り出し、進もその後を追った。
* * *
日下部の言葉で逃げ去った男は、防災壁近くまでやってくると、ポーチから丸めた新聞紙を取り出し、注意深く周囲に注意しながら、ベンチの傍に置いた。
“余計な邪魔が入りやがって…何だっていうんだ、まったく。…おまけに頭がふらつく”
男は苛立たしげに少し離れた場所まで走ると、右手の人差し指を新聞紙めがけて振り下ろした。
* * *
防災壁の周囲を見回っていた4人が、15分後に集合することになっていた地点に、ナユだけが来なかったので、他の3人がナユの担当地点を探しに行った。
「おい、こっちだ! ナユ、大丈夫か?」
歩の声に駆け寄る実歌と雅。
「ナユ、どうしたの!? 大丈夫?」実歌が心配そうに雄飛の肩に触れる。
「…ショウがいた。敵と思われる男も傍に」
「ショウは私たちを狙っているの? キックも?」
震える声で言う実歌に雄飛が答える。
「いや…キックはいないと言っていた。それと彼は急いでいた。話を聞こうとしたら、それを遮られて…」
「わかった。無理して話すな。少し休んでろ。実歌、傍にいてやれ」
「で、でも…」戸惑う実歌。
「とりあえず、大地くんに連絡しましょう。病院へ行くにしても、その前に遠隔でヒーリングしてもらっておいたほうがいいわ」
雅が電話で連絡すると、大地はすぐに雄飛にヒーリングを始めた。
「痛みが消えてく…」驚きを隠せない雄飛。
「大地くん、お願い。他の人間も、ちょっとすっきりさせてくれるかしら?」
「はーい。じゃあ、目を閉じてくださーい」
4人は言われるままに目を閉じた。
「あ!」一斉に叫ぶ4人
「ねえ…今のビジョンって…」実歌が歩を見つめる。
「最初に考えてた通りよ。4人で結界を作ってたわ!」
「でも…あの場所は…ナユとミッキーがいた場所は公園内だと思うんだけど…」雅が浮かんだビジョンをもう一度思い出すようにつぶやく。
「マーサさんと僕がいた場所は、壁の前だった。僕が映って、俯瞰で壁に沿って直角に飛んだらマーサさんが見えて…」
「つまり、兄さんとマーサは壁の外。境界線的には公園の外」
「そして、ナユとミッキーは公園内。ということは…」雅が地図を取り出し確認する。
「こうじゃないかな」
雄飛がボールペンで四角を書いた。
「つまり、私たちが探すべき人間はこの四角の中にいるってことね」
「あるいは、これから来るのか」歩が厳しい顔になる。
「再確認よ」雅が3人を見回す。「私たちが結界を作るなら、“火”の使い手がこの中に来るということだわ。子どもたちに対して、それを使うのを止めさせるために封じ込む。じゃあ、それぞれ所定の位置につきましょう」
雅が言うと、3人はしっかりと頷いた。
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