後日
特に素晴らしい事はない。そんな人生を送っていたし、これからも送るはずだった。何も変わらない日常の些細な出来事やちょっとした楽しみで日常を幸だとを感じられる人間だった。最低限の辛い事や理不尽と思われる出来事にも上手く対応していた。それは生きていく上で仕方ない事だし誰でも思い当たる人生の出来事の中の一つぐらいだと思って今まで生きてきた。例えば過去を振り返りやり直しが出来れば現状よりも楽に幸せに生きてるのではないかとか、一握りの有名人に成れたのではないかとか、そんな妄想をして楽しんだり落ち込んだり、でも世界を認知しているのが僕である限り、知らなければ存在しない事は沢山ある訳で未開の地で文明を知らなければ高級車に乗りたいとも思わないだろう、今の僕だって知らない事は沢山ありすぎで人類だって知らない事は沢山ありすぎてる。知らなければ欲しがらないけど知ってしまったら、忘れてしまうか手に入れる努力をするか諦めて眺めているしかない、どんな気持ちになろうともだ。知りたいと思う欲望と知ってしまった事による手に入れたいと思う欲望。結局、知る事により変わらなければいけないという事。
「知らなければ良かった。」
君は右下方向に俯き、水滴のついたコップを握ってる指を少し離した。水滴はコップをつたわりコップ下で周りにゆがんだ風景を映し出してる。ウエイトレスが歪められてる空間の中を通り過ぎた。光ですら君が立ち去ればウエイトレスが無造作に拭いてなくなる水滴に歪められるのに、僕がまっすぐ君を見続けられるはずがないじゃないか、まっすぐに歪められず人生を続けられるはずがないじゃないか、君に対しても正直にいれるはずがない。僕を少し離してくれ、水滴が落ちるように僕は落ちて行きたいんだから。どうせ使いまわされたくたびれた布で拭かれて無くなる人生なのだから。
「何故?」
君の指は濡れていて爪は優しかった。窓際の席から青い空と白い雲が風の方向を示すように優柔不断に歪んでいるのが見える。明るい、眩しくはないが僕にとっては上を向いてみようと言う気持ちにはならない気持ちよさそうな天気だった。人通りも多い、こんなに沢山の人がどこに住んでいるのか不思議でならない。本当にこれだけの人が帰る家があるのだろうか、どこかに詰め込まれスイッチを切られたロボットのように積まれているのではないだろうか、そして晴れの日には動き出す。ただぶらぶらと何も考えずに。人の気持ちを考えず僕のように。
「良くないけど、良かった。少し安心した」
君を思うと見えない不安と見える不安どっちでもいい、ただ不安な気持ちが少しでも和らいでいるならそれだけでいい。君にとってこの時間が、物足りない感情をゆっくりと満たすのなら、僕にとってこの息苦しい気持ちなんて我慢するほどのものでもないし家に帰り眠ってしまえば忘れるぐらいのどうでもいい気持ちでしかない。明日が来る不安に比べたらちっぽけな些細な出来事だし、夕方には過去の出来事としてインデックスされずに段ボールに詰め込まれた書類のように探しても出てこない思い出したくても手掛かりもない曖昧な記憶でキミの思考に影響しないモノになってしまうから。
「さようなら」
君は僕の手紙を読み終え席を立つ。
僕は君が去りゆく後姿を見ている。
人通りの中に消えて行く君。
空を見上げ空に消え行く僕。
ただ君の幸せをねがうよ。
また来世で。