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疫病(中)

 集落に戻る道中、ヨシュア神官は自力で歩いた。

 これが彼の力であるのか。

 彼の状態を知る私は、なんて誇り高い人なのだろうかと思った。

 彼の身体の中にまだ悪霊が残っているのを踏まえた上で、一人の村人が彼に聞いた。


「二つ目の悪霊を取り込めますか」

「……それは今まで試したことがない」


 私はそんな質問をした村人にも、それに表情ひとつ変えることなく返したヨシュア神官にも驚いた。彼はこのような扱いに、慣れてきたということなのか。

 村についた後、すぐにヨシュア神官は死霊憑きの部屋へと連れて行かれた。一刻後、部屋から出てきたのは死んだ子供の亡骸だった。

 私はエッスィルやチェミナとともに、その隣の家に放り込まれたが、それから一分たりとも気を休めることが出来なかった。

 彼の声が聞こえてきたからだ。


 どうやったらあんな声を人は出せるのか。


 小屋での彼は、とっくに快復期であったことを私は知った。

 その夜は一晩中、私は布団をかぶり耳を押さえて寝た。それでも時折大きくなる彼の声はそれを通り越し、私を何度も突き刺した。

 震えるチェミナを夫のエッスィルは抱きしめ続けた。彼らは一言も言葉を交わさなかった。

 私はヨシュア神官の苦痛の波が引くのを祈って待ち続けた。

 朝が来て彼の声が止んだとき、私もエッスィルもチェミナも飛び出し、彼のいる部屋にと飛び込んだ。


「ヨシュアさ……!」


 真っ先に入った私が見た光景はこの世のものとは思えず、私の悲鳴は喉にはりついた。


「チェミナに見せるな!」


 床に這いつくばりながら、目が合った私に叫んだヨシュア神官。

 彼の身体には見えるところ全てに黒い蚯蚓腫れが走り、それらがうぞうぞとひっきりなしに蠢いていた。彼の身体を内側から突き破ろうと盛り上がり、のたうっている。


 喰われる。

 この人は、黒い蟲の大群に喰われてしまう。


「きゃあああああああああああああああ!!」


 私の背後でチェミナが叫んだ。


「出て行け! こっちに来るな!」


 ヨシュア神官は自身の腕に爪を食い込ませ、唸りながら床を転がり始めた。


 結局、何も出来ぬ私たちはもといた場所へと退散するしかなかった。

 私は何てことをしてしまったの、とチェミナはその後泣きじゃくり、エッスィルは彼女を慰め続けた。

 私は死んだバンサーの言葉をその時思い出していた。


 彼は神殿を出てはいけなかったのだ。


 *  *  *  *  *


 その日の夕刻、再び声が止んだとき、私は一人、ヨシュア神官の部屋へと入った。彼はぴくりとも動かず目を閉じていたので、私は一瞬、彼が死んでしまったのかと思った。

 近づくとヨシュア神官は目を少しあけた。身体中の黒い蚯蚓腫れはうっすらと残っている程度だった。


「すまないが、水をくれないか」


 枯れた請願の声に私はただちに彼の頭を抱え、杯に注いだ水を飲ませた。咳き込みながらも彼は喉を潤した。


「替えの衣を……貰ってきます」


 汗のすえた臭いと鼻にツンとくる臭い。

 その正体が彼の尿であることが私には分かっていた。

 すまない、と彼は小さく礼を言った。


 この人は、とんでもなく誇り高い人だろうに。

 私はやるせない思いでその後、彼を召し替えた。身体を動かすことも出来ず私にされるがままとなっていた彼だったが、暫くして口を開いた。


「……妙だと思わないか。邑の子供たちのほとんどが病に罹っているのに、乳飲み子だけは無事だ」


 私はまたもや驚いた。

 このような状況下で、そんなことを考えていた彼に。

 確かに言われれば、元気な赤ん坊を抱いていた母親の姿が各集落でも多かった気がする。


「流行病とは違うかもしれない」


 身体に発疹が現れ、高熱を出す。

 ヨシュア神官は、八十年前に似たような病がロウレンティアのある集落で起こったという話を聞いたことがある、と続けた。


「その直前の夏はフラガリエ山から灰が降ったのだそうだ。今年は大規模にフラガリエ山から灰が降った。風が強い時期だった。アマランス、ヒヤシンス、サンセベリアの広範囲に降ったろう」


 この集落で病が起こり始めたのはいつか。一人目の犠牲者はどんな人物か。その直前に何か特別なことはしなかったか。いつもの年と比べて変わったことはなかったか。

 調べてくれないか、と聞いたヨシュア神官に私は大きく頷いた。

 私が彼のためにできる仕事を与えてくれたことが私には嬉しかった。


 * * * * *


 私が得た情報はヨシュア神官の苦痛の波がひくその都度伝えた。

 病が起きた時期はサオ・ルア(秋のひと月)。一人目の犠牲者は酒屋の子供だとのこと。その少し前にはマスカダインの収穫祭を行ったこと。今年のマスカダインは皮が変色しているものが多かったが、普段より芳香も甘みも群を抜いて強かったこと。


「チェミナを呼んでくれ」


 その後、彼はチェミナを呼んで、なにかを頼んでいた。チェミナは頷きながら承知したようだった。


 集落は相変わらず閉鎖されたままだった。

 これでは他のワノトギの助けは期待できない。私はヨシュア神官が徐々に回復してきたことに安堵しながら、集落にこれ以上死霊憑きが出ないことを祈った。


「マスカダインが原因かもしれない」


 彼は私たちにそうもらした。

 これは、火山灰が作物にもたらした影響ではないのかと。理由は分からないが、マスカダインだけが変質を起こし、食べた者に食中毒を起こさせたのではないかと。

 私たちや邑人にマスカダインを食さないように告げ、彼は目を閉じた。

 私たちは彼の言葉を邑人に伝えた。邑人は承諾の返事こそしたが、従うとは思えなかった。マスカダインはこの時期こその恵みの果実である。神霊が食す唯一の神聖な食べ物であるマスカダインが元凶であると考えるのはまず無理かもしれない。

 私自身は邑のマスカダインを調べてみた。

 今年は豊作であるとのことだが、その理由について私は疑った。不審な点に気づいたのである。

 果実だけでなく葉にすら虫がつかない。動物たちの食害が一切、ないのである。今年のマスカダインを食しているのは私たち人間だけであったのだ。

 私はヨシュア神官の言葉が正しいことを予感した。


 そんな中、恐れていた事態が遂に発生した。

 死霊憑きが出たのである。


 * * * * *


 死霊憑きは病に罹った双子の弟であり、先に死んだもう一人の兄に憑かれていた。体力の消耗ははげしく、明日にでも命を落とすかという具合だった。

 邑人の視線は、残されたもう一人のワノトギ、チェミナに集中した。


「私がやるわ」


 チェミナ自身は村人の願いに承諾した。


「もう彼には頼めない。先の悪霊も私が取り込むべきだったのよ。彼が死ななかったのが奇跡よ」


 そのときヨシュア神官は苦痛の波がひき深い眠りに落ちており、この事態を知らなかった。

 反対する夫のエッスィルにチェミナは諦めたように微笑んだ。


「ワノトギになった時点で仕方がないことなのよ、エッスィル。宿命なんだわ。……子供はまたつくればいい」

「やめろ!」


 邑人に付き添われて従うチェミナをエッスィルは取り戻そうと必死に暴れた。

 私は張り裂けそうな胸でそれを見守ることしかできなかった。


「やめてくれ! お願いだ! たのむ、チェミナにさせないでくれ!」


 邑の男たちに取り押えられたエッスィルは悲痛な叫び声をあげた。


「チェミナ! お願いだ、行くな!」


 銀の魚が走ったような光が一瞬、私には見えた。

 空白の間があった。


 きゃああああああ!


 直後、邑の女の耳をつん裂くような悲鳴が響き渡った。

 エッスィルから男たちが離れ、彼の周囲に空間ができる。その足元に一人の村人が腹を押さえ、横たわっていた。

 それを見下ろすエッスィルの手には鈍く光る刃が握られており、私は目を見開いて息を飲んだ。


『女を離せ!』


 そのとき聞いた声は、彼のどの声とも違っていた。

 確かに声を発しているのは彼でありながら、得体の知れない別人が彼の身体を借りて話しているという気味の悪さがぬぐえなかった。

 今にも倒れそうな状態で戸口につかまり、此方を見て立っているのはヨシュア神官だった。彼の眉間は霊力の持たない者でもはっきりと見えるくらい、淡い紫の燐光が燦然と光り輝いていた。


『卑しくも愚かな民よ、己の行為を恥じよ』


 私はこの後、目撃することとなるのである。なるべくしてなった茶番劇というものを。

世紀のハッタリ(聖なる嘘)』というものを。――



 *  *  *  *  *



「猫を殺したのは誰なの?」

『ヨシュアだよ』


 幼い少年は自分を胸に抱く美しい母親を見上げた。母親譲りの黒髪、黒目の少年は合わせて引き継いだ美貌もはっきりその顔立ちにあらわれていた。

 しっかりと母親の腕に抱きとめられながらも、可哀想に少年はその感触を知ることが出来なかったのだけれど。


「……そう……」


 大きな黒い目に不思議な光を灯し、母アガニは少年を更に強く抱いた。


「こわいわね。猫が一匹もいなくなってしまったわ」

『僕はやめよう、って言ったんだよ。でもヨシュアが』


 彼の弟は、夕食を横取りした一匹の猫を怒りのあまり叩き殺した。それでも彼の怒りはおさまらず、その怒りは集落中の猫に向けられたのだった。


「こわいちから。とても、こわいちからね。こんなちからはもう使っちゃだめね。……ねえ、そうでしょう?」

『うん』

「約束して。もう二度とこの力を使わないで。ヨシュアに使わせないで、アラン」

『絶対に?』

「絶対に。あなたは弱くて力が使えない……そう、ヨシュアに思わせることがアランにはできるでしょう? 今回のことはヨシュアに忘れさせて。あなたは力を使わなかった……いえ、弱すぎて使えないのよ」

『わかったよ、おかあさん、約束する。でも、ヨシュアにウソをつくけど、それはいいことなの?』

「ええ、それはいい嘘よ。私がいいと言ったのだもの。……いいこと、これはアランとお母さん、二人だけのひみつ。ヨシュアには内緒」

『うん、お母さんと僕だけのひみつだね。約束する』

「良い子ね、アラン……」


 少年は、弟をさしおいて自分と特別の約束をした母親が嬉しかった。

 弟とちがって、自分は母の温かな抱擁は感じることが出来ないのだけれども。

 少年はうっとりと満足そうに母の胸に顔を埋めたのだった――。



 *  *  *  *  *



 ぶわり、となにか強大な力が此方に向かってきた。

 ぐぎゃ、と変な音とともにチェミナ、エッスィルを囲んでいた男たちの腕が上空へと異常な方向に跳ね上がった。


「うわあああああああ!」


 激痛に男たちが叫ぶ。

 エッスィルが刃を持った腕に引っ張られるようにして刃を振り回し、彼の周囲には更に空間が出来た。


『吾は神霊ネママイアの欠片を持つワノトギ。ネママイア様はお前たちの蛮行にお怒りである。女ワノトギに手を出すものは、その男の様にしてくれようぞ!』


 その瞬間、エッスィルを操って邑の男を刺した(刺させた)のはヨシュア神官である、という記憶が私たちの脳内に疑いようもない事実としてありありと蘇った。


「ト、トギ堕ちだ……」


 一人の村人が後ずさりしてうわずった声をあげた。

 その言葉が周囲の邑人の耳から入り頭の中で処理された後。

 あたりはたちまち半狂乱と化した。


「トギ堕ちだ!」

「こ、殺される……! 」

「みんな、死ぬぞ……! 逃げろぉっ!」


 トギの能力を悪行に使えば、トギはワノトギの霊力を取り込み、強大な悪霊となる。過去にトギ落ちによる厄災が起きるたび、マスカダイン全土が底知れぬ恐怖に包まれたという。

 取り乱した邑人たちが我先にその場を離れようとした瞬間、彼らはぴたりと足がその場にはりついたように動かなくなった。


『愚かな。吾はトギ堕ちなどせぬ』


 呼吸すらも止められた張り詰めた空間に、彼の落ち着いた威厳のある声が静かに満ちた。


『なぜなら、これはネママイア様の意思である。かの方は御怒りなのだ。……傲慢なお前たちに嘆き。神霊への信仰を怠るお前たちに呆れ。神霊の欠片を持ちたるワノトギへの敬意を失ったお前たちにかの方は深く絶望されたのだ。……これは罰である。この病は暴虐の限りをふるうお前たちへの罰として、神霊の怒りによるフラガリエ山噴火とともにこの世にもたらされたものである。神聖なる果実、マスカダインを介して』


 彼は声を大きくして、恐ろしく惹きつけてやまないあの目で邑人たちを隈なく見つめた。


『お前たちは今、試練を受けているのだ。このまま、かの方の怒りによって滅び去るか、赦しを乞うか。一人一人、心に問え。そして選ぶが良い。かの方はいまならば赦そうとおはしている。……さあ、己の心に問うがいい!』


 神の言葉とはどんなものか知らない。

 反対に、悪の存在とされるものが言葉を発するのなら、それは目の前の彼の言葉だったのかもしれない。


 しかし私は、彼こそが私の思う神の預言者であるということを疑わなかった。


 壮絶な魅力の容姿を持ち、魅惑的な声音で心を熔かせ、善悪全てを取り込むかのような魔性の瞳の青年を。


 この時を境に、この邑――ザヤの邑――の民は、彼に畏怖し、傾倒するようになったのである。


 


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