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ヨシュアという男

「ヨシュア様。ミラルディ様は眷属です。眷属は私たちと同じように身体が腐り始めます」


 スーゴのその声がヨシュアには、はるか遠くから聞こえるように思った。


「埋葬の準備は整っておりますゆえ。こちらに渡してくだされば」


 どれほど時が経ったのか。

 あれから、自分は彼女と片時も離れず側にいる。


 腕の中の彼女は冷たく目を閉じている。

 柔らかな心地よい彼女はもう其処には居なかった。

 羽根のように軽い小さな身体のその腕でしかししっかりと大きく自分を抱きしめてくれた彼女は、もう居ない。


「分かってらっしゃいますか。もう貴方様は半日そのように……腕は痺れておりませぬか」

「……多分、痺れている」


 もう感じぬほどに。

 ヨシュアはミラルディを抱き続けていた。

 温もりが残っていたときから、頰を彼女の頰に押しつけ、冷たくなっていくのを感じていた。

 彼女の滑らかな額に触れ、形の良い頭を撫で、ヨシュアは紫の髪の表面に手を滑らす。


 子供扱いしないで。


 ぱし、と何度か自分の手を払いのけた彼女の姿を思い出した。

 彼女の目が傷ついていたのには気がついていた。

 そのたびに嗜虐心とともに、彼女へのなんともいえない愛しさと幸福感がこみ上げた。


「兄から奪ったんだ」


 ヨシュアはミラルディを抱きしめなおし、頰を押し付けた。


「長年振り向いてくれなかった女性だ。やっと手に入れたんだ。舞い上がるだろう……虐めたくもなるだろう」


 有頂天だった。

 彼女が怒りながらもそんな自分の元へ戻ってくる姿を見るたびに満足感で満たされた。


「君ならどうだ……見かけは。十歳の少女だ。少女だぞ」


 許しを乞うようなヨシュアの問いかけに、


「それは子供のすることです」


 スーゴは冷たく返す。


「……そうだな。そのとおりだ。彼女に甘えていた」


 彼女が年上だったからこそ。

 包容力のある彼女だったからこそ、そんな自分を許してくれるだろうと考えていた。


「いい加減、やめようと思っていたところだったんだ。そこまで傷ついていたとは思わなかった」


 兄のアランを装った時、ヨシュアはアランを演じてなどいなかった。

 あそこまで彼女に溺れているのだと彼女に知られたくなかったのだ。

 彼女が自分のものになり、もう自分を捨てることは無いと確信していたからこそ。


「神殿を出た後のことならば、私は色々計画していたんだがな。……彼女を喜ばすことばかり、考えていたんだぞ」


 彼女の望む通りの自分を演じ、世の恋人たちのように甘い言葉を吐いても良かった。


「君は笑うかもしれないが。彼女に求婚しても良かった」

「笑いません。私が貴方ならとっくにしています」

「……そうか」


 スーゴの言葉にヨシュアは弱々しく答えた。


「だから、私は君に負けたのかな……」


 ヨシュアはミラルディから頰を離し、目を閉じて眠りについた彼女の顔を見下ろして眺めた。


「……何てことだ、スーゴ。私は。彼女に。今までに何ひとつ、贈っていない」


 装飾品や、文、花の一つさえ。


「十六年間、ただの一つもだぞ」

「……これは、貴方さまからの物では」


 スーゴが真の神殿から運ばれて来たミラルディの遺留品の中から、小石を取り出した。


「小箱に入っておりました」


 砂漠の薔薇(ゼザートローズ)


 見た瞬間にヨシュアは記憶が蘇った。


 ――これ、なあに。

 ――ああ、途中で拾ったんですよ。


 ダフォディルからスーゴと紫神殿に帰って来た時、ヨシュアの部屋に来たミラルディがそれを見つけた。

 その当時関係を持っていた女神官たちへの土産になるでしょう、こういう心遣いが割と大事なのです、とスーゴに説得され、共に帰り途の砂漠で拾ったのだ。


 ――綺麗だわ。

 ――花のようでしょう。ダフォディルじゃ、ありふれたものですが。貴女には珍しいですかね。よろしければひとつ、どうぞ。

 ――くれるの? ……ありがとう。


 はにかんだような彼女の嬉しそうな顔があの時、珍しいと思ったが。


「……ただの小石だろう」

「ミラルディ様には宝石に思えたのではないですか」


 ヨシュアは顔を歪めて彼女の額に唇を押し当てる。


 なんなのよ。その、娘にするみたいなキスは。


 怒った彼女の顔が思い浮かぶ。

 ミラルディの頰に唇を滑らせ、彼女の乾いた口を覆う。


「ミラルディ」


 名を呼べば良かった。つまらない意地を張って感情を偽らずに。

 我を忘れるほどに彼女を愛せばよかった。


 血の気を失い目を閉じた彼女を見つめる。

 ミラルディを抱き上げて、ヨシュアは寝台へと運んだ。横たわらせたミラルディの上に覆い被さり、その顔を見下ろす。


 今ならばできる。彼女の望むとおりに彼女を愛せる。


「ヨシュア様、お気を確かに」


 スーゴが肩を掴み、ヨシュアは一気に現実へと引き戻された。


「それは死人を冒涜する行為です。ミラルディ様はもう亡き人です。なんの贖罪にもならない」

「……そうだな。すまない、どうかしてた」


 我に返ったヨシュアは苦笑してミラルディの上から離れると、そのまま肩を震わせて笑いながら寝台横の床へと座り込んだ。

 額を押さえ、ミラルディを恨めしげに見つめ唇を歪める。


「十六年間だぞ、スーゴ。人生の半分を共に過ごした女性に」


 ヨシュアは自嘲して息を吐いた。


「……最後の最後で捨てられた」




 * * *



 神明暦 813年

 サオ・ルアの月

 紫神殿 大神官スゥゴの追想録



 その次の日に、彼は紫神殿を去った。

 彼の空白の席を私が引き継ぐことになったため、私は急遽、中級神官から大神官へと昇任することになった。

 私が大神官となる前は、前任の彼が史上最年少として大神官に任命された神官だったのであるが、私がその記録を更新した。


 それ以来、彼の行方は知れず、紫神殿の神官たちからは徐々に彼についての記憶は薄れていった。

 彼は突出した美しさを持ってはいるものの、人の心に残ることのない蜉蝣のような人間だったのだと、彼が去ってのちに私は気づいた。

 彼と肌を重ねた者は多いものの、そのくせ彼らは決して彼とは親密ではなかったのだ。


 一度、紫神殿近くの墓地で彼のような男を見かけたということを話す神官も居たが、それが彼だったのか定かではない。

 しかし、眷属ミラルディの墓前にダフォディル産の小石がだんだんと増え、積み上げられていったさまを見るに、彼が度々墓に立ち寄っていたことは確かだろうと思う。


 数年後の話になるが、ヒヤシンス地方のある邑が有名になった。

 のちに「美人谷」と聞こえ高くなるこの邑には、同じ年生まれの子供たちが揃いも揃って並外れた美形だという異例の事態が起こったのだ。

 詳しく聞けばこの邑には旅人を神聖視し、邑の女たちに旅人と床を共にさせる風習があったのだという。

 私は彼こそ、この結果を生じさせた張本人だったのではないかと、想像して愉快になり苦笑した。


 また最近、息子のエイレネのもとへ訪れた際、ヒヤシンス地方海辺に住む漁師から嘘か真か分からない話を仕入れたので、ここに記しておく。


 「皮膚病を患った美しい男」と「たまらない身体をした仮面の女」が二人、幼子を連れてマスカダイン島に流れ着いた異国人とともにこの島を出た、というものだ。


 この二人のうちの男の方こそ、念願であったザンギの里を訪れた彼の末路ではないかと私は思うのである。


 その男がその後どうなったのかに関して話の続きはない。


 だが、私はその男が彼であることを信じ、海を隔てた異国の地に確かに彼が行き着いたことを信じたいと思う。

 彼がこの島の呪縛から解き放たれ、未知の世界で異なる生き方を見出したことを信じたい。



 その方が物語に希望があるからだ。







 完





















読了してくださった読者の皆様、ありがとうございました。


こちら、ムーンライトノベルズにて番外編「醜い女と美しい男」というヨシュアとラウラの話を投稿、

「少女と男と紫の花束」というミラルディはんとザフティゴ大神官の馴れ初めも投稿してます。

また、マスカダイン島を舞台にした同名キャラクターのラブコメディ、「あげまんお嬢様とビンボー少年と八匹の下僕たち」もなろうで投稿してます。

可愛い中坊のミラルディとヨシュアをお楽しみください。

そちらもどうぞお読みくださると嬉しいです。


また、後日譚としてスーゴの息子エイレネとアナベラとミゲロの息子ペレを主軸とした物語を考えております。

書き上げた際はそちらもお読みくださいませ。

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