表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/47

秘薬

「私の出自を貴女は覚えていなかったのですね。興味もなかったのでしょう……貴女に笑われたくないと、私は必死であの時から方言を無くそうと努力した。一人部屋で何度も言葉を繰り返し練習した。私が言葉少なだったのは、貴女に笑われたくなかったからだ。私は貴女と語り合いたかったのです……貴女が神官の男たちに求めるような汚らわしい身体の繋がりなど私は貴女には求めない。私から見ればぞっとします。ただ、私は貴女と純粋に話したかったのです。他愛ない話でもよかったのです。楽しく言葉を交わせたらと。しかし、私が言葉を習得した時には、貴女はザフティゴという神官に夢中でした。私のことなぞ、目も向かなかった」

「ウィッツ」

「貴女は次々と神官の男たちと交流を繰り返し、更に賢く美しくなっていきました。私には貴女が更に遠い存在となりはてました。私は字も読めず無学で、貴女の世界とは程遠い世界にいました。しかし、貴女があのダフォディルのワノトギに字を教え始めた時。勇気を出して私は貴女に頼んだのです。貴女は快く受け入れて私の教師となってくれた。一筋の光が射したようでした。あの時が器になりこの神殿で過ごすようになってから、一番幸せな時でした。貴女が私のために時間を割き、私のことを考えてくれる。無上の幸福でした。貴女にようやく近づくことが出来たと。これから私が学び続けることができれば、ようやく貴女と釣り合うことが出来ると。貴女に認められ、親しく会話することが出来るのだと。そう思っていたのです。なのに」


 ウィッツフォンが立ち上がり、ミラルディの両肩をつかんだ。


「ここを去るなど。私を置いていくなど。あの神官のために……!」

「離して!」


 ミラルディは怯えて身をよじり、その手から逃れようと手で振り払った。

 ミラルディの爪がウィッツフォンの頰に触れ、その美しい皮膚を破り微かに傷つける。


「ごめんなさい、ウィッツ。今まで貴方の気持ちに気がつかなくて……」


 ウィッツフォンを傷つけてしまった自分に戸惑いながら椅子から立ち上がったミラルディは違和感を感じた。

 次の瞬間、腰が抜けたように脱力し、ミラルディはその場に崩れた。


 脚が。動かない。


 同時に感じる奇妙な動悸と体の変化にミラルディは察して、ウィッツフォンを見上げた。


「……何を。飲ませたの」

「貴女が話していたではないですか。実家から薬を取り寄せると……紫神殿で貴女の親族から預かったとマッギャウが持ってきたのを私が預かりました。全て、先ほどの酒に溶かしました」


 多すぎる。


 安楽死のための薬であるのに。

 多く飲んだ時はどういう症状を辿るのだろう。記憶にない。試したものはいないのかもしれない。

 解毒は出来るかもしれないが、その材料などここにはない。


 ミラルディは口に指を突っ込んで吐いた。

 涙目になりながら、胃の腑に入ったものを全て出そうと嘔吐の苦痛に耐える。

 もう、間に合わないかもしれない。


「貴女は私のものであるべきです」


 降ってきた声にミラルディはウィッツフォンを見上げた。


「残念ながら、器である私には毒など効かない。貴女と共にいけず、あの男のもとに貴女を行かせるくらいなら……いっそ」


 ウィッツフォンは顔を覆い、泣いていた。


「どうして貴女と私は他の器と眷属のようになれなかったのか」


 ミラルディは使い物にならなくなった脚を引きずって腕で床を這った。


 嫌よ。

 神殿なんかで死にたくない。

 私はここを出るの。


 ヨシュアと。

 砂と岩の大地で夕陽を見るの。


 オレア島の海岸で。

 砂を踏みしめて歩いて、綺麗な貝を探すの。


 星空の下で。

 詩の掛け合いをしながら、抱き合って眠るの。


 必死に這って進んだミラルディは、ウィッツフォンの部屋からようやく抜け出す。


 朽ちた木の橋を渡ってきた同じ眷属の男、マッギャウを見つけ、ミラルディは声の限りに叫んだ。


「マッギャウ!」


 壮年の姿のマッギャウは驚いたようにこちらを見る。


「マッギャウ!」


 マッギャウは状況に気がつき、急いで走ってきた。

 何が起こったのかわからないように困惑して自分のもとへしゃがみこんだマッギャウに、ミラルディはしがみついて懇願した。


「お願い……私を紫神殿へ……ヨシュアのところへ連れて行って……」




 * * *




 ヨシュアがスーゴに呼ばれて紫神殿の一室に駆けつけるのを。

 ミラルディは部屋の寝台で白い顔をして横たわり、待っていた。


「マッギャウという眷属がミラルディ様を抱いてここまで走ってきたそうです。貴方と飲むはずだった薬を二人分飲んでしまったのだと、ミラルディ様がそうおっしゃっていたと」


 スーゴにそう伝えられたヨシュアは、ミラルディの横にふらふらと近づいて跪いた。


「何故」

「……私、器と眷属の関係をなめていたのヨシュア」


 ミラルディはヨシュアに小さく微笑んで答えた。

 ヨシュアはそれだけで経緯を理解したようだった。


「結局、私、神殿から逃れられなかったわ……ヨシュア。貴方に最後にお願いがあるの……最後に。フリで良いの。私のこと抱きしめてくれない? 名前を呼んで……他の女みたいに」


 苦しそうに呼吸しつつ、ミラルディは言葉を繋いだ。


「大人扱いしてほしいの。私……貴方よりも……五十も上なのよ……」


 見下ろすヨシュアはどうしていいか分からないように固まったままだった。


 駄目なの。

 ああ、もう。こんな時なのに、それさえしてくれないの。


 ミラルディは悲しく口元に笑みを浮かべる。


「アランは……気を遣ってくれたわ……貴女も。アランのフリは出来たじゃない……なのにどうして。それが出来ないの」


 いつも子供扱いして。

 小馬鹿にした笑みで。私の頭を撫でた。


「どう見ても私はガキよ……でもね……それでも私……傷つくのよ……」


 せめて同じ歳の女を見るように。

 私のことを一度でも見て欲しかったのに。


「だめね……」


 これでは恨み言を言って終わることになってしまうではないか。

 気づいてミラルディは咳き込みながら言葉を続けた。


「ねえ……初めて貴方が神官として紫神殿に来たのを見た時から……私、貴方が好きだったの……一目惚れだったのよ、ヨシュア……」


 言った。

 言ってやったわ。

 彼と共に逝くときに告白してやろうと考えていたとっておきの言葉だったのに。

 でも、今使わなきゃいつ言うのよ。


「ねえ、私が死んだら……ザフティゴの墓の隣に埋めてくれる? ……そして私の隣に」


 ミラルディはヨシュアの背後に立つスーゴを見やった。


「貴方が来てくれる?…… スーゴ」


 目を見開いたヨシュアとスーゴに微笑んで、ミラルディは手を伸ばしてヨシュアの頰に触れた。


「貴方なんて隣に来させないわよ……だって。貴方はここを出て行くんだもの。ね、私、気付いたのよ。私が貴方と約束を交わしたことで、貴方を縛りつけちゃったことに。……ごめんなさいね、ヨシュア。貴方、これから何処へでも行きなさいよ。私、貴方が本当に欲しいものを分かってたわ。折角の人生だもの。人生の最後くらい、自分の好きにしなさいよ」


 言葉を無くしたヨシュアの頰をミラルディはゆっくりと優しく撫でる。


「今まで私に付き合ってくれてありがとう。

 恋をさせてくれてありがとう。……十六年間、貴方との関係が今までで最長よ、ヨシュア」


 ミラルディの視界が霞んでいく。

 見下ろしている彼の表情が見えない。

 強く引っ張られる意識を必死で押さえ込み、ミラルディは自身の居場所を保つ。


『違う……ミラルディ……違う……』


 ミラルディは消えそうになる寸前の世界で、ヨシュアの声にほくそ笑んだ。


 初めて私を呼び捨てにしたわね。新鮮だわ。


 ヨシュアが痛いくらいに自分を抱きしめ、耳元で呼ぶのが聞こえる。


 ミラルディ。ミラルディ。


 そうよ。そうやって、一度くらい抱いて欲しかったのよ。

 アナベラのように。抱いてくれれば良かったのに。


 ミラルディはあきらめて意識を手放し、追いかけてきた安らかな闇に身を落とし込んだ。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ