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器 ウイッツフォン

 春シャンケ・ルアの柔らかな朧月の夜だった。

 今夜、月見はどうだろう、と土を司る神霊クヴォニスが日中にぽかりと提案したものだから、ミラルディたち眷属は大急ぎでクヴォニスの部屋で宴の準備をした。

 真の神殿にいる神霊四柱、土を司るクヴォニス、風を司るヲン・フドワ、癒しのミュナ、金属を司るユシャワティンが一堂に会するということでミラルディたちはクヴォニスの部屋を磨き上げた。

 途中、部屋にいたクヴォニスの愛玩動物である大きな蜘蛛をミラルディは踏みそうになってしまい、クヴォニスの悲鳴にてあわてて飛びさすった。

 危機一髪、と胸を撫で下ろして蜘蛛を拾い上げて頬ずりするクヴォニスに、ミラルディは気づかないふりをして踏み潰せばよかったわ、と心の中で後悔した。

 ミラルディは昔から蜘蛛が大の苦手だった。神殿をウロウロと歩き回っているその蜘蛛を見るたびに悪寒がし、しっしっ、と毎回箒で追っ払う始末だった。


 森の中で咲いていた花などを花瓶に飾りつけ、マスカダインをこんもりと大皿に盛り付けたあと、ミラルディはクヴォニスの部屋に来ない主人のユシャワティンを呼びにその部屋へ行った。


 朽ちた木の橋をわたり、今は不在の神霊ネママイアの部屋の前を通り過ぎ、ユシャワティンの部屋へと入る。

 入るなり、自分を迎えるようにこっちを見て立っていた主人ユシャワティンにミラルディは思わず立ち止まった。


 部屋の中央の丸机にはランプが置かれ、皿にマスカダインが少量盛られ、杯には水か何かが入っているようだった。

 ユシャワティン自身で用意したのだろうか。

 ミラルディは驚きながら主人に声をかけた。


「皆さま、お待ちですよ」

「私は行きません……先ほど、クヴォニス自身にそう話しました。だから、貴女がそれを伝えに行く必要はありませんよ」


 ならば断りの返事を伝えに行かなければ、と考えたミラルディの心を見越してユシャワティンが先に告げた。神霊同士は心で会話が出来るという。


「急な準備でお疲れだったでしょう。ひと休みされたらいかがです。こちらにどうぞ」


 ユシャワティンは丸机を指し、二脚置かれた椅子の一脚に腰かけた。


 折角、用意していただいたのに断るのは失礼だわね。


 ミラルディはそう思い、礼を言ってから置かれた椅子に腰を下ろし、ユシャワティンと向かいあった。


 さっさと飲んで、今日は下がらせてもらおうかしら。


 あの夜以来、ミラルディはヨシュアのところへ通っていなかった。


 気まずさもあるが、二人で神殿を離れる日取りも決めないといけない。

 そろそろヨシュアの部屋に戻ろうかしら。


「マスカダインは」


 ユシャワティンが言って、机の上の皿を指した。


「いえ私」

「貴女がマスカダインを食べると体調を崩されることは知ってます。一粒程度でもそうなのですか?」


 ミラルディは驚いた。

 そんなことをユシャワティンに話したことがあったろうか。

 いや、八十年の付き合いである。遠い昔にちょろっと話したかもしれない。だとしたらユシャワティンはたいした記憶力だ。


「一粒程度なら」

「ならば少しだけでいいので私に付き合ってくださらないでしょうか」


 ミラルディはもやもやと嫌な予感がした。

 最近のユシャワティンの動向を見ると、次の展開の予想がつく。


「このように貴女との場を設けたのは他でもありません。単刀直入に言います。神殿を去ることは考え直していただきたい」


 やっぱり。

 ミラルディは俯いた。


 慣れた優秀なしもべを手離したくはないってことね。

 どうしたらお許しいただけるかしら。

 いえ、許されなかったら逃げ出すまでだけど。


「お言葉ですが……申し訳ありません。ここに残るつもりは私には毛頭ありません。どうかお許し」

「貴女はそうおっしゃると思っていました。言ってみただけです」


 その答えに拍子抜けしてミラルディが顔をあげるとユシャワティンがこちらを見つめていた。


「どうぞ。器である私は飲めないが、眷属の貴女は飲めるはずです。良い品質の酒だとか」


 マスカダインしか口にできない器と違って、眷属は食欲こそないものの、普通の人間と同じく飲み食いが出来る。

 ユシャワティンが勧めるままにミラルディは杯を手に取り、口をつけてみた。

 果実酒であるようだが、今までに飲んだことのない味だった。ヘンに甘ったるい味にミラルディは少し顔をしかめたが早くこの場を立ち去りたいが為に飲み干した。


 酒は嫌いではない。

 しかしミラルディが好きなのはどちらかというと庶民的な安酒で、同じように安酒が好きなヨシュアと二人寝台の上でくだらない話をしながらよく飲んだ。


「貴女からヒヤシンス神殿にいた先代のフラサオの器と眷属についてお話を聞いたとき。それ以来、器と眷属について私は考えていたのです。器と眷属とは果たしてどういうものなのだろうかと」


 ユシャワティンは美しい緑の目を向けて、ミラルディを見返した。

 ランプの柔らかな灯りにも、ユシャワティンの赤銅色の髪は輝き、神々しい美しさは目が眩むようだった。

 こんなにも美青年だったのね、とミラルディは幾度となく思ったことを今回も心の中で呟いた。


「本来、器と眷属は二つで一つなのでしょう。神殿で悠久の時を過ごすための伴侶、といった存在なのだと思います。寄り添い、慈しみ合うのが本来の器と眷属なのかもしれない」


 嫌な方向になってきた、とミラルディは心の中で舌打ちし、話題を変えられるかと少し口を挟んでみた。


「今日のユシャワティン様はとても饒舌でいらっしゃいますわね。普段のユシャワティン様からは想像」

「私を寡黙な男だと思っていましたか。それは貴女のただの思い込みです。貴女が紫神殿の神官たちと淫らな行為に耽っていると知りながらも、それを言及する勇気もない臆病な男だと思っていましたか」


 ミラルディは息を飲んだ。


「貴女は私のものであるはずです」


 怒りをたたえた激しい眼差しにミラルディは釘で打ち付けられたようになる。


「ユシャワテ」

「ウィッツフォンと。私の名前はそれです。ウィッツと。……男たちとよこしまな行為を繰り返す貴女に私が何も言わなかったのは貴女から嫌われたくなかったからです。疎まれたくなかったからだ。私と一番近い唯一の存在である貴女に」


 ユシャワティンことウィッツフォンは苛立ったようにマスカダインの乗った皿を手に取り、ミラルディに投げつけた。

 きゃ、と小さく声をあげて身を縮こませたミラルディの頭上を皿は飛んで行き、派手な音を立てて部屋の隅へとぶつかる。


「器になって貴女に初めてお会いした時。私は嬉しかったのです。器になったばかりで不安で心細かった私に幼い姿の貴女が挨拶をしてくれた。こんなにも可愛い女性が私のそばで仕えてこれからの生活を共に過ごしてくれるのかと私は感激したのです。嬉しくてたまらなかった。ですが喜んで貴女に言葉を返した私に。貴女は嘲笑った」


 ウィッツフォンの顔が苦痛で歪む。


「方言しか話せなかった私に。貴女は嘲笑しました」

「……そんなの。覚えてないわ」


 ミラルディは声が震えた。

 今ならそんなことはしない。

 その時の自分はまだ年相応の子供だったのだろうとミラルディは思う。


「貴女にとっては取るに足らないことだったのでしょう。しかし私は深く傷つきました……自分が恥ずかしくてたまらなかった。貴女は生まれも良く、少女でありながら学もある貴婦人でした。私はといえば、ダフォディルの海岸で貝を拾ってその日暮らしの生計を立てていたような貧しい男だ」

「ウィッツ」

「私もダフォディル出身です」


 ウィッツフォンが涙を浮かべてミラルディを睨みつけた。


「貴女が愛した神官や貴女が可愛がったワノトギの男と同じ。ダフォディルの人間だ」


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