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アナベラの復讐5

「……いつからよ」


 ミラルディは自分の身体の下に横たわる男に向かって低い声でつぶやいた。


 アナベラがヨシュアの部屋から去って七日後。

 アランとの邂逅を再開して部屋に通っていたミラルディは、目の前の男に騙されていたことに気が付いて怒りを覚えた。


「はい?」

「いつからだって聞いてるのよ、このスカタン」


 アランに扮しあどけない表情をつくってすっとぼけたふりをするヨシュアの鼻をミラルディはぎゅ、とつまむ。

 痛いはずだが、感覚を有しないアランを真似て、ヨシュアは表情を少しも変えなかった。


「あなたねえ、無表情を保とうと頑張ってるけど、最後に終わるときだけは眉間に少し皺が寄るのよ。自分では気が付かなかったでしょ。最近あの女と会ってたときのままの位置で、あなたランプの位置を私のときの位置に戻さなかったじゃない。だから分かったの」

「……」

「次にしたら折り曲げる、って前に言ったわよね。私の言葉を覚えてるうえでやってることなの?」

「……すみませんでした」


 あっさりとヨシュアは謝った。

 勢いよく、ミラルディはヨシュアの上からおりて寝台に座り込んだ。

 乱れた菫色の髪を手で整えながら、怒りの言葉を続ける。


「いいわ。今回は大目に見てあげる。でも次にやったらもう許さない、絶対に実行するわよ……ああ、もうはやく、アランと交代して」

「兄はいません」


 ミラルディは大げさにため息をついた。


「なんなのよ。あの子、あんたに騙された私にまた怒ってるの。面倒くさいわね。謝るから、はやく呼び出しなさいよ」

「いえ。本当に。アランはいないんです」


 同じくそう答えるヨシュアの表情に。

 ミラルディは違和感を感じて、まともにヨシュアの顔を見返した。


「……え?」

「すみませんでした。兄はもう。ザヤの邑からいない」

「何を言ってるのよ」


 ヨシュアはゆっくりと起き上がり、ミラルディを抱き寄せて膝の上に乗せた。

 ミラルディの顔を覗き込んで、弁解するようにヨシュアは繰り返した。


「兄はもう。いないんです」

「……なにを」

「私も気づかなかった。ザヤの邑から兄の声が聞こえないのは、私と貴女に怒っているのだとばかり私は思い込んでいました。直後は兄の気配はしていたんです。でもそれは段々と弱くなるような感じで。ネママイア様……エイレネ様が消滅されてからは特に拍車がかかりまして。気が付いたら兄の気配はいつのまにか消えていました」

「なによ。それ」


 ぽかんと。

 ミラルディはヨシュアの言葉にそう返すしかなかった。


「何故そんなことになるのよ」

「ザヤの邑で。私は三体の悪霊を取り込んだんです、ミラルディ様」


 ミラルディはヨシュアの顔をとくと見返した。

 三十路過ぎてから途端に老けたように、やつれた様子だったが。

 白髪は近頃一気に増えて、更に目立つようになった。


「まさか……まだ、あなたの中にいるの」


 ミラルディの問いにヨシュアは肯定の意味で微笑んだ。


「嘘よ。そんなの……蝸牛アデロ過ぎるでしょ」

「私は蝸牛アデロ過ぎるくらい蝸牛アデロだと言ったじゃないですか」


 微笑みながらそう告げたヨシュアにミラルディは息をのんだ。


「正確には悪霊三体と死霊が一体、私の身体に居座ったままです。兄も私も弱っていたんで何体でも取り憑き放題の状態だったんでしょうね。蚯蚓腫れに気が付いたのは洗髪したときで。こんなところにできるものかと私も驚いたんです」


 ヨシュアは言って頭を下げて後頭部の髪をかき分けた。

 桃色をした生々しい太い蚯蚓腫れが一本、横に蛇行しながら頭皮に走っていた。


「最初は急激な体力低下で、このままあっけなく死ぬのかと思いましたが。どうやらそうではなく。悪霊や死霊が私を弱らせると同時に欠片の力でも悪霊や死霊を弱らせているようで互いに拮抗してるとでもいえばいいのでしょうか。ペースの予想がつきません。意外に長引いてます。最近はどうやら小康状態、といったものが続いていますが」


 ヨシュアは頭を上げて、髪を元に戻した。


「それでも、少しずつ衰えを感じていますので。四十手前では死ぬかと」


 ミラルディは言葉を失い、目の前の男を見つめた。


「兄のことを黙っていて申し訳ありませんでした。私自身も信じ難く。これは兄の冗談で、いつかふいにひょっこり声が聞こえてくるのではないかと。そんなことを期待していて……すみません、兄を失ったことを信じたくなかった」


 ヨシュアは声を小さくした。


「欠片の力が弱まったから兄の声が聞こえず、気配を感じないだけで、実際は兄は近くにいるのかもしれない。それは分かりません。そうだとしたら、兄にも貴方にも本当に申し訳ないことをしてしまいました。……兄を騙るなど」


 ヨシュアが泣き笑いのような顔でミラルディを見た。


「貴女に捨てられたくなくて」


 反射的にミラルディは目の前の男の頭を抱きしめた。

 ヨシュアはミラルディの身体にしがみついた。

 小さな女児に全身でしがみつく大の男をミラルディは哀れに思った。


「……ねえ、ヨシュア。私、決めていたことがあるの。前に、ヒヤシンス神殿の先代の器と眷属の話を聞いてから」


 ミラルディはヨシュアの頭に顎を乗せて、まだその身体が温かく命が続いていることを生々しく感じた。


「私もいつかこれと決めた男と寿命を合わせよう、って。これくらいいいでしょ。眷属だってこれくらいの自由はいいと思うの。今まで八十年近く働いて来たんだもの。もう、いいわよ。私、貴方にするわ」


 ヨシュアが更にミラルディの身体を抱く力をこめてきたから、ミラルディは痛みに顔をしかめながらも同じく力をこめてヨシュアを抱きしめてやった。


「貴方も問題ないわよね。私を受け入れてくれるでしょ。こんなに長い付き合いなんだもの。一緒に合わせてくれるわよね」


 ミラルディはつとめて明るい声を出し、微笑みをつくった。


「時が来たら。貴方と私、神殿を出るの。眷属は神殿を出たら弱って死んじゃうけれど、それでもひと月くらいは命がもつのですって。私、九十年近く生きてきたけど、故郷の邑とここ以外はザヤの邑しか知らないわ。マスカダイン島の素敵なところへ連れて行って。どこがいいかしら。そうね、まず最初に……私、貴方の故郷を知らない。貴方の話でしか知らない。だからダフォディルに連れて行って」

「……よしましょう。砂と岩しかありません」


 律儀に答えるヨシュアにミラルディは身体を揺らして笑った。


「いいのよ、貴方の故郷だということに意味があるの。ダフォディルの砂漠を見て……私、貴方とアレを拾いたいわ。貴方がお土産にくれたあの石。砂の薔薇。いっぱい。袋にめいっぱい」

「そのへんに転がってる、ただの小石ですよ」

「いいのよ、だってアレ、すごくかわいいんだもの。貴方といっぱい拾ったら……そうね、私、次はオレア島に行きたい。貴方のお父様が居た島ね。すごくいいところなんでしょう。あそこで美味しいものを食べて、飲んで、好きな時に寝て起きて。スーゴに作ってもらった謎かけを解くの。夜空を見て、外で寝ましょうよ。いやんなるくらいに二人でぐうたらに過ごすのよ」

「オレア島には……ミゲロの家族がいます」

「そんなこと私は気にしないわよ! やあだ、貴方あの女のこと引きずってるの? すっぱり忘れなさいよ。しつこいわね。元からあの人、人妻だったでしょ」

「……」

「部屋の調度品、貴方の一存でそのままそっくりあの女にあげちゃってさ。知らないわよ、いいの? 貴方のモノじゃないでしょ。あれ、神殿の財産よ。全くいいカモにされちゃってさ……どうせ、あの女、さっさと売り飛ばして金に換えて高笑いしてるわよ。隣の集落の質屋のぞいてくれば?」

「言わないでください」


 弱々しい声にミラルディは声を出して笑い、ヨシュアを押したおして自らも寝台へ寝ころんだ。


「オレア島で好きなだけあなたと過ごしたら。私、貴方と薬を飲むの。静かに眠ってそのまま目覚めない薬。そういう薬があるのよ。薬店大店の者しか知らない特別な薬なの。私、実家に言って持ってこさせるわ」


 自分の胸に顔を埋めて顔をあげようとしないヨシュアを愛しく思い、ミラルディはその髪をなでた。


「ね、そうしましょう。約束よ」


 微かに頷いて同意の意を示したヨシュアに。

 ミラルディは微笑んで彼の頭に口付け、彼の髪を撫で続けた。








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