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アナベラの復讐4

 ロウレンティア山ふもとにある里で。

 アナベラは早朝の中、座り込んでいた。

 目の前には夫と子供たちが待つ家の戸口が閉まっている。

 邑人の誰もがまだ目覚めてはいない。


 アナベラの髪も服も夜露でしっとりと湿っていた。

 陽光に照らされて地面からは朝靄が立ち上り、アナベラの身体を少しずつ温め始めた。


 家の中からかすかに物音がして。

 ギイ。

 軋んだ音を立てて目の前の戸が開いた。


 サンダルを履いた夫の脚がアナベラの視界に入った。

 アナベラはそれ以上、視線を上げられなかった。


「そんな所で何をしている」


 頭上から降ってきた夫の言葉にアナベラは唇を噛んだ。


「一晩中考えていました。……どうすれば貴方が許してくれるかと」


 弱々しい自分の声に自分の身が消えてしまいそうだとアナベラは思った。

 取り返しのつかないことをしてしまったことは承知していた。

 こんな妻を許す馬鹿な男は居ないだろうとアナベラは覚悟した。

 だが次に降ってきたのは夫の素っ気ない言葉だった。


「冷えたろう、早く入りなさい」


 夫の脚が視界から消える。


「着替えなさい。昨夜のスープの残りがある。温めよう」


 アナベラが顔を上げると、戸は開かれたままで夫は背を向けて、鍋を火に焚べようとしていた。


「これから忙しくなる。君には荷造りを今から手伝って欲しい……オレア島への赴任を申請して通ったんだ。出発は三日後にする」


 夫のミゲロは背中で話し続けた。

 アナベラはその言葉をぼんやりと聞いていた。


「いい島だと聞いている。島民は素朴で神霊様のいろはも分かってないとか。やり甲斐がありそうだ。島の民は文字というものさえ知らないかもしれない。サエッレのときのようにまた一から始めるというのもいいだろう」


 アナベラはゆっくりと立ち上がり、家の中へと入った。

 鍋の中をかき回して量を確認するミゲロの背中へと近づく。


「すまないが君にも色々と協力を頼むかもしれない。大変だろうが私を助けてほ」


 アナベラははじかれるようにミゲロの背中へと抱きついた。

 中肉中背の温かな男の背中に顔を押しつける。


「子供たちは君が居ないとなかなか寝ない。大変だったんだ」

「はい」

「特にヨルダは乳を恋しがって、夜中私の胸を探る始末で」

「はい」


 アナベラは目の前の男と初めて言葉を交わしたときのことを思い出していた。

 サンセベリアのサエッレで。

 ペレとともに路頭に迷った自分を、今のように素っ気なくミゲロが家の中へと迎えいれたときのことを。


 あのとき。

 アナベラはミゲロの言葉を聞いて、ヨシュアへの復讐にこの男が役立つのではないかと思った。

 だからこそ、ミゲロに近づいて彼と所帯を持ったのだ。

 しかし、ミゲロと一つ屋根の下で年月を過ごすうちに。

 ミゲロという男はアナベラが思ったような男ではないことに気付いた。

 そして、自分が見事に騙されたことにも。


 あのときのミゲロの言葉は演技だった。

 不器用で無愛想な目の前のこの男が、自分の気をひくために考えた精一杯のハッタリであったということにアナベラが気付いたとき。


 そのときにはもう目の前の夫が可愛くてたまらなくなった。


 今、このときのように。

 この痘痕面の無骨な男が愛しくてたまらないから。


「貴方さえよければ。もう一人くらい子供が欲しいわ」


 背中に口を押し付けてアナベラが声で夫の背中を震わせると。

 夫は一瞬の間を置き、小さく呟き答えた。


「なら、早くヨルダを乳離れさせないと」



 私は幸せな女だ。


 アナベラは胸いっぱいのその事実をかみしめていた。


 愛すべき夫と子供たちと。

 共に何処へでも生きていけるわ。


 それが過去への一番の復讐になることにようやくアナベラは気付いた。


 夫の温かな背中で、無常の幸福に満ちた笑みをアナベラは浮かべ、力の限り夫を両腕で抱きしめた。










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