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紫神殿にて

「……以上が、このたびのキルゼ捜索にてザンギの郷で私が得た真実でございます」


 報告を終えたスーゴの話をヨシュアは椅子に座り、取り立てて変わらぬ普段通りの表情で聞いていた。


「私と致しましては最初から神霊を寄生虫だと思っておりましたから、衝撃もさほどの物ではありませんが……サンセベリア、サエッレのマスカダイン畑で育った身のこの私としましても……まあとりあえず、マスカダインは人肉の味を思わせて私にはもう食べられそうにありませんな」


 顔をしかめて小さくスーゴは舌を出した。


「フラサオ様……イサーク様は全てではないですが、真実をいくつかご存知なのではないかと私は思っております。マスカダインを拒否されるのもそのためではないのかと。真偽の程はわかりませぬが……神霊の身にしてはイサーク様のお耳が遠く、足腰も萎えてしまったのはおそらくそれが原因でありましょう」


 夜も更けた紫神殿の一室。

 大神官ヨシュアの部屋で、ヨシュアの前に立つスーゴは長い話を終えたあとの、長い長い息を吐いて脱力した。

 ゆらゆらと卓上のランプの炎がゆれる。ランプがもたらすあかりはじんわりと闇を侵食し、二人の男の周囲のみ朧げな世界を保っていた。

 それまで炎を見守っていたヨシュアがようやく口を開いた。


「スーゴ、キルゼの両親にはなんと伝えたのか」

「二人ともある邑で潜んで暮らしていたところを病に罹り、虫の息だったと。死ぬ寸前に我々が捜し当て、子供を引き取ったと申しました。忘れ形見の首飾りを見せると、両親は問題なく信じましたな。……泣いておりましたが、孫を得たことは有難がっておりました」

「そうか。気の毒だが、彼らにはそう伝えるしかないだろうな……君の話を聞いて、以前、ザヤの邑で神殿を離れたミラルディ様が異常なほど高揚していたことを今思い出した。本人も身体が軽くなり、いまだかつてないほど気持ちが晴れやかだと。ザンギの土地に住むキルゼとロランゾの二人もそれと同じようなものかもしれない」

「わかりませぬ。実際に体験した者しかそれは分からぬのでしょう」


 醜く身体が腐っていくのも苦にはならず、解き放たれる喜びの方が勝る、と言い切ったキルゼとロランゾ。

 スーゴには異常としか思えなかった。


 ヨシュアが炎から目を離し、スーゴの顔を真正面から見つめた。スーゴも見つめ返し、暗くてはっきりとしないお互いの表情を探り合う。


「さて、スーゴ。君は私が白黒をつけるのが嫌いな性質タチだと分かっているだろうが」

「ええ、貴方様は常にそうであられますな」

「今回もそれは変わらない」

「私も、物事というのは突き詰めるとロクなことにならぬ、ということは過去のいくつかの事例にて承知しております」

「そんな君と私だが。マスカダイン島の歴史、価値観を根底から覆す恐るべき真実を知ってしまった……さあ、これを如何とする」

「……」

「祖先から背負いし呪いに子孫累々哀れな虜囚として嘆き生きるか。それとも、神霊に祝福され選ばれた輝かしい民として生きるか」

「後者、ですな」


 スーゴは言い切った。


「どうせ変わらぬ、どうにもならぬことならば、今までどおりの神霊バンザイのおめでたい日々を送る。それが妥当ではないですか」

「私もそれに賛成だ」


 ヨシュアが微笑み頷く。


「このことは他言無用にて私とヨシュア様の胸のうちにてとどめる、ということでよろしいでしょうか」

「そうだな、ミラルディ様にはとてもではないが伝えられない。真実を受け入れるには器や眷属の彼らには余りにもむご過ぎるだろう。……ワノトギの私としてもわりと衝撃だ。今まで何度も死にかけたのは何のためだったのか。特に私の母のことなんぞ考えるとやりきれない」


 母のアガニを思い出したのか、ヨシュアの目が遠くなった。


「となりますと、寄生する者と宿主、持ちつ持たれつの関係でお互い上手く付き合っていくしかないのではないですか。その折りを見て神霊を減らし増やし……ほどほどのバランスを保つ。それがこれからの我々紫神殿の役割となるのではないですかな」

「そういうことだな」


 結論を出し、ヨシュアは座っていた座椅子にもたれ息を吐いた。上を仰ぎ見、目を閉じる。


「ザンギ、と言ったか、その一族。非常に興味があるな。特に君が会ったラウラという女性。私も彼女と会って一度、話をしてみたい」


 ちらりとスーゴは彼とラウラの二人が並んでいる図を想像した。果たして、話だけでこの方が女性と終わるものだろうか。

 非常に素晴らしい身体の女性であったが、彼女の顔はまさに化け物だった。

 ヨシュア様でもさすがに彼女にはそのような気は起きないだろうか。


 自分以上にひどい顔というものに初めて出くわした、とスーゴはラウラの強烈な醜さを脳裏に蘇らせた。

 彼女の顔に取り乱して逃げ出したことをスーゴは後悔し、後ろ暗い気持ちになった。

 醜さについて誰よりも分かっていると自負していただけに、彼女を傷つけてしまったことを恥じた。


「我々は……彼女の言うようにこの島に永遠に縛り続けられるのだろうか。もう、私たちには逃れる術はないのだろうか、スーゴ」


 ヨシュアの言葉にラウラを思い出していたスーゴはあわてて我に返った。


「それが。我々一族の宿命でありましょう」

「虚しいことだな。希望もない。我々の先祖はとんでもない選択をしてくれたものだな」

「そうとも言えませぬ。ザンギの一族を見ますと、彼女の言うとおり、この島においては我らの選択が正しいのでしょう」

「この島において、か」


 暫く間を置いてのち、そのまま目を閉じていたヨシュアがぼんやりとした声で言った。


「スーゴ……君は、この島の外の世界を考えたことはあるか」

「は、外……ですか?」


 聞き返してスーゴが目をやると、ヨシュアは目を開いて天井を見つめていた。


「オレア島の父の所へ帰省したとき、父と二人で浜を歩いたことがある。色々な物が浜辺には流れ着くんだ。その中でマスカダイン島では見たことのない、存在しないような物を見つけたことがあった。……父と、その夜はまだ見ぬ海の向こうの民に思いをはせて、想像を膨らませ夜通し話し合った」


 ひょい、と顔を上げてスーゴを見たヨシュアの瞳は輝いていた。ランプの灯りの効果だけではあるまい。


「海の向こうにも私たちと似たような民が暮らしていて、その民は神霊なぞ全く関係のない世界で暮らしているのだとしたら? ……だとしたら、なんと私たちはちっぽけな島で狭い世界に囚われてくだらない日々を生きているのだろう。そう考えると……君はゾクゾクしてこないか?」

「ゾクゾク、という表現が私には分かりませぬが」


 呆れてスーゴは目を細める。


「何処かには我々と違う素晴らしい世界がある、などとは私は思いませぬぞ。それは幻想です。その海の向こうの民とやらの世界にも、神霊は存在せずとも我々のように厄介ごとを抱えておるのが、世の常でありましょう。何処に行ったって、頭を抱える出来事は無くならぬのです」

「君は非常に現実的だから、悲しくなるな」


 肩をすくめるとヨシュアはつまらなそうな顔をした。


「それよりも、もし、そのような民がこのマスカダイン島に来て、島民と邂逅するようなことがあればそれこそ一大事でしょう。私が恐れるのはそこです。この世が神霊の理だけの世界ではないと知った民がどう思うのか。外の民はもちろん、特殊な我ら、特にワノトギを利用しようとするでしょうし……島民の選民意識を保ちつつ、外の者と上手く関係をはかるのがその時の紫神殿神官の腕の見せどころとなるのでしょうが……ああ、想像するだけで頭が痛い。そんな時代に生まれなくてよかったと思いますな」


 頭の中でかなり微細な部分まで思い描いたのか、スーゴは苦々しい顔でこぼした。


「確かに。私もその代に生まれなくて良かったと思う。私なんぞ死ぬまで酷使されるだろう」


 それを見たヨシュアは愉快そうに口の片端をあげて言う。


「ところでスーゴ。子供の名前にエイレネとは良い名前をつけたと思う」

「……」


 若干俯き、スーゴは微笑むヨシュアから目を逸らして床を見下ろした。


「エイレネの後見人としてこれから私は彼を援助したいと思います。ヒヤシンスにて彼の成長を確かめるために小休暇をとることを定期的にお許しいただきたいのですが」

「もちろんだ」

「……この容姿にて自分には生涯、子は得られぬとあきらめておりましたものを。人生、分かりませぬな。名付け親として彼……エイレネのために出来ることをしてやりたいと思います」

「ミゲロに続いて君も父親か」


 ヨシュアが少々羨むような表情をする。


「なんとなく面映ゆいような心持ちです。血も繋がって居らぬのに」


 スーゴは奇妙な顔をしてぼそりと答えた。

 過去の想い人の名を付けてしまったからか。

 エイレネには彼の祖父母のもとに送る道中で、すっかり愛着が湧いてしまったスーゴだった。


「ああ、そういえば」


 スーゴは忘れていたとばかり、顔を上げて声を出した。


「帰路の道中、テロロツに寄りまして占い師ベリシュカ様に会いました。達者な方でございましたな。昔の貴方様のことを色々とお伺いしました。最後に貴方様に伝言を、と。承っております」

「伝言?」

「貴方様は近々――もうすぐ『運命の女』に出会うと。楽しみに待っていな、ヨシュア。――自信たっぷりに意味深な笑顔でそう仰っておられました」

「……」


 ヨシュアの顔がひどく不機嫌になったようにスーゴには見えた。


「……ミラルディ様のお耳には入れぬ方がよろしいですかな」

「ああ。頼む」


 低く冷たい声で応え、それきりヨシュアはベリシュカの予言について遮断するような空気を作りだした。

 頭の巡りの早いスーゴは、察知してすぐに話題を変えた。


「ときにミラルディ様の機嫌は直られましたかな」

「まだだ。アルバトロスがもう戻って来ないと知ってから、私に口も聞いてくれない」


 ヒヤシンス神殿の側に置き、フラサオ様の介助をさせると決定したアルバトロスの処遇に、怒髪天を突く勢いで怒りを露わにしたのがミラルディだった。


『まだ、全て教えてないわ! 途中でやめさせるなんて、教師に対する横暴よ!』


 真っ赤な顔をして叫び、彼女は真の神殿に駈け去ってしばらく紫神殿に来なかった。

 たまたま彼女を見かけた神官が、彼女の目が腫れていたことをスーゴに伝えた。


「ミラルディ様はアルバトロスを可愛がっていたからな」

「出来の悪い手のかかる子ほど、思い入れが強くなる、ということでしょう」


 スーゴ自身も、彼に話して未完のままだった話は、続きを書いてデュモンド湖へと送ってやろうかと思っている。

 スーゴは自分には見えなかったヒヤシンス神殿での出来事を思い出した。


「ミラルディ様は実際、素晴らしい教育をアルバトロスに施されました。イサーク様、眷属のサネルヴァ様は、アルバトロスのことを学も品もある貴公子だと」

「本当か……それは素晴らしい」


 片眉と口の片端を吊り上げ、ヨシュアはランプを手に持ち、椅子から立ち上がった。


「実は、今からミラルディ様に許しを請いに行こうと思う。君も来ないか?」

「お伴します」


 スーゴは応えながら、もう一つヨシュアに尋ねたいことがあったような気がして頭の中を思い巡らせた。しかし、どうにもそれは見つからず、諦めてヨシュアの後につき従う。

 大きく揺れた炎とともに部屋の壁が波打った。


「ところで君は。門を叩く回数に意味があることを知っていたか?」

「……いえ」

「良かった、私もだ。……私たちも、ミラルディ様に教えを請うべきかな、スーゴ」


 苦笑するヨシュアとスーゴは白い神官の衣を床に擦り付けながら、部屋の外へと出て行く。

 ランプの炎がつくる部屋の波紋は彼ら二人が去ると同時に消え、再び暗黒で正常な世界へと戻った。



 * * * * *





 ――十六年後。

 紫神殿に、一人の若者が訪れることとなる。


『神官登用試験を受けにヒヤシンスから参りましただ。祖父マルコ、祖母ボエミ、父スーゴの息子、エイレネでごぜえます』


 金髪に翠の目をした紅顔の美少年は紫神殿の前に立ち、朗々と声をあげたのだった。――



 彼エイレネと、彼の同僚であるミゲロとアナベラの息子ペレ神官、そして異国から来た美女の三人が織りなす物語は、またこれとは別の話となる。







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