失踪者5〜文書〜
一体、いつまでかかっているのだ。
スーゴは暮れはじめた夕空を仰ぎ、何度か見たデュモンド湖にもう一度目をやった。
アルバトロスがデュモンド湖に忽然と姿を消してから(本来はずっと浮かんでいるヒヤシンス神殿の中に入っただけなのであるが)半日が過ぎようとしている。
あいつのことだ。何か粗相でもやらかしたのではないだろうか。
神殿でワノトギが神霊の怒りに触れて、どうにかされた、なんてことは聞いたことがないが、あいつのことならあり得ないとも限らない。
スーゴは珍しく、アルバトロスの身を真剣に案じ始めた――
スーゴにとって神霊、器はただ幻のようにそこにいる得体の知れない存在である。
神霊とは、死霊に憑かれた人間の救済、ワノトギ生成を見返りに人間の身体に寄生する虫のような存在だと、スーゴは思っていた。その生贄となった哀れな器たちは、 神殿にこもって出てこないものであるからスーゴには胡散臭い存在にしか思えない。
神官になれば器たちと少しでもお目通りが叶うのかと神殿に来る前には思っていたスーゴだったが、そんなわけはなかった。
紫神殿の神官たちが一度も見たことのない神霊の器たちを、懸命に崇めている姿はスーゴから見れば滑稽の一言に尽きる。
もっとも、霊力の一片もないスーゴと違って多くの神官たちは霊力が高い。そんな彼らは神霊さまの存在を身近に感じるだけで畏敬の念を抱くのには十分なのかもしれないが。
実際に目にしたことがないもの、人となりすら分からないものを崇めよ、と言われてもできるはずもないだろう、というのがスーゴという人間である。
ミラルディやヨシュアの話では、器たちは元の人格が残っており、中には庶民的な者もいて、個人的な趣味に耽っている者もいるのだと聞く。
器らしく浮世離れした高潔な様子がうかがえればまだしも、そういうのを聞くとますます、神霊、および器を卑下する感情が芽生えてくるスーゴだった。
だいたい、ロウレンティア神殿ではミラルディを始め何人かの眷属が器の世話に奔走しているが、それが腑に落ちない。器たちは何も出来ぬ赤子や足腰立たない老人でもあるまいし、飲食をせずとも糞もせずともいいのに、なぜ世話が必要なのか。服の代えや身の回りのことなどは一人でできるはずだろうが。器になる前には自分でできていたことが何故できぬ、というのが日頃のスーゴの疑問である。
そしてもう一つの異質な存在、眷属たちに関しては、ボヤッとした木偶の坊、というのがスーゴの印象である。
スーゴが認める例外の存在は今のところ、ミラルディだけだ。
スーゴにとっては初めての女性がミラルディであり、自分の才能を認めてくれた存在としても、彼女をどうしても特別視してしまうのは否めないが、それを差し引いたとしてもやはりミラルディは眷属として稀な存在だと思っている。
例えば、紫神殿にくるミラルディと他の眷属たちとの働きを比べると違いは歴然であった。彼女は素早く仕事をこなすが、それ以外の眷属たちときたらどうもトロいというか、要領が悪く、お前ら考えて動いてないだろ、と見てるこっちがイライラしてしまうぐらいなのである。
ミラルディが彼らの分もいくつか仕事を引き受けているようなふしもある。
これは彼女が裕福な生まれで教育を受けたことも関係するだろうが、長年、頭のいい男たちと関係を重ねて刺激を受けた分、彼女は他の眷属よりも成長したのではないだろうか。
実用的にも頭がいい。
なにより、話が上手い。飽きさせない。
そして男の気分をあげるツボを心得ている。
過去にはどうして神官の幾人かがミラルディと関係を続けてきたのか、少女に対してそんな気が起こる奴の気が知れない、などと思っていたスーゴだったが。
実際に彼女と接して、その理由が分かった。
幼い外見さえ除けば彼女は非常に魅力の高い女性なのだ。生来、彼女は豪商の箱入り娘だったというし、おそらく普通の男ならば到底お目にかかれないような女性であったのだろう。そのような女性との関係に預かることは男としての優越感をくすぐり、また彼女が眷属であることは背徳的で惹かれるものがある。
――最近はご無沙汰だな。
少し前から、彼女はぱったりとスーゴの部屋に来なくなった。
ヨシュアと兄のアランの仲が復活したため、再びミラルディは彼の元へ舞い戻ったのだ。
――もう、来てくれないのだろうか。
しばし、彼女との夜を思い起こしていたスーゴは、リュウの声に我に返った。
「出てきたじゃ!」
スーゴがあわてて湖に目を戻すと、桟橋の上にアルバトロスが飛び跳ねながらこっちに来るのが見えた。
「スーゴ大先生! リュウ兄ィ! すげえじゃよ!」
「何をそんなに時間がかかっているのだ!」
内心ではホッとしながら怒鳴りつけ、スーゴはリュウとともにアルバトロスのもとへと駆け出した。
「すげえんじゃあ! ほい!」
アルバトロスは辿り着いたスーゴとリュウに向かって満面の笑みを浮かべ、腕一杯に抱えた木簡の束を見せた。
「お話がいっぱいじゃあ!」
* * * * *
数刻前。
神霊フラサオの器であるイサークと眷属サネルヴァの前に木簡をばらまいてしまったアルバトロスに、かけられたのはイサークの次の言葉だった。
「貴公は字が書けるのか?」
その言葉に、アルバトロスはピンときた。
「イサーク様は字が読めるんじゃき?」
一筋の光が差したようだった。
アルバトロスは、あわててスーゴが渡してくれた木簡用の刃を取り出すと、イサークの差し出す木簡を受け取り、急いで刻み込んだ。
『イサァク様は字が読めるのですか?』
刻み込んだ文字をイサークに見せると、まあぁあ、と隣にいたサネルヴァが怒ったような声を出した。
「無礼な。イサーク様はかつてロウレンティア神殿の上級神官であられましてよ」
やっと、話が通じたじゃ。
嬉しくて、アルバトロスは泣きそうになった。
「サネルヴァ様も字を読めるのじゃね?」
それは言葉で通じたのか、サネルヴァは眉間に皺を寄せる。
「当然です。私はヒヤシンス一の廻船問屋の娘だったのですから。何を馬鹿なことを」
「良かったじゃあ」
アルバトロスはサネルヴァに思わず抱きつきたくなったが、
『レディにいきなり抱きつくのは無頼漢のすることよ! おバカ!』
以前、問題の答えが分かった嬉しさのあまり、ミラルディに抱きついてパシリと頭をたたかれたことを思い出し、必死でこらえた。
『私はアルバトロス。ロウレンテイア神殿から来ましたダフヲデイル出身のワノトギです。お尋ねしたひことがありまして、こちらに参りました』
急いで文字を刻みつけると、再びアルバトロスは顔中の笑みで、木簡の文面を二人に見せたのだった――。
* * * * *
「これじゃ。フラサオ様からのお手紙じゃあ。フラサオ様はスーゴ大先生と同じ、神官さんだったんじゃき」
アルバトロスが突き出した木簡をスーゴは奪い取るようにし、広げた。
スーゴがよく見慣れた筆跡の文字がそこには並んでいた。
ロウレンテイア紫神殿
中級神官
スゥゴ先生御侍史
ヒヤシンス神殿
器 イサァク
眷属 サネルヴア
「イサーク……もしや、あのイサーク様か!」
スーゴは思わず背中が伸び、姿勢を正して叫んだ。