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失踪者4〜老人と老女〜

 そこには白髪をまとめて見事に結い上げた小柄な老婆が杖をついて立っていた。その顔立ちは可愛らしい感じに整い、柔和で丸々としている。

 真っ白の薄衣を幾重にも重ねた装いをし、萎びた胸元には桃色の淡水貝を連ねた首飾りがあった。


「どうぞ。お入りなさい」


 アルバトロスは立ち上がると、ミラルディに教わった通り、胸に片手の拳を置き、こうべを垂れつつ、一歩下がって膝を少し曲げる、という礼をした。


「オイラは、ロウレンティアから参りましたアルバトロスと申しますじゃ。神霊様にお会いしたいのじゃき」


 その様を見て、老婆は微笑みながら頷いた。


「ええ、この神殿は確かに他の神殿より群を抜いて美しいですとも。私はマスカダイン島で一番の神殿はここ、ヒヤシンス神殿だと思っておりますわ」


 ……ぜ、全然、オイラの声が聞こえとらんじゃ。リュウ兄ィの言ったことはほんまだったんじゃけぇ。


 あっけにとられたアルバトロスだったが、同意を求めるような老婆の視線に慌てて、うん、うん、と大きく頷いた。

 その反応に満足したのか、にこやかに老婆はアルバトロスを中に招き入れる。

 が、途端に彼女はアルバトロスの臭いに顔をしかめた。


「お邪魔いたしますじゃ」

「……いえいえ、体臭は猛者の証。男性のステイタスですもの。私は素敵だと思いますわ。以前の夫が臭いのキツイ方でした。私は慣れております。お気になさらず」

「……オ、オイラの身体が臭いことを言っておられるのじゃか? すまんのう。自分ではどうにもできんじゃって」

「私ですか? 私はフラサオ様にお仕えする眷属、サネルヴァというもの。もう、こちらに仕えて百年になります」

「ひゃあ、百年? すごいじゃねえ」

「まあ、ホホ。女の扱いに長けた御仁ですこと。おそれながらこの私、若いときは、ヒヤシンス一の美女だと謳われたときもございました。でも、大昔の話ですわ」

「はあ、可愛らしおばあちゃんじゃと思ったんじゃ。オイラのばっちゃとエライ違いじゃあ」

「あら、申し訳も。名乗るのを忘れておりましたかしら。私はサネルヴァというもの。こちらに仕える眷属でございます」

「いや、それは先ほど教えてもらったじゃが、サネルヴァ様」

「フラサオ様のお歳? 私と同じですのよ。私とフラサオ様の器であられるイサーク様はもとは幼馴染でありますの」


 全く噛み合っていない会話を交わしながら、二人は神殿の奥へと進む。


 これはリュウ兄ィが、苛立ったのも仕方ないじゃき。


 アルバトロスは、杖をついてゆっくりと歩くサネルヴァの後を追いながら、キョロキョロと神殿の中を見回した。

 神殿全体が水草に覆われているためか、視界は暗い。カビの臭いもする。

 存外に、というか、予想をはるかに下回る美しさだった。まだ美観と言えた外観からは想像もつかない様である。


 埃だらけなのである。

 水の中に沈んでいたのにもかかわらず、不思議なことにヒヤシンス神殿の内部は乾いていたが、あちらこちらにカラカラに干からびた水草や貝殻が落ちていた。ヤドカリのようなものがいくつか床を歩いているのが見える。

 どうやら歩くところのみーー廊下の真ん中だけに清掃を施しているらしく、廊下の端はゴミが積み上げてあった。


 すごい御殿に住んでいらっしゃるというのに、こんなに汚くちゃあ、勿体無いじゃねえ。


 アルバトロスは考えて気づく。

 眷属がこのサネルヴァ一人なら、広いこの神殿を掃除するのは重労働であろう。このような有様になってしまうのも無理はないかもしれない。


 先を歩いていたサネルヴァがある部屋の前で立ち止まった。


「こちらにフラサオ様が御座します」


 言うなり、サネルヴァは足元をゆっくりと歩いていた大きな亀をいきなり蹴飛ばした。音を立てて何回か跳ねた後、亀は廊下を滑っていく。アルバトロスはびっくりしてサネルヴァを見たが、彼女は全く意に介する様子はなく、曲がった腰の姿勢から胸を張るようにして気取った声を大きく張りあげた。


「フラサオ様、参拝の者がこちらに」


 サネルヴァに引き続き、アルバトロスは緊張しながら部屋の中に入った。

 更に暗くなった室内には、アルバトロスがよく知っている匂いが漂っていた。


 あれえ、嗅いだことのあるにおいじゃあ。このにおいはなんじゃったけぇな。


 思い出そうとしたアルバトロスの頭に何故かスーゴの顔が思い浮かんだ。


「どうぞ、こちらへ」


 落ち着いた声がアルバトロスの前方から響く。顔を向けた先には、透明な石の台座の上で穏やかに笑みをたたえている老人が座っていた。


 ゆったりとした白い服を老人は纏っていた。彼の年老いたその肌にはシミはなく、艶があって輝いていた。特に毛の一本もないその丸い頭の、素晴らしい光り具合といったらなかった。



「よくぞいらしてくださった。私が神霊フラサオの器であります、イサークです」

「お、オイラは……」


 口を開きかけたアルバトロスは慌ててその場に片膝を立てて跪き、こうべをたれる。


 どえらいどえらい人にはこの姿勢で話すがじゃ。

 ミラルディから学んだことをアルバトロスは忠実に実行にうつした。


「初めまして。オイラはダフォディル出身のワノトギ、神霊チム=レサ様から欠片を頂きましたアルバトロスと申しますじゃ」

「そうですなぁ、この季節は朝晩が冷えますな。昼間は暖かい日が続きますが」


 ……ふ、フラサオ様も全く聞こえとらんじゃけえ。


 アルバトロスは心の中でガックリとくる。


「本当は立ち上がって貴方と握手でも交わしたいところですが、膝が痛くてですな。このままで失礼しますよ」

「全然気にせんでください。大変ですじゃ」

「ああ、そうですか、貴方は腰が悪いのですか」


 全然、話が通じんのう。どうしたらいいんじゃ。


 困り果てたアルバトロスに、神霊フラサオの器であるイサークは、このヒヤシンス神殿の成り立ち、歴史を厳かに語り始めた。その傍に立つサネルヴァはそれに頷き、的確に相槌を挟み、盛り上げる。


 不思議じゃねえ。耳が聞こえとらんのに、フラサオ様とサネルヴァ様同士はお互いに何を言っとるのか分かっとるんじゃねぇ。


 まるで、「アレじゃ、アレ」だけで相手が何を言ってるのか分かるオイラのじっちゃとばっちゃみたいに仲が良いんじゃなあ、とアルバトロスは感心する。


 器のイサークが語り合えた後、サネルヴァが微笑しながらアルバトロスに話しかけた。


「貴公のように品も教養もある方が来られたのは久し振りですわ。嬉しいこと。フラサオ様も喜んでおられます。近頃は、粗野な人間が多くて。この間も、何やら理由をつけて帰ろうとしない野蛮なワノトギが居ましてね。あれはこの神殿に置いてある民からの献上品などをあわよくば授かろうという腹だったのですわ。なんて厚かましい。腹が立って、ええ、私が追い出してやりましたとも」


 そ、それはもしかしてリュウ兄ィのことじゃろうか。


「その後、私の真珠の髪飾りがどうしても見つかりませんの。嫁入り道具でありましたマスカダインを象った二つと無い珍しい物です。その男が盗ったのに違いありません」


 そ、それはもしかして今貴女の頭に刺さっとるぶどうの形をした白い玉の髪飾りではないかねえ。


「貴公とお会い出来て良かったですわ。また、機会がありましたらこちらにお立ち寄りください。私たち二人ともども歓迎致しますわ」


 にこにこ、と老人と老女はアルバトロスに笑いかける。


 もう帰れ、と言っとるんじゃき。


「あ、あのですじゃ。お二人様に聞きたいことがあるんじゃき」


 このままじゃいけん、と、アルバトロスは焦って声を出した。


「まあ。御不浄は神殿の外でお願いしますわ。この神殿内には御不浄はございませんのよ」


 何を勘違いしたのか不快そうにサネルヴァが眉をひそめた。


「違いますんじゃ。あ、あの、その……」

「……何ですの?」


 サネルヴァの眉がたちまちつり上がった。この男もリュウのような輩なのか、と思い始めたのだろう。柔和だった顔が恐ろしい形相に変貌する。


 アルバトロスはそれを見て、カーッと顔に血が集まって熱くなるのを感じた。


 怖い。ミラルディしぇんしぇいが怒るのと同じぐらい怖い顔じゃあ。


 トンチンカンな答えを出してミラルディから鞭でピシリ、と厳しく叩かれたときのように、アルバトロスは頭が混乱し、何を話すべきだったか、忘れてしまった。


「え、ええと……そうじゃ!」


 アルバトロスは、はたと気付いて背負っていた荷物を探り、木簡を探し始めた。

 スーゴが、


『アルバトロスよ。お前が聞かねばならないことを箇条書きにしてやった。漏らさずにこれを神霊と眷属に聞くんだぞ。そして、聞いたことが覚えられなさそうなら、忘れないうちにここに書け』


 と、ヒヤシンス神殿への祈りを捧げる前に木簡と削り書く刃を渡してくれたのだ。


「あったじゃ! ……あっ!」


 慌てて取り出したアルバトロスは勢いづいて丸めた木簡を飛ばしてしまった。

 派手な音を立てて、それはイサークとサネルヴァの真ん前に落ちる。結んでいた紐が切れてばらりと木簡が広がった。


 しまったじゃ。


 やってしまった、と身を小さくしたアルバトロスの前で、木簡を拾い上げたイサークは、中に書かれた文面を見る。同時に横に立っていたサネルヴァもそれを覗き込んだ。


「これは……」


 二人は顔を見合わせた後、アルバトロスに目を移した。













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