失踪者3~ヒヤシンス神殿~
スーゴとアルバトロスの二人は、アマランスを抜けてのヒヤシンスへの道中、数々の小集落や大集落ロワンザに立ち寄った。
今まで故郷ダフォディルとロウレンティア神殿しか知らなかったアルバトロスのはしゃぎようと言ったらなかった。集落の市場を通ったときは、露店の全ての食べ物を欲しいというわ、いちいち店の誘い文句に引っかかるわ、それにいちいち御丁寧に答えるわ、ある時などは物乞いに路銀を入れた袋をまるごと授けようとしたり、とにかく目が離せず世話が焼けた。
夜は大人しく寝ればいいものを「スーゴ大先生、何かお話をしてくれじゃあ」と目をキラキラさせて自分に頼み込むものだから、仕方なく眠気を堪えてスーゴは子供向けの話を考えては応えてやった。まるで小さな息子が出来たようである。
そんなこんなでヒヤシンスのデュモンド湖にようやく到着したとき、スーゴは疲労困憊の体だった。
空を映し、青く冴え渡っているデュモンド湖は神さびた美しさであった。
さすがのスーゴも言葉を失くし心を奪われて目の前に広がる風景に立ち尽くした。旅の気疲れが一気に癒されるようだった。
海じゃああ、海じゃあああ、と全身で跳ねまわり、喜びを表現するアルバトロスに訂正する気も起こらない。
湖のほとりにある小屋から、二人の男が出てきた。一人は顔見知りのロウレンティアの神官。もう一人はゴウテツヤマクマゴロウ組のリュウだった。
アルバトロスにナトギを使ってデュモンド湖を訪れることを前もってリュウに伝えるよう言い渡したのだが、彼は言う通り仕事をこなしたようだ。
「お久しぶりです。スーゴ様。お達しのとおり、今まで調べたワノトギを確認してみましたところ、該当する女性は居ませんでした」
「全土にいる仲間にも連絡してみたじゃが。あてはまるような年の女ワノトギは、フラサオ様以外の神霊様の欠片を持つワノトギだという返事じゃったけえ、今のところ探しているワノトギとは違うと思うんじゃ」
神官とリュウが続けてスーゴに告げた。
スーゴの一年後にヨシュアによって採用された神官は、棒切れのように細く、長い面をした男で、身体つきと同じく細い声だ。対して、隣に立つリュウは体格、顔、声の全ての男ぶりがよかった。
気の毒だが明らかに若い神官はリュウの引き立て役となっていた。
「アティファ様は元気であられますか?」
「おかげさまで大きくなったじゃあ。身体も色気づいてきた塩梅で。悪い男に引っかからないかと心配じゃき」
スーゴの質問に、アティファの父であるリュウは、会いたいじゃあ、とさびしそうに笑う。ついで、スーゴの隣のアルバトロスに目を向けた。
「相変わらずじゃの、アルバトロス。神官さんたちに迷惑はかけておらんじゃろうな」
「よくしてもらってるじゃあ、兄ィ。オイラ、字を教えてもらったじゃあ」
満面の笑みでアルバトロスは答えた。
「面白い話を読んで、毎日蹴鞠しとるんじゃき。オイラ、幸せじゃのう」
「そうか、よかったのう。じゃあ今回の仕事は気張って果たさんとじゃのう」
と笑みを返したリュウだったが次の瞬間、表情を変えて眉根を寄せた。
「それでじゃ、スーゴさん。実は、厄介なことがあるんじゃけえ……」
* * * * *
勢いよく水飛沫を上げ、湖面を割って現れた神殿に、アルバトロスは一人、立ち向かった。
透明に輝く芸術品、ヒヤシンス神殿。ちょうど頭上にある陽の光にさらされたその姿は水草という水草で隈なく覆われ、包まれていた。
本来は透き通っているはずの門に目をやると、その上を這う水草が取手にまで絡みついているのがわかる。
まるで、長年人が住んでおらぬ屋敷のような雰囲気がしないわけでもないが、それでも美しい。
ロウレンティアの紫神殿とはまた違う魅力の建造物だが、しかしアルバトロスにはそれを味わう余裕はなかった。
オイラ、一人とは思わなかったじゃあ。リュウ兄ィが一緒に来てくれると思っとったじゃあ。
湖へと伸びる桟橋の先まで歩いたアルバトロスだったが、不安に耐えきれず、あと一歩でヒヤシンス神殿に近づくというところで立ち止まると、後ろを振り返った。
頑張れじゃあ、とリュウが桟橋の向こうの岸辺で声をかけ手を振っている。
その横にいるスーゴと神官は、奇妙な顔をしてこちらを見ている。
ああ、そうじゃ。スーゴ大先生と神官さんにはこのお城が見えないんじゃねぇ。
マスカダイン各地にある神殿は、神霊に近しい者――器や眷属、ワノトギ、死霊に憑かれた人間にしか見えない仕組みだ。
スーゴと神官には、桟橋の先に一人、アルバトロスが立っているのが見えるだけなのである。
オイラ、心細いだぁ。うまく、やれるかねぇ。
アルバトロスは向き直ると、おそるおそる目の前のヒヤシンス神殿を見上げた。そして怖気付く自分を奮い立たせ、扉へと続く階段に一歩、その足をのせた――
『ヒヤシンス神殿には神霊フラサオ様の器様と眷属様のお二人だけがいらっしゃる。どちらも、えらいお歳なんじゃあ。耳が遠くていらっしゃって、全く聞こえていなさらん』
ヒヤシンス神殿への祈りを捧げる前に、リュウが渋い顔をしてスーゴとアルバトロスにそう告げた。
『人間で言うたら、今にも死にそうなじっさまと、ばっさまなんじゃが。この間、死霊つきが運よく来たんで、一緒に神殿に入ったんじゃがの。そのときに、キルゼという娘のことを覚えておらんかと、神霊様と眷属様に聞こうとしたんじゃ。……全く通じんのじゃ。全然、聞こえんのじゃい。トンチンカンな答えが返ってくるばかりじゃけぇ、わしも口調がつい荒くなってしもうたんじゃ。お二人共、お気を悪くされたようでなあ、わしは追い出されたんじゃき』
わしは二度と中に入れてはくださらんのじゃって、アルバトロス、お前一人しか入れんのじゃ。だから、きばれや。
そういうわけで、アルバトロスは人生で初めての大役をその身一つに任されることとなったのだ――。
階段を上り終えたアルバトロスは深呼吸をひとつした。
目の前の扉に手を伸ばし、いざ、絡みつく水草を引き剥がそうとしたときである。
『何、やってるのよ、おバカ!』
ミラルディの声が聞こえ、ピシリと教鞭で手の甲を打たれたような気がして、アルバトロスはあわてて手を引いた。
『人様のお家に入る時は、相手に扉を開けてもらって中に入れてもらうのよ。勝手に開けたら、それは泥棒よ』
そうじゃったじゃ。
授業中のミラルディの言葉をアルバトロスは思い出した。
たしか、扉を叩くのじゃけん。
ミラルディの指導を思い起こし、アルバトロスは拳をつくると、同じテンポで三回、ゆっくりと扉を叩いた。氷の透き通った音が響く。
『もう今じゃ廃れてる慣習なのかもしれないけれどね。叩く回数でも相手への気持ちを表すことが出来るのよ。一回は親しい友人に。二回は愛する恋人に。三回は尊敬する素晴らしい方によ』
ミラルディしぇんしぇいはそう言ってたじゃ。
礼儀作法を教わった時のことを回想していたスーゴは追加で新たな作法を思い出し、慌てて片膝をついて座った。立てた膝に両手を重ねて置き、こうべを垂れる。
どえらい方の家にお邪魔する時は、扉の前で開けてもらうまでこういう格好で待つだがじゃ。
扉がゆっくりと開かれた。
声をかけられるまでは顔を上げてはいけんのじゃ。
顔をあげたくなるのを必死で我慢し、アルバトロスは下を向き続けた。
「まあ」
老婆の驚いたような声が頭上から降ってくる。
「珍しいこと。躾の良い若者が来るなんて、何年ぶりかしら。……顔をお上げなさい。白金の髪の貴公子よ」
アルバトロスはゆっくりと顔をあげた。




