失踪者2~アルバトロスという男~
『あいつ、エエ子やけど、アホなんじゃけえ、わしらでも手に焼いとるんじゃ。どうにかして、マシなワノトギにしたってくれんかねえ、ヨシュア』
そう言ってゴウテツヤマクマゴロウ組の組長ギョヒョンがロウレンティアの紫神殿に連れてきたのが、アルバトロスだった。
十九歳の若者、神霊チム=レサの欠片をもつ兎ワノトギである。ヨシュアほどの長身であるが、胸板も腕もヨシュアの一回りも厚く太い体躯をしていた。チム=レサのワノトギであることを証明する白金色に輝く長髪が後ろで一つに結わえられており、毛虫のような太い眉が置かれた四角張った顔には絶えずニコニコと笑顔が浮かんでいる好感のもてる男である。
しかし。
『こがぁな大きな建物初めて見ましたんじゃ、姉御。じゃがも、周りが木ばっかりで困ったの。こがぁなところじゃ蹴鞠はでけん』
紫神殿を前にして、アルバトロスが最初に放った言葉はそれだった。
わりゃあ、ここに蹴鞠をしに来たわけやないんじゃぞ。
そうなんか。オイラ、ここで蹴鞠はでけんのんか、姉御。
デカい声で嘆く男を無視してギョヒョンは、こがぁなわけじゃけえ、とヨシュアとスーゴにその男を押し付けた。
ガキのまま、身体だけデカくなってしもぉた男じゃけぇ、危なっかしゅうてしょうがなぃんじゃ。どこぞの悪い輩に利用されたら困るでぇな。ここで、賢くしちゃりて、独り立ちできるようにしちゃりてくれんか。そいでのぉたら、ここでこきつこぉてくれてもええよ。
蹴鞠だけできれば幸せな男なのだ。
阿呆なこと以外は身体は丈夫だし、霊力は高いし、気がいい若者なのだ、と。
そう説明して、その後ギョヒョンはヨシュアとスーゴと一夜を過ごしてから、またダフォディルへと戻った。
厄介払い、をされたのであろうアルバトロスは、ギョヒョンの言葉そのとおりの男であった。
霊力はかなりの高さであり、ヨシュアに言わせると、
『神官になる以前に彼と出会っていたのなら、私は何とかして彼と親しくなり、彼の側を離れなかっただろう』
というずばぬけた程度のようである。
上手く育てれば、こちらの意のままとなる最強のワノトギを手に入れたのだと考えられるのではないか、とヨシュアとスーゴは前向きな検討をしたが、道はなかなかに険しかった。
教育というものの効果を確かめるには、ちょうど良い逸材では無いか? と、スーゴが実践を決断したとき、協力を申し出たのは意外な人物だった。
「短時間で良ければ、私、してあげてもいいわよ。貴方もヨシュアも独学でここまできたんでしょ。教え方を知らないじゃない」
眷属のミラルディだった。
「私は本業の家庭教師に教育を受けたもの。貴方たちより、上手くできると思うわよ。短時間でいいでしょ。あの子、集中力続かなさそうだし」
かつての大店薬店箱入り娘の言葉に、ヨシュアとスーゴは顔を見合わせた後『要らぬことまで教えなくて結構ですから』と釘を刺したうえで任せることにした。
それからアルバトロスは毎日、山麓の里からロウレンティアの紫神殿に読み書きを教わりに通っている。
ミラルディはゆっくりと文字の手ほどきを終えたあと、十九の男なら必ず興味のわく題材の方が良いだろうと考え、スーゴの作品を最初、教材に選んだ。
だが、すぐにやめた。
『ミラルディしぇんしぇい。はちみつつぼとかきまぜぼうの話の何が面白いんじゃ? そんでねぇ、難しくてようわからんのじゃが、かいらくのくつうてのはどういうことなんじゃいね? 反対のことばだが』
比喩を理解しない、まだ早すぎる、と誤りに気が付いたミラルディは、スーゴに子供向けの物語をいくつか書くよう依頼した。
それ以来、喜んでアルバトロスは授業を受けている。
字は覚えたもの。馬鹿じゃないわ。でも、本質的に阿呆な子なのよ。
とりあえず、あんな子供だと誘う気も起きないわ。
それがミラルディの評価だった。――
「兎ワノトギが毎日蹴鞠をして童話を読んで一日を潰してるんだぞ。勿体無いだろう。外聞も悪いしな。連れて行ってくれ」
「まあ、確かにあの男ならば純然たる祈りが出来そうですが」
ヨシュアの言葉にスーゴは顔をしかめる。
彼の扱いに相当苦労することは目に見えている。
前途多難であろう旅にスーゴはため息をつき、頭を悩ませた。――
* * * * *
ロウレンティアからヒヤシンスまでの道程はいくつかあるが、スーゴとアルバトロスはダフォディル方面へロウレンティアを下山するルートを選んだ。険しい山路であるがそれが一番最短距離である。
体力のないものや山路に自信の無い者はサンセベリア側へ下山するルートが推奨されるが、スーゴは以前ヨシュアとダフォディルへ赴いた際に最短距離のその道を経験していたし、アルバトロスに関しては気にしなくても良いと思われた。
「スーゴ大先生。オイラがおんぶしちゃるが。その方が早くいけるんじゃないかねえ?」
下山途中、アルバトロスに何度も言われたその言葉をスーゴは全て断った。
そして、彼の驚異の体力に舌を巻いた。
なんなのだ、こいつは。
旅の荷物は全てアルバトロスに持たせている。それなのに、彼はまだスーゴを背負っても良いと言っているのだ。
加えて、その彼の軽装。
これから風が冷たくなるフド・ルア(秋のひと月)である。
膝下までの革長靴に、毛を中にした皮の上衣、下穿きを身につけた万全のスーゴに対して、アルバトロスは袖の無い貫頭衣一枚、皮の紐を幾重にも巻きつけて固定したサンダル、という夏のような格好である。草木の引っかき傷が身体中についても彼は平気なようだ。
彼は寒くはないのだろう。彼の近くを歩いていると、むせるような体温がこっちまで伝わってくる。全身の盛り上がる筋肉が熱を常に産生しているのだろう。
ところで、熱以外にも彼はあるものを発散していた。
彼は強烈なワキガだった。
これまで一緒に行動して、ようやく鼻も慣れてきたスーゴだったが、時折ひどいのを浴びせられると涙目になり、むせる。
さすがのミラルディ、ギョヒョンもこれではアルバトロスに食指が動かなかったのだとスーゴは納得した。
「んふふふ。……じゃけえねえ」
そして、臭いよりも更にスーゴを不快にさせる原因がこれだ。
「そうじゃねぇ。……やっぱりねぇ」
独り言としか思えない、彼のトギとの会話。
霊力の抜群に高いアルバトロスは、その相棒であるトギも抜きん出て霊力が高いらしく、彼らは常に会話しているようだった。
スーゴにはアルバトロスの声しか聞こえないものだから、大の男が一人ニヤニヤと笑ったり、相槌をうっている姿を見るのは気味が悪い。気持ち悪いことこの上ない。
「一体、何を話しているのだ」
昨日は、単語をポツリポツリ、と間を置いて呟くアルバトロスにイライラして、スーゴは問いただした。
「え? しりとりじゃき」
しりとりかよ。
スーゴ様も一緒になさるけぇ? と聞かれたのを脱力したスーゴは首を振って断った。
話を聞くに、アルバトロスのトギは幼い女児のようである。おしゃべり好きの快活な少女なのかもしれない。
アルバトロスのワノトギになった経緯も気になってスーゴは聞き出したことがあるが、結果は実に彼らしい経緯だった。
『絶対に入っちゃいけんよ、て言われた家が集落にあったんじゃあ。家族全員、流行り病で死んでねぇ。中で一人くらい死霊になっとるかもしれんから、近づいちゃいけん、てねぇ。でも、オイラ、やっちゃいけんよ、て言われると余計気になるもんだがじゃあ。とうとう我慢出来んじゃって、窓を覗き込んだら、やっぱり取り憑かれちゃったんじゃき。へへ』
やっぱり取り憑かれちゃったんじゃき、と笑顔で話したのは、やっぱり阿呆だからか。
死霊に憑かれたアルバトロスをダフォディル神殿に連れて行ったのは、ゴウテツヤマクマゴロウ組のトラヒコだったそうだ。
そこで幸か不幸かワノトギになってしまった彼をトラヒコが組に連れ帰った、というのが事の次第である。――
この男が亀か蝸牛ワノトギだったなら、搾取され、使い捨てられる哀れなワノトギ代表になっていたのだろうな。
スーゴは山からようやく平地に下りたったあとの休憩中、一人、蹴鞠に身を投じているアルバトロスを眺めながらそう思った。
蹴鞠をこの男の身から離すことは不可能のようだ。
今、在住している里でも、畑仕事などをこなす合間に、折を見つけては蹴鞠に没頭しているらしい。
「スーゴ大先生も蹴鞠せんじゃかあ?」
「お前は休憩の意味が分かっているのか」
「勉強や仕事を止めて、遊ぶことじゃがあ」
だめだ。こいつは本当にアレだ。
ちなみに何故、アルバトロスが自分のことを大先生という敬称をつけて呼ぶのかというと、『大好きなお話を書いてくれる人』だからだという。
その点だけは密かにアルバトロスを気に入っていたスーゴだった。
彼が他の者に使う呼称は、ミラルディは「ミラルディしぇんしぇい」であるし、ヨシュアに至ってはただの「ヨシュアさん」だからだ。
蹴鞠をやめ、息を切らして汗だくでばたりと地面に倒れ、笑顔で空を仰ぎ見たアルバトロスに、スーゴは声をかけた。
「なあ、アルバトロスよ。お前はワノトギであることが嫌になることは無いのか?」
「無いじゃ、大先生」
屈託無くアルバトロスは笑って答える。
「トギちゃんといつでもお喋り出来るし、悪霊退治もオイラは楽なもんだがじゃあ。もっともっとオイラに悪霊を退治させてくれたらいいじゃが。そうすりゃ、ヨシュアさんみたいに弱いワノトギが早死にするのが減るけぇの。オイラがぜぇんぶ、引き受けるじゃあ」
実に気持ちのいい答えだ。こういう兎ワノトギが多ければ、世は上手く回るのだがな。
スーゴはつられて顔がほころぶ。
「ヨシュア様はお前がそばにいることになって寿命が延びたかもしれんな」
「いやあ、それは変わらないんじゃで、スーゴ大先生」
「なに」
アルバトロスの言葉に疑問を感じたスーゴが聞き返したが、返事は返ってこない。
「おい、アルバトロス」
彼は鼾をかいて寝ていた。
こいつは。疲れたらどこでも寝る幼児か。
呆れながらも微笑ましくその顔を見つめたスーゴだったが。
一刻後、いつまで経っても目覚めない彼の頭をスーゴは蹴り飛ばした。
スーゴ大先生の比喩は私と同じくセンスがありません。
そして要らぬことを教える気まんまんのミラルディしぇんしぇい。




