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ある夜半

 女が部屋から立ち去るのを見計らって、ミラルディはヨシュアの部屋の窓から中へと身体を滑り込ませた。


「よく、あんな年増女と寝る気になるわね」


 女を見送ったままの後ろ姿のヨシュアに声をかける。

 ミラルディが大分前からそこに居たのに気がついていたのだろう。驚きもせず苦笑しながらヨシュアは振り返った。


「お言葉ですが。彼女は貴女より三十も年下の女性ですよ」


 ちくしょー、墓穴を掘ったわ。


 唇を噛み、ミラルディは押し黙った。

 今、ヨシュアと別れたのは、ダフォディルから来たギョヒョンというワノトギだった。

 赤い髪と緑の瞳の鋭い美貌の女である。

 三十代に見えるが、実際は五十を超えた女であることをミラルディは見抜いていた。


「彼女は大事なダフォディルのお客様です。豪傑たちを率いるワノトギの長ですから」

「女なのに?」

「強さが物を言う世界なのですよ。まあ、ダフォディルは他の地域と違って、いくぶん女性が強い社会でもありますね」

「ふうん。随分、昔と違うのね」


 素直に自分の子供の時との違いに驚いたミラルディにヨシュアは微笑みを浮かべる。


「それに、年上女性の良さは貴女に教えてもらいましたし」


 ……こいつ、こういうところが上手いのよ。


 ミラルディは唇を噛んだまま、寝台に勢いよく腰を落として足を組んだ。

 ギョヒョンの残り香を少し鬱陶しく感じる。


「最近は馬鹿みたいに年増女たちと寝てるわね。大神官にはなれそうなの?」

「さあ、どうでしょう……そればっかりは」


 ヨシュアはミラルディの隣に仰向けにごろりと横たわった。


「貴女の方は。今は新しい相手のところに通われてるようで」


 自分の顔を見上げるヨシュアに思わずミラルディは息を飲む。


「失礼。私より先の相手、でしたね。先輩の御二方のところを交互に訪れてらっしゃるでしょう? あのお二人はすぐ分かるんですよ。次の日、欠伸と居眠りだらけで」

「……」


 ザヤの邑以降、ミラルディはヨシュア――否、アランとは一度も会っていない。

 したがって、ヨシュアが神官になる以前に関係を持った古参神官二人のもとへとミラルディは舞戻った。

 実はそれに加えてスーゴのところにも何度か足を運んだのだが、それはどうやらヨシュアには気付かれていないようだ。

 ミラルディはひと安心する。


 ――ザヤの邑以降。

 本来、眷属であるミラルディには、いろいろ思うこともあり。

 また、ヨシュアの神殿での地位が激変したこともあり。

 忙しい彼のもとを訪れることに、ミラルディは気後れして足が遠のいていた。


 特にネママイアの器となったエイレネが焼身した後は、ヨシュアとはずっと疎遠になっていた。

 彼も自分も何も言わないが、自分たちがエイレネを導いた結果であることは承知していた。

 ミラルディとヨシュアの間には大きな腫物が存在しており、決してお互いに触れようとせず、見て見ぬ振りをしているのと同じだった。


「……アランとは? まだ話してないの」

「ええ。あっちが謝ってこない。そのままです」

「……いい加減、許してあげなさいよ。どうせ、力が使えたことを知っていたって、貴方は使おうとしなかったでしょう」

「使うか使わないかの選択ぐらいは自分でしたかったと言っているんです」


 ヨシュアにしては珍しく険しさを増した声にミラルディは口をつぐんだ。


「もしかしたら、私は別の人生を送っていた可能性もあったかもしれないでしょう」

「ここに居なかったのかもしれないって?」

「そうですね。記憶を操って、ワノトギであることを隠して、好きな女性を落として……今頃三人ぐらい子供を作って暮らしていたかもしれない」

「貴方が父親? 似合わないわよ」

「そう思うのは今の私しか貴女は知らないからです」


 ミラルディは黙ったあと、暫くしておずおずと口を開いた。


「……ねえ、アランはまだ怒ってるの」

「ええ。私というよりかは貴女にね」

「……」

「私はあの時、不可抗力でした。起き上がることさえままならなかったのに」

「でも……貴方もその気だったじゃない」


 むっつりと呟くミラルディに


「……あんな事されたら男なら誰だって反応するでしょう?」


 ヨシュアは苦笑する。


「……だって、仕方ないじゃない。そんな気になっちゃったんだもの」


 ザヤの邑で。

 ミラルディはヨシュアと寝た。


「私、あのときおかしかったじゃない。神殿から離れてハイになっていたっていうか。ネママイア様に対してデカい口聞いたり。いつもの私じゃなかったのよ」




 ――あのとき。

 ミラルディはもう彼に会えないかと思った。


 彼が蝸牛アデロ過ぎるくらい蝸牛アデロだということをミラルディはヨシュアから聞いて知っていた。

 彼が自分を置いて先に死ぬのかもしれないと。

 ザフティゴの葬儀の夜が彼との最後の時間になるのかもしれないと。

 そう思った途端、ミラルディは居てもたってもいられなくなり、すぐさま神殿を出る決意をしたのだ。


 あのとき、ザヤの邑からのナトギの伝言を受け取ったウィッツフォン(ユシャワティンの器)がミラルディに事を伝えた。

 自分が何と言って神殿を出ることを神霊たちに懇願したのかは、もうミラルディは覚えていない。

 主であるウィッツフォンが一番、自分を引き留めたこと。あとはネママイアの冷ややかな無表情と、神官たちのいさめる声が断片的な記憶。

 もしかして、返事を待たずに自分は神殿を後にしたかもしれない。


 ザヤの邑で彼がまだ生きていたことを確認して。

 ミラルディは足元から崩れそうなほど安堵した。――




「気がついたら貴方とああなってたんだもの」


 神殿に戻る前に、彼の熱をどうしても確かめたくて。身体に刻みつけたくて。

 ミラルディは自分を安心させたかった。


 自分でも、ヨシュア相手のそれは、アランに対するのとは明らかに違っていることに気がついた。

 見ていたアランが怒るのも無理はないと思った。


「アランは聞いていると思いますよ。いくらでも弁解を」


 ヨシュアがミラルディを慰めるかのように優しい声を出す。


 本当かしら。私のことさっきからアランはずっと見ているのかしら。


暫し考えた後、


「……弁解はやっぱりやめるわ。アランに失礼だもの」


 ミラルディはそう言ってヨシュアに目を移すと。

 ヨシュアは目を閉じていた。


「最近、貴方疲れてるのね。……急に老けたんじゃない」

「わかりますか、白髪でしょう。耳の上に溜まっていると、先程、ギョヒョン様にも言われて」


 ヨシュアは目を閉じたまま、ため息をつく。


「三十路を過ぎてから、いきなり増えました。自分でもショックです」


 ヨシュアの耳の上の白髪を数えようとしてミラルディが覗き込むと、ヨシュアが目を開けた。

 頭の後ろで組んでいた手を伸ばし、ミラルディの紫の髪に一房、触れる。


「貴女はいつまで経っても綺麗ですね。最初に出会った時とちっとも変わらない」

「……」

「あなたには失礼かもしれませんが……そこは羨ましいと思います」


 ミラルディに微笑みかけるとヨシュアは手を離し再び目を閉じた。


「すみません、寝ます。今日は疲れて」

「わかったわ、おやすみなさい」


 しばらくして、寝息が聞こえてきた。

 最近、一気に彼はやつれたと思う。

 どこか身体に悪いところがあるのではないかと思うほど。

 大丈夫なのだろうか。


 そう思いながらミラルディは彼が髪に触れたときの胸の高鳴りを思い出していた。


 ついさっき。

 彼が髪に触れた時。


 頰にも触れて欲しい、と思った。


 ヨシュアなのに。

 アランじゃなく、彼に。


 私、何を考えてるのかしら。


 ミラルディは静かにヨシュアの隣に身を横たわらせた。

 彼の横顔を見つめる。


 ザヤの邑以前には。

 こうやって二人で寝転んで他愛無い話をしたわ。アランと彼が交代するまで。

 自分が子供の頃の話、彼の子供の頃の話、ここに来てからの話。

 私の話を聞いている彼の顔が好きで。

 彼が語る顔を眺めるのが好きで。


 スーゴの問題を解き合うのも楽しかった。

 私が見つけた解答法を得意げに話すのを、貴方は微笑みながらじっと聞いていて。

 私は貴方のその顔を見るのが嬉しくて。

 だから、貴方が音をあげた問題も最後まで頑張って私は解いたのよ。

 貴方と過ごす、そのなんでもないひとときが楽しくて。


 もう、あの時のようには戻れないのかしら。


 ミラルディはヨシュアの髪にそっと頰を寄せた。


 ……アランは最後の方はもう気づいていたのかもしれない。

 自分が彼の後ろ側にヨシュアを見ていたこと。彼をヨシュアだと思い込もうとしたこともあること。


 最低だわ、私。




「貴方にしているのよ、アラン」


 見えすいた嘘なのに。

 言い訳のようにしか聞こえないのに。


 それでも声に出して言うと、ミラルディはゆっくりとヨシュアに近づき彼の額に唇を押し当てた――。

















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