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その男、人三化七につき(下)

 ヨシュアとミゲロ新人神官がザヤの邑を出、三日歩いてマスカダイン山に入り、紫神殿に近づいた時、スーゴ神官が手前で待ち構えていた。


『私が出来ることは全ていたしました。神殿に戻られるその前に、ヨシュア様、貴方の心を私はご確認したい』


 醜い面をあげて告げるスーゴ神官の前に、ヨシュアは重い身体を動かし、馬から下りた。


『これは貴方が始められたことです。貴方が先導を切らねばならない。貴方は最後までやり抜く意志はお持ちか』


 よろめいたヨシュアをスーゴは手を出して支えた。


『貴方にその意志がおありなら私は貴方の補佐をその最後まで務めさせていただきます。貴方のお返事次第です』

『君は何故』

『私は自身の力を試すためにこの神殿に来ました。地位も財も持たない私が、おそらく自分の持った力を最大限に生かせる場所がここではないかと思ったからです。貴方様が私を選んでくださり、そしてまた貴方様が今、その機会を私に与えてくださった』


 スーゴは語り出した。

 自分は不合理で要領の悪いことが許せないのだと。この島の民の教養のなさ、野蛮さが我慢ならないのだと。


『ワノトギが良い例です』


 コトトキのユミュールのような教養も品もあるワノトギは稀だ。多くはただの平凡な農夫等がたまたま運によって突然、ワノトギになるのである。


『彼らは暴れ馬と一緒だ。調教しなければ』


 ワノトギが尊く、品行方正な存在とされたのは昔の話である。いや、昔から野卑で傍若無人なワノトギは存在した。彼らは神霊の試練によりその力を手に入れ、祭り上げられた途端、その立場を利用することに酔ったのだ。

 スーゴの居たサンセベリアの地域ではそのようなワノトギが我が物顔で支配し、欲望のままに振る舞っていたのだという。


『店に入り浸り、飲食を繰り返す。気に入った娘に抱かせろと強要する。お許しを、と懇願するその娘の祖母を袋叩きにする始末で』


 そのワノトギが自分の雇用主の娘エイレネに目をつけ、彼女に乱暴を働こうとしたため、スーゴはそれを阻止した。

 結果、サンセベリアからスーゴは追放を余儀なくされた。


『まあ、こちらに来たのは故郷を追われたからでもあります。その下種なワノトギのために』


 それぞれのワノトギの性根も違えば、民のワノトギに対する感情、意識もまた、地方によって異なる。

 スーゴの住んでいたサンセベリアのようにワノトギを畏怖し、低頭するところもあれば、彼らを嫌悪し遮断、虐待する地域、また家畜のように粗野に使い捨てる地域もあるのだ。


『統一性がない。ほったらかしもいいところです。だが、それはワノトギの彼等や民のせいではない。彼等は教育を受けてこなかったのだから』


 彼らや民には教育者が必要です。

 私が今まで外で会ったワノトギは、故郷のタチの悪いワノトギと同類か、または良くて、後先を考えず犬死にも辞さず悪霊に立ち向かう猪のような体力バカしか存じませんでした、とスーゴは告げた。

 貴方様のようなアデロ(蝸牛)たちといえば、分不相応な役を押し付けられた上に命の犠牲を払う始末。真に非効率的だ。

 これを変えようとする輩が誰も居なかったのが私には不思議でなりません。

 まあ、先人たちが阿呆だったのでしょう。自分の身の周りと目先のことをこなすだけで精一杯といいますか。要領良く生きる術まで頭が回らなかった。先を読む目がなかったのでしょうな。……貴方様の母君はまた別の話ですが……本来なら、それは神官、コトトキたちの仕事の範疇だったとも言えますが。現状を目の当たりにすると、能無しばかりだったのでしょう。……あ、いや、貴方様の父君は除外してですが……特に神殿はぬくぬくと民からの恩恵を食い尽くすのに甘んじていたようですから。


 ヨシュアの両親への訂正をいちいち挟みながら、スーゴは続けた。


『民に神霊、ワノトギとの関係を考えさせる良い機会が到来したと、私は考えております。紫神殿の威光を他地域の民に知らしめる機会だとも。貴方様がその機会を作った。ならば、貴方様にこそこの世を変えていく権利があるのだろうと思っております……私と貴方様の望みはほぼ同じ類のものではありませんか? 私がお側に仕えさせていただくのは貴方様の不利益にはならないと存じますが』


 不思議なほどの煌めきを抱いたスーゴの瞳と、怒濤のような彼の言葉にヨシュアは少し黙った。


『……実を言うと、私には今、そんな自信はない』


 今まで自分は騙されてきたという事実にヨシュアは衝撃を受けたばかりだった。

 その相手が、自分の母と兄だったという裏切りに。

 そして、今まで勘違いをしてきた自分の道化さ加減に。

 能力を持たずとも人の心など容易く、思い通りになるなどという根拠無く持っていた自信を見事に打ち砕かれたのだ。


『私はそんな器の男じゃない、と思う。中級神官の位置でこのままのんびりと無難に一生を送れればいいと。そう思っていた』


 神殿に入った頃、自分が何かを起こせるのではないかと若さゆえに奢ったこともあった。

 しかし、現実では手の届かない神霊の存在を感じ、無力さを思い知らされただけだった。

 自分が誇れる神殿での唯一の行動といえば、器候補だったオルニオを元の集落へ帰したことだけだ。

 なによりも、ミラルディと過ごす神殿での日々が心地よく、ヨシュアはこの穏やかな生活が永遠に続くことを心の奥で祈ってさえいた。


『だが、君という存在を得て。……やってみてもいいかという気になってきた』


 一度ハッタリをかましたならば、この先の人生は当然、ハッタリをかまし続けなければならないのだろう。

 過去にロウレンティア神殿で、ザヤの邑で、ユミュールに投げつけられた言葉をヨシュアは思い出した。


 ――嘘はいずれ明らかになる。幻想はいつか砕かれる時がくる。嘘はあらたな嘘を呼んで、そしてやがて歪みが生じて露見するのだ。その時に貴方は後悔するかもしれないぞ――


 上等だ。

 そのハッタリをかます価値があるのなら。


『自信の無さなど、私次第でどうとでもなりましょう』


 飄々と告げたスーゴにヨシュアは口を歪めた。


『君を神殿に引き入れたのは、私の人生で一番、有益なことだったのだろうな。……これからよろしく頼む、スーゴ』


 彼に手を差し出した瞬間。

 握り返したスーゴの目の奥に広がった恍惚の色を見て、ヨシュアは心の中で苦笑いした――。


 * * * * *



「私がこの神殿で行った一番偉大な行為であり、また最大の悪行は、君を神官に選んだことなのだろうな」


 一年前のことを思い出していたヨシュアの言葉にスーゴは何も応えずに顔を伏せた。

 喜びを噛み殺しているのだと、ヨシュアには分かった。

 エイレネを失った今、彼の承認欲求を満たすのは自分しかいなくなった。ますます、彼の自分に対する依存と献身度合いは高まったのではないだろうか。

 ヨシュアは腰を屈め、スーゴの顔を覗き込むようにしてゆっくりと告げた。


「君を選んだのは間違いではなかったと思っている」


 自分が初めて試験官を務めたロウレンティア神官登用試験の最終試験で。

 ヨシュアは、かつてなかった試験課題をスーゴを含めた受験者に出した。


 できるだけ難しい「謎かけ」を作るようにと。


 ふるいにかけられた精鋭の最終選考試験受験者の中で。

 その課題に周囲とは一線を画し、抜群に応えたのがスーゴだったのだ。

 内容もさることながら、彼は謎かけをなんと十五問も作ったのである。

 早速、ヨシュアが解こうとしたものの、スーゴのそれはそのうちの一問も解けなかった。


「あの時、君の才能が気に入ったんだ。文才も含めて」


 また、スーゴには容姿からは想像もつかぬほど、繊細で色気のある文章や物語を作る才もあった。


「エイレネ様の御前で不謹慎かもしれないが……あの話の続きを楽しみにしている者がいることを伝えておこう」

「貴方様が、アレを」


 ぽかんと口を開けてスーゴがヨシュアを見上げた。


「驚きました。私の様な片手しか相手の居ない男の慰み用に作った……正直、自分の為に作った代物ですが。貴方様の様な方でも御入用になるとは」

「……私ではなく」


 ヨシュアは笑いを噛み殺した。

 彼の自分を顧みないあけすけな物言いには、こちらがどう対応してよいのか困ることがある。


「ミラルディ様が、いたく気に入っている」

「あの、『色気づいた子供ガキ』がですか?」


 彼が呼んだ眷属である彼女への呼称にヨシュアは片眉と口の片端をあげた。

 彼にとっては、自分が認めた者以外は全て侮蔑の対象となるらしい。神霊しかり、器しかり、眷属しかり。


 スーゴが書いたのは俗に言う艶本だが、今までそういう文書などこの世になかった。記録物と神話の類がほとんどであったのだ。

 スーゴが書いている内容に興味を持ってヨシュアが原本を部屋に持って帰った際、ミラルディが勝手に読んで夢中になってしまったのだ。

 八十年以上も生きていれば、行為にもそろそろ飽きがきていたようで、新しい刺激物に彼女ははまってしまったらしい。


「なんと、字があの子供に読めたとは」

「ミラルディ様はもともと豪商の出で一通りの教育はそのときに受けている。本来なら私なんぞとは御目通りもかなわない身分だったと言われたよ。……そして、いずれ君には知れるだろうから前もって言っておくが」


 ヨシュアは軽く咳払いした。


「最近はご無沙汰だが、私は彼女の愛人を長年務めてきた。それに、今まで君が出した謎かけの解答を出してきたのは実は私ではなく、ほとんどが彼女だ」

「……」


 真実だった。

 ミラルディが聡明な女性だということは分かっていたが、あそこまでとは思わなかった。

 アランと交代するまで、寝所で寝転びながらランプの灯りのもと、スーゴの出した問題をどちらが早く解くか競争するのが、ヨシュアとミラルディの日課だった。

 音をあげて寝転んだ自分の横で、目を輝かせながら問題を解き続けるミラルディの顔を眺めるひとときが、彼女を独占できる時間が、あの時のヨシュアの唯一の娯楽だったのだ。

 ザヤの事件が起こるまで。


「……成る程。やはり、教育は大事だ。……眷属の例外として、賢女ミラルディ様を付け加えさせていただきます」


 スーゴの瞳の奥が驚きの色とともにある種の輝きを帯びた。予想もしなかった自分の信者獲得に、心が躍ったのかもしれない。


「おそらく、世が世なら私は筆で身を立てることもできたのかもしれませんな。時代が悪い。残念でなりません」

「後世の民のために書いてやると思えばどうかな」

「なるほど。浪漫がありますな」


 浪漫の欠片もない顔でスーゴは返し、


「……さて。ヨシュア様。話は変わりますが、目前のクヴォ・ルア(春のひと月)に三年に一度の神官選挙が迫っております。以前に渡した名簿の神官は制覇されましたかな」

「……目下、努力健闘中だ」


 ヨシュアはやや眉を顰めて答えた。


「お急ぎを。また、女性の心は変わりやすいゆえ、事後対応も気を抜かれませぬよう。男性神官に関しては、申しましたとおり、努力目標で結構です」

「……」

「貴方様には。大神官になってもらわねば」




 ――半年程前、ヨシュアはスーゴから紫神殿の神官の名を幾人か記した名簿を受け取った。

 彼曰く、醜い者や劣化した者が、美しい者から目をかけられる幸運というのはこの世のなにものにも代えられない喜び、快楽である、と。


『私がそれは一番理解しております』


 スーゴの言葉にヨシュアは頷き、受け入れるしかなかった――




「……あの名簿の中で過去に関係を持った神官は削除してもいいだろうか」

「それは、いつのことでどなたです?」

「インガ女史だ。……十三年前のことだが」

「十三年前? 貴方様はまだ神官ではなかったはずですが」

「……十三年前、当時、彼女が神官登用試験の試験官だった」


 やや小声で述べたヨシュアにスーゴは眉をぴくりともち上げた。


「……成る程。まあ、そうでしょう。私でも使える手があるなら全て使います」


 スーゴはかつてのエイレネの残骸の前からゆっくりと歩き出した。


「その頃から貴方様は御自身の身体の価値を分かってらした。ならば、私のいう意味もとうにお判りでしょう。……いいですよ、インガ女史は名簿から削除いたしましょう」

「ありがとう」

「貴方様が兄上と仲を戻されれば、このようなしち面倒臭いことはせずともよろしいのですがね。……まだ、貴方様にその気はございませんか」

「私も向こうもそんな気は無い。私は兄から謝るまでは兄を許さないと思っている」


 ザヤの邑以降、トギである兄のアランとは、ヨシュアは一言も言葉を交わしていない。

 よって、身体をアランに明け渡すこともなく、ミラルディとの関係がご無沙汰なのはそういうわけである。

 また、アランが抱く怒りの理由のひとつには、自分だけでなくミラルディにも責任があった。


「まあ、ワノトギとは言い難かった私だが、これでほぼワノトギとは言えなくなった。いっそ、清々しい。私自身の身一つで何処までやれるか……これで本当に自分を試せるというものだろう?」

「楽な道があるなら、そちらを使う方がよろしいかと私は存じますがね……まあ、貴方様がそうおっしゃるのなら」


 渋い思案顔で、スーゴは溜息をつくと首を振った。


 紫神殿の地下祭壇室に、ゆっくりと男二人の影が伸び、それは静かに室外へと出て行く。


 ふいに、祭壇上に灯された炎が風もないのに大きく揺れた。

 激しく燃え上がった後、炎は予兆なくパタリと消え、あたりは深い闇へと堕ちた。

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