その男、人三化七につき (上)
「ありがとうございました」
紫神殿地下の祭壇室で、下級神官スーゴがぽつりと呟くのを聞き、彼の背後に立っていたヨシュアは目を細めた。
スーゴの前に置かれた平たい石の祭壇上にはかつてはヒトであり――この島の九柱の一つ、ネママイア――の器だった女の亡骸……であったものが存在している。
であったもの、と言ったのには訳があった。
真っ黒だった焼身死体はつい先程、雲散霧消したのだ。
器が神霊を失った時、その身体はたちまち砂と崩れる。
まるで今まであった姿は幻だったとでもいうように。
「彼女は最後、美しい姿をしていましたか」
スーゴの問いにヨシュアは答えた。
「髪は紫、瞳は青……」
「いえ、神霊のチンケなマヤカシではなくて」
彼の言葉にヨシュアは目を見張ったのち、微笑んで訂正した。
「鉱山小屋で出会ったときから、彼女は気高く美しかった」
「……まあ、そうでしょう」
すん、と彼が鼻を微かに鳴らしたような気がしたのは気のせいか。
スーゴはゆっくりとヨシュアに向き直った。
醜い男だった。
背丈は低く、ヨシュアの胸のあたりまでしかない。頭と顔は人一倍に大きく、彼の額の面積が常人との差を占めていた。反対に目鼻口は異常に小さく、まるで猿を思わせる。加えて、生まれつき彼は奇形らしく、明らかに左右非対称な位置に顔のパーツが置かれていた。
スーゴ下級神官。
「人三化七」――人の要素三割、化け物要素七割――とは彼のためにある言葉だろう。
二年前にロウレンティアの紫神殿に入ったばかりの新人神官である。
ヨシュアが神官登用試験の試験官に就任して初めて選任した神官でもある。
年は二十二でヨシュアよりも七つも下だが、外見上ではスーゴの方がはるかに年上に見えた。
サンセベリア出身の彼は、死したネママイアの器のエイレネとは知人だったという。
詳しく言うと、使用人と雇用主の娘、の関係だったとか。
「彼女は特別な女性でした。彼女なら、どの場所に堕ちてもあの輝きは隠せないでしょう」
「君は……彼女と会わなくてよかったのか」
「当然です。昔の彼女を知っている私が彼女の目の前に現れようものなら、彼女を恥辱に陥れることになります」
スーゴは睨みつけるかのようにヨシュアを見上げる。
「彼女を迎えに行くのは、貴方でなければいけなかった。特別な存在の。ずば抜けて美しい神官である貴方が」
ずば抜けて醜い男の言葉にヨシュアは曖昧に笑った。
「昔から美しく、優しいお方でした。その上とても賢い方だった。私の作った謎かけを、次々と解かれ『新しい謎かけを作って』と作ったしりから新しい問題を求められたものです。……そんな方があのような境遇に落とされるなどあってはならなかった」
マスカダイン畑で雇われていたスーゴはそこでエイレネと出会ったようである。
「私がこちらに来てから、ザヤの災厄以来、エイレネ様を襲った不運など知らなかった。災厄以降、家族が気になり、久しぶりに里帰りした際にエイレネ様の境遇を知り、なんとしてでもお救いしたかったのです。しかし私は財も腕力もなく、その術を持たない。思いついたのが、器候補として連れ出すことでした」
遠い目で語り続けていたスーゴは、ヨシュアを再び見上げた。
「御協力いただきました貴方様には深く感謝いたします。私の希望はあそこからエイレネ様を連れ出すことのみ。その後のエイレネ様の処置に関しては貴方に何の所望もしておりませぬ。……エイレネ様がこのような末路になってしまったとしても私には貴方を責める道理はありません。たとえ、貴方がこの結末を既に知りえていたとしてもです」
スーゴは振り返り、塵と化した器の亡骸が存在している祭壇に目をやった。
「エイレネ様をお慕いしていた身といたしましては、この結果が一番良かったのではないかと」
一度奴隷に堕ちたなら、もう世間の見る目は二度と変わらない。エイレネは最下層の娼婦として生涯を送るだけである。
エイレネはその生涯より器や眷属になる道を選んだのだ。
しかし、まさか器におさまるとは思わなかった。
「まことに神霊とはいい加減なものだと」
てっきりエイレネは眷属になるものだとヨシュアもスーゴも思い込んでいた。
もとより、ナトギの推薦などはでっち上げで、ヨシュアがエイレネを器候補に仕立て上げたに過ぎない。それよりも先ず、女奴隷が器になる可能性などなきに等しいのだから。
だが、ネママイアは彼女を器に選んだ。
「ハッタリもかませば真実になるのだと。……貴方様はそれを身をもって、既に御存知でしょうが」
スーゴの言葉にちらり、とヨシュアは彼に目を向けたが、彼はヨシュアではない方を見ていた。
「だとしたら今までナトギが選んできた器候補たちとは何だったのでしょう。これまでの労力等を考えると、まことにアホらしく何とも理解しがたい」
「……エイレネ様がたまたま器に相応しい器量と魂だった、ということでいいのではないかな」
ヨシュアは口を開いた。
「奴隷に堕ちたとしても関係なく、彼女は稀にみる尊い存在だった」
「まあ、その通りでしょうが」
スーゴはエイレネが消滅した後も、湿っぽくなることなく淡々と言葉を紡いでいる。割り切る強靭な意志と精神力の持ち主だとヨシュアは思った。
「しかし気に入りません、神霊というものは。放られた肉に飛びつくバカ犬そのものでありませんか。行き当たりばったりで、知性も理性も感じられない。元が化け物だからしょうがないかもしれませんが。『美しいものは愚かでくだらない』というのが私の信条ですが、それは神霊に対しても当てはまるようだ」
貴方様とエイレネ様は例外ですが、とスーゴは付け加えるのを忘れなかった。
「役立たずのくだらない化け物であるより、存在意義のない器の従属であるよりも、エイレネ様にはこの選択が相応しかったかもしれません」
神霊を愚かでくだらなく、バカ犬や化け物だと言い切るような男は、この世界では目の前のスーゴをおいて他に居ないのではないだろうか。
あまりの物言いに、ヨシュアは呆れを感じる反面、清々しさを感じた。
スーゴ。
彼はヨシュアが紫の神殿に引き入れた、容貌、中身ともに化け物だ。
自身の信条に従ってしか動かず、信仰の欠片も持たない。
彼は、自分の力を試したかったから、ロウレンティアの神官登用試験を受けたのだという。
まさかスーゴ自身も試験に受かるとは思わなかったであろう。
一次、二次試験を突破し、彼は数多の競争相手を蹴落とし、最終試験でヨシュアに選ばれた。
***
『スーゴ神官の命でお迎えに上がりました』
一年前、ザヤの邑で。
ユミュールに悪霊の始末を任せることが出来てヨシュアが安堵したのも束の間、馬とともに今度は紫神殿から迎えが来た。
痘痕のひどい面構えの彼は、その年、ヨシュアが試験で選任したばかりのミゲロという新人神官だった。ミゲロは非常に冷静かつ歯に衣着せぬ男で(だからこそヨシュアは選んだのであるが)、ヨシュアに神殿の様子を洗いざらいそのまま如実に伝えた。
『多くの神官は貴方がザヤの邑で命を落とすことを望んでいらっしゃいました。私もその一人です』
まあ、そうだろうとは思っていた。
紫神殿はこれまで『神霊は私たちを愛し、慈しみ、恵みを永遠に与えてくださる。その愛は絶対で私たちを裏切ることはない。その愛に感謝せよ、讃えよ、すれば神霊は倍の愛と恵みでもって返してくださるだろう……』等のことをロウレンティアの民に対して散々説いてきたのだ。その上でのおこぼれを頂戴して、今まで紫神殿は甘い汁を吸ってきたのである。
その神霊様が牙をむいて民に災いを与えるなど、前代未聞で、あってはならぬ事だった。
これまで尽くしてきた信仰とは何であったのか。
神官たちを始めとする神殿は民と神霊の橋渡し役ではなかったのか。
民の疑問が紫神殿に向かうのは必至だと思われた。
疫病の根源である噴火が、ネママイアの怒りであるとはっきりと告げた、かの神霊の欠片を持つワノトギ。彼は紫神殿に所属している神官でもある。
そして彼は神霊の力を使い、一人の民を殺めた罪人でもあった。その彼がトギ堕ちをしなかったのは、やはり彼の言うように神霊の御意志なのか。
彼の措置をどうしてくれよう。
紫神殿内は大いに揺れた。
ワノトギでありながら神官になった彼は、ワノトギであることを感じさせる事なく、今までは可もなく不可もない存在だった。
上にたてつく事なく、かといって媚びへつらう事もなく、また特に親しい仲間も作らず、その美貌がなければ数ある神官の中に埋もれてしまいそうなほどであったのだ。
唯一、彼が目立った事例といえば、ネママイアの器候補として薄気味悪い子供を神殿に連れてきた時ぐらいだろうか。彼の言葉で、神殿は異教の子供を外へと追い出した。
さあ、どうする。
このまま神殿に彼を迎えれば、民の反感を買うまいか。神殿は神霊を選び、民を見捨てたのだと。
いや、それよりも先ず、彼が恐ろしい。真にそのような力を使ったのであるなら、我々を操ることなぞ造作も無いはず。
厄介だ。なんと厄介な存在であることよ。
彼はワノトギとしてはアデロ(蝸牛)であるらしい。このままかの地で命を絶ってくれないだろうか。
『なんと情けない有様であることか』
その時、鶴の一声をあげた声の主に、一同は驚愕し静まり返ったという。
『これが幾百年も続いた神殿の御姿であられるか。民のご機嫌をうかがい続けた成れの果てであるのでしょうな。元来、神官が民に媚びてどうするのです』
直視出来ない程の醜い小男のスーゴに後光が差した様であった、と痘痕面のミゲロ神官は述べた。
それからスーゴは、歴史に残る様な名演説を神官たちの前で披露したと。
私たちがロウレンティアの民と結び続けた関係はそう揺らぐものでは無い。
幸いに、疫病の被害はロウレンティアとダフォディル以外の地域が主である。ロウレンティアが被害を免れたのは、ロウレンティアの民が正しく信仰を抱いていたからに他ならない。私たちが導いていたからこそ。
他地域は信仰がおろそかだったからこそ、神の怒りに触れたのであろう。
良い機会である。我々が温情を持って、他地域の不届きな民を正し、導くのだ。神への赦しを乞い、二度と過ちを繰り返させぬよう。愚かな民を我々が正せよ、と主は仰っているのだ――――と、言ったような内容が荘厳麗句を使って流暢に並べ立てられたという。
『スーゴは、貴方様に傾倒していらっしゃいますから』
ミゲロ新人神官の言葉に、ヨシュアは薄々気づいていたその事実を確信した。
彼――スーゴのあれは、なんと言おうか。
自分が彼を神官に選ぶと宣言した時、彼の目に浮かんだ恍惚の色が今でもヨシュアの脳裏に焼きつき、忘れられない。
彼は、ひどく承認欲求が強い男なのだろうと思う。主に容姿の面で彼が持っている劣等感に比例して。
そしてそれは、良くも悪くも子供のように純粋でひたむきであるようだ。
エイレネを慕った理由もそれであろう。
この男は自分を認めてくれた者には、盲目的に献身を示すのだ。
厄介な男に懐かれたかもしれない……あの時、最終試験で彼を名指しした時、ヨシュアが感じた予感は正しかった。