生臭神官と教会のふたり
宿屋の娘、冒険者の女、流れの女神官、3人の夜は更けていく。
宿屋の娘さんは、お仕事ないんだろうか。最初こそわたしの料理を載せてきたトレーを抱えて立っていたけれど、すでに椅子に座って久しい。完全にサボりモード。
「ところで」
よもやま話に一区切りついて、冒険者のリサが切り出した。彼女は先ほどまでのおちゃらけた雰囲気を少し捨てて、その眼光にはひそかに真剣さを含ませていた、ような気がする。何となく、このアマ、カタギの女じゃないなっとか思ってみたけど、冷静に考えてみれば冒険者稼業なんて、日本のそんじょそこらの女とはくぐり抜けてきた場が違うんだから、そういう剣呑な感じもむべなるかな、というところである。
「ハルさんは魔法が使えたりするのかな?」
「治癒魔法が専門。他はちょこちょこ」
「他って?」
「火とか」
「ふうん。ささっと回復、ときどき後ろからバーンってか」
そういってリサはカカカッと笑った。
完全なる嘘という訳ではない。一応専門は治癒魔法のつもりではいる。他に挙げるべき魔法系統としては、サブ・スペシャリティーとも言うべき召喚魔法だったのかもしれないけれど、火のほうが普通の人っぽいし、あんまり目を付けられるのも、嫌だし。さっきの怪しい目は、明らかに獲物を狙ってた、パーティメンバーを狙ってた。
「わたしと組まない?」
それ来た。こいつ、急に真顔になっている。
「嫌ですよ」
「何でよ~? いいじゃない! わたし強いわよ?」
「どうだか」
「ホントよ、これホント」
「これでも一応神官なの。人々に神の教えを説く。これが本分」
「なーに言ってんだよ、この生臭神官が。ほんの一言も神様の話してねーだろ!」
誰が生臭神官だよ。まだ戒律とかには引っかかってないぞ、たぶん。オーク肉禁止とかいう預言者もウチにはいなかったはずだし。一応確認してきたけど、そんな大したことなかったし。信じよ、盗むな、無用に殺すな、後は細々、そんなんだったよ。食中毒予防の三原則みたいなもんだよ。付けない、増やさない、殺す、って。
「ちぇっ、有望株だったのにさ」
「残念だったね、リサさん、わたしは? 宿屋の娘。かっこいい神官に憧れる女の子」
「へえ、何ができるのかしら?」
「そりゃもう、憧れパワーよ、狼も虎もイチコロよ」
「ほう、そりゃすごいや」
またリサは笑い出して、茶目っ気たっぷり・ガールズトークモードに切り替わった。
わたしは残った料理を平らげようとする。
……オーク肉、絶対端っこ減ってる。
ケチ妖精、食ったな。キッとナビの方を睨むと、リサの頭の上まで飛んでいってクルクルと旋回している。こっちを見て不愉快な笑みを浮かべている。
畜生、どいつもこいつも、か弱い神官をおちょくりやがって。
料理を食べ終えた後もしばらくふたりの会話に付き合いながら、適当に相槌を打ってくつろいでいる。リサはわたしを誘える目がないことが分かったのか、わたしのことについて尋ねるのをやめて、もっぱら宿屋の娘に自分の冒険譚を語っている。
すると裏からおばちゃん女将が登場して、宿屋の娘に呆れた顔をしながら、仕事をするように言う。すいませんねえ、うちのが、みたいな感じでこちらに会釈しながら、娘を引っ立てていった。
残されたわたしたちはそれぞれの部屋に向かう。隣みたいだ。階段を上りきったところで、リサはわたしにもう一度誘ってきた。
「ねえ、ホントに組んでくれない? 治癒魔法、ホントに助かるんだけど」
「すいません、まずは教会に行かないといけないし、あまり気が向かないので」
「そっか。まあ、仕方ないね」
「そういえば、狩ったうさぎがあるんだけど、解体ってどこかでやってもらえたり?」
「そうねえ、冒険者ギルドならやってくれると思うけど」
「ありがとう」
じゃあね、と言ってリサは自分の部屋の扉を開けて、中に入っていった。
入ったかと思うと、やおら首を扉の影から伸ばして、わたしにもう一度声を掛けてくる。
「そういえば、ハルっていくつなの?」
「えっ? 今年で24かな」
「げっ!?」
妙にショックを受けた顔をして、リサはバタンと扉を閉じ、部屋に入ってしまった。まあ、小柄だし、童顔だし、そんなにいってるようには見えなかったのかな。日本人としても、ヨーロッパとか、他の人種の人の年齢を予想するのは、結構難しいから、まあ仕方ないのかもしれない。下手したら、まだ子どもに見えていた?
ひとの年齢を聞いておいて、自分は言わずに言ってしまった。扉をドンドン叩いて、あんたはいくつなんだと聞いてやろうかと思ったけど、そこまでリサの年齢に興味は沸かなかったからやめた。見た目年上のお姉さん風だったから、ですます調で話していたけど、途中から怪しくなっていたし。
部屋に戻ったわたしには、結構眠気があった。日が沈んでから、長く話していたといっても、まだ9時か10時ぐらいのもんだろうと思ったけれど、やっぱり疲れている。わたし、もう寝るね、とさっきからつまらなさそうにぶんぶん飛んでいたナビに話しかけた。
寝間着を持ってきてないかも、とインベントリを探すと、キャンプセットの中に用意されていた。女神様、ありがとう。気が利きますね。細かい所まで手を抜かない仕事ぶり、これは神経すり減らすだろうな、と再び同情した。
無属性の入門編にあった【清浄】の魔法を使って、わたしは身体をきれいにした。歯磨きっぽい要素も含まれているらしい。とっても便利だなあ、これ。日本のひとり暮らしのときには、お湯を張るのがもったいなくて(めんどくさくて)ほとんど湯船に浸かることはなくシャワーで済ませていた。この清浄を使った感じは、シャワーとあんまり大差ない気がする。お湯の当たるリラックス効果がないぶん、ちょっと物足りない感じはあるけれどね。
★
翌朝、昨日の娘さんのノックと声で起きた。朝ごはんが出来ているから、早く食べに来てくれとのことだった。時計がないから何時なのかはわからないけれど、多分寝坊しているような時間なんだろう。適当に着替えて下に向かう。昨夜と違ってリサさんはいなかったので、ひとり黙々と食べる。黒パンとチーズ、それに焼いたベーコンとサラダ。卵系の料理がないのはちょっと寂しい。昔は卵も高級品だったと聞いたことがあるけど、もしかして高級品なのかな。
食べ終えたらそのまま宿屋を出た。インベントリに入れっぱなしなので、ふらっと出かけられるのはいいよね。予定通り教会の方へ向かう。とんがり帽子のような構造が付いているので、恐らくこれが教会だろうと思うが、かつて白かったであろう外壁の塗装は剥がれ落ち、過ぎた年月を感じさせる。建物自体もそれほど大きくない。
扉の金具を持って扉を開けると、ギギギギイと悲惨な音が鳴った。
2列に並ぶ数個の木の長椅子と、奥にこじんまりした祭壇が見える。
入ってすぐ右側にハタキで掃除をしている少女がいた。
「ごめんください」
「はい? どちら様でしょう?」
「流れの神官をしております、ハルと申します。神父様は、いらっしゃいますか」
「……少々お待ちください」
少女が祭壇の右隣の扉を開けてどこかに向かうのを見送りつつ、わたしは自分の格好が全くもって神官らしくないことを思い出した。とはいえ神官服など気軽に手に入れられるものでもないから、仕方ないかと勝手に言い訳をしておく。女神様にお願いすれば出してくれたのかもしれないけれど、忘れてたんだから、どうしようもない。あんまり着たくないという潜在意識が記憶を抹消するのに一役買っている気もする。
扉が再び開いて、先ほどの少女と、痩せぎすのお爺さんが出てきた。
そのお爺さんが神父さんなんだろう。
案の定、胡乱げな目線でこちらを見ている。
「待たせたね。わしがこのシアの教会の神父、ピカじゃ。お主がハルかね?」
「はい、流れの神官をしております、ハルと申します」
「流れとな。どこの教会で洗礼を受けたのじゃ」
「えーと、クーロンという街なのですが」
わたしは女神様が作ってくれた身分証の本籍地をとっさに答えてみた。
「クーロン?」
「ええ、もう今はなくなってしまったのですが」
「なくなった? まさか北のクーロンか? 魔獣の侵攻で消滅した?」
「え、ええ、北から参りました」
このピカ爺さん、いきなり痛いところついてくるなあ。しかも、クーロン(廃)、実在したのか。女神様が廃れた場所の連想で、香港の九龍城から取ってきた名前かと勝手に思ってた。
しかし魔獣の侵攻で消滅したとは穏やかではない。情報を集めておこうかな。
「なるほどな。して何用じゃ」
「取り立てて用という訳ではないのです。ただ何かお手伝いが出来ればと」
「手伝い、か。見ての通り寂れた教会じゃ。頼る者もそれほど多くはない。時々怪我や病気の者を手当てしてやったり、街の子どもに文字を教えたりしておるが、今日はそれもないからの」
「はあ、神父様は治癒魔法が使えるので」
「はいっ、神父様はとても優秀な治癒魔法使いでいらっしゃいます!」
少女が少し急いたようにそう答えると、お爺さんはやわらかく微笑んで少女の頭をなでた。それに応えるようにして少女もまたお爺さんの方を見上げて微笑んだ。ふたりがどういう関係かはわからないけれど、そこには以心伝心というべきか、この教会という隔絶された環境の中で育まれたある種の微妙な関係性があるように思えた。
話を聞くと、特に困ったことはないという。教会に対する需要がなければ、供給も不要ということか。お爺さんは治癒魔法が使えるということだし、わたしの出番はなさそうだ。
「わたしも治癒魔法が得意なのです」
「そうかの。まあ、わしがおるから、心配は無用じゃ。旅の途中なのじゃろう? まさかこんな鄙びた街に用があった訳ではあるまいて」
「ええ、まあ。本当によろしいので?」
「よいよい。若者は自由に生きてこそじゃよ、ほっほ」
ううむ。お爺さんの顔は笑っているけど、ちょっと目は笑っていない感じがする。早く出て行けと、暗に言われているような気もする。まあ、別にどうしても何かしてあげなきゃいけないわけでもない。ただ少し出鼻をくじかれたような感じがしただけ。
「そうじゃ、お主は明後日までここにおるかの?」
「特に急ぐ旅ではありませんが」
「ならば、明後日、子どもたちに何か教えてやってくれんかの? ちょうど良い機会じゃ。文字を教えてやるつもりじゃったが、よそ者のお前さんがおるなら、子どもたちにも良い刺激となるじゃろう」
「ええ、構いませんよ、明後日ですね」
「そうじゃ、教会まで来てくれ」
ではの、と言って、ピカ爺さんは奥に戻っていく。少女に支えながら歩いていて、何だか息があがっているようにも見えるが、あのぐらいの年齢だと普通なのかもしれない。
少女はどことなく不安そうな顔をしてちらりとこちらを見て、さっとお爺さんの方に向き直った。
少しその場に立ち尽くして、ひとり残された神官は踵を返し広場に出て行く。
再び響き渡った扉の悲鳴もすぐに吸い込まれて、また教会は静けさを取り戻した。
ナビさんからひとこと:
ハルはたしかに、24には見えないねえ。ちっこいし。
それにしてもあの教会、なーんか空気悪かったなー。