言いたいことは手短にまとめましょう
数々の悲惨動画もさっき目の前で見せつけられたロシア軍兵士の最期も何のその。羽生の足が力強く地面を蹴った、今までにない闘志をむき出しにして、羽生は目の前の小柄な老人に飛びかかって行く。
老人は羽生の突然の攻撃に、軽く驚いた表情のまま、地面に仰向けに倒れた。
その上から羽生がのしかかる。老人の襟がみをつかみ、揺さぶりながら叫んだ。
「ヒトが勝手だとか生き物が殺し合うとか、地球上の命が等しくどうとか、オレには、お、オレには関係ねえ! オレはたった一人のハブシンジだ! ハブミツコの亭主でハブメグミの父親で、コムラユウサクの会社の同僚で、一度だけ浮気しかけた、相手は会社の総務の新人でコムラはそれを知っていたけど黙っていてくれた、結局一線を越える前にあっちが退いた、こないだゴキブリは叩き潰した、そんで満員電車でぎゅうぎゅう詰めになった時、脇の男が胸を押さえて急に苦しみ出した、でも止まれずにそのままの姿勢で次の駅まで見守るしかなかった、誰かが大声で119に連絡した! と言ってたからオレはとりあえずその男に、すぐ着くぞ、大丈夫だから、と声をかけるしかできなかった、すぐに救急車は来たけど、それは見殺しにしたと言うのか? オレは、オレは何を答えたらいいんだ!? オレはいったいハブシンジだという他に何と答えたらいいんだぁぁぁ?!」
腕の下の男はただ目を白黒させて羽生の手を上から抑えている。急に尻ポケットから呑気な声が響いた。
「いいんスよ、先輩、それでいいんス」
呑気なわりに、言い聞かせるようないいんスのくり返しに、ナナイの男を締めようとしていた羽生の手が自然と緩んでくる。
「先輩、オレ、アウの連中に教えてやりましたよ。先輩は、ハブだ、って。そんで、蚊を一匹叩いただけでも必ず『なまんだぶ』って言うくらい、命のこと、いつも考えているっスよ、って」
そうだった。羽生は無類のばあちゃん子だった。いつも田舎のばあちゃんから
「無用な殺生を、するでねえ。今奪った命は、ご先祖さまの生まれ変わりかも知んねえぞ。
何かひょんなことで命を殺めてしまった時には、すぐに仏さまに、ご先祖さまに詫びるだ」
そう言い聞かされ、それがすっかり身に沁みついていた。
なまんだぶ、は口癖のひとつになっていた。だが、自分では全く気にしたこともなかった。
急に、腕の下からニンゲンの感触が消え始めた。ナナイの男が消失しつつある、羽生の締め方が強すぎたのか、今の『主張』が聞き入れられたのか、それとも新しい攻撃への前兆なのか、羽生にはまるっきり見当がつかない。しかし、
「なまんだぶ……」
男が冬のなごりの雪のごとく、淡く儚く消えていったしゅんかん、羽生はつい、そうつぶやいていた。
「先輩! せんぱいっ! はやく、さあ早く××してくださいっ」
小村の、いつになく切羽詰まった声に羽生はようやく意識を取り戻す。
地面が、揺らいでいる。揺らいでいる、というのか、どよめいている、というのか、雷なのか地鳴りなのか、尽きることのない轟きに、羽生は360度取り囲まれていた。
「先輩! はやく」
声はスマホから響いている。「はやくオレをダウンロードしてください!!」
「な、何?」
「先輩、アウに勝ったんスよ!! アウはみんな地球から出ていくっス! オレ、このままじゃあアウに同化したまま地球脱出しちまうっス、せっかくデータ化されてるし、先輩から離れたくないっスよ! すぐにオレのデータをダウンロードしてください!」
頭の中に一連のハウツーがイメージとしてなだれ込んだ、羽生は地面の揺らぎに足を取られないようけんめいに踏ん張りながら、イメージの示すまま、スマホを操作する。
急げ、急がないと小村を失ってしまう、急げ。
「でぃやぁぁぁぁぁっっっ」