やるとなったら覚悟しましょう
翌朝、黒塗りの政府専用車が羽生の自宅前に横付けされた。
両脇からスーツ姿の男に抱えられるように、羽生は車に乗せられる。妻は「ちょっと、お父さん、何なの、結局なんなの」と黄色い声で追いすがり、娘があまりのものものしさに大声で泣きながら更に母親にすがりついていた。
そこをスーツ姿たちがドガドガドガドガと踏みつけ、踏みならし、妻の悲鳴と娘の泣き声はぷつりと途絶えた。
「おいっ、ミツコ!! メグ!!!」
「大丈夫です、後からお会いになれますよ」
車の後部座席に彼を押し込むのに成功した男が、すぐ脇に滑りこんできてから落ちついた口調でそう言った。
あまりの冷静さに、羽生は凍りつく。もしかしたら男は「天国で、」という言葉を省略していたのかも知れない。
フラッシュの嵐の中、
「はにゅうさん!」
「はにゅうさんこっち向いて」
表に居並ぶ報道陣のひっきりなしの喚声に呑み込まれた。
苗字間違ってるぞ、おわびして訂正しろ。
羽生はそう怒鳴るつもりで窓を開けようとした、だが、窓はロックされているようでぴくりとも動かない。
そのうちに、車は急にスピードを上げた。前に陣取っていた、どこかの局のニュース番組で見たことのあるような記者とカメラマンとがセットで吹っ飛ばされた。だが、フロントガラスにはひび一つ入らなかった。
小村が間違えて返信したあのメールは、本物だったらしい。アメリカ航空宇宙局がまとめたところによると、メールを受信した端末は判明しただけでも二百五万、うっかり、または確信をもって返信した者が羽生を含め約五千、その後送られてきた座標情報と接触期間情報を見て、また返信メールを送ってしまった者が約一割の五百人程だったらしい。
座標はすべて、公に確認されている地球上での隕石墜落地点かその近辺だった。
国内外の主要交通網はおおいに乱れ、特に空の便は突然の異星人攻撃予告により寸断状態となった。皮肉にも、異星人の侵略より先に、パニックに陥った個人や組織による破壊行為が原因となったものがほとんどだった。
そんな中、マスコミの攻勢をかいくぐるようにして羽生はなぜか北海道・稚内に辿りついた。
稚内でロシア、正確に言えばサハリン行きの砕氷船に乗せられた時、狭いながらも案外豪華な室内にはすでに先客がいた。
「……小村」
あっ、どうもっす、とツインベッドの片方からぴょんと飛び上がるように起きた小村はこの暑い時期になぜか長袖のコートを羽織っていた。頭には毛皮の縁なし帽をかぶっている。
「何かロシアに行くって聞いたもんスから、あわてて好日山荘とドンキで探してきました」
「何でお前がここに」
「まずおわびをしないと、と思って」
急に小村が改まり、帽子を取ってふかぶかと頭を下げる。
「ほんっと、すんませんでした! 勝手に……しかもその後のメールにもまた返信押して……消去のつもりだったんスが。つうか、先輩のバージョン旧いんでつい」
「つうか何でお前までいるんだ? リョウコちゃんどうしたんだよ」
「リョウコぉぉあえ……えっとですね、いいんスよしばらく放っといても」
「だってやっと付き合いだしたんだろ? 夏休み旅行するんじゃないのか? 彼女と」
「だって先輩」急に小村がニヤつき出した。なぜかデレデレしながら羽生にすり寄ってくる。
「先輩、正義の味方に選ばれたんスよ? すげえじゃないっスか。どこでしたっけ、ロシアのええとすげえ山ん中の」
「シホテアリン山脈」
「そう、そのシリとホテルと男と女」
小村は何か強烈に桃色な妄想にとりつかれているようだ。
「……たまにお前のようなヤツがとても幸せそうに見えるよ」
「とにかくオレ、そーゆーの黙ってらんないっスよ、地球の平和のために戦う、とか。だからぜひ助手として先輩について行こっかなー、って」
「何かお前かなり勘違いしてると思う」
羽生は大きく息をついて、簡素なベッドの一方にどさりと腰を下ろした。
「俺は、全然地球の平和とか考えてるわけじゃない。政府に無理やり攫われたんだ、色々頼まれたり脅されたり説明されたりしたけど、妻や娘がどうなったかも教えてくれないし、とにかくこっちの言うことは誰も聞いちゃいないんだ」
「えっ、そうなんスか?」
高揚した顔に一抹の不安の色を浮かべ、後輩はこちらを覗きこんでいた。
「ま、先輩こう言っちゃ何スが、存在感薄いっスからねえ」
「余計なお世話だ。まあでもどちらにせよ、取り消しはきかないんだそうだ。俺はまるっきり信じてないけどね」
しかし、と羽生は頭を上げた。
「どうせ行かなきゃならないんだったら、ちゃんと確かめて、ケリつけてやる」
おお、と小村は低く感嘆の声をあげ、言った。
「先輩、すげえカッコいいっスよ……見た目ジミなのに」