ホーンとテイル(終)
前回までのあらすじ
幾度となく金品を奪おうとするホーンであったが強盗は一度も成功せず、結果的に何も起きなかった。
しかし勿論、ホーンは善人ではなく、罪は罪であるということを、相棒のテイルは理解していた。
ホーンも自身が悪だと認識しているはずだが…………?
今、ふたりの過去が明かされる――――――
竜暦六二九年 ヘオヴォン自由国 某所
ひとり、暗い路地をよろめき歩く、ほろ酔いの若い男は、背後から首筋にナイフを突き付けられた。月明かりに照らされた銀色が、物騒な光を帯る。
「命が惜しけりゃ、金目のもんを置いてきな。そのマスクとかな」
酒場から狙いをつけて来た強盗は、青年を下卑た声で脅す。
「あァ?」
青年が出した声は恐怖からのものではなく、不愉快極まった故のものだった。
一見、拘束具のような金属製の奇妙なマスクが口元を覆っているので、彼の声は少しくぐもって聴こえるが、殺意を伴う怒気を孕んでいることは十二分に察せられる。
だが、察しの悪い強盗はナイフをどけようとはしなかった。
「こんなことで命を惜しんでたらなァ、冒険者は務まらねェんだよなァ」
命を賭けてでも、得たいものがある。金や名声が欲しい。道を極めたい。知的欲求を満たしたい。
冒険者とは、そういう人種であると男は思っている。
冒険者であること自体に誇りはない。しかし、自身が研鑽してきた技術には誇りがある。勝算があるから、命を賭けているのだ。命は、むざむざと失ってはならない価値あるものだが、それを賭けるに足るのが己の技術だ。ナイフ一本を恐れるような自分ではない。
それを分からせねば気が済まない男は、息を深く吸い込むと、戦闘開始を告げる。
彼のマスクは特別に造らせた蟲笛だ。強盗には何も聴こえないが、ガルフ島の蟲使いである男の耳には、はっきりと音が聴こえる。
そして、屋根伝いについて来ていた男の相棒である蟲も、毛で音を感知した。
人間の赤子くらいの大きさの八つ足の蟲、蜘蛛が暗がりで糸を紡ぐ。体外へ排出されると、瞬く間に糸は硬質化する。この糸は、獲物を捕らえるための粘着性のあるものではない。獲物を斬り殺すための刃である。
強盗の周りに張り巡らされた鋼糸は、彼の服をところどころ切り裂き、その下の皮膚に赤い線を走らせた。
「俺らにかかりゃあ、お前なんか、簡単にバラッバラになるぞォ!芋虫みたいに這いずって、口だけで四肢を拾い集めるのは大変だろうなァ!」
蟲革の手袋を着けた両手で糸を繰りながら、男は心底楽しそうに声を上げる。滑らかに、しなやかに、嬉々として人蟲一体の舞踊を披露する男。
鋼糸使いが僅かに手を動かせば、彼の言う通りに強盗の手足は地面に転がるだろう。
「ヒイィ……ッ!」
すっかり、逃げ場のない被食者のような有り様になった男は、哀れな鳴き声を響かせた。
「…………なぁ、お前」
「ハイ!?」
蟲使いは少し冷静になり、ひとつの疑問が浮かぶ。そのせいで、酔いも一気に冷めた気がする。
「お前、このマスクの価値が分かるのか?マスクを寄越せなんて、初めて言われたぜ」
「それは――――――」
竜暦六三六年 ヘオヴォン自由国 フロンラド
「テイル、俺は昔、冒険者をナメるのだけはやめると誓ったんだ」
「そうなのか、ホーン」
「で、だ。あの宿は冒険者のいる宿なんだがな、常宿にしてるのは一組だけで、今は留守だ。分かるか?」
「ああ」
「それじゃ、いいな? あの宿屋に強盗に入るってことで」
「いいぜ」
ふたりの男が小声で不穏な相談をしていた。
ホーンと呼ばれた背の高い男と、テイルと呼ばれた背の低い、口元を布で覆っている男は、ふたり組の強盗である。今まさに、天使の油亭に強盗を働きに行くところだ。
宿に入ると、ホーンには弱そうに見える給仕の娘、ニカに背後からナイフを突き付けて人質にすることにした。その人質の彼女は、強盗から全く殺気を感じないのが不思議だった。「いざとなったら殺す」という気概があるようには、どうも思えない。この宿の冒険者たちと比べたら、「無」だ。すぐさま手信号で、自分に構うなと店主のヘクターに知らせる。
「金を出せ! あと、その天使像も寄越せ!」
カウンター上の片翼が欠けた天使像を見、ナイフを持ったホーンが叫ぶ。もちろん、ニカと店主のやり取りには気付いていない。
昼間から酒を煽っていた数人の常連客たちは、素手で猛獣を絞め殺したことがありそうな店主にそんなことが言える強盗が不思議で仕方なかった。危機察知能力に欠陥があるとしか思えない。ホーンが犯罪行為に及ぶことが出来る理由はいくつかあるのだが、何を隠そう馬鹿だから、でまとめられる。
もうひとりの強盗、テイルは、ほとんど全てをホーンに任せきりで、ナイフもお飾りのようだった。だから、ジャガイモの皮を剥いていた店主の決断は早かった。ジャガイモを右手に持ち直し、一切の躊躇も遠慮もせずに投擲。店主の投げた豪速のジャガイモは、ホーンの額に直撃し、後ろに倒れて床に後頭部を打ち付けさせ、彼は哀れにも意識を手放した。
ニカは真顔で、微動だにしない。
「ホ――――――ン!!」
テイルは、ほとんど悲鳴のように、床に倒れた相棒の名を呼ぶ。
「死ぬな、ホーン! 置いて逝くな!」
お飾りのナイフをしまい、身長の割に軽いホーンの体を担ぎ、テイルは走って逃げた。
ホーンを置き去りにするという考えは、彼には微塵も浮かばないらしい。
逃げると決めたテイルの足は、かなり速かった。するすると人を避け、路地を駆け抜け、貧民街へと向かう。
そうして、目指しているのは何度か世話になっている闇医者の住居である。国の許可を得た住み処ではないが。
「オフィウクス! ホーンが! 助けて!」
乱暴に扉を開け、テイルが呼びかけた。
「んー?」
目当ての人物は、部屋の奥から、ほろ酔いらしい様子で、酒瓶片手にやって来た。
「誰だっけ?」
「テイル!」
テイルが口元の布を外すと、裂けていた口端を縫った痕が露になる。
「ああ、その縫い痕、覚えてる」
闇医者である四本腕のオフィウクスは、テイルのことを思い出す。ふたり組の間抜けの片方だ、と。
四本腕は比喩ではなく、実際に腕が四本ある。彼は、成長すると体の一部分が増える変貌人なのだ。
「このデコの傷は?」
オフィウクスが、綺麗とは言えない診察台の上のホーンを指す。
「ジャガイモが凄い速さでぶつかったんだよ」
「へー、ジャガイモに何をしたのか知らんが、よっぽど腹に据えかねたんだろうな」
「いいから、ホーンを助けてくれよぉ。ホーン、死なないよな?」
「頭だからなぁ。ただでさえ頭がアレなのになぁ」
言いながら、彼はホーンに消毒と称して密造酒をぶっかけたり、触ってみたり、冷やしたりする。
そうこうしているうちに、ホーンは目を開いた。
「自分の名前分かるかぁ? 言ってみな」
「レ………………ホーン」
「ちょっとダメなんじゃないかぁ?」
「ホーン、オレのこと分かるか?」
「テイルだ」
今度は、迷いなく答えた。
「まあ平気かねぇ」
闇医者がテキトーな診断を下す。
オフィウクスの家から出ると、「俺は宿屋をナメるのもやめることにする」とホーンは口にした。
「いや、思ったんだけどな、ホーン……強盗向いてないんじゃないか……?」
恐る恐る、テイルは長年考えていたことを発言する。
「バッカ、お前……んな訳ねーだろ! 俺ぁ、強盗歴十年だぞ!」
「でも、オレがホーンと出会ってから一度も強盗成功してなくねぇ?」
「いやいやいや、してるだろ! ほら、あれだ、お前の家からお前を強盗しただろ?」
「あれは誘拐じゃなくて強盗だったのか!」
「俺ぐらいになれば誘拐のように強盗も出来るってもんよ」
得意げに満面の笑みを浮かべるホーン。
テイルは、彼に「強盗癖」のようなものがあるのではないかと疑っている。
彼を案じるテイルは、ホーンに家から連れ出された時のことを思い出した。
五年前 キマエラ連合国 ボース州とスクアーマ州の境にある町
その日、テイルは、いつものように些細なことで両親から殴る蹴るの暴行を加えられていた。
神に祈るのは、とっくにやめている。誰でもいい。なんでもいい。助けてくれるのなら、悪魔でもいい。救ってくれるのなら、なんにでも感謝する。感謝だけでは足りないのなら、差し出せるものは、なんでも差し出す。だから、助けてほしい。
祈る彼の元にやって来たのは、見知らぬ長身の男だった。
「いや、それは酷過ぎる! 人間に価値がなかったとしても、それはない!」
「誰だ、あんた?!」
憤っているのだろうが、なんだか頼りない顔をしている細身の男は、ずかずかと少年と両親の間に割って入る。自分を庇う闖入者の背中を、少年は呆気にとられて見つめた。
この家族が知るはずもないが、扉の鍵を無断で開錠して来た男は、虐待の一部始終を物陰から目撃したのである。
少年がコップを倒し、テーブルに水を溢したことに両親が狂ったように怒り出すところを。
少年の頭を殴り、腹を蹴るところを。
少年が「ごめんなさい、ごめんなさい」と、か細い声を上げるところを。
「俺はホーン。強盗だ。金目のもんを出しな、と言いたいところだが、んなことしてる場合じゃねぇ」
押し入り強盗は朗々と語る。この場で、彼だけが思うままに振る舞うことを許されているかのようだ。
「外へ行くぞ、ガキ。ついて来い」
男に無理やり立たされ、腕を引かれる。
「そいつをどこへやる気だ?!」
「うるせぇ! 死にたくなきゃ邪魔すんな、オッサン!」
叫んだ少年の父親に、ナイフを向けて凄む強盗。両親は、一歩後退る。
その光景が、少年の瞳には英雄と悪人のように映った。
家を出てから、少年はホーンと名乗った男に肩に担がれ、物凄い速度で遠ざかる生家を見送ることになる。自分を一生縛ると思っていたものが、あっと言う間に見えなくなり、不思議な感覚がした。頭が妙にふわふわしている。まるで、夢の中にいるように。
息を切らしたホーンが少年を下ろすと、そこは港だった。いつの間にか日は落ちており、辺りは人もまばらである。
「海……初めて来た……」
「……そうか」
ホーンは息を整えながらも、相槌を打った。
「足が速いんだね。家から海まで、結構な距離なのに……」
「レイヨウだった頃の名残かもな」
違う。彼は、速く走るのに適した体型をしているが、あくまで人としてだ。つまり、名残などない。
「レイヨウ?」
「角の生えた、足の速い動物だよ。牛と鹿の中間みたいな」
「あなたも血が薄まった人なの? オレの家はトカゲ族だったんだよ」
「そうか、お前もそうなのか」
獣人が基底人との交配を繰り返すと、獣的な特徴が消えていく。
それなのに。少年は思わず、口元を覆うマフラーを押さえた。
彼は、口が裂け、長い二股の舌と尖った歯を持っている。しかし、骨格は有鱗人のようではない。
すっかり獣人ではなくなっていた家系に突如産まれた、獣人と基底人の混血のような子供を、親は疎んだ。「気味が悪い」という両親の声が、今でも聴こえる。
「お前、歳は?」
「十五、だと思う」
「それにしちゃ、軽いし、背も低いな。おかげで運びやすかったけどよ。ま、これからちゃんと飯を食えば、体重も身長も増えるだろ」
ホーンが少年に手を伸ばすと、体をビクリと震わせる。それを見て、痛ましい気持ちになった。中空で止めた手を進めていいのか、ホーンには分からない。
「頭を撫でてもいいか?」
分からないので、素直に質問した。
すると、少年は小さく頷いたので、彼の頭を努めて優しく撫でる。
「えーと、この後……どうすりゃいいんだ……? 衛兵に報せるとか……?」
「あの人……父さんがそうだよ……」
「世の中おかしい!」
強盗には言われたくないだろう。
「こんなところに居たくない! ホーン、オレを連れてって!」
「ダメだよ。助けてもらう奴は選ばないと、とんでもねぇとこに連れてかれちまうかもしれねぇ。だから、ついていく価値のある人間を選べ」
「人の価値なんて分からないよ。親以外の人とは、ほとんど話もしたことないし……」
「俺も分かんねー! 同じだな」
項が同じでも、ホーンのそれとは同一ではない。
しかし、少年は彼の言葉を嬉しく思った。思ってしまったのは良くないことなのだろう、とも思った。
「ホーンから離れるべきと思ったら離れるから、今はオレを連れて逃げてほしいよ」
「そうまで言うなら……まあ…………」
この先、知識を得ていけば、いずれ自分を見限るだろう。ホーンは、そんな可能性を感じた。
「お前は、きっと、なんでも出来るようになる。まずは、このクソみてぇなところと、おさらばするために密航だ!」
その後、ホーンは少年に名前を付けた。「この稼業で本名を呼び合うのは間抜けだからな」とのこと。
「俺はホーンだから、お前はテイルでどうだ?」
「どういう意味?」
「ホーンは角で、テイルは尻尾」
「いいね、なんとなく」
そうして、少年は「テイル」になり、ヘオヴォン自由国へと渡った。
あれから、五年後の今、ふたりはまだ共にいる。
テイルとホーンが出会う後にも先にも、強盗を成功させたことは一度もない。テイルの件が強盗だというなら、それが唯一の成功になる。
「分かったぞ、テイル。俺たち、冒険者になろう。そしたら、きっと強くなれんだろ?」
唐突にホーンが切り出した。
「ほら、冒険者ってのは宝を遺跡から持ち出したりするだろ? ほとんど強盗じゃねぇか!」
「なるほど!」
ふたりの間抜けは転職するべく、意気揚々と冒険者協会へと向かう。
「では、まずは精神検査を受けていただきます」
受付の、愛想が良い黒髪七三分けの男は言った。
「精神検査?」
「心の健康診断のようなものです。深く考えずにお答えください。筆記と口述、どちらにします?」
「筆記で」
「オレも」
「分かりました。では、あちらの席へどうぞ」
ふたりは、簡素な机と椅子に案内された。
そして、紙が渡される。
以下の質問に、自由にお答えください。
①海は何色ですか?
②海岸には何が打ち上げられていますか?
③海の底には何がありますか?
④船が沈んだのは何故だと思いますか?
⑤沈没船の中には何がありますか?
⑥海の怪物はどのような姿をしていますか?
⑦上記の怪物が、あなたに話しかけて来ました。なんと言いましたか?
全ての質問に答えてから三十分ほどで、E級の冒険者証明書が手に入った。
「これからもよろしくな、相棒」
「もちろんだぜ、相棒」
「あ! 俺たち、これから本名で過ごそうぜ」
「あーそうか! もういいのか……」
自分の名前は好きではなかったが、それは名前を呼ぶのが嫌いな人間だけだったからだと気付いた。
「これから、楽しい冒険が待ってるぞー!」
「おー!」
ふたりは不恰好に肩を組み、歩き出した。
竜暦六二九年 ヘオヴォン自由国 某所にて 強盗と蟲使い
「一目見て、価値がありそうだと思った」
「鑑識眼があるようには見えねェな。まさか、勘か?」
「そんなもんだ」
物心ついた頃から、ホーンは目にした物の価値が分かった。
視覚情報が一番だが、五感ならどれでも、使えば使うほど、物のことが理解出来た。
彼は、自身の能力を「直感鑑定」と呼んでいる。
希少性や利用法など、触れれば触れるほど情報が脳裏に浮かぶ。
幼少の頃から、ホーンにとって人間は触れても価値が分からない不気味なものだった。
「俺は、人間には価値がないと思ってる。だから、人が持ってる価値あるものを奪いたくなるんだ」
「なにが、だから?! 訳分かんねェぞ!」
「だから、俺は価値あるものを見ると奪いたくなるんだって! でも人間の価値は全く分からないから、人間は無価値なんじゃないかと思ってるんだって!」
「ヤベェ。こいつヤベェ奴だ」
「別に俺はヤバくない! 人間に価値はないけど、傷付けようとか殺そうとかは考えてないんだからよ!」
「ヤベェ……でも、段々同類のような気がしてきたぞ…………俺が、圧倒的な力と手数で敵を瞬殺することに、こだわってんのと似てるような……独自の計算式で動いているような……」
蟲使いは、ぶつぶつと呟く。
「お前にもっと頭があればなァ。俺に、もっと腕があればなァ。儘ならねェことばかりだな、人生」
彼は、ホーンを拘束していた鋼糸を外し、回収しだした。
「お前、自分の正体を人に話したことねェだろ? というか、自分でもよく分かってねェんだろうな」
その通りだった。
「俺は、普段は北部の遺跡群で冒険者をやってる、スペド・カチェーハクだ。お前は?」
「ホーン。本名は言えない」
「ホーン、お前は、きっと人間を大切に出来ない奴だ。なあ、そうじゃねェか?なあ?」
その通りだと、自分を含めて人のことが分からない男は頷いた。