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3.看板娘と怒れる男

 早朝、静かな天使の油亭にて。カウンター席の冒険者たちは、無言で店主が用意した朝食を咀嚼している。トッドに「人前で喋るな」と言われたカルポスも、グラムの隣で黙って水を飲む。

 少しして、シンプルなエプロンドレスの女が階段を降りて来た。栗色の髪を一本の三つ編みにしている、鳶色の眼の、若い女だ。そばかすが特徴的な、愛嬌のある娘である。


「おはようございます。皆さん、今日は早起きですね」


 挨拶の後、冒険者たちに暖かな笑顔を向ける彼女は、昨夜も「皆さん、おかえりなさいっ!」と明るく出迎えてくれた、この宿の看板娘で、ヴェロニカという。住み込みの給仕で、愛称はニカ。たまに親子だと間違えられるが、左目が切り傷で潰れている、素手で何十人か殺していそうな強面の宿の主人と、血縁関係はない。


「はよ。嫌々だけどな」


 トッドが、素っ気なく答えた。

 冒険者の朝は早くない。常なら、昼に起きてくる者もいる。


「おあよーごすぁいます」

「おはよう……」


 エセルは欠伸をしながら、グラムは信じられないほど陰気に、挨拶を返した。ふたりは朝が苦手なのである。一方、カルポスは返事をするのを我慢していた。

 冒険者たちの態度は慣れたものなので、娘は気にしない。恋い慕う相手でもあるまいし。

 ニカはカルポスを横目で見て、何か言いたそうにしながらもカウンター裏へ回る。そして、冒険者たちが食事を終えたタイミングで、彼女は口を開いた。


「樹木精さん、本当にお水だけでいいんですか?」

「植物ですから」

「ああ、植物だからな」

「樹木精さん、服は着ないんですか?」

「服……?」

「面白い発想ですね」


 カルポスには隠すべきものは付いていないし、何より人間ではないからと、三人は樹木精が素っ裸であることを当たり前のように受け入れていた。


「着せてもいいんじゃないですか? いずれ、緑っぽい人です、で押し通す日が来るかもしれませんからね」

「ああー。どうすっかなぁ」

「太陽光が当たるところ減らして大丈夫……?」

「頭に当たれば大丈夫な気もするけどな」


 グラムの疑問はもっともである。

 当のカルポスは、呑気そうに足をぷらぷらさせていた。それにしても、お花畑みたいな頭である。


「あのよ、親父とニカには、ちゃんとカルポスのこと話しとこうと思ってんだが」

「いいんじゃないですか?」

「……異議なし」


 トッドが一度咳払いをしてから、カルポスを仲間にした経緯を語りだし、店主とニカは黙って聞く。店主は終始無表情であったが、ニカは段々と笑顔を引き攣らせていった。


「つーことで、今ここにいる人間しかいない場合は喋っていいぞ、カルポス」

「やったー!」


 両手を挙げて喜んでいるカルポスを見て、ニカは小さく溜め息を吐いた。


「カルポスくん、この人たちは悪い人ではありませんけど、善い人でもありませんよ? たぶん、あなたは便利な道具だと思われていますよ?」


 ニカは、静かだが厳格な様子で、子供に言い聞かせるようにカルポスに話す。


「それなのに、『仲間にした』ですって? 仲間ってそういうものですか?」


 続いて、三人を見回しながら訊いた。


「コイツは仲間の火打石、よろしくな」

「あ?」


 トッドは左隣のエセルを親指で差す。エセルに威嚇するような笑みで睨まれているが、気にも留めない。


「冒険者にとっての仲間って、そういうもんだぜ?」

「はぁ~。これだから冒険者は……」

「冒険者に説教なんて、するだけ損ですよ、ニカ。奴らに人並みの道徳があったら、冒険者なんてしてませんよ」

「あなたもでしょ!」

「今の何目線の発言だ、エセル」

「びっくりした……まるで自分に道徳が身に付いてるみたいに話すから……」

「エセルさんは、ほんと、昔から変わりませんね!」


 蜂の巣をつついたような騒がしさの中、カルポスが突然、スッと片手をあげる。


「あのー、ぼく……」

「どうかしましたか? カルポスくん」

「ぼく、冒険がしたいんだ。だから、ここにおいてください」

「マスター、どう思います?」

「……問題ない」


 男は無表情のまま答えた。彼の言う「問題ない」は、問題はあるが許容範囲内だという意味である。ろくでなし冒険者を何人か宿に置くことも、その冒険者が持ち帰ってきた危険物を部屋に置くことも。


「彼女、普通に子供扱いしてますね。あんなにイカれた緑なのに。年長者ぶりたい年頃なんですかね」

「お前もイカれた見た目だぞ、赤白男」


 カルポスたちを窺いながら小声で話していたエセルとトッドが、足の蹴り合いを始めたので、グラムが仲裁に入る。

 頑なに民族衣装を身に付けるトッド。真っ白な詰襟に真っ赤なマントのエセル。室内でもフードを被り、前髪で両目を覆っているグラム。

 彼らは三者三様の奇妙な格好をしているが、誰もが自分が一番まともだと思っている。

 ろくでなし共をよそに、ニカとカルポスの会話は弾む。


「カルポスくんは何歳ですか?」

「五○八歳……かな!」

「樹齢だ」

「いやぁ、お若く見えますねぇ」


 この長命な生き物の、精神年齢の発達の速度はどうなっているのだろうか。カルポスは、まるで子供である。

 発達の遅さに利点があるとは思えない。精霊の類いに、そんな理屈はいらないのかもしれないが。


「みんなは何歳なの?」

「十八歳です」

「二十三」

「二十三です」

「……二十七」


 ニカ、トッド、エセル、グラムは順に答えた。

 そんな調子で冒険者たちが歓談していたところに、歓迎しがたい客がやって来た。


「おい、ゴロツキ共!」


 天使の油亭を訪れての第一声を発した怒り顔の男が、ずかずかと冒険者たちの元へと向かう。

この時点で、店主はごく自然に厨房へと引っ込んで行った。


「悪しきものを連れ帰ってきたそうだな!」


 髪も眼もローブも暗赤色で、ついでに彼の怒りも似たような色だとして、赤色が多過ぎる。竜の刺繍の入ったローブは、国教であるアタナエル教のものであり、ゴロツキ呼ばわりされた三人が嫌いな聖職者という人種であることを示している。


「耳が早えーな、オッサン」

「さてはファンでしょう、あなた」

「誰がオッサンだ! 神父と呼べ! それに年齢は大して変わらないだろう! あと! 貴様らの! ファンでは! ない!」


 トッドは「変わるわ、三十路」という言葉を飲み込んだ。


「朝から、うるさいな…………」


 神父、キーフを黙らせてやりたいところだが、無闇に教会に喧嘩を売ることは出来ない。

 というか喧嘩を売ってきているのは向こうなのだが、買うことは出来ない。グラムは指先を向けるのを我慢した。


「おはようございます、キーフさん」

「おはよう、ヴェロニカ。君も嫌だろう? こんなものに宿にいられるのは」

「あら、私は構いませんよ。悪い子じゃないみたいですし」

「そんなこと分からないだろう!」


 神父、キーフは、ここに来てから一番の大声を出した。


「無害な振りをしているだけだ。奴らは、いつだって人を害する」

「奴らって、どこからどこまでですかぁ~?」

「人外の化物ども全てだ」


 人を小バカにした喋り方のエセルに、キーフは朗々と答えた。


「グラムが魔術で制御してるから大丈夫ですよ」


 実際には行っていないことを、エセルは堂々と言う。嘘をつくのは、手慣れたものである。


「魔術など信用に値せん! 冒涜者どもめ!」

「まあ、そうなりますよね。赤竜教会としては」


 アタナエル教は、魔物と苛烈な縄張り争いをしていた時代に生まれた宗教である。この、秩序と誠実と無欲を尊ぶ宗教は、魔術を一切認めていない。

 何百年もの昔、アタナエルという名の赤竜が、この国の者に授けた傷を癒す法術は、人知を超えた神の御業である。厚い信仰心を持てば、切断された部位を元に戻すことさえ可能になるという。また、不浄なものである吸血鬼やアンデッドなどを滅することも出来る。その法術以外は、全て邪なものとしているのだ。

 彼らアタナエル教の訴竜聖典には、悪しきものは聖なる炎で焼かれると記されている。そのため、ヘオヴォンでは二十年前まで、教会が取り仕切る公開での火刑が伝統だったが、国民の廃止運動により無くなった。現在は、苦痛のないように魔術師が即死させるようにしている。

 そして、この件が魔術師と教会の対立を決定的なものにしたのである。

 国としては、戦時に役立ったので、どちらも所持しておきたい道具なのだろう。


「お前が魔術を嫌ってんのは分かった。もう行っていいか?」

「他人事のような態度だが、貴様は気味の悪い虫を連れているだろう。魔術師と同じように、おぞましい」

「説教してぇなら金を出せよ。依頼なら引き受けてやらぁ」


 苛立ちを隠さずに台詞を吐いたトッドは、ある疑問を思い出した。


「あーそうだ、冒険者をしている赤竜神官は一体なんだ? あの、眠れる竜亭の奴」

「あの方は、お優しいのだ。人に寄り添うためだと聞く」

「胡散臭いですねぇ」

「口を慎め!」

「そりゃ、ソイツには無理だぜ」


 人に寄り添うためなどという答えは、到底納得できるものではなかったが、この神父に訊いても真実は分かりそうもない。トッドは、それ以上は質問しなかった。


「……とにかく、アタナエルの教えに従い化物には近付くな」

「その、お前がオススメしてるもんは、俺らには必要ねぇんだよ。冒険者に必要なのは、火や呪いや盾だ」


 そもそも、トッドとグラムは故郷の神を信じている。そして、エセルはこの国に生まれながら、この国の神を信じていない。彼は、自分の神は自分だと考えている。

 だから、アタナエルへの信仰を薦められても困るのだ。まあ、ヘオヴォンでは怪我の治療をする医者があまりいないので、仕方なく寄付と引き換えに教会で傷を癒してもらうことはあるのだが。


「お前が、うちに来て薬箱になってくれんなら話は別だぜ?」

「無理無理。この人、全く冒険者に向いてませんし」

「時間……もう行こう…………」

「さて、楽しいお喋りは終わりだ。次は楽しい山登りだぞ」


 冒険者たちは席を立ち、各々荷物を持って歩き出した。


「トッドさん、エセルさん、グラムさん、カルポスくん、いってらっしゃい。皆さんの帰りを待ってます」


 見送りに来たニカは、ひとりひとりを見た後、胸の前で手を組んで祈る。


「ん。いってくるわ」

「いってきます」

「いってきます……」


 冒険者たちは、ぞろぞろと天使の油亭から出て行く。

 神父は、ひょこひょこと付いていく緑の人外を憎らしそうに見ている。


「今、何に祈ったんだ?」

「運命を統べる何か、あるいは、そのものに」

「あの四人は、君に悪影響しか与えないな」


 キーフ神父は、ギリ、と歯軋りをした。

 神父の言葉に、ニカは少しだけ困ったように笑い、くるりと身を翻して仕事へ戻って行った。


「アタナエル教を潰そうとは思いませんけど、アイツだけは葬りたいですね」

「俺は手伝わねぇぞ」


 快晴の下、宿の外へ出た冒険者たちは軽口を叩きながら、賑やかな中心街から外れた通りを進んでいく。白壁の人家や店が並ぶ寂れた通りは、まだ静けさに包まれている。


「ねえねえ、キーフって、いい人? みんなの心配してた?」


 周りに人がいないのを確認し、カルポスは口を開いた。


「だから嫌いなんですよ、あの人」

「同感…………」

「親切心から冒険者に色々言ってくる奴は、とんでもない変人だぞ。たぶん、アタナエル像に礼をする度、頭を強くぶつけてんだろ」

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